こちら側、むこう側
高黄森哉
動物園
【動物園は人がごった返しているというほどではない。平日だからだが、ただ、普段の平日よりも、人は多い。それは、高校生が修学旅行で訪れているからである】
柵に肘を預け、頬杖を付き、田村は檻の中のライオンを眺めていた。制服で、シャツは硬質な白さ、淡い灰色のスカートには格子模様が浮いている。
そんな、彼女の様子を、見つめているのは森明子だった。物憂げな表情でライオンを観察する田村もまた、森に観察されているのである。
「ねえ」
目線はこちらにくれず、ただ短い台詞で森に、これから尋ねる予告をする。
「ライオンって、檻の中で退屈なんじゃないかな」
「退屈って?」
「檻は四角いでしょ。ただそれだけ」
「でも、お肉が、毎日、出てくるよ。それに、齧り棒だってあるし」
「それは幸せなことなのかもしれない。例えば、野生のライオンに比べれば、毎日の食事が保証されるのは、ずっと幸せなことなのかもしれない。でも」
「でも?」
「幸福ではないと思う」
分からない理屈ではなかった。毎日、肉は出て来る。水だって。でもこんな、退屈な箱の内部で一生を終えるくらいならいっそ、水も肉も、。森はそこまで考えてやめにした。
「ライオンはこっち側に出たいと思っていると思う。こっち側にでて、自由に生きていたい」
「車にはねられたり、射殺されちゃうよ。そういうことを知らないから、そう思うんだよ」
森は田村を責めるように言った。実際、そういうことを知らない、というのは、彼女に向けた言葉である。その自由には、想像力の欠落による、欠陥があるのだ。
「うん。そうだね。じゃあ、ライオンは檻から出たら、戻りたいと思うかもね」
「うん、きっとそうだよ」
こちら側と、あちら側に、自由や幸せがあり、そしてそれは、両方、持ち合わせていない。常に柵を隔てて、錯覚として現れる理想。田村は疑問を投げかける。
「じゃあ、そう考えたとき、戻りたいと思うだろう柵の中にいる、ライオンは幸せを感じると思う」
「分からないや」
二人はそこで切り上げた。二人とも、答えが出ないからだ。
「学校という不自由な檻から出た時、私達は、なにを思うのだろう」
「私はそれより、誰がこの柵を作ったが気になるかな」
森は、田村の答えの出ない問いから、話頭を転じる。
「幻想だよ。幻想。失った者達が、私利私欲のために造り上げた虚構。そんなものは存在しないのに、存在することにして、ライオンを閉じ込めてるんだ」
こちら側、むこう側 高黄森哉 @kamikawa2001
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