第88話 パリスエス入城

 パリスエスは、というよりはイル・ド・クランフ地方全域は地獄であった。

 皇帝ライムントが毒酒にて自決し、帝国軍は分裂し野盗化する部隊がいれば一方で同一地方出身者で固められた部隊はその地方の都市へと撤退し支配者の貴族若しくは防衛責任者でもある市長の私兵と成り軍閥化していた。

 必然的に帝都の防衛力は城壁頼みとなり取り締まる衛兵の居ない街は悪心を持つ者共の格好の狩場となって、戦火を生き残った市民に毒牙が向けられた。

 そんな世紀末状態のこの首都地域にあるド・モレー一族が治める城下町では久方ぶりのお祭り騒ぎであった、何せ旧ロリアンギタ帝国の旗を掲げ第2皇女エロディの名の下に軍が行進しているからだ。

 気になるのは人間ではなく、エルフである事だがそんな事は些細な問題であった。

 この生き地獄から救われるなら何でも良かったのだ、民はそれで良いとしても領主はそうもいかないが。

 モット・モレー城(モットアンドベーリー式の城なのでこう呼ばれているが以下、モレー城と呼称)へと指揮官の男女が入りそれ以外は街で配給を始める、それを天守から見るのはモレー男爵家当主のジル・ド・モレーである。


「ロプセイン王国……、確かマゲルンの新興国だったか。そうか……、エロディ姫は落ち延びて巻き返したのか」


 神輿以上の意味は無いとしても、それで生き残りこうして戻って来た。

 そして旧ロリアンギタ帝国貴族が躊躇う程度には旧帝室の旗も意味を残している、心を攻めるのも兵法の1つだ。

 実際にジルはパリスエス周辺の安全が確保されるのであれば頭を下げて、向こうが出す条件を呑んで臣従するつもりでいた。



「エロディ様は当地が悪党共の巣窟となっている事に酷く御嘆きになって我等に平定する様下知なされました」


「おお、では皆様方官軍は……」


「これより掃討作戦に入り、パリスエスの安全を確保する予定ですがモレー卿にも是非に御協力頂きたい」


 主に真面目に話を進めるヴィルヘルムに対して、エーリカは背もたれに体重をかけて椅子の脚を浮かせて遊んでいた。

 ジルはその様子が気になるのかチラチラと何度か横目でその様子を目にしている、本当に一軍を率いる将なのだろうか?


「ついては、モレー城を傷病兵の治療所として使わせて貰いたい」


「勿論、否は御座いません。どうぞお使い下さいませ」


「話は終わったか?」


 後ろの椅子脚だけでバランスを取りながらエーリカが言うとヴィルヘルムは溜め息を吐きながら頷く、反動をつけてエーリカは跳び上がると綺麗に着地してみせた。


「なら先んじて兵を動かす、ゆっくり来いよ?楽しみを奪うな」


 音も無く立ち去るエーリカの背を胡乱な目付きで眺めたヴィルヘルムはジルに頭を下げると無言のまま退席する、残されたジルはバランスを保ったままの椅子を見て一筋の汗が流れた。



 ロプセイン軍がイル・ド・クランフ地域に入り1週間で討ち取った賊集団は規模の大小問わずに数えれば9つ、この内で元ロリアンギタ帝国軍1個歩兵中隊300名丸々脱走して結成された賊は全員吊るし首とし街道沿いにそのむくろを晒した。

 寒村から抜け出し細々と盗みや身包み剥ぎを行っていた者等はパリスエス内部の広場にて公開鞭打ちが行われた。

 ロプセイン軍は既にパリスエス入りを果たした……、と言うよりも保護を行っている。

 最初はまた知らない軍が奪いに来たと最早諦めの境地であったパリスエス市民を集めると自分達が皇女エロディの代理人としてこの地の治安改善を行う事を宣言し、実際に上記の刑罰執行を娯楽代わりに見せると市民らの支持を集めた。

 目下、順調に見えるようだが問題が無い訳では無い。

 食料輸送を東クランフから行っている為に滞れば軍だけでなくパリスエスも混乱に陥るし、西クランフがこれ幸いと何か行動を起こさないとも限らない。

 補給路の確保と維持は絶対に失敗出来ない任務であり、街道には鋭い目付きで弓を握り締めるエルフ弓箭兵の姿が日夜見掛けられてそれが頼もしいと市民だけでなく噂を聞きつけ戻り始めた商人達にも好評を得ていた。

 そしてエレウノーラ率いる部隊がパリスエスへと到着した時にはイル・ド・クランフ地方の治安は一定水準にまで回復し、パリスエス市民からの信頼もロプセイン軍に集中している次第であった。


「随分と賑わいが戻ったな」


「ああ、目に見える形で安心させてやれば良い。物と安全が有ると分かれば自然と人は集まりだす」


 ヴィルヘルムの返答にエレウノーラは同意すると広場にて煮炊きする兵士と施しを受け取る市民の姿を見る。


「食料はどの程度有る?」


「城には無い、東クランフから持ち出すのが全てだ。早いとこ農村へと帰農させないと早晩飢餓が発生するぞ」


「分かっている、暫く輸入頼りになるのが不健全だが状況的に仕方がない。順次、捨てられた農村へと移住者を募る」


 治安改善がなされれば必然的に元の生活を求める、この地方の土壌は豊かなので農民が村に戻って暫く土を育てれば徐々に農作物の生産高は回復するだろう。

 パリスエス市内には焼け落ちた商店を立て直して簡易なよろず屋が営業されており、今は物々交換で成り立っているが、そのうちに貨幣の運用も始まると予想がされている。


「金融関係はどうだ?」


「ものの見事に蔵は空だよ、人もな」


 健全な商業の育成には金融業者は欠かせない、ヤミでやられるより統制を効かせつつ商売に専念させる。

 それで借りた者が破産してもそれはその者が経営に何かしら問題があったか、或いは運がなかったからだ。

 一定数の敗者は常に存在し勝ち抜く者もまた一定数存在する、初期資本主義のさざなみを作り出す事で税収もまた安定する。


「1人で見て回ってくる」


「護衛の兵士を付けよう」


「良いって、そんな大層な」


「お前は我々の指導者だぞ?大層な物かよ、無理にでも5名は付ける」


 ヴィルヘルムが押し切る形でエルフ弓箭兵隊から5名の弓手がエレウノーラの周囲を囲む、彼等は接近戦も得意とする上澄みでドワーフが打った剣を腰に下げている。

 そんな御伴を引き連れてパリスエス市内を歩き続けると、この都市を攻略しようとした1年近く前の日を思い返す。

 暴力・獣欲・そして死が満ち溢れていた、本来は逃げ惑うはずのパリスエス市民ですらどさくさ紛れに金を持っていそうな奴を殺して奪う。

 そんな生き地獄をエレウノーラ自身が作り上げた事に彼女自身は後悔は無い、勝つ為には攻めねばならなかったし自分が1から10まで鍛え上げた訳でもない寄せ集めの軍隊の統制等取れるはずもなく、戦意維持の為にはある程度の御褒美として略奪と強姦は見て見ぬふりが求められた。


(俺が仮に軍隊を作るとしたら軍法をどう定めようか、いやそれよりも略奪しなくても兵士が暮らせる土台から作らないといけないか)


 この時代は兵士への給料遅配や未配は当たり前である、戦ですぐに死ぬような存在にわざわざ金などやらない。

 故に兵士も生きる為に奪うし不満を貴族や騎士にぶつけて死ぬよりも敵国の女にぶつけて犯す。

 現代日本から転生したエレウノーラにとって改善したい事案であったがそれをするだけの権力等欠片もない、周囲からは【どんな戦局でも勝つ将才の持ち主】でしか無いので取り敢えず兵士を渡しておけばなんとかしてくれるとしか思われていない。

 このパリスエスを改めて眺めた事で、数年後の彼女は軍事改革に特に力を入れる事となる。

 思案に耽るエレウノーラの耳にカァ、と烏の鳴き声が聞こえ視線を向けると一羽の奇形の烏が彼女をじっと見つめていた。


(……奇形か、八咫烏でもあるまいに。どうせなら光り輝けよ)


 そう思ってしまうのは脚が3本有ったからだ、奇形の烏はまたカァと鳴くと小さくジャンプをしながら裏路地へと進みエレウノーラが付いてきているかを確かめるかのように振り返った。


「なんだよ、付いて来いってか?」


「閣下?」


「ま、験担ぎだ。暇潰しに付き合ってくれ」


 亡き父が定めた家紋の縁、そう思ってエレウノーラは兵士を引き連れてその奇形烏の後を追う。

 暫く歩くと烏はピタリと止まり、その先には少年少女が一組身を寄せながら倒れていた。


「……何、お前俺にこれを見せたかったの?」


 カァ、と烏は鳴いて飛び去った。

 まるで自分の仕事は終わったからアガリだと言わんばかりに、残されたエレウノーラは頭を掻いて近づいた。

 見た感じは死んでいると思ったが足先で蹴ると少し反応が見て取れた、少なくともまだ死んではいない。


「はぁ……、親父がなんか導いたのかもしれん」


 そう言うと、エレウノーラは少年少女を担いだ。


「閣下、そのような子供は我等が運びます」


「良い、これも何かの縁か導きだ。なら、身を委ねるさ」


 既に本来の歴史からは変わっている、そこへまた別の歴史が書き加えられる。

 エレウノーラが生きている限りは、このような事はこの先幾度となく起きるのであった。

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