終 <北>と<南>


 宮城師範大学に秋入学生として、編入学した涼子は、仙台市内のある下宿屋にて下宿していた。古い、大東亜戦争開戦前からある下宿であり、トイレ、風呂は共同であった。

 仙台市内では、日ソ両軍の激しい地上戦が戦わされたとはいえ、破壊を免れた建物もあり、この下宿屋もそんな建物の1つであった。

 涼子としては、<南>の出身であったこと、また、年齢がすでに23歳になっており、他の学生とは、多少とはいえ、年齢の違いもあることから、何かしら、話が合わない気がした。故に、大学の学生寮に入れるとは言われたものの、住環境が良くないことを承知で、この下宿屋に、居を定めたのであった。

 季節はすっかり、冬になり、12月になっている。仙台には雪も降るようになっていた。部屋の中には、ストーブがあるものの、息を吐けば、窓ガラスがすっかり白くなった。

 大学で与えられたテキストを開き、ストーブの傍に置いたちゃぶ台-それは、涼子の勉強机兼食卓である-の上で、勉強しつつ、時にはラジオ番組を聞くのが、楽しみでもあった。

 午後7時、夕食を終えた涼子-米飯があるだけ、<南>よりはマシであった-は、ラジオのスイッチを入れてみた。

 <南>

への宣伝放送である

 <人民の声>

が入った。女性アナウンサーが、番組の先頭を切った。

 「1961年12月×日、本日は既に12月、皆様、この寒い年の瀬、いかがお過ごしでしょうか。こちらは、日本人民共和国人民放送局、おなじみ、<人民の声>でございます」

 <天皇制>

が廃止されたこの国では、天皇の代替わりによって時間が支配されるとされる

 <元号>

は、勿論、既に存在しない。涼子の部屋の壁にあるカレンダーも、無論、そうであった。

 ラジオの中の女性は続けた。

 「いよいよ、師走ですね。皆様、師も走る、という年末の慌ただしさの中、来年への希望は如何でしょうか。党の指導ともにありましたこの1年でありましたが、年末年始の餅の放出等が予定されておりまして、今期の年末年始も楽しみな状況にありますね」

 涼子は思った。

 「お餅か」

 <南>では、<常時>と化した<非常時>のために、餅はそれこそ、贅沢品として存在しなくなっていた。幼い子の中には<餅>の何たるかを知らない子もいるかもしれない。勿論、餅はもち米から作られるものの、日常の米飯に供されるうるち米でさえ、

 <大東亜共栄圏>

維持の為、内地では全く不足しているのである。餅など、当然、存在していなかった。

 そうした点からすれば、米飯が口にでき、また、年末年始には餅が食し得る

 <北>

の方がまだ、マシとも言えた。

 とはいえ、この<南>で言うところの

 <北>

にも、闇経済は存在する。

 <集団農場>

のみでは、需給のバランスが悪く、集団農場で納めた作物以外は、自身で売り、収入にしたり、又、何らかの形で自身で収穫、販売し、収入にするといった具合に、

 <北>

もまた、

 <南>

同様の状況は存在していた。それは、涼子自身が、秋田から仙台に向かう列車内にて、リンゴをすすめて来た老婆によって、具体化されていた。そして、涼子自身、この下宿屋の近くの空き地にて、自身で野菜を植えていた。これも一種の闇経済であろう。人々は、

<南>同様、経済において、

 <体制>

から逃れる部分を有していた。その意味では、この下宿屋も個人経営なので、この下宿屋もその範疇に入るともいえる。

 こうして、自身の生活を振り返れば、

 <南北分断>

となっている1961年(昭和36年)の日本において、双方いずれも、

 <陰>と<陽>

が存在し、互いにせめぎあっているのであった。このことは、

 <南北共通>

であった。人々の

 <生活>

故に、そのようになるのであり、人々が生活していることは、まさに、

 <南北共通>

なのであった。

 ラジオの声の主が、いつの間にか、男性アナウンサーに代わっていた。

 「いやあ、今期の年末年始は、年越し蕎麦に、正月の餅と、楽しみなことですね。旧体制の下では、とても、お目にかかれなかったものです」

 <旧体制>

とは、勿論、

 <南>こと<大日本帝国>

のことである。<食欲>という人間の根本的欲求に訴えることで、<南>の<社会>を<体制>から離反させ、

 「日本人民共和国は大日本帝国より、生活程度が良いのだ」

と訴えようとしているのであろう。

 現在、このラジオを放送を聞いている涼子は、勿論、

 <体制>

からは離反していた。しかし、<社会>をなしている家族をはじめ、女学校時代の友人等はどうなっているだろうか。多少は気になるものの、

 <過去>

とは絶縁せねば、前向きになれない、と言い聞かせることも多い生活である。

 故に、内心では、多くの場合、

 「既に、一定程度、飢えから解放されたし、大学にも行けてるし。<南>は私には関係ないから、<人民の声>も私には無関係ね」

と、無関心を装うことで、<南>という過去と絶縁するよう、自身に言い聞かせてもいた。

 「まあ、<南>の人民にとっては、関心も高いでしょう」

と、彼女は呟いた。

 <≪南≫の人民>

という、それこそ、<南>では使われていないはずの、この国特有の表現を用いることによって、いよいよ、自身に、

 「過去に未練せず、前向きに生きましょう」

と呼びかけたかったのかもしれない。現在の涼子に必要なのは、この国での自身の立場と生活をしっかりと固めることのはずである。

 <人民の声>

はなおも続いてた。しかし、涼子は、ラジオのスイッチを切った。

 「大学の授業とかで疲れた。明日のためにも早めに寝ましょう」

 そうつぶやくと、布団を敷き、ストーブのスイッチを切った。丸電球に傘がついただけの電灯を消し、布団に潜り込んだ。

 1961年が終わろうとしていた。このことは文字通り、

 <南北共通>

であった。


(完)


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もう1つの東西冷戦―南北日本分断編 阿月礼 @yoritaka

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