第2話:毛布との営みは人の夢
高校生にもなると、クラス内ではアダルトな……ヤった、ヤらないの話題が出てくるようになります。
遅まきながら私もその時期に性の目覚めを遂げました。
今でこそスマホで性欲を晴らすことも出来ますが、実家では発散の機会は限られていました。
Hな本でも買えば良かったのでしょうが、当時の私はHどころか、水着すらも羞恥が上回るヘタレでした。
ですが、ヘタレであっても性欲はありました。
私は考えました。結果として毛布を相手にすることにしました。
ラブドールや抱き枕を持つ人は、なぜ周囲から浮いた扱いをされるのでしょう。
そういった方々がマイノリティであるからという説が本命でしょうが、個人的にはラブドールや抱き枕はある欲望を満たすための代用品だと認識されているからだと思うのです。
皆が満たしている欲求を満たせず、代用品に甘んじているという感覚(無意識の優越感/劣等感)を与えているのではないでしょうか。
対して毛布は寝具なわけです。寝るための道具です。代用品ではありません。毛布と一緒に眠ることはなんら不自然ではありません。そうですよね?
頭の中で「劇」を構築し、そのパートナーとして彼女を選ぶようになりました。
ヤっただけ都合の良さにため息がこぼれました。
そうだ。毛布とベッド・インすることに何の障害も問題もないじゃないか。
いちいち、デートのセッティングや、告白、そういう場所に連れ込む算段を考える必要もありません。
また、毛布にはシャンプーや入浴剤、洗剤の香りが付きます。干すことはあれど、洗うことは汚れがついたりしない限りは稀です。
接触のたび、香りは蓄積されていくのです。
すれ違う人の良い香りもまた、大半は加工されたもの。毛布に付着したものと何が違うというのでしょうか。
実に合理的。そうですよね?
この「劇」が親に気付かれることはありませんでした(おそらく)。寝る時のみでしたし、台詞は呟くようにしていました。
仮に劇中に部屋を開けられても寝言と誤魔化すことも出来ました。常夜灯のみですから、基本的には寝ているものと判断するでしょう。
この発見が、私の毛布信仰を高める結果となりました。
自分のパートナーとして、毛布に替わる色々な対抗馬を出しては、そのメリット・デメリットを検討するという空想をするようになりました。
しかし、これはいわば贔屓、八百長というか、毛布が勝つという結果ありきのモノでした。
例えば
対して毛布は上記のデメリットはありません。加えて、毛布には
犬を蛇と見立てたら正気の沙汰ではありませんが、毛布を犬や蛇や人に見立てることは出来ます。
毛布の身体は抽象的で様々な想像の余地があります。その正体を作るのは、毛布ではなく、私なのです。
上記の話を数少ない友人にしました。仲が良いと勝手に思っていて、ディープな話も打ち明けられるだろうと踏んだものです。
結果は一言「ひくわ」でした。
その日の夜は、彼女を強く抱きしめました。
・
それからは本を読むようになりました。知識が欲しかったのです。
学校の図書室、地元の図書館に立ち寄っては、脳科学やら、付喪神やら、心理学やら、哲学やら、黒魔術やら、様々な書籍を借りてきました。
もちろん、真っ当な目的ではありません。毛布信仰を正当化させるためのものでした。
少なくともこんな偉人・有名人が賛同してくれれば、この信仰を自然なものであると判断してくれれば、他人に気兼ねは要らなくなります。
まさか両親も、勉強机に積まれた難しそうな本の目的が、毛布と和解する為だったとは思いも寄らなかったでしょう。
結果はあまり芳しくはなかったですが、数少ないながら実りはありました。
そのひとつがHな夢、淫夢でした。
録画したアニメの一部シーンを繰り返し見ます。
具体的には、流れているBGM、キャラクターの声、姿、すべてを脳裏に寸分違わず再現出来るほどです。
携帯の目覚ましにそのシーンを録音したものを流すように設定します。
あとは人と見立てた毛布を抱きしめて眠りにつくだけです(嗅覚は記憶への連動が強い為、必要に応じて毛布に香りを付けましょう)。
信じられないかもしれません。
ですが、人の身体は状況を誤認することがあります。実験として、目隠しした上で、お湯をかけることを口頭で伝えたあとに、水を垂らすと、火傷をしているなんて話があります。
ただでさえ寝起きは意識が不明瞭になりますから、視覚が当てにならず、そこに触っている感覚と、匂い、声などが入ると、作り物でもそれなりのリアリティを持つということでしょう。
振り返るとなんと馬鹿らしいと思ったりもしますが、見ている間は本気で震えるものです。
人の夢とは大概そんなものです。そうですよね?
・
子供の発想力というのは並外れたものがあります。
知識が少ないからこそ、前提や先入観にとらわれない自由な、夢のようなアイデアが出てくるということでしょう。
振り返ると、私の毛布信仰は、その一種だったのだと思います。
毛布を様々な形状にし、様々なプレイを楽しむようになりました。
ある時、私は毛布を丸めて、抱きかかえる。
ある時、私は毛布を広げて、包まれる。
またある時、私は細長くした毛布に巻き付かれる。
またある時、私は口の中に毛布を入れて溺れる。
またある時、私は何重にも重ねた掛け布団の下、毛布とともに生き埋めになる。
極限状態に近づくほど、私は満たされていたように思われます。
寒ければ寒いほど、家に帰ったときの安堵と解放の度合いは高まるのと同じでしょうか。
より大きい困難が控えているほど、傍にいてくれる温もりは得難くなり、より深く彼女を愛することに繋がるのでしょう。
温かい、温かい、幸せだ。
ですが時は容赦なく、私を只の人へと変えるのです。
終わりが近づいてきていました。
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