第3話 もってけ堀

 今となっては昔のことだが、とある東海道中のご城下、職人町の長屋で、研ぎ屋を営んでいる太助という男がいた。妻と二人暮らしで、子だからには恵まれていなかったが、仲むつまじく暮らしていた。

 そんなある日のこと。太助は釣りに出かける用意をしていた。太助は長屋でも自慢の太公望である。自前の竿と仕掛けは大物を狙えるだけのたいそうな造りだった。そして水路が張り巡らされたご城下の堀は橋という橋のたもとが格好の釣果ポイントだった。海水も混じる汽水域に外堀があるため多くの魚が住んでいる堀だった。


「おまいさん、今日も釣りに行くのかい?」

 あきれ顔で女房の小糸こいとは、台所の奥から声をかけた。手ぬぐいを姉さん被りにした姿で腰をかがめて、窯に火をおこしながら訊ねる。

「おうよ、こんな天気の良い日のまずめ時には入れ食いよ。晩のおかずには不自由しないから大船おおぶねに乗った気分で待ってな」

 腰に魚籠びくを括り、肩に竿を天秤担ぎで笑い声高らかに太助は長屋を出た。

「今日はどこにいくんだい?」

「外堀よお。あそこには活きの良いアジの群がボラに紛れて上がってくるんだ」

 それは嬉しそうに太助は外堀の方角を指さして答える。

「あいよ」

 小糸は、その美しい顔の炭汚れを手ぬぐいで拭きながら、

「やれやれこんなんじゃ、やや子はいつになっても出来ないねえ。私よりも魚が好きなんだねえ」と笑い半分、諦め半分で太助を見送った。


 まずめ時というのは、朝な夕なにやってくる焼けの時分だ。太陽が地平線に傾き、明るさが半分になった時が魚の食事の時間だ。

 

 いつものように水神さまの祠に挨拶をしてから、太助は石垣の上に陣取り、そこから釣り糸を垂らす。自前で作った木製の浮子うきがしゃんとして水面に立った。波も風も一つない水面だ。

 そこから太助はじっと浮子を見つめる。頭上の松の木の枝ではカラスがカーカーと喧しいほど鳴く。

 ぴくりともしない浮子。今日に限っては太助の糸は全くと言って良いほど引かれない。名人級の腕前の太助は、困った顔だ。何度も餌を変えては試みるもなんの効果も無い。

「なんていう日だ。オレの仕掛けにも、餌にもぴくりともしない。これじゃ晩のおかずなんてありゃしない」


 すると堀の向かい側からお椀の船に乗った小さな男の子が流されて来て、太助の垂らした浮子にひっかかった。

「おい、こら!」と男の子。迷惑そうに浮子を退けようとして掴んでいる。

 太助はあまりにも小さな男の子なので、薄暗い時分の闇も重なりお椀がしゃべっていると思った。

「ひぇー。お椀がしゃべっとる」

 驚きのあまり太助は急いで釣り具をたたんで一目散に逃げ出した。

 するとお椀に載っていた子は浮子にしがみついていたため、太助の魚籠に落とされる。

「おい、こら。オレの船、お椀も持ってけ!」

 太助はお椀の声がまだ付いてくるので、驚いた。

「うわあ、お椀が、お椀が付いてくる」

 飛脚よりも速いスピードで、土煙をあげながら太助は走り続けた。

「お椀も持ってけ、って」

 怒ったその一寸ばかりしかない背丈の子どもは、鞘から針の刀を抜き、太助の肩当たりに突き刺す。

「うおりゃ!」

 太助はお椀に噛みつかれたと思い、ますます走りをはやめた。

「持ってけ! オレのお椀」

「うおお、お椀が、お椀が、オレの肩に噛みついている」

 こうなると太助は妄想の中で、勝手に怪物を生み出している。彼の脳裏には、蓋をカパカパと開け閉めしながらしゃべるお椀のイメージが出来上がっている。そんなモノが自分の肩に噛みついて、宙を舞って追いかけてくるのだ。


「ただいま、いまけーったぞ」

 勢いよく玄関を開けると、そのまま草履を脱ぎ捨て、足すすぎもせずに部屋の奥にある蒲団にくるまってガタガタと震えている太助。

 洗い物を済ませて井戸から帰ってきた女房の小糸は、不思議な顔で団子になって蒲団を被っている太助に訊ねる。

「どうしたい、おまいさん」

「どうしたもこうしたもあるけ! 出たんだよ」

「なにがさ」と小糸。

「なにがって、化けモンだ」

「化けモン」

 小糸は今さっき洗ってきた食器を両腕で抱えたままオーム返しにした。

「化けモンね」

「いまもオレの肩に噛みついているんだ」と太助。

 小糸は馬鹿馬鹿しくって、「そんなモンおりゃしないよ」と笑う。

 少し冷静さを取り戻した太助は蒲団の端を少し持ち上げて、「いねえのか?」と神妙な面持ちで訊ねる。

「そんなもんいるわけねえ」とカラカラと笑う小糸。

 そっか、そう言って蒲団から這い出た太助は、ようやく正気を取り戻した。

「そうだよな」といって、安堵した瞬間、太助の肩にいた一寸ほどの小さな男の子は、小糸の持っていたお椀にピョン飛び移った。

 そして太助に聞こえるように「それは、こんな顔かーい?」とお椀をカタカタ揺らす。

 その瞬間、太助は目を白黒させて気絶してしまった。


 小糸はお椀の中をのぞき込むように「あんれまあ」と笑顔で小さな少年を見つける。

「お前さんは、どっから来なすった。お武家さんの格好なんかして」と面白そうな、興味津々といった表情だ。

「オレは親指小助おやゆびこすけだ。ご城下に来たのはお城に志願のためだ」

「ほう、その身体でか?」と小糸。ちょん、と指先でその背中をはじいてみる。

「小さいからと言って侮る出ないぞ、オレの針剣術は日本一だ」

 そう言って懐の針の刀に手をかける。

 すると小糸は嬉しそうに、「ならご志願に行くまでこの家にいると良い。ウチの息子になってたらふくメシを食ってからお城に行きなさい」と提案する。

「いいのか? 毎日馳走になるなど武士の面目が」と恥ずかしそうに言う。

「子どもは大人に甘えるもんじゃ」と小糸。


「ならば、かたじけない」

 そういって小糸に一礼する小助。


 それから親指小助は毎日たらふく太助の家でメシを食らう。

 子どもがいなかったためか、事情を分かってからは太助も我が子のように可愛がり、小助をいろいろな場所に連れて行き、町の様子なども教えた。


 それから三年の月日が過ぎて、小助はみるみる大きくなった。ほぼ普通の人間の姿になった。

「おとうとおかあの愛情が神さまに届いたんだ。こんなに立派な身体になった。オレは針の剣術ではない、本当の剣術も覚えることが出来た。ありがとう」

 そういって初心貫徹、お城に志願した小助はなんと数ヶ月でみるみる出世をしていった。

 月に一度両親と会う機会をお殿様に許された小助は、お城の門の前で二人を待つ。太助と小糸が訪ねてくるお堀のすぐそばの詰め所、大手門の前でいつも「おとう、おかあ、これもってけ」と言ってたいそう立派な反物や高価な食材を手渡す息子。お城で余ったモノだと言って嬉しそうにいつも孝行するのであった。

 頂き物とお城の天守を拝んで、両親は荷車いっぱいの褒美の品を持って帰るのであった。


 その姿を見た人々は、太助親子の会話から察してなのか、いつしかあのお堀は「もってけ堀」って言って、出世した息子が親孝行する場所なんだ、と語り継がれたのだという。めでたし、めでたし。

                            -了-



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今昔小話集ー創作民話ー 南瀬匡躬 @MINAMISEMasami

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