第七章 結末

 さいたまスーパーアリーナでの捕り物劇があったのとほぼ同じ頃。東京都北区にあるパチンコ店にスーツを着た何人かの目つきが鋭い男が入店すると、店の一角でパチンコをしている金髪の男の元へ近づいて行った。男は気づかないままパチンコを続けていたが、すぐに自分の周りをスーツ姿の男が取り囲んでいるのに気付き、慌てて周囲を見回した。

「大町銀太郎だな?」

 スーツの一人が金髪男に声をかけ、男……大町銀太郎が白を切るように視線を逸らす。が、スーツの男たちは容赦がなかった。

「警視庁の者だ。大町銀太郎、お前に銃刀法違反容疑でさいたま地裁から逮捕状が出ている。おとなしく同行してもらうぞ」

「……くそったれが!」

 そう叫ぶと、大町は弾かれたように立ち上がり、刑事たちの包囲網を脱出しようと激しく暴れ回った。が、所詮は多勢に無勢。百戦錬磨の刑事たちに勝てるわけがなく、店内での三十分以上にも及ぶ大乱闘の末に大町は逮捕される事となった。

「残念だが、今回の御勤めはだいぶん長くなりそうだ。パチンコも当分できなくなるから、今のうちに別れの挨拶でもしておく事だな」

「畜生……」

 大町は刑事たちに引っ立てられてパトカーに乗せられていったん北区内の所轄署に留置された後、数日後に捜査本部が設置されている春日部署に護送される事となった。

 その護送までの間に、現場となった廃墟周辺の森で改めて県警による再捜索が行われる事となり、その結果、森の一角にある木の根元に埋められる形で、堂林健介の遺体が発見された。この時点で大町は銃刀法違反容疑に加え死体遺棄罪でも逮捕される事となり、そちらに関する取り調べも行われる事となった。

「だから、ケンを殺したのは取引相手の女の子なんですって。俺はそれの後片付けをしただけなんですよ」

 大町は逮捕容疑となった銃刀法違反と死体遺棄については認めつつも、当初はそんな供述を繰り返していた。が、それはすぐに県警の捜査によって覆っていく事となった。

「しらばっくれるな。堂林の遺体を解剖した結果、死因は腹部を何度も刺された事による出血死で、致命傷となった傷は心臓部に刺さっていた。お前の言う女の子は確かに取引の帰り道に堂林を刺した事は認めているが、刺したのは腹部で、しかもその時は即死ではなく被害者も呻き声を上げていたと証言している」

「その子が殺人の罪を逃れるために嘘をついているかもしれないじゃないですか。まさか、女の子だからって証言を鵜呑みにするような事はしませんよね?」

 大町は当然ともいうべき反論をする。が、取り調べをした鈴木はそんな悪あがきを一蹴した。

「問題の少女が事件当夜着ていた制服は回収済みだ。その子は私服禁止の寮住まいで、他に替えもなかったから捨てる事ができなかったらしい。で、その服からは確かにルミノール反応が検出されたんだが……その血の分量は、何度も刺したにしては明らかに少なすぎるものだった。鑑識の報告では、刺したとしても一回程度で、しかも出血量から見てナイフを抜いたりはしておらず、なおかつ刺した場所も心臓とは考えにくいらしい。もし心臓を刺したとしたら、ナイフを抜かなくてもかなりの出血が見込まれるからだそうだ」

「……」

「彼女は一回しかナイフを刺しておらず、しかもそれは致命傷となった心臓への刺し傷ではない。ならば、彼女が去った後で致命傷を含めた場所にナイフを改めて何度も突き刺した奴がいる。それはどう考えてもお前しかいないだろう」

「……」

「動機はおそらく、取引相手への裏切り行為をして裏社会の売人としての自分の信用を傷つけた堂林に対する落とし前。まぁ、この状況では最初に刺した彼女の方も正当防衛にはならず、過剰防衛か殺人未遂かにはなるだろうが……お前はもっとひどい。正真正銘の殺人罪だ」

「証拠は?」

 大町は挑むように尋ねたが、鈴木は動じる事なくこう告げた。

「お前はもう堂林の死体遺棄については認めているし、それについての証拠はそろっている。遺体が発見された現場にお前の靴跡が残っていたしな。そして、致命傷を与えたのが例の少女でない事はすでに証明した通りだ。となれば残る関係者はお前だけ。死体遺棄はしたが殺しはやっていないなんて言い訳、通用するわけがないだろうが」

「そんな能書きを聞きてぇわけじゃねぇ! 物的証拠があるかって聞いてるんだよ!」

 大町は苛立ったように叫ぶ。が、鈴木はひるまない。

「お前が堂林を殺した時、堂林は抵抗しなかったか?」

「……知らねぇ。やってねぇからわからねぇ」

「だったら教えてやるよ。発見された堂林の遺体だが、右手から数本の繊維片が見つかった。鑑定した結果、靴下か何かの繊維らしい。どうやら堂林は殺害された時、抵抗のつもりなのか犯人の靴下を咄嗟につかんだようだな。まぁ、すでに少女に腹を刺されて倒れている状態の所をさらに刺されたんだから、掴めるとしたらそこくらいしかないだろうが」

「……」

「この繊維片をお前の靴下と照合してみようか? あぁ、万が一履き替えていたとしても問題ない。実は、その繊維片と一緒に何本かの人毛も見つかっていてな。どうやら、靴下を掴んだ時に一緒に付着した犯人の脛毛か何からしい。そんなものがあった時点で犯人が男である事はほぼ間違いないわけだが……発見されたこの毛のDNAとお前のDNAを比べれば、誰がやったかなんて簡単にわかるって事だ」

「……」

「お前にこんな事を言うのは釈迦に説法だろうが、こういう突発的な犯行は必ず犯人も予想だにしないような何らかの証拠が残る。今後も捜査を続ければ、お前を有罪にするだけの物的証拠はまだまだ出てくるだろう。……人間、引き際ってものがある。これでもまだ、お前は抵抗を続けるつもりか?」

 そこまで聞いて、大町はついにガクリと肩を落とし、その場でうなだれてしまったのだった……。


 その後さいたま地裁で開かれた裁判では、大町銀太郎は前科があった事もあって殺人罪で懲役二十五年の実刑判決。足利輝美は護身用とはいえナイフをあらかじめ用意していた事と、刺した後大町が落とし前をするであろう事を認識した上で堂林を放置して逃げ、その後も堂林を助けるような行動(例えば匿名の通報など)をしなかった事が悪い心証を与え、さいたま家庭裁判所送致の後に検察は過剰防衛ではなく殺人未遂罪で彼女をさいたま地裁に逆送。彼女は十七歳で未成年だった事から減刑処置がとられたものの、それでも懲役二年の実刑判決というこの年齢の少女に対してはかなり重い判決となった。

 一方他の事件については、里山誠佑は末次拓彦に対する過失傷害致死罪(状況的に反射的に相手を突き飛ばした事で発生した事案で、末次に対する殺害の故意を証明できなかったためこの罪状)と栃崎濱江に対する殺人罪で起訴され、こちらも懲役十八年というかなり重い判決。その父親の里山金之助は殺害には直接関与していなかったものの死体遺棄の事後共犯と認定され、懲役二年の実刑判決となった。

 また、桃倉貴也についてはまず戸嶋平祐殺害容疑で逮捕となり、後に九年前の北海鉄道脱線事故への関与が確実とされた事から汽車転覆等致死容疑で再逮捕。殺人事件への関与は元より脱線事故では十名を超える死者が出ていた事からこれがかなり響き(刑法第一二六条三項の汽車転覆等致死罪は量刑が死刑か無期懲役しか存在しないかなり重い犯罪)、脱線事故当時未成年者だった事を考慮してもそこにさらに戸嶋平祐殺しの罪状が加わる事になった事から地裁が出した判決は死刑。桃倉は控訴するも、高裁、最高裁でもこれを覆す事はできず、事件から一年ほどで死刑が確定する事となった。なお、戸嶋平祐を媒介に足利輝美を操って藍染時哉を殺害しようとした殺人教唆もどきの案件については、本人の思惑通りこの行為が法律上の構成条件に合致せず、さらには当の足利輝美が事件を起こす前に逮捕されて事件そのものが発生していなかったため、検察もこの罪状による立件は見送らざるを得なかった。が、それを差し引いても死刑判決を覆すような要素にはなりえず(むしろこの一件は刑法上の罪にこそならなかったが、それだけに裁判官の桃倉に対する心証をかなり悪くする事となった)、結局綿密な犯行計画を行ったにしては「焼け石に水」とも言える状態になったに過ぎなかった。

 こうして、当初は単なる一つの殺人事件だったはずのこの一件は、いくつもの事件を巻き込み、何人もの逮捕者を出しながらようやく終結する事になったのである。


 事件が解決した翌日の七月二十日日曜日。東京・品川の榊原探偵事務所で、再び榊原と依頼者の尾崎淳也記者が向かい合っていた。

「話は聞きました。依頼からたった一週間で全てを解決してしまうとは、さすが榊原氏ですな。と言うよりこう言っては何ですが、単純な殺人事件が、行きつくところまで行ってしまったようですなぁ」

 面白そうにそんな事を言う尾崎を榊原は睨む。

「早速記事にしたそうだが」

「えぇ、まぁ。そのために榊原氏に依頼をしたわけですのでな。それはさておき、依頼を果たして頂きましたので、今日は依頼料をお持ちしました。どうぞお納めください」

 尾崎はそう言って依頼料の入った封筒を差し出す。榊原はそれを確認すると、ため息をつきながら受け取った。

「確かに受け取った」

「では、また何かありましたらお頼み致しますので、ひとまずこれにて」

 そう言ってソファから立ち上がろうとする尾崎を榊原が止めた。

「待て。一つ聞きたい事がある」

「はて、何でしょうか?」

「もちろん、今回の依頼の件だ。不本意ではあるが、私はお前の実力をよく知っているつもりだ。そして、お前ほどの調査力があるなら、少なくともこの程度の事件なら充分に真相に到達できたはずだというのが私の見解だ。実際、メインとなる廃墟の殺人はそこまで複雑なものではなかったわけだしな」

「……」

「にもかかわらず、お前がわざわざ依頼料まで払って私にこの事件の解決を依頼した理由は何だ? 最後にそれを教えてほしい」

「……それは、必ず答えねばならない事ですかな?」

 尾崎の静かな問いかけに榊原は首を振った。

「いや。単に私の興味からだ。答えたくないなら別に帰っても構わない」

「……などと言いながら、榊原氏の事ですから、ある程度の推測はあるのではないでしょうか」

 尾崎の問いに、榊原は無言で応じた。それを見て、尾崎はソファに座り直し、こう言った。

「確かにこの程度の事件ならば、ちゃんと調査を続ければ、いつかは私も真相にたどり着く事はできたでしょうな。ただし……あくまでも『廃墟の殺人』に限っては、ですがね」

「どういう意味だ?」

「言葉通りの意味ですよ。私にできるのは最初の事件を解決するところまでで、榊原氏のようにその先の関連事件の解明までは天地がひっくり返っても無理でしたでしょうな。それがわかっていたからこそ……私は榊原氏に今回の依頼をしたのです」

「……」

 無言で先を促す榊原に、尾崎は苦笑しながら答えた。

「もうある程度はわかっているのでしょう。九年前……私が北海鉄道の事故の取材を担当していて、しかも徹底的に調査したにもかかわらず、ついに真実にたどり着けなかったという事も」

「やはり、そうだったか」

 榊原はそう呟く。どうやら、尾崎の予想通り、事前にある程度の事情は推測していたようだった。

「若い頃のほろ苦い思い出ですよ。ちょうど榊原氏が警察を辞めて、私が警視庁担当から外された直後に起こった事故でした。記者クラブ帰りの私はこの事故の取材を任され……そして失敗しました。だから、今回の事件の関係者の中にあの事故の遺族である足利輝美がいると知って、私が動揺したのもご理解頂けると思います。彼女は今回の事件に関わっているのか……正直判断がつきませんでしたが、同時にこうも考えたわけです。私が調査をすれば、わかるのはあくまで今回の事件の真相だけで、それ以上の事についてはわからない可能性が高い。ですが、榊原氏なら、たとえ彼女が今回の事件に関わっていようがいまいが、事件を解決する延長線上で九年前の事故の真相を明らかにしてもらえる可能性がある、と。私は、この一件について榊原氏の推理力に賭ける事にしました。そして……私は見事その賭けに勝ち、九年前にたどり着けなかったあの事故の真相を手に入れる事ができたというわけです」

 その言葉に、榊原は少し憮然とした表情をした。

「つまり、私は体よく利用されたというわけか」

「そう言われずに。足利輝美が銃器の不法所持をしてしまっていた事は至極残念ですが、結果的に、私が長年悩み続けていた九年前の事故の真相は明らかになりました。その点は、深くお礼を申し上げる次第ですな」

 そう言いながら、尾崎は頭を下げた。

「さて、今度こそもう、聞きたい事はございませんな? ならば、私はお暇させて頂くことといたしましょう。またいつか、何かあった時に榊原氏に依頼する事があるかもしれませんので、その時はよろしくお願いします」

「……願わくば、そのような事が起こらない事を祈ろう」

 榊原の言葉に尾崎は再び慇懃に頭を下げると、今度こそ本当に部屋を出て行った。それを見送りながら、榊原はやれやれと言わんばかりに首を振り、今回の事件の記録をまとめるためにデスクに向かったのだった……。

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三つの真実 奥田光治 @3322233

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