第六章 第三の真実
それから三日後の七月十九日土曜日、埼玉県さいたま市のさいたまスーパーアリーナ。予定されていた男性アイドルグループ『モンキー・カラーズ』のコンサートの準備が着々と進んでおり、アリーナ正面にはすでにファンたちの行列ができつつあった。
そんな中、アリーナ内の控室で準備をしていたリーダーの藍染時哉は、自分に来客がある旨をマネージャーから聞いていた。
「来客? こんな忙しいときに?」
さすがに非常識と感じたのか、舞台衣装を着た時哉は不服そうに眉を吊り上げて言った。
「パスだよ、パス! もうすぐ開場前のリハーサルなのに、付き合っている暇なんかないよ」
だが、マネージャーは額に汗をかきながらもおずおずと告げた。
「で、ですが……相手は県警の紹介だと言っているんですが……」
「は?」
一瞬、時哉は何を言われたのかわからない様子だった。
「県警って、県警の事かい?」
いまいち意味のわからない質問をしてしまったが、マネージャーは律義に答える。
「はい。ここの県警……つまり、埼玉県警の代理として来ていると」
「何で埼玉県警が僕に会いたがるんだ?」
「さぁ……」
相手の意図がわからない。何にしても、警察が後ろにいるとなればうかつに断る事も出来ない。嫌ではあったが、会わざるを得ないようだった。
「……わかったよ。少しなら付き合ってあげるよ。悪いけどこの後のスケジュールの調整を頼むね」
「わかりました」
マネージャーは一礼して出ていき、残された時哉は憮然とした表情で椅子の背もたれにもたれかかった。と、同じ部屋で支度をしていたサブリーダーで昔からの親友でもある
「おい、時哉。お前なんか警察の世話になるような事でもやったのかよ?」
「知らないよ。僕には何の身に覚えもない」
「どうかなぁ。お前、女癖が悪いからなぁ。その辺で何かあったんじゃないか?」
「だから、覚えがないんだって」
「ま、そう言う事にしておいてやるよ。で、俺は席を外した方がいいか?」
「そうだね。悪いけど、外してくれると助かる」
「わかった。じゃあ、先にステージに行って支度しとく。話が終わったらすぐに来てくれよ。何て言ったって、お前は俺たちのリーダー様なんだからな」
「あぁ、悪いね」
時哉の返事に、貴也は笑いながら部屋を出て行った。それからしばらくして、黒のアタッシュケースをぶら下げた、くたびれたスーツ姿の四十前後の男……私立探偵・榊原恵一が顔を出した。
「あなたが僕に会いたがったって人?」
「はい。私立探偵の榊原恵一と言います。以後、お見知りおきを」
そう言って榊原は一礼する。一方、時哉は少しでも早く話を打ち切りたいという思いがあからさまに顔に出ているのだが、榊原は気にする事なく言葉を続けた。
「お忙しい所、お時間を頂きありがとうございます」
「本当にそうだよね。僕は忙しいんだ。警察の紹介だっていうから会ってあげたけど、時間を無駄にしたくないから、さっさと要件を言ってくれないかな?」
明らかに年上の榊原に対して敬語を使う事もなくひらひらと手を振る時哉に対し、しかし榊原はあくまで冷静に、いつも通りに話を進めた。
「では、遠慮なく、私は今、春日部市で起こったある事件について県警の捜査を手伝っています。まぁ、一種の民間アドバイザーという奴ですよ」
「へぇ、探偵って本当にそういう事をするんだね。今度出演する刑事ドラマの参考にさせてもらおうかな」
まぁ、榊原の場合は明らかに他の探偵とは事情が違うわけなのだが、時間もないというしわざわざそんな事を説明する必要もない。榊原は相手の要求通り、すぐに本題に入る事とした。
「単刀直入に言いましょう。先日、一連の事件を捜査する中で、一人の女子高生が逮捕される事となりました。罪状は銃刀法違反。裏サイトを通じて拳銃を購入し、ある人物を殺害しようとした容疑です。幸いにも、計画実行前に身柄を押さえる事ができ、殺害そのものは何とか阻止する事ができましたが」
「物騒な話だねぇ。今どきの女子高生は拳銃を購入したりするのかい? 誰を殺すつもりだったのかは知らないけど、そんな奴は厳しく処罰してしまえばいいよ。いっそ死刑にでもしてしまったらいいんじゃないか、なーんてね」
軽い口調でふざけた事を言う時哉に対し、榊原はあくまで真剣な口調で告げた。
「自供によれば、彼女は今日、コンサート会場であなたを射殺するつもりだったようですよ」
「へぇ、そうなんだ……え?」
そこで初めて時哉はポカンと口を開けた。
「聞こえませんでしたか? 彼女は『あなた』を射殺するつもりだったようです。藍染時哉さん、あなたをね。その件で今日は県警に代わって話をしに来ました」
「な、何で僕を……」
時哉の体がガタガタ震え出す。
「動機は復讐です」
「ふ、復讐!? 何で? 僕、女子高生に復讐されるような事は何も……」
「話は変わりますが、あなたは北海道の出身だそうですね?」
本当に唐突に話を変えられ、時哉は混乱しつつも姿勢を正して頷いた。どうやら少しは真面目に話を聞く気になったようである。
「そ、そうだよ」
「では、九年ほど前……あなたが中学生くらいの時、あなたの家の近所で電車の脱線事故はありませんでしたか? 北海電鉄という路線ですが」
「電車の脱線事故……あぁ、そういえばあったね。大騒ぎになったのは覚えているよ。でも、それが何か?」
「この脱線事故が、置石が原因で発生したものだったという事はご存知ですか?」
「それは……確かに、当時そんな噂は流れていたけど……」
「捕まった少女はこの脱線事故で家族を亡くし、自身も大怪我を負いながら九死に一生を得た被害者遺族の一人です。早い話が、彼女はこの置石事件を起こしたのが当時同じ町に住んでいたあなただと思い、そしてその復讐をするために拳銃を購入してあなたを殺害するつもりだったと自供しているんですよ」
榊原はいきなり真正面から時哉に爆弾を叩きこんだ。それを聞いて、時哉は顔を真っ青にさせた。
「な……何を馬鹿な事を……」
「心当たりはないと?」
「あるわけないじゃないか! 僕は……僕はそんな事はしていない! 僕がやったなんて証拠がどこにあるんだ!」
「あくまで関与を否定しますか?」
「もちろんだ! そんな馬鹿な事を言いにこんなところまで来たのかい!? 僕は無関係だ!」
時哉は一転してつばをまき散らかしながらまくしたてるように言った。一方、榊原はそんな時哉の様子を冷静に観察している。
「もう帰ってくれ! これ以上話を聞くのは不愉快だ! 僕にはこれから大切なコンサートがあるんだ! ファンのみんなが僕を待って……」
だが、榊原は一向に退かない。
「残念ながら、今回のコンサートは中止して頂く事になると思います。すでに県警から主催者に対しては通告が入っているはずです」
「な、なぜ! どうしてだい? 何の権利があってそんな……」
「まぁ、無理もない話でしょう」
榊原はさらりと告げる。
「出演者が逮捕されたとなれば、コンサートを開くなんて絶対に不可能ですからね」
それを聞いて、時哉の顔が引きつる。
「き、君は……君は僕を逮捕するつもりなのかい?」
「そう聞こえますか?」
「ふざけないでくれよ! 僕がやったっていうなら、ちゃんと証拠を持って来てくれ! こんなのは権力の横暴だ!」
「そもそもの話として、捕まった少女の自供によれば、彼女が置石事件の真相を知ったのは、ある人物の告白からだったそうです。その人物は数週間前に彼女と接触し、自身が友人と二人で問題の置石をした事、そして罪悪感に耐えきれなくなって事故の被害者の一人である彼女に事実を告白しようと考えた事を伝えました。その人物の名前は戸嶋平祐。この名前に心当たりは?」
「そ、それは……」
一瞬、時哉の目が泳ぐ。榊原がそれを見過ごす事はなかった。
「その反応だとどうやら、心当たりがあるようですね」
「い、いや、そんな事は……」
「一応言っておきますが、この場で否定したところで、こんな事は調べればすぐにわかる事です。やましい事がないなら、下手に隠さない事をお勧めします」
「……」
時哉はそれでもためらったような表情を浮かべていたが、やがて渋々と言った風に答えた。
「……中学の時の同級生の一人だよ。だけど、それだけだよ。特に親しくなんかなかった」
「どうですかね。彼女の自白によれば、戸嶋は告白の中で、自身と一緒に置石をした友人……つまり置石の共犯者があなただと言っているんですがね」
「なっ、そ、そんな馬鹿な……」
時哉は目を見開いて呻くように言う。が、榊原は容赦しない。
「事実です。実際、その告白があったからこそ問題の少女はあなたが親の敵であると恨み、拳銃を購入してまであなたを殺害する計画を立てる事になったんです。幸い、先程も言ったように実行前に身柄を押さえる事ができましたがね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 流れるように話が進んでいるけど、僕は置石なんかやっていない! それで恨まれるなんて筋違いだし、ましてやってもいない事で捕まるなんてまっぴらごめんだよ!」
この期に及んで、時哉はなおもそんな主張を繰り広げた。
「しかし、戸嶋平祐はあなたが共犯者だと主張していますが」
「知らない! 確かに戸嶋は知っているけど単に同じクラスだったというだけで中学時代にそこまで付き合いがあったわけじゃないし、第一、あいつとは卒業してから会った事なんか一度もない! そんなあいつが僕を告発するなんて馬鹿げてる! 戸嶋の勘違いか、あるいはあいつが僕を陥れようとしているのか……とにかく僕は関係ないんだ!」
必死の反論を繰り返す時哉の言葉を榊原が黙って聞いていると、時哉はさらに激高してこんな事まで言い始める。
「それに……さっきから聞いていたら、その戸嶋の証言というのは捕まった女の子の一方的な証言に過ぎないじゃないか! 本当に戸嶋がそんな事を言ったかなんて確かめようがないし、もしかしたらその女の子が自分の罪を逃れるために適当な事を言っているのかもしれない! 大体、肝心の戸嶋本人はどう言っているんだよ!あいつを締め上げれば、その話が嘘かどうかなんてすぐに……」
「亡くなりましたよ」
榊原は端的に事実だけを告げた。まくしたてていた時哉がポカンと口を開ける。
「亡くなった……?」
「えぇ。二週間ほど前の七月三日にさいたま市内の自宅アパートの一室で首を吊って亡くなっているのが見つかっています。新聞にも記事が載っていましたが、知らなかったんですか?」
「し、知るわけがないだろう! 僕は普段からあまり新聞を読まないんだ!」
時哉は顔をこわばらせながら何とか答える。
「とにかく、僕は何も知らない! その置石とやらに僕が関係しているっていうのなら、ちゃんとした物的証拠を持って来てくれよ! それがないなら、僕に言い掛かりをつけるなんて……」
「証拠、ですか」
榊原は軽く首を振ると、あくまで静かな口調でこう告げた。
「それについては、もちろんちゃんと調べてあります」
「え?」
「調べたんですよ。今まで容疑者すら浮かばず、迷宮入りになりかけていたあの脱線事故にあなたが関与しているのか、警察と事故調査委員会の協力を得て徹底的に再調査をしました。その結果、私は一つの結論にたどり着く事ができました」
「け、結論?」
「えぇ」
そして榊原は告げる。
「藍染時哉さん……あなたが九年前の置石の犯人である可能性は『絶対にあり得ない』。調査の結果私はそう結論付けました。つまり、あなたは電車脱線事故については間違いなく無実だという事です」
「……は?」
今まで猛っていた時哉は、今日一番の間抜け面を見せて呆気にとられた表情を浮かべる。そして、張り詰めていた部屋の空気が、一気に弛緩していくように思われた。
「えーっと……」
「どうしましたか? お望み通り、あなたの無罪を認めたわけですが。もっと喜ばれてもいいと思いますがね」
「いや、でも……」
時哉からすればいきなり梯子を外された形で、どう反応したらいいのかわからなくなっているようだった。が、榊原は全く顔色を変える事無く、判明した『事実』を報告していく。
「このような真偽不明の新証言が出た事を受けて、今回改めて、道警と事故調査委員会の協力で事故当時中学生だったのあなたのアリバイを調べました。その結果事故当日、あなたは当時所属していたテニス部の遠征であの街にはいなかった事が判明したんです。その合宿に参加していたかつてのあなたの同級生が覚えていましたよ。どうやらその反応を見るに、あなた自身、その事を忘れているようですが……」
「え……」
そう言われて、時哉は必死に記憶を思い出していたが、やがてハッとしたように呟いた。
「そう言えば……確かにあの時は、合宿から帰った時にお袋から近所で事故があったっていう話を聞いたような気が……」
「もう九年も前の話ですからね。実際に参加したあなたでさえ覚えていないのですから、部活に所属もしていなかった戸嶋がテニス部のスケジュールなんか覚えられるわけがないでしょう。だからこそ、アリバイがあるはずのあなたが脱線事故の共犯だったなどという実際にはあり得ない『嘘証言』を、彼は平気でする事ができた」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 僕のアリバイが証明されたのはうれしいけど……それってつまり、やっぱり戸嶋の奴が嘘の証言をその女の子にしたって事になるよな!」
「えぇ」
「でも、どうして! 何でそんな僕を貶めるような嘘八百の証言を! そのせいで、僕は危うく無実の罪で殺されかけたじゃないか!」
その当然とも言える問いかけに、榊原は静かに告げた。
「その件ですが、まったくの嘘八百だったというわけでもないようです」
「え?」
「確かに、あなたが共犯だったという点は真っ赤な嘘だったわけですが、少なくとも戸嶋が置石の実行犯の一人だった事は事実である可能性が非常に高いです。実際、遺族である少女が彼から聞いた話は実際に置石をした人間でなければわからない事が多く、また被害者遺族であり事故の情報を把握している彼女にその証言を信用させる事に成功しています。これは実際に置石を行い、その場にいた人間にしかできない芸当です」
さらに榊原は事実を告げていく。
「その上、この証言を受けて事故調査委員会がさらなる調査を行った結果、事故当時現場から回収された置石に使用されたと思しき石の破片に残されていた部分指紋と、先日遺体で発見された戸嶋の指紋が一致したとの事です。どうやら中学生の浅知恵と言うべきか、こんな大ごとになると思っていなかったのか、いずれにせよ手袋なりをして置石をしたわけではなさそうですね。以上により、共犯者について以外の部分については、戸嶋が正確な証言をしていた事は事実かと思われます」
「じゃあ……共犯者なんかいなかった……」
しかしそれは榊原自身が否定する。
「いいえ、現場の状況から置石が複数犯によって行われたのは確実です。従って共犯者は確かに存在します。問題は、戸嶋がその共犯者の名前をなぜかあなたと証言し、その後どういうわけか『自殺』をしてしまったという点です」
「どうして……どうして戸嶋は、僕が共犯者だなんて言ったんだ?」
その問いに対し、榊原は明白に答えた。
「それはですね、彼女にあなたに対する殺意を抱かせ、何の関係もない彼女にあなたを殺害させるためですよ」
「な……」
「例えばここにあなたを殺したくてたまらない人物Xがいるとします。しかし、動機があからさまであるがゆえに、Xがあなたを殺害してしまうと真っ先に疑われてしまう事になってしまう。殺人者の心理として、自分が疑われてしまう事を避けようとするのは当然です。ならばどうすればいいのか? そう考えた場合、下手に自分が殺害してしまうとそれだけで疑いがかかりかねないほどの動機を持つXがあなたを殺害するために採る手段は一つ。……自分と関係のない第三者をけしかけてあなたの殺害を実行してもらうというやり方です」
「っ!」
「その場合、小説などでよく使われる手段は殺し屋を雇うというものになりますが、ゴルゴ13じゃあるまいし、そう都合よくそんな人間とコンタクトを取れるかどうかは非常に怪しいです。だからXはもっと確実な方法を採る事にした。すなわち、自分に対して恨みを持っている人間に『本当の復讐相手は藍染時哉である』と錯覚させて標的を誤認させ、違う相手に殺意を向けさせて自分の代わりに殺害してもらうというやり方です。そして、問題の彼女はこの罠に引っかかり、危うくあなたに対する殺し屋になるところだったというわけですよ」
そこまで言って、榊原はしっかりとした口調で告げた。
「さて……そうなると問題は、何の関係もなかったはずの彼女にあなたに対する殺意を抱かせ、自分の代わりに殺害してもらおうとしたのは誰なのか?」
「それは……彼女にそんな事を言った戸嶋の奴なんじゃ……」
時哉は当然ともいうべき答えを返すが、榊原は首を振った。
「いいえ。戸嶋にはここまでややこしい事をしてあなたを殺害するような動機は確認できませんし、何より戸嶋がすべての黒幕だった場合、このやり方では彼女があなたを殺害後に捕まった際に、『戸嶋から話を聞いて復讐を決意した』という情報が警察に伝わってしまいます。おそらく戸嶋は、真にあなたに対する動機を持つ真犯人Xの命令で彼女にその話をした、ただの実行犯に過ぎません。そして何度も言うように、九年前の置石事故には共犯者がいました。置石をしたという秘密を第三者に自白するように誘導できるのは、同じ置石を行って事情に精通しており、戸嶋が置石の犯人である事を知っている共犯者しかいません。となれば、戸嶋に彼女があなたに対する殺意を抱くように誘導する証言をさせたのは、戸嶋と共に九年前の置石を行った共犯者しかあり得ないという事になるのです」
「じゃあ、戸嶋にそんな事を言わせた置石の『共犯者』は一体……」
だが、その問いに榊原は静かに問い返した。
「それはもう、あなたにも薄々予想がついているのではないですか?」
「それは……」
「事ここに至れば、その『共犯者』の条件は明白なはずです。あなたと同級で置石事件当時にアリバイがなく、さらに言えばあなたが死ぬ事で明確な利益が発生する人物……」
すでに該当者が頭に浮かんでいるのか時哉は絶句する。それを見ながら、榊原はこう宣告した。
「さて……この推理はすでに県警側とも共有しています。なので、その『共犯者』については、そろそろ県警が追及を始めている頃ですが、はてさてどうなる事やら」
榊原の意味深な言葉に、時哉は思わず息を飲んだのだった。
同時刻、さいたまスーパーアリーナのステージの周りを、鈴木を筆頭とする埼玉県警の刑事たちが取り囲んでいた。そしてそんな刑事たちの中央に、先程控室を出てリハーサルに先行していた桃倉貴也の姿があった。
「な、何を言って……」
「とぼけても無駄ですよ」
鈴木が貴也に対して宣告する。
「九年前に北海道の北海鉄道で起こった置石による脱線事故……戸嶋平祐と共に置石を仕込み、何人もの人間を死に追いやった『共犯者』は……桃倉さん、あなたですね」
その言葉に、貴也の顔がやや引きつった。そして、鈴木は相手が何か反論をする前に畳みかけるように言葉を紡いでいく。
「今回の一件で犯人の一人が戸嶋だとわかったので、九年前当時の戸嶋平祐の交友関係について調べました。その結果、当時戸嶋と同じサッカー部に所属していた同級生として、あなたの名前が浮かんできたんですよ」
「そんな……たったそれだけで俺が置石をやったなんて乱暴すぎる! 他にも戸嶋と付き合いがあった連中はいるはずだ!」
だが、鈴木は動じることなく、先程榊原が時哉にしていたのと同じ推理をぶつける。
「今回の一件、戸嶋が事故の遺族の少女に嘘の共犯者……すなわち藍染時哉の名前を告げたのは、そうする事で彼女に藍染氏に対する殺意を抱かせ、本来は何ら関係がないはずの彼女に藍染氏を殺害させる事が目的だったと思われます。しかし、こんな回りくどい犯行計画を立てた以上、それをそそのかした犯人には藍染時哉に対する強い動機……さらに言えば藍染氏を殺害する事によって生じるメリットが存在するはずです。そうしたものがあるからこそ関係のない彼女に殺害を実行させ、自身は容疑者圏外に逃れようとしたわけですからね。逆に言えば、自分が直接殺害すれば、一発で疑われてしまうような動機を真犯人は持っている事になります。ところが、実際に嘘の告白を行った戸嶋には、藍染氏に対するそのようなメリットや強い動機は存在しません。つまり、戸嶋はあくまでそそのかしの実行犯に過ぎず、戸嶋にそのような事を言わせて何の関係もない他人の手で藍染氏を殺害しようとした黒幕が必ず存在するはずです。では、その黒幕とは誰なのか? 当然ながらこのそそのかしは、戸嶋が九年前の置石の犯人の一人であり、その置石に共犯者がいる事を知っていなければ成立しません。それを知る事ができる人物はこの世でただ一人……言うまでもなく、その戸嶋の共犯者自身です」
そして鈴木は告げる。
「その上で、何度も言うようにその黒幕は藍染氏に対する何らかの動機がある人物です。そして、戸嶋の共犯者は当時中学生だった戸嶋と顔見知りの存在であり、おそらくは同年代かつ同郷の人間である事がはっきりしています。つまり、黒幕の条件に当てはまるのは『戸嶋と同年代かつ同郷で、なおかつ藍染氏に対する動機がはっきりしている人間』という事になります」
そう言うと、鈴木は厳しい視線を貴也に注いだ。
「あなたはその条件に当てはまりますよね。戸嶋と藍染氏双方の中学時代の同級生だった上に、あなたには藍染氏を殺害するメリットも存在するんですから」
「そんな、メリットなんて……」
「他でもない、このグループのリーダー格かつ一番人気の藍染氏が殺されれば、副リーダーであるあなたがおそらくそのままリーダーに昇格する事になるんですからね。違うとは言わせませんよ」
鈴木の追及に、貴也は言葉を詰まらせる。が、すぐにこう反論した。
「面白い妄想だが……仮にそうだったとしても、俺は一体何の罪になるんだ?」
「と言うと?」
「まず、置石の件については俺が置いたという明白な証拠は何一つない。加えて、その少女に戸嶋が何を言ったか知らねぇが、さっきから聞いている限りだと奴がその少女とやらに言ったのは『藍染が置石の共犯だった』という嘘だけで、直接『藍染を殺せ』と言ったわけじゃないんだろう。それを聞いた上で拳銃を用意して時哉を殺そうとしたのはあくまでその少女の勝手な考えだ。『殺せ』と言ったわけではないから戸嶋は殺人教唆でもないし、仮に戸嶋にそう言えと言った奴がいても、そいつは戸嶋以上に何の罪にも問えないはずだ」
どうやら、貴也がわざわざこんな回りくどい計画を立てた理由には、いざ真相がばれたとしてもこの理論で法律の追及から逃れるためだったらしい。実際、本当に足利輝美によって藍染時哉殺しが実行されていたとしても、法的に罪に問われるのは実際に拳銃を購入して殺害を実行した輝美だけで、「殺せ」などとそそのかしていない以上、そのきっかけとなる嘘証言を行った戸嶋や、その戸嶋に嘘の証言をするよう指示した貴也には殺人教唆すら問えなかった可能性が高いのである。まさしく完全犯罪とでもいうべき末恐ろしい計画であった。
だが、鈴木はそれでも動じる事はなかった。
「確かにそうかもしれませんが……脱線事故については徐々に証拠がそろいつつあります。現場から見つかった石の欠片には、未だに正体不明の部分指紋が残っています。その指紋とあなたの指紋が一致したら、脱線事故にあなたが関わっている決定的な証拠になりえます」
「どうかな。そんな指紋、例えば俺が脱線前にあの辺を歩いているときにたまたま偶然手に取った石が、その後別人の手で置石に使われただけかもしれないじゃないか。あの事故のあった辺りは普段から俺もよく歩いていたから指紋が付く可能性は充分あるし、俺が置石をした証拠としては弱いはず」
余裕を持ってそう答える貴也。しかし、鈴木は冷たい視線を向けながらこう告げた。
「確かに、これだけならあなたの完全勝利になっていたかもしれません。ですが……あなたは少しやり過ぎました」
「は? 何のことだよ」
「言うまでもなく、戸嶋平祐の死です。あれ、あなたがやったんですよね」
その言葉が発せられた瞬間、貴也の表情が明らかに変わった。
「な、何の事なのか……」
「新聞では事故か自殺かと曖昧な書き方をしてありますが、あれは犯人を油断させるために情報を規制しているだけでしてね。県警の捜査本部ではあの一件は明確な殺人だったと断定されています。首吊り自殺に見せかけるにしては、正直かなりお粗末でしたからね」
「お粗末……」
「索状痕が地面に対して水平になっているのが決定的でした。本当に首を吊ったのなら、索状痕は斜めになるはず。水平になっているという事は、誰かに絞殺されたという事に他なりません。あんな偽装は、専門家の手にかかればすぐにばれるものなんですよ」
そして、鈴木は鋭い目で相手を睨みつける。
「動機は置石事件と今回の一件についての口封じ。我々の捜査では戸嶋は金に困っていたようですので、おそらく多額の金と引き換えに彼女に嘘の告白をするよう依頼したのでしょう。ですが、ただでさえ戸嶋は置石をあなたと一緒にやった事を知っている唯一の人物ですし、さらに今回の計画がうまく行って少女が藍染時哉を殺害する事に成功した場合、彼女は自分をそそのかしたのが戸嶋だと自白するはずです。そうなれば戸嶋の手に司直の手が伸び、その戸嶋の口から置石と殺人教唆の実態が暴露される危険性がある。だからそうなる前に先手を打って戸嶋を自殺に見せかけて殺害したんでしょう。また、彼を自殺に見せかける事でしかけた彼女の殺意がまかり間違って戸嶋の方に行かないようにするという予防線的側面と、そうする事で戸嶋が自責の念で死を選んだと錯覚させ、逆に共犯者だったくせにそう言う自責の念を感じてないように『見える』藍染時哉にさらなる殺意を抱かせるという殺意の補強の意味もあったんでしょうがね」
「……」
「とはいえ、実際には犯行前に彼女は拳銃の購入がばれて逮捕されて殺害は実行に移されなかったわけですがね。あなた自身、まさか高校生の彼女が拳銃を使って藍染氏を殺そうとするなど完全に想定外だったのでしょう。そしていざカラクリがばれればこんな事件は難しくもなんともありません。ばれないと思っていたのか索状痕の件といい戸嶋殺しはかなり杜撰な犯行だったようなので、あなたが疑わしい事を前提に調べれば、証拠は必ず出てくるはずですよ」
「……」
「そう言うわけですので、御同行願えますかね。容疑は、戸嶋平祐殺害容疑です」
と、その瞬間だった。
「くそっ!」
貴也はそう叫ぶと持っていたギターを鈴木目がけて投げつけ、そのままステージから飛び降りて逃亡しようとした。が、反射的にギターを避けた鈴木を筆頭とする捜査員たちが即座に貴也に殺到し、必死に抵抗して暴れ狂う貴也を取り押さえにかかる。体格の良い貴也を取り押さえるのにかなり苦労したが、所詮は多勢に無勢。やがて何人もの刑事が羽交い絞めにする形で貴也は拘束され、そこに鈴木が鋭く宣告しながら手錠をかけた。
「桃倉貴也! 公務執行妨害の現行犯で逮捕する!」
「放せ! 畜生っ! くそったれがぁぁぁぁぁぁ!」
客が誰もいないステージの前で、桃倉貴也の憎悪に満ちた絶叫がむなしく響き渡ったのだった……。
「……そうですか。了解しました」
携帯を切ると、榊原は改めて目の前で真っ青になっている藍染時哉に相対した。
「たった今、桃倉貴也が公務執行妨害容疑で現行犯逮捕されました。今まで話してきた事を県警が追及したところ、本性を現したようです。何にせよ……こうなってしまってはコンサートなど開けないでしょうね。残念ですが」
時哉は呆然として榊原の言葉を聞いていた。事態の急展開と、長年の親友に裏切られていたという事実に、彼の頭はついていけていないようだった。
「いずれにせよ、これで今回の事件は本当の意味ですべて解決しました。捜査へのご協力、感謝します。これから大変かもしれませんが……事件の全てを暴き、あなたの人生に影響を与えてしまった身として、微力ではありますが陰ながらあなたの事を応援させて頂きます。では、これで」
そう言って榊原は一礼する。が、時哉はそのまま手近な椅子に崩れるように座り込み、そのまま頭を抱えてしまった。
「何でだよ……何でこんな事に……」
その姿に、最初の傲慢な様子は微塵もなかった。ただそこには、自分が殺されるところだったという恐怖と、思いもしない裏切りにあったという事に傷つく、どこにでもいるごく普通の若者の姿だけがあった。
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