私とあなたと映画の行方

第1話

　さてこの世の中というのはいかにもおかしげなもの。

　惚れた腫れたのおっしゃいますが、そんなものは一夜の夢うつつでございます。

　本日ご紹介致しますのはある『髪結の亭主』。髪結というのはまあ昔の言葉でございますが、今の言葉で申しますと美容師さんでございますね。アントワーヌは髪結のマチルダ嬢に求婚致します。さてその結末は。

　そんな前口上を聞いているうちにカタカタとあたりは暗くなり、正面のスクリーンにザラザラとした少し黄ばんだ映像が流れる。なんだか酷く懐かしい。全てが懐かしいのだ。何もかもが。

　ここは場末の映画館。場末といっちゃぁなんだが、今風に言うとミニシアターというものなのだろう。欧州や亜細亜の色々珍しい映画をここで上映していた。そういえばここで初めて観たのは『美女と野獣』だった。『美女と野獣』といっても１９９１年制作のアニメ映画ではない。１９４６年のジャン・コクトーが監督したモノクロ映画のほうだ。

　ジャン・コクトーが紡ぎ出す幻想的な世界の中でヒロインのベル役のジョゼット・デイが夢幻のように美しかった。

　私がその映画を最初に見た時、隣りに座っていたのが今の妻だ。すらりと背が高く美しかった。

　その時のことをぼんやりと思い出していた。カタカタと音が響く暗い映画館で、唯一の光を投射する映画を見つめながら、妻は『見た目じゃないのね』と呟いた。それは至極すとんと、私の腹に落ちてきた。それは野獣の恐ろしい姿と美しい心の対比について述べたものであって、とても納得できる言葉であった。世の中とは見た目とは違うことも多いのだ。それは私は自らの経験でも体感していた。

　私の古くからの優しい友人は妙に体が大きく、とはいえそれを活かせることもなかったのでよく風船さんと呼ばれていたからだ。けれどもその風船さんは爽やかで男気のあるとても素晴らしい人物だった。

　だから見た目と内面が全く違う、そのようなことはよく、そして十分にありうる。私は大きく頷いた。

「同感です」

「あら」

　おそらく自らの呟きに応答があるとは思ってもいなかったのだろう。その声に思わず隣を見て、そして声の主が野獣どころか美女中の美女。映画の細い光をうけて淡く光るその表面は、画面の中のジョゼット嬢よりもことさら美しくみえた。

「せっかくですからこの後お茶でも如何でしょう」

「……宜しいですわ。けれども今は上映中、お静かに」

　少し驚いて、それから目を細めてそう述べるその美しい顔に、心のなかで、勿論ですとも、と頷いたのは思い出の中で深く印象づいている。つまりそのやりとりで、妻に惚れたのだ。

　それから私は妻と色々な映画を渡り歩いた。この『髪結の亭主』も一緒に見て、愛や映画について語り合ったものだ。語り合うべき映画ではあったが、少々刺激が強かったことはさておき、それで私と妻は結婚することに決めたのだ。

　そしてその結婚がよかったのかどうか、それはなんと最早よくわからない。相変わらず時間があれば一緒に映画を見て、楽しく過ごしたいと思う。そして私は思い知っているのだ。映画というものは人生を映し出す道標であることを。そしてやはり妻と見た『美女と野獣』は正しいということを。

　私の妻はとても素晴らしい。そして私の妻は私を、というか共通した価値観を理解してくれている。それは何者にも代えがたいものなのだ。

　たとえ今の私の隣にいる姿が以前の凛と咲いた水仙のような姿とは全く異なり、野獣のようにたくましかったとしても。

　全ては全く、見た目じゃないのだ。

Fin.