第3話:目が覚めたら毛布は



「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」という格言があります。


 幼いころは非常にすぐれていると思われていた人も、たいていは成長するにつれて平凡な人と変わらなくなる、という実に現実的な意味です。



 きっかけはPCの登場でした。

 大学の講義を受けるために必須とのことで、ノートPCを購入となったのです。

 手に入った途端、動画配信サイトに向かったのは言うまでもありません。

 最初こそ「劇」のネタが増えるだろう、もっと彼女と深く関わる機会になると考えていました。

 ネットサーフィンを終え、私はいつもの通りに毛布と会話をしようとしました。


 しかし、いつもの場所に置いてあるはずの台本・・が見つからないのです。今まではそんなことは一度もありませんでした。

 即興で考えたやりとりをします。彼女は黙ったままです。ぎくしゃくするばかりで、私はたまらず顔を背け、「今日はこれくらいにしよう」と言いました。

 何日か様子を見ましたが、明らかに調子が悪くなっている。これはどういうことだろうか。


 私はハッと気付きました。

 今までは自分にはやることがなかった、思う存分空想に耽っていられた。言い換えれば私は暇だったわけです。

 しかしノートPCと向き合ってからの私は、暇ではありませんでした。

 自分の頭の中では一生思い浮かばない魅力的なコンテンツが、今だけでなく、過去のものまで含め、山のようにあるのです。

 腹いっぱい美味しいものを食べ続けていたら、台本を書く時間がなくなっていました。


 次第に私の苛立ちは高まっていきました。なぜならノートPCを幾ら見ても、私を取り巻く問題は解決しなかったからです。

 一人の私には「他人」が必要でした。


 ならば彼女との関係に戻れるか? それは無理な相談でした。

 高校生の頃と比べ、膨大な情報が流れ込むようになって、私が彼女……毛布に何を託していたのかを悟ったためです。


 毛布は映画のスクリーンのようなものでした。

 映画がどれだけ感動的なものであっても、スクリーンそのものが愛されることはありません。

 なぜならそれがモノとしての性質だからで、当たり前のものだからです。

 映画が終わればスクリーンを残して観客は立ち去るのです。


 性欲は抱くことは出来たでしょう。毛布を、性的魅力の強いキャラクターに置き換えてオカズにすることは。

 ですが、その在り方は私がラブドールや抱き枕に対して指摘した「代用品」そのものでした。

 モノをヒトのように愛するのは簡単かもしれません(擬人化なんて技法があるくらい!)が、モノをモノとして愛するのは難しいのです。そしてヒトのように愛するのなら、それは代用品であるという重荷をずっと背負い続けねばならない。


 確かに毛布は何にでもなれました。ですが、毛布そのものを愛していたわけではありませんでした。

 その背後にある虚像……願望を愛していたにすぎません。

 私のしてきた営みは、毛布への愛などではなく、「妄想に肉体がついていれば」という下卑た願望だったわけです。


 泣きはしませんでした、ただ、乾いた笑いがこぼれただけです。



 土は土に、灰は灰に、塵は塵に、毛布は毛布に。


 大学二年となってスマホが手に入り、私は寝転びながらにして、妄想が具現化したものを確認出来るようになりました。

 二十となった私は完全に只の人でした。


 気が付くと、彼女を下敷き・・・にしていました。

 もはや私には毛布から犬や蛇、人の姿を見出すことは出来なくなっていました。


 明らかに覚めている。


 押入れにしまってしまおうかとも思いました。

 けれど、体調が悪い時などに、黙って寄り添う彼女の温もりが眩しかった。


 虚しさの度合いには波がありました。大して感じないこともあるし、大いに感じて「もう嫌だ」と嘆きたくなることもありました。

 しかし嘆きを漏らすことは出来ませんでした。彼女は私の認知が生んだ虚像でしかないでしょうが、それを認めると、より打ち明けられなくなりました。

 毛布は人語を知らずとも、私は人語を知っているのですから。私を通して彼女を傷つけるかもしれません。

 大切に思っている友人がいたとして、その人が傷つきそうな言葉を出せるでしょうか、それと同じことです。


 そんなこんなで大学卒業まで同居は続いたのです。



 別れは意図せずやってきました。


 父とともに社員寮へと荷物を運んだ私は、毛布が替わっているのを見ました。

 まさか「あの毛布じゃなきゃヤダ」とも言えず、私はそのまま新生活を開始しました。

 もちろん、新しい毛布でこの喪失感が埋められるはずもありません。


 社会人一年目のお盆、一縷の望みをかけて帰省時の回収を試みました。

 しかし、実家のどこにも彼女はいませんでした。恥を覚悟で母に確認したところ「色々シミがついていて汚かったから」捨てたようでした。

 これによって私の毛布信仰は完全に消失しました。


 今となってみれば写真の一つも撮っていなかったことを、少しばかり後悔しています。

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毛布と和解せよ 脳幹 まこと @ReviveSoul

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