あなたに逢えて

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あなたに逢えて

 あたしの名前は沢田由紀さわだゆき。一八歳で高校三年生だ。

 今日のあたしは極度の寝不足だった。それというのも、行きたくもない大学への受験を目の前に控えて、勉強をしていたのだけれど……。

 勉強がはかどらなくなるというのは、至極当たり前に発生する事態(それがやりたくもない受験勉強なら尚更)で、あたしはそういうときに必ず親友の屠崎翡翠とざきひすいと電話でお喋りをする。それにしても昨日の電話はちょっと度が過ぎたかもしれない。話し始めた時間が悪かった。午前一時三十分。それから延々と下らない話をして通話を終えたのが午前四時だった。というわけで、今日の由紀さんは極度の寝不足状態に陥っているのだ。しかも悪いことに今日は体育があった。うちの学校の体育の授業は二時限ぶっ続けでやるのだ。授業中に寝ようと思っていたが、流石に体育の時間には眠れない。寝不足の身体を無理矢理動かして、残りの時間は殆ど睡魔との戦い。科学の実験やらなにやらで隠れて眠ることができない授業が多かった。

 だから、仕方のないことだった。

 地元民ならばかなり警戒して減速しながら下るはずの下り坂を自転車で下っていって、急激なカーブをちょっとオーバースピード気味に曲がった先に人がいて、挙句ブレーキも間に合わずにその人と衝突してしまったのは。

 不可抗力、というには聊か無理があるだろうか。

「ったたたたた」

 強かにお尻を地面に叩きつけたあたしは、うめき声を上げた。

「……」

 随分な勢いでぶつかってしまった。あたしはお尻を摩りつつも立ち上がると、相手の人に慌てて駆け寄った。

「大丈夫?」

「……」

 ぶつかったのは同年代の、でも少し年上に見える男の子だった。視界の隅で電柱に頭をぶつけたっぽいというのは何となく見えたような気がしたのだけれど、どうも様子がおかしい。目を見開いたまま、動かないのだ。まるで、ドラマとかで良く見る、死んでいる人、みたいに。

「あ、あの……」

 しかも瞬き一つしていない。全身の血の気が引く思いだった。『自転車で死亡事故。女子高生が自転車で青年を轢殺』どこかの新聞にそんな見出しで記事が載るのだろうか。

 い、いや、これは殺したんじゃなくて事故よね、事故。わざとやった訳じゃないし、そう、あたしにはこの人との繋がりもないし、何より動機がないわ。でも動機も繋がりもない殺人事件、そうだ、替え玉?違う、交換殺人なんていうのもあるわ。こんなことサスペンスドラマとかミステリー小説の世界だけじゃなかったの?

 いや待って、そんなことあるはずがない。あたしは誰にも依頼を受けてないし、殺して欲しい人だってあたしにはいないもの。

「あれ?」

 寝不足で回転の鈍い頭をフル稼働させて色々と可能性を考えてみた。色々見方によってはかなり馬鹿なことを考えてたかもしれない、と思ったら突然声がした。

「ひっ!」

 生き返った。あたしが過って轢き殺してしまった青年が。

「あの……。だ、大丈夫ですか?」

 その生ける死体は、ダークブルーの瞳であたしにそう訊いてきた。コンタクトレンズでも入れているのだろうか。死体の割に随分と綺麗な瞳の色をしている。そして何よりその死体は何事もなかったかのように喋っているのだ。正しくリビングデッド。いやゾンビかもしれない。宗教だか宗派だか制作者だかが違うだけで多分どっちも同じようなものだ。明確な違いはこの際判らなくても良い。

「あ、あたしは大丈夫だけど……」

「自転車に轢かれたくらいで死んだりしませんよ。そんな目で見ないで下さい」

 苦笑して、ゾンビ君はあたしに言う。あたしはその言葉で我に返った。なんだか物凄く混乱していたみたいだ。結構想像力が豊かなのかもしれないわ、あたしって。しかし、良くあたしが死体を相手にしていることが判ったものだ。そんなに恐怖に怯えた顔をしていたのかしら。そう思うと何だかおかしくなってくる。

「あたしは大丈夫。アナタは?」

「僕も大丈夫ですよ」

 あたしの問いかけにそうゾンビ君は応えて立ち上がった。頭を打ったように見えたのだけれど大丈夫なのだろうか。見たところピンピンしているみたいだけど、打ったのが頭だし、ほんの僅かな時間だったとはいえ気を失っていた訳だし。きちんと病院で検査してもらった方が良いかもしれない。

 は、考えていることがマトモだわ。少しは落ち着いてきたみたい。

「でも頭打ってるみたいだし、医者、行ってきた方がいいよ。お金ならきちんとあたしが払うから」

「大丈夫ですよ。こんなものくらいで怪我するようなヤワな身体じゃないんです」

 にこり、と笑顔になってゾンビ君は言う。な、中々可愛い笑顔するわね。

「そぉ?」

 その笑顔に少しどぎまぎしながら、あたしは自転車の籠から放り出されたカバンを取りに歩いた。

「えぇ、僕はね。大丈夫なんですが、ね……」

 ……何か含みのある言い方だ。コイツ、カワイイ顔してもしかしたらちょっとヤバイ奴なのかもしれない。あたしは少しだけ睨むようにゾンビ君を見た。

 するとそのゾンビ君、カワイイ笑顔を苦笑に変えて、あたしの後方を指差した。

「それ、乗ってくんですか?」

 ゾンビ君が指を差したのはあたしの自転車だった。

「当たり前でしょ」

 カバンを拾い上げて、自転車を起こそうとしたその時に、やっとそのゾンビ君の笑顔の意味が判った。

 前輪が『D』の字のように歪んでしまっているのだ。

「……!……!」

 あたしは声にならない悲鳴をあげた。こんなになっちゃうまでスピードがついていて、ゾンビ君はそれにぶつかったのだ。

「すみません」

 何故ゾンビ君が謝ってくるのだ。この場合どう考えたって悪いのはあたしだ。

「や!悪いのはあたしの方だと思うんだけど!」

「普通にぶつかっただけならそんなになったりしませんよ」

「だから、それだけスピードが出てたんでしょ!」

「それなら僕はもっと大怪我してるんじゃないですかね」

「だから!きちんと医者に行って、診てもらわないと!」

「だから、怪我はないんですってば」

「だって車にでもぶつかったみたいじゃないの!このタイヤの曲がりようは!」

「それなら貴女ももっと酷い怪我してますよね」

「でもあたしはお尻しか打ってないもの。貴方は頭、打ったのよ!」

「それにしちゃあピンピンしてますけど」

「じゃあこのタイヤはどう説明するのよ!」

「ぶつかったものが人間じゃないのかもしれませんよ」

「言われてみれば……」

(?)

 一頻り問答をしてみて気付いた。そうだ、こんなに凄い勢いでぶつかったのにあたしは尻餅一つで済んでいるのだ。だけど、実際はあたしもゾンビ君も怪我は(ゾンビ君の場合は外傷が)ない。前輪だけが見るも無残な形になっている。

 ということは……。

「ひょっとしてアナタ、超能力者?」

「……」

 言ってしまった後に激しく後悔した。あまりにも突飛しすぎている。言うにこと欠いて超能力か。

 核爆弾級バカだ。

「あはははは。まぁ似たようなものかもしれませんね」

「……似たようなもの?」

 どうやらあたしの乏しい想像力でもあながち的外れなことを想像していた訳ではないらしい。ただ、超能力者と似たようなもの、というのが何なのかは見当もつかないのだけれど。

「僕はとある組織から追放された改造人間。平たく言えばサイボーグってやつなんですよ」

「……」

(サイボーグ?改造人間?)

 は?

 や、知ってますけどそのくらい。悪の組織に無理矢理押さえつけられて、やめろぉ~!ぶっとばすぞぉ~!って言いながら結局改造されちゃうアレでしょ?もしくはゼロゼロナンバーが何とか言う……。

「まぁ、信じませんよね、普通はこんな話」

 ゾンビ君は頭を掻いてそんなことを言っている。

「え、と……」

 それはとどのつまり……。

「でも本当なんですよ。だから自転車だってあの通り。僕が咄嗟に足を出してしまったから、あんな風になっちゃったんです。頭も打ったみたいですけどね、タンコブ一つありませんよ」

 ある組織から逃げて、ってことは、当然そこで改造されて、そこから脱走した訳だから……。それはとどのつまり。

「ベルトは?」

 あたしは自称サイボーグゾンビ君のお腹の辺りを見つめた。

「は?」

「だから、変身ベルト」

 まさかこんなことが本当にあったなんて思いもよらなかった。あたしが受験だのなんだのに追われているそのすぐ隣で、こんなことが現実に起きていたなんて。

「それは、テレビの見すぎというやつじゃないですか?」

 サイボーグゾンビライダー君はそう言って笑うと、あたしの自転車をいとも簡単に、本当にひょい、とひっくり返して持ち上げた。そしてサドルを肩に当てて担ぐと、爽やかな笑顔で

「家まで送りますよ」

 と言った。

 結局あたしはというと、混乱極まれり、でただ頷くことしかできないでいた。



 暫く一緒に歩いて色々と話しているうちにあたしは少しだけ落ち着きを取り戻してきたようだった。

 この自称サイボーグゾンビライダーブラック君は四谷大樹よつやだいきという名前らしい。何でもある組織に洗脳されて、ある人物の暗殺をするためだけに改造人間にされたのだそうだ。この四谷大樹自身もその程度のことしか覚えていないらしい。恐らくはその人物を暗殺した後で、機密事項が自動的に抹消されるようになっていたらしい、と四谷大樹は語った。それは何となく覚えているのだそうだ。自らが洗脳されたこと、見ず知らずの誰かを殺したこと、そして用が済めば追放された、という事実。そんな記憶ばかりが彼、四谷大樹には残っているのだ。もしもこの話が本当だとしたら、彼はこの先どうやって生きて行けば良いのだろう。彼が言うには、この四谷大樹という名前は自分のものなのだそうだけれど、世間的に抹消、つまり死んだことにされているらしいのだ。アルバイトや住む所くらいならなんとかなるかもしれないが、結婚などの社会的行動は何一つできないだろう。

「それじゃ大変ね……」

「そうでもないですよ……。僕はもう生きませんから」

 一瞬何を言っているのかが判らずに、あたしは間抜けな声を出してしまっていた。

「僕はね、死に場所を探してるんです」

「死に場所……?」

 あたしがそう呟くと四谷大樹はニッコリと微笑んだ。

「あぁ、気にしないで下さい。貴女には迷惑はかけませんから大丈夫ですよ」


「これ、僕が直しますね」

 あたしが一人で暮らしてるアパートまでつくと、四谷大樹は自転車を降ろしてそう言った。

「直すって……」

「じゃあ」

 それだけ一方的に言って、四谷大樹はきた道をもどり始めた。

 あたしは今になって初めて本当に冷静になったのかもしれない。見ず知らずの男を部屋まで連れてきてしまった。しかも自分のことをサイボーグだとか、暗殺用に改造されただとか、死に場所を探しているだとか言っている奇妙奇天烈珍奇男だ。もしかしなくてもあたしは、とんでもないことをしてしまったのではないだろうか。そう思うと急に悪寒が走った。少なくとも一人暮らしの女子高生が取って良い行動ではないことは確かだ。四谷大樹が見えなくなるとあたしは一目散に部屋へと駆け込んだ。名前を教えなかったのは不幸中の幸いだ。表札は苗字だけは出してはいるけれど、流石に一軒一軒挨拶して回って、あたしを探し出すなんてことまではしないだろう。

 希望的観測だろうか。

 最近はそれほど耳にしなくなったけれど、ストーカー犯罪、ってものだってある。ひょっとしたらあたしのことを以前から調べ回っていたのかもしれない。部屋に入って鍵を閉めるとあたしは布団を被りたい衝動にかられ、思わずベッドに体を投げ出した。

 や、ちょっと待って、もうちょっと落ち着いて考えよう。あたしは思い込んで突っ走る癖がある、と翡翠にも言われたことがあったわ。

 あたしがストーカーに狙われるなんてちょっとおかしい。あたしの家は特別お金持ちでもなんでもないし、自分で言うのも悲しいけれどあたし自身そんなに可愛い訳じゃない。

 それに待って、四谷大樹の言っていることも頭から嘘だと決め付ける訳にも行かないんじゃないかしら。組織がどうとか、サイボーグがどうとか、とりあえずその辺はどうでも良いとして、もしも死に場所を探している、ということが本当だったら、あたしは人を一人、見殺しにしてしまうことになる。

 あぁ、判らないわ。もう頭の中がぐしゃぐしゃだわ。今日も勉強なんてできそうもないわ。寝不足だけど眠れそうもないし……。


 ピンポーン。

 呼び鈴が遠くで鳴っている。あたしはまんまと眠ってしまったらしい。顔を上げてると、でろり、とよだれがたれた。寝穢いにもほどがある。周りを見るともう陽は落ちきって部屋は真っ暗だった。

 ピンポーン。

 はいはい。

 あたしはよだれを綺麗に拭き取って、ベッドから起き上がると玄関に向かった。本当にぱったりと眠ってしまったらしい。制服姿のままだ。

「はい、どなたですか?」

 あたしはチェーンロックをしたままの扉を開けてそう言った。

「あ、僕ですよ。沢田由紀さん」

 能天気なその声の主、四谷大樹は言った。

「な、な、なんであたしの名前……」

「なんでも何も自転車に書いてあるじゃないですか」

 なんてことなの……。

 こんなことなら自分の持ち物に名前なんて書くんじゃなかったわ。昔から根付いている日本の教育文化も結構な落とし穴があるものだわ。大体良い大学に行って安定した将来までが約束される時代なんてとっくの昔に終わっているものね。あたしだって本当は大学じゃなくて専門学校に行きたかったんだもの。

 なんだか著しく的外れなことを考えて、あたしは今一度四谷大樹に目をやる。

「何よ」

「あぁ、自転車直しときましたんで。それだけです。じゃ」

 じゃ、って他に行くところもないくせに……。

 でも、これ以上関わらない方がいいのかもしれない。自称サイボーグの自殺志願者よりももっとシビアな現実があたしにはあるのだから。親の決めた道。大学受験っていう現実が。


 結局勉強もはかどらないし、二日続けて翡翠に電話する訳にもいかなかったから、あたしはそのまま寝ることにした。

 ほんの少しだけ四谷大樹を探そうかとも思ったけど、やっぱりそんな気にはなれなかった。


 翌日

 あたしは四谷大樹が直した自転車に乗って学校に向かった。少しだけ古い車輪だったけど、大きさも前のタイヤと変わらないし、そんなにぼろぼろのタイヤじゃないから不自然じゃない。しかし工具もナシでどうやってやったんだろうか。


「そりゃあんたまずいわよ、どう考えたって」

 昼休みに翡翠とお昼を食べて、あたしは翡翠に昨日のできごとを全部話してみた。それを聞いた彼女は開口一番そう言ってくれた。

「やっぱりそうかな……」

「そうよ。どう考えたってやばいでしょ。殺されちゃうわよー、怖いわどうしましょう」

 冗談めかして翡翠は言ったが、あたし自身その可能性を考えていたせいか、少し背筋が寒くなった。

「ま、なんかあったらすぐ連絡頂戴。なんとかするから」

 うん、と一つ頷いて翡翠は笑顔になった。もしかしたら命の危険があるかもしれないというのに、随分と能天気に彼女は言ってくれたものだった。

 

 ろくに集中出来ないまま午後の授業をやり過ごし放課後。

 途中まで翡翠と一緒に帰ることにした。

 翡翠は居合などという剣道みたいなことをやっていて、実は結構ボディーガードとしても頼もしかったりするのだ。棒っ切れ一つ持っていればそこいらのごろつきなど簡単に屠ることができるらしい。それで以前、この学園の伝説的なアイドルとまで言われた先輩を守ったことがあったのだそうだ。我が親友ながら頼もしい限りだけど、物騒な話には違いない。

「あ、由紀さん?」

 翡翠と一緒に自転車を転がして正門から出た途端に、聞きたくもない声が聞こえてきた。

「ひっ」

 後ろからかかった声にあたしはとっさに振り向けないほど身体が硬直してしまった。

「知り合い?」

 翡翠は振り向いて、その声の主、四谷大樹にそう言った。なんて神経の図太いヤツだ。

「だ、だから、さっき言った……。あ、あんたね、こんな所までついてきて何の用なのよ!」

 あたしは翡翠にそう言った後に思いきって振り向くと、四谷大樹に捲し立てた。まったく冗談じゃない。一体何だというのだ。

「いや、ついてきたなんて……。ただここはなんとなく見覚えがあったから寄ってみただけで……」

「そこいらの女と違って簡単に殺されてなんかやらないんだからね!」

「え、あ、あの、由紀さん?」

 四谷大樹はあたしの剣幕に気圧されたのか、翡翠の顔を見て助けを求めているようだった。

「何ようるさいわね!」

「ねぇ由紀、あんたまた早とちって大暴走してるってこと、ない?」

 顔に熱を感じながら大声で言うあたしに翡翠がいやに冷めた声をかけてきた。

「私は屠崎翡翠。貴方は四谷大樹さんね、ついさっきだけど由紀から話聞いたのよ、色々と」

「あ、どうも。どう考えても怪しいですよね、僕。でも信じてくれなくてもいいんです。放っておいてくれれば絶対迷惑をかけるようなことはしませんから」

 四谷大樹はそう言って寂しそうに笑った。昨日見たあの可愛らしい笑顔とは随分印象が違う。

「だってよ、由紀」

「あ、うん」

「今日は偶然会っちゃいましたけど、もう由紀さんの前に現れることもないですから、安心してください」

 ということは、本当に死ぬつもりなのだろうか。それを知っているあたしたちに黙って死ぬのは迷惑なことではないのだろうか。

「うんと、貴方の事情はとりあえず信じるとか信じないとか別として、この先由紀に迷惑がかからなければ別に私は構わないんだけどね」

 翡翠はそう言って頷いた。

「大丈夫ですよ。じゃあ」

 そう言うなり四谷大樹はいきなり背中を向けてあたしたちの前から立ち去っていった。

 結局なるようにしかならないのだろう。何もかもがままならないものなのだろう。そうしてままならない中から妥協できる道を探して行くしかないのだろう。

 四谷大樹の背中を見ながら思ったことはそんなことだった。



 あたしは予備校をサボって、一人中央公園にいた。昨日からまるで勉強しようという気が失せてしまっていた。それもこれもあの四谷大樹のせいだ。どうしてこんなに引っかかるのだろう。ブランコに揺られながらついつい考え込んでしまう。それは多分自分でも判っていることなのだ。考えたくないだけで、それを認めたくないだけで、こんなにも苛立っている。

 本当はままならないなんて嘘だ。行きたくもない大学を受験すること。親に反抗することができないだけだ。自分が本当にやりたいことを親に言うことができなくて、でも嫌なことだけはっきりしているせいで、子供の我侭と同じ。だから何も言えない。嫌だ嫌だで通るほど世の中は甘くないことくらいあたしにも判る。

 四谷大樹は本当に、自分の死に場所を探したがっているのだ。自分がやりたいことをやっているのだと思う。だからこんなに苛々しているんだ。自分がやりたいこと。それが死ぬことだっていうのがあたしには許せない。あたしがやりたいことも押し殺して、人の言うままに歩いているのに、やりたいことが死ぬことで、死に場所を探すことで、それが自分の成すべきことだと思い込んでいる四谷大樹は本当に……。

「なんだかむかついてきたわ」

 あたしはブランコから飛び降りると大又で歩いて自転車に乗った。今度会ったら説教の一つくらいしてやるわ。


 何を期待していたのか判らないけれど、あたしはどうやら次もすんなりと四谷大樹に会えると思っていたらしい。しかし翌日、四谷大樹は姿を現さなかった。絶対に迷惑をかけないと言っていた。人知れずどこかで静かに死んでいくのだろうか。もしかしたらもう死んでいるのかもしれない。あの寂しげな笑顔は本当に死ぬことを望んでいた笑顔だったような気がしたから。

 あたしは学校帰り、今日も予備校をサボった。まったくどうかしてる。なんでこのあたしがあんな自称サイボーグゾンビライダースーサイドブラックの四谷大樹なんかを探さなければならないのだ。

 あたしは半ば自暴自棄になりながら四谷大樹の直した自転車のペダルを踏み締めた。ただ闇雲に探したって見つかる訳がないってことくらい判ってる。でも何も手がかりがない以上、闇雲に探す以外手段もない。とにかくあたしは愛車を飛ばしまくった。


 一通り探してみたけれど、やっぱり四谷大樹の姿を見つけることはできなかった。時間はもう十二時を回っている。いい加減制服姿でうろつくのはまずい時間帯だ。あたしは諦めて部屋に帰った。もしかしたらいるかもしれない。そんな微かな期待もしたけれど、やっぱりそこに四谷大樹の姿はなかった。シャワーを浴びてパジャマに着替えるとそのままベッドに倒れこんだ。

「このまま死んでたりしたら絶対許さないんだから……」



 翌日

 目が覚めて時計を見てみると、時計の針は十時を回っていた。

 でもそれほど驚かない。今日は一日徹底的に探してやると決めたんだから。あたしは身支度を整えると、また愛車にまたがり、四谷大樹探しに出かけた。この近辺では一番大きい中央公園に入り、自転車用の通路がないところも歩き回って探した。随分前に爆発事故があった工場地帯に行ってみたり、工事資材置き場になっている土管の中まで探したりしたけれど、やっぱり四谷大樹はいなかった。自転車で行ける範囲を全て回った後は電車に乗って隣町にまで探しに行った。もう死んでいるかもしれない。でも死んでいたら何か騒ぎになってはいないだろうか。いくら人知れず、といってもあれからもう二日も経っているのだ。もしも死んでいたとしても何かあるはずだ。今日一日だけは絶対諦めてなんかやらないと決めて部屋を出たのだ。いくら見つからなくたって、絶対に探してやる。

 何をこんなに意地になっているのか自分でも訳が判らなかったけれど、もうそんなことは関係なかった。

 あたしは決めたんだ。今自分がやりたいことをやるって。だから絶対に諦めたりなんかしない。今日がだめだって、また明日探してやるんだから。


 そんな日々が三日も続いて、結局あたしは四谷大樹を見つけることはできなかった。筋肉痛を押して自転車を漕ぎ続けた足はちょっと逞しくなっていたりもした。部屋に戻ってきたのは午前二時。お風呂に入る気力さえ失せて、あたしは明かりもつけずにベッドに倒れこんだ。

 明日から学校に行こう。

 部屋の留守番電話には何もメッセージは残されてはいなかったけれど、着信履歴はあった。三日間もサボって、実家にも連絡は行っているだろう。風邪をひいただの具合が悪かっただの、その程度の連絡はしておけば良かった。無断欠席で先生にも怒られるだろう。受験を控えたこの大事な時期にどうとかこうとか……。行きたくもない大学のことなんてどうだっていいのに。

 結局また明日から今までと変らない日々が続くだけだ。何も考えないで、ただ言われたことをやっていれば楽かもしれない。自分で考える必要もないし、自分で道を選ぶ必要もない。誰かが勝手に決めてくれる。

 ――

 あまりの喉の渇きに目が覚めて、そこで初めてあたしは知らないうちに寝てしまったことを自覚した。冷蔵庫を開けてペットボトルの烏龍茶をラッパ飲みすると、部屋の一角に目が止まる。

「電話……」

 何で電話になんか目が止まったんだろう。

 判らない。何でそんなこと思ったんだろう。あたしは四谷大樹に電話で連絡を取る術を持っていない。でも何故か、何だか判らないけれど、電話が気にかかった。受話器を上げればその向こうに四谷大樹がいる。そんな気がした。あたしは半ばぼうっとしながら電話に近付いた。さっきも確認したけれど、留守番電話には何もメッセージなんて入ってない。こうして電話を見つめていたって音は鳴らない。

 ……鳴る訳がない。

 それでも気になる。今にも四谷大樹から電話がかかってきそうなそんな予感がした。

 ……馬鹿馬鹿しい。何を期待してるんだろう。

 いい加減自分に素直になれば?

 そんな声があたしの中から聞こえてきたような気がした。いつも自分のやりたいことを押さえつけられたまま、誰かの言った通りの道を歩いている自分から聞こえてきた声なのかもしれない。

 いや、その逆で、いつもそんなあたしが押さえつけてきた、本当の自分からの声。ここ数日間の暴走とも言えるべき行動はきっとそんなあたし自身が行動原理になっているのかもしれない。

 このままあたしはあたしを押し殺して良い訳がない。死に場所を探している四谷大樹を止めるには、今までのあたしじゃだめなんだ。

 だから、だから今は思う通りに動かなくちゃ。

 そう思うが早いか、あたしは受話器を耳にあてていた。

 ――瞬間。

『由紀さん?』

 ――繋がった。

 まだ番号もブッシュしていない、呼び鈴も鳴っていない電話の、受話器の向こうには四谷大樹がいる。

「……」

 まだ死んでなかった。

 まだ、生きてる。あたしは安堵のため息を漏らした。

「なに、やってるのよ……」

 わたしから出た言葉はそんな言葉だった。

『よく僕が電話しようと思ってたのが判りましたね』

 受話器の向こうのノーテンキサイボーグゾンビライダースーサイドブラックRXは訳の判らないことを呑気に言っている。

「あんたね、あたしがどんな思いであんたのこと探したと思ってんのよ!」

 あたしは声のトーンを押さえつつも語気を荒げた。四谷大樹が暢気にそんなことを言っているのが許せなかったのかもしれない。

『探してくれたんですね』

「当たり前よ!このままあんたに死なれたら寝覚めが悪くて仕方ないわ!四谷大樹!今すぐあたしの部屋にきなさい!」

『あの、ゆ……』

「いいわね、必ずきなさいよ!命令よ!こなかったらひっぱたいてやるから!」

 こなかったら、逢えなかったらひっぱたけもしないのに、そんなことを口走っていた。相当頭に血が上っていたらしい。落ち着いたのは勢いに任せて電話を切ったあとだった。



 信じられないことに、四谷大樹は律儀にあたしの部屋へやってきた。時間にして午前三時半である。呼び鈴が鳴った後にすぐさまドアを開けると、あたしは四谷大樹の襟首を引っつかんで部屋の中に連れ込んだ。

 あぁ、女子高生が見ず知らずの男を部屋に連れ込むなんて本当にどうかしてるわ!

「あの、由紀さん?」

「いいから、とっとと入って!汚いとこだけど!」

 四谷大樹が靴を脱ぐのを見て、あたしは四谷大樹の背中をどん、と押した。しっかり施錠してチェーンロックも忘れない。

「ほら、座って!」

 あたしは四谷大樹を座らせるとインスタントコーヒーを淹れる準備を始めた。四谷大樹はきょとんとしてあたしを見ている。

「とりあえず、あんたがそのサイボーグだとかなんだとかは無視することにするけど!死に場所を探してるって言うのは本気な訳?」

 コーヒーの粉の入った瓶に乱暴にスプーンを突っ込んで、あたしは訊いた。

「本気ですよ」

 何事もないように四谷大樹は言う。さらっと。それが必然であるかのように。その態度が妙にあたしの怒りを誘う。

「何でよ」

「僕は社会的にはもう死んでるんです。生きていたらまずいんです。それに、僕は人を一人殺してるんですから」

「だから何だって言うのよ」

「記憶にないとはいえ僕は人殺しです。どの道放っておいても組織が抹消に来るかもしれません。それなら自分で命を絶った方が良い」

 何で、どうしてこいつはこんなに落ち着き払って自分の死を語れるのか、あたしには理解できない。死に憧れてバカなことを口走る子供や、かまってちゃんがちらつかせるフェイクじゃあるまいし。コーヒーの粉を入れたカップにお湯を注ぐと、あたしは四谷大樹の目の前に座ってそれを差し出した。ありがとう、などと言い忘れないところがつくづく律儀だとは思うが、今はそんなことを考えている場合じゃない。

「人を殺したかもしれないから、あんたは生きていたくない訳?社会的に死んでいることになっているから死にたい訳?」

「……いえ、そういうことじゃ」

「馬鹿じゃないの?」

 あたしはわざと四谷大樹の台詞を遮って声を高くした。

「周りがどうだとか、社会的にだとか、全然死ぬ理由になんかならないわよ!」

「だから、違うんですよ。このまま生きていれば組織が抹殺にくるかもしれない。生きている限り、きっと人間は幸せを求めて、そしてその中で小さな幸せでも見つけることができるでしょう。だけど……」

 あたしの入れたコーヒーを一口呑むと四谷大樹はそこで嘆息して言葉を区切った。

「だけど、なによ」

「こうやって、由紀さんが入れてくれたコーヒーをおいしいと思ってしまう。幸せってきっとどんな小さなことでも一人きりでは感じられないものだと僕は思うんです」

 そして、その組織が抹殺しにきたときに、四谷大樹と関わった者まで危険が及ぶ。そう言いたいのだろうか。

「でも、だからって……。あんたが一人で死んで行く理由になんか……」

 あたしはコーヒーカップに視線を落とした。優しすぎるのだ。色々と考えていることがいちいち的外れではないことだから、あたしは何となく反論の言葉をなくしてしまう。

「なりませんか?例えば組織が抹殺しにきて、僕が関わった周りの人達を見逃してくれたとしても、きっと僕が死んだということで、誰も何も感じない訳がないんです。自惚れかもしれないけど、人間ってそれだけ優しいと思うんです」

「あんたをそんな立場にしたやつらだって同じ人間なのに?」

 鴨にボウガンを撃ち込む人間がいれば、ボランティアで動物愛護をしている人もいる。確かに人間なんて千差万別なのだろうけれど。

「彼らだって家族が亡くなれば悲しみますよ。その気持ちの度合というか、悲哀の部分をどこに持っているかが人それぞれ違うだけで、誰だって親しい人や好きな人が目の前から消えてしまえば悲しみます」

「……それなら、あんたは今自分が死んで悲しむ人間がいないと思ってるんだ」

「いませんよ。僕はもうとっくに死んだことにされているんですから。例えばそれで僕が実は生きていた、と、僕の記憶にない家族に知らせることができたとしたって、僕自身記憶にない家族なんです。僕は嬉しいと思わないだろうし、家族だって記憶を失って本当に僕なのかどうかも判らない者と暮らすよりも、このまま死んでいたことにされていた方が良いに決まってるんです。悲しみはきっといつか癒されるから」

「言ってることが矛盾してるわね」

 とは言いつつも本当は判っていた。これ以上自分のせいで悲しむ人を増やしたくない一心で四谷大樹は死に場所を探しているのだ。たった一人で誰の記憶にも残らずに、いなくなるために。だけど、それはもう適わぬことだということに四谷大樹は気付いていない。

「それは仕方のないことじゃないですか?由紀さんだってやりたくないことを仕方なくやってる……。でも、ここ数日、僕の事を探してくれた。自分の思う通りに動いてみて、どうでした?」

「あんたそれ、なんで……」

「言ったじゃないですか。僕は普通の人間じゃないって。由紀さんに見つからないように動くことなんて朝飯前なんですよ」

 悪意の欠片もない笑顔で四谷大樹はそう言い放った。

 初めて見たときのあの、可愛らしい笑顔で。

 最低だ。あたしがここ三日間、死ぬ思いで四谷大樹を探していたことを、このノーテンキサイボーグゾンビライダースーサイドブラックRXアクセルフォームは知っていたのだ。本当にストーカーまがいのことをして、あたしに見つからないように、付け回していたのだ。

「……最っ低!」

「……おかげで、僕も死ぬことができなくなってしまいましたけどね」

 そこまで計算ずくだったということに余計に腹が立つ。

「別に!勝手に死ねば!」

「だって僕が死ぬと由紀さんが悲しむから」

 こ、こいつは……。

 なんだかお釈迦様の掌の上でもて遊ばれている孫悟空みたいな気分だ。だけれどそれに気付いたところであたしにはもう何も反撃する手段は残されていなかった。

「そうよ馬鹿!今日はもう泊まっていきなさいよね!どうせ寝るとこなんてないんだろうから!あといくらあたしがあんたのこと連れ込んだからって襲おうとしたらはったおすわよ!」



 数週間後。

 大樹はあたしの住んでる近くのアパートを借りて一人暮らしを始めた。どういう訳か、翡翠に一部始終を聞かせてあげた数日後、翡翠が四谷大樹の住民票を持ってきたのだ。その筋に強い知り合いがいると言っていたけれど、この場合どういう筋なのかさっぱり判らない。それに例の組織とやらに狙われる心配もないとも言っていた。ひょっとしたら危ない関係の、所謂『ヤ』のつくお方にでも知り合いがいるのではないだろうか。あの根性座った性格ならそれもありそうだ。我が親友ながら中々底の知れないヤツだ。

 あたしはというと、結局無断欠席が親にばれて、どうせ怒られるんだからとあたし自身の主張まで半ば逆ギレ状態でめいいっぱいしてやった。その甲斐あって四月には調理師の専門学校に行くことになった。べ、別に大樹に美味しいお弁当作ってあげたいとか、全然そんなんじゃないわ。もう随分前から翡翠が足しげく通っている喫茶店に足を運んでからというもの、あたしもいつかこんなお店を持ちたい、とずっと思っていたのだ。両親は意外とすんなりとそれを承諾してくれて、少し拍子抜けな感じもあったけど、もしかしたら、あたしからあたし自身のやりたいこと、というのを聞いてみたかったのかもしれないと思うようになった。

 父は「お前、初めて自分でやりたいことを言ったな」と何とも言い難い表情をしてたし。大樹と出会ったことで、あたしはきっと少しだけ変れることができたんだろうと思う。

 人の幸せは、何回心の底からありがとうと言えるかどうかで決まる、なんてセンテンスがあたしの好きな本の中にある。

 けれどあたしはどれだけ、心の底からありがとう、と言える人に出会ったかでそれが決まるんじゃないかな、と思ったりもする。


 ありがとう。


 あなたに逢えて


 幸せです。


 あなたに逢えて 終り

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