第89話 救われた双子

 暖かで柔らかい感触に微睡んでいた少年はこれが死ぬ前の幻想なのだろうと薄っすら理解していた、現実では双子の妹と抱き合いながら冷たくなっているのだと。

 だから目を覚まして見知らぬ天井を見上げ、そして柔らかなベッドに妹共々寝かされているのに気付いた時には天の国へは死んだ後も意識があるのかと思った程であった。


「あら!目が覚めたのね!」


 中年の女がベッド周りを掃除しており、少年が起きた事に気付くと声を上げた。


(マズい、拐われた)


 先に頭に浮かんだのは誘拐の二文字、それにしては牢屋の藁ではなくこんな客間のベッドに寝かされているのが不思議だが。


「閣下!将軍閣下!子供達が目を覚ましたよ!」


 女はドタバタと慌ただしく声を張り上げると部屋から出ていく、その音で妹が目覚めた。


「……お兄ちゃん?」


「大丈夫だ、大丈夫……。俺が居るから」


 妹を心配させないように少年はそう言ったものの、自身ですらこの後どうなるか分からない不安で押し潰されそうな気持ちを抱いていたのを兄の意地1つで押さえつけた。


「起きたか」


 扉を開いてやって来たのは2人の女だった、いや1人は一瞬男と見紛うばかりの長躯と体格であったが声は低くとも確かに女と分かるそれである。

 もう1人は柔らかな雰囲気で見た目からして優しいんだろうな、姉というのはこんな感じなんだろうなと思わせる顔付きだ。


「烏と俺の親父に感謝しとけ、でなきゃ俺は見捨ててた」


「またそんな露悪的な……、ごめんね?この人、素直じゃないの」


 優しそうな方が腰を屈めて視線を合わせようとするが少年はそれを拒むように自身を包むシーツを見つめる、代わりに少女が目を合わせた。


「お姉ちゃん、誰?」


「私?……私は、誰なんだろうね」


「自分のお名前がわかんないの?」


「……ううん、私の名前はヨハンナ。横の大っきいお姉ちゃんはエレウノーラさん」


 ヨハンナは少女の頭を撫でると微笑み、エレウノーラはそれを興味無さげに見ていた。

 そんな事よりも知りたい事はこの2人の親が何処かという事だが概ねの予想は付いていた。


「で、親はどうした」


「……殺された」


 ポツリ、と少年が呟くとヨハンナが少女を抱きしめた。


「貴女のお名前は?」


「ジャンヌ!」


「そう……、ジャンヌちゃんね。可愛らしいわ」


 えへへ、とジャンヌがはにかむと少年が吠える。


「ッ!簡単に教えるな!」


「おお、兄貴として良い覚悟だわ。だが先ず人として助けられたら礼を言え」


 エレウノーラの指摘に少年は睨み付けて無言で応えた、その様子を見てエレウノーラは薄く笑う。


「ガキ、俺も結構苛立ってんのよ。なんもかんも流されっぱなしの自分にな?これ以上手間かけさせるんなら八つ当たりする事になる」


「エレウノーラさん!」


 かなり厳しい表現を使うエレウノーラに流石にヨハンナが止めに入る、しかしそれでも苛立ちは収まることは無かった。

 トントン、と組んだ肘を人差し指で叩くとエレウノーラは再び口を開く。


「その警戒心の高さで大体察するが、死んだ両親から教育は受けてるだろ。両親の名誉に関わるぞ」


「……感謝する」


 ぶすっとした顔付きだが少年は礼を言うとエレウノーラはようやく眉間から皺が消えた。

 本人も八つ当たりは流石に大人気ないと分かっており、バツの悪そうな顔を浮かべている。


「孤児2人、どうするか」


「普通なら教会が預かりますが……、今のパリスエス教会では無理でしょう」


 何せ首都攻略の戦場となり、少なからず被害を被ったのだ。マーロ教皇領からも多少の支援金は送られたが修道士女が暮らすのも厳しい、少し前まではパリスエスの物価は高止まりを見せず青天井で物の値が上がりそれが更に商人を遠ざける負のスパイラルに入っていた。

 ようやくエレウノーラ率いるロプセイン王国軍が入城し周辺の治安を回復させ、今日エロディ姫が帰還した事により安全が確保されたと安心した商人組合から人が戻り始めたばかりである。


「1番楽なのはこのまま放り捨てる事だが」


「止めて下さい、子供2人ですよ?これから冬を越せるとは思えません」


 ぎゅっとヨハンナはジャンヌを抱きしめるとジト目でエレウノーラを射抜いた、溜め息を吐いたエレウノーラはチラリと少年を見る。


「妹の名前は聞いたが、お前は?」


「……ユーグ」


「家名も」


「ユーグ・ド・ヨイブン」


 もう1度溜め息を吐くとエレウノーラはヨハンナを見る、彼女は驚いたように腕の中のジャンヌを見つめていた。


「ジャンヌ・ド・ヨイブン……」


「なんだ、思い当たる節があるのか?」


 こくり、と頷いたヨハンナに頭をガリガリと掻きむしりエレウノーラは決断した。


「取り敢えず城で暮らせ、ヨハンナは理由を聞かせてもらう」







「私のニホンの記憶にあの2人の事があります」


「例の……、乙女ゲーム?だったか。なんだ?」


「ジャンヌちゃんは今から8年後に神の声を聞きます」


 神の声、そう言われた瞬間エレウノーラは大笑する。


「神!神の声と来たか、残念だが俺はこの世に産まれる前にも後にも聞いた事が無いから信じられんね」


「ですが、それが物語の筋なんです。なら、起きると思っておいた方が……」


「良いか?そんなもんはどうでもいいんだ、もう既に俺達は変わってるんだから未来も変わっていくはずだ」


 ヨハンナの肩に手を置くとゆっくりと諭すように話すエレウノーラにヨハンナは奥歯に物が挟まるかのように口籠る。


「……せめてどのような物語かだけでも聞いていただけませんか?」


「聞くだけでいいなら聞こう」



 タイリアでの戦争で負けたロリアンギタ帝国は皇帝ライムントの死により分裂し内戦状態となる、戦乱と飢えに寒さが重なりジャンヌは家族全員を失い失意の中彷徨い歩き続ける彼女は突如として天啓を授かる。


 ───東の神無き土地へと教えを広めよ、さすれば汝救われん


 その天啓を信じ、ジャンヌは仲間を集めて東方蛮地へと向かうが世は愛の言葉ではなく力による強制を選んだ……というのがストーリーラインだと言う。


「モデル的にはバルト十字軍か?」


「と、言われても私にはわかりませんが……【彼女転生失敗者】は世界史に詳しくなかったみたいで」


「そうか……、まぁ大事なのはその主役の女の子と死んだ兄ちゃんが生きているって事だわな」


 エレウノーラは話を切り上げると先程の中年メイドを呼び、食事の準備をするようにと伝えた。

 衰弱具合から固形物は吐いてしまうかもしれないので先ずはスープとドロドロに煮込んだ麦粥からだ。


「飯食わせたらまた寝かせてやれ、暫くは体力も無いだろう」


「畏まりました」


 メイドが厨房へと去るその背中をエレウノーラは見送るとヨハンナへと向き合う。


「それで、あの兄妹をどうされますか?」


「どうもせんよ、子供なんだから。まあ、保護はするが」


「あ、いえ……。劇で言う主役なのだから……」


「何が起こるか分からんから殺せと?」


「そんな事は言っていません!ですが、これから先何が起こるか分かりません」


「そんなもん人生は先に何が起こるか分からんもんだろ」


 カンラカラカラと笑うとエレウノーラは歩き出す、歩幅が大きい彼女に対しヨハンナは小走りでそれに応じた。


「では保護した後はどうされます、孤児ですので教会に入れますか?あの教会に?」


「無理だな、信じられんね。俺の手元に置く」


 ホッと安心したヨハンナはそうだ、と思い出した事を告げる。


「エレウノーラさんに会いたいって方がいらっしゃるそうです」


「俺に?誰だ」


「仮面を付けた男の人だそうです、仕官希望だとか」


 聖女としての力は無くなったヨハンナはパリスエスを拠点とした時からエレウノーラの秘書の真似事をしていた、主に書類の整頓や言伝で走る程度の物であったが、睡眠時間を少しでも作った方が良いと皆に言われて任せていた。


「なんだって皆、別になんの権力も無い俺に言うんだよ」


「実績有るからです」


 ハァ、と疲れた声を出すとエレウノーラはその仮面の男の居場所を聞くと足を向けた。

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乙女ゲームを1mmも知らない男がTS転生した結果www うっかり一兵衛 @19920604

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