収穫する

夢月七海

収穫する


「本番、五秒前! 四!」


 私の目の前に立つディレクターさんが、そう叫んだ後、急に無言になって手だけでカウントダウンをした。

 人差し指から掌で私を指した後、カメラのレンズがぐっと私にズームしたので、いつも通りに満面の笑みを作る。


「さあ、始まりました! とれたてな毎日!」


 マイクを持ったまま、番組のタイトルを元気よく告げる。

 そこからレポーターの私の自己紹介、そして今、どこにいるのかを軽く説明する。


 今回の私は、鬱蒼と生い茂る森の中にいた。

 しかし、目的地はこの森ではない。


「そして、今回の食材が待つのは、この三角岳だけです!」


 一際大きな声を出した後、私は半身で仰ぎ見るように、左手で背後に聳える山を示した。

 ごつごつとした岩肌が露となっている、先の尖がった、急斜面の山。山腹からロープを垂らしているそこに、今日、私は登る。


 「とれたてな毎日」は、言葉通り、日本中、ある時は異国に飛んで、美味しいものを採ったり捕ったりしながら食べるというコンセプトの、帯番組だ。新人タレントの私は火曜日の担当である。

 また、この番組は、食材が映るまで、何をとりに行っているのかを教えないという趣旨で進んでいく。こんなクイズ形式がウケて、そこそこ長く続いている。


「今日も大冒険の予感ですね! では、案内人をご紹介しましょう。畠さんです!」


 スタッフたちの拍手の中で、右側から照れ臭そうにフレームインしてきた初老の男性が、今回の食材を収穫して生計を立てている、畠さんだ。

 細身だけど、あの三角岳を登り続けているとあって、背筋も曲がっていないし、手足はしっかりと筋肉質だ。服装はポケットの多いチョッキにキャップと、山で魚釣りをしている人のようだけど。


「畠さん、よろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします」

「今回の食材は、非常に珍しいものなんですか?」

「はい。一般的に、安価で手に入るものは、味を再現した加工品ですからね。天然物は、険しい山の上に生えているので、取りに行くのも一苦労です」

「なるほどー。その分、お高くて、美味しいんですよね?」

「はい、もちろんです」


 長年、その天然物を撮り続けたハンターである畠さんが、誇らしく胸を張って答える。

 それを受けて、私も満面の笑みでカメラに向き合った。


「ますます楽しみですね! では、出発です!」


 その後に、ディレクターがカットの声を上げる。

 カメラが止まって、私と畠さんはディレクターからの軽い指示を受けてから、山の麓へ移動することになった。


 その前に、畠さんが私に声をかけてきた。

 振り返ると、心配そうな畠さんの瞳と、目が合った。


「大丈夫かい? 道のりは、見た目よりもずっと大変だよ?」

「平気です! よく、ボルタリングのジムで鍛えていますから!」


 私は腕をまくって、力こぶを作ってみせる。出来た力こぶは、非常に小さいものだけど、ボルタリングのことは本当だ。

 畠さんは、納得してくれたというよりも、私のやる気に任せることにしたようで、そうかいと苦笑しながら頷いてくれた。


 麓では、インストラクターさんがスタンバイしていて、私はハーネスを付けて、岩肌から垂れているロープに自分の命綱を繋げる。

 三角岳自体は、高さは五十メートルにも満たない。ただ、勾配が急なので、どうしても山登りではなく、崖登りに近い形になってしまう。


 ここでは、私も畠さんも無言だったが、カメラはしっかり回していた。

 あとからナレーションを付けるのだろう。


「では、行ってきます」


 ヘルメットを付けた私が、カメラに神妙な顔で言う。

 自信はあったけれど、緊張はどうしても隠し切れない。


 先に上り始めた畠さんに、私も続く。

 クライミング用の手袋を付けた右手が、伸ばした先の岩を掴む。もしも、これがいきなり崩れたら……と、考えてしまったのを振り払い、少しずつ上を目指す。


 冬だというのに、緊張感とこの運動量で汗が垂れて、目に入りそうだ。しばしばと瞬きしながら、ロープの最終地点、目的地である山腹を睨む。

 体感三十分で、半分くらいまで登ってこれた。


 「今回のロケ、断りましょうか?」


 約半月前に、この仕事の内容を先に知ったマネージャーが、不安そうに尋ねたのを思い出す。

 私が、「毎週ボルダリングに行っていますから」と即答すると、彼は「そこじゃなくて」と首を振った。


 それを聞いて、「ああ」と納得できた。マネージャーは、私の苦手なものも好きなものもすべて把握しているから。

 だけど、私もプロだ。番組がそれを求めているのなら、命に関わること以外、全部受けていきたい。私がそれを伝えると、マネージャーは観念したようだった。


 畠さんが、頂上近くの、人が四五名くらいが入れそうなスペースの出来た岩場まで登り、立ち止まった。私の位置からは見えないけれど、今日の目的の食材がそこにあるようで、表情はとてもにこやかだ。

 ややあって、私も畠さんと同じ位置に辿り着き、目線を下に向ける。僅かな石の合間にも、細かく雑草が生えているが、それ以上に目を引くものがあった。


 ドローンカメラが、ちょうど私の頭上まで来た。正直もう少し休憩したいけれど、軽く呼吸を整えて、仕事モードのスイッチを入れる。

 そして、ドローンの方へと振り返り、満面の笑みで今日紹介する食材を左手で示した。


「見てください! 天然物の、わたあめです!」


 私の指の先には、地面から生えた一本のわたあめがあった。これ以外にも、あと五本くらいのわたあめが生えていた。

 祭りの縁日とかで作られている加工品のわたあめと違い、すべすべした木の棒ではなく、節も皮もそのまんまだけど葉っぱは一枚もない黒っぽい枝に、大人の握り拳ぐらいの大きさの白いわたが付いている。


「これが植物って言われても、正直信じられないですね……」

「芽を出して、花を咲かすまでは、肉厚な緑の葉が付いています。しかし、花が枯れるとともに葉も落ちて、根から吸い取る僅かな養分を、この綿状の実を成長させるためだけに使います」

「なるほど、こんな場所に生えているのですから、実を付けるのにも苦労していそうですね」


 畠さんは、私の言葉に深く何度も頷いた。


「そのため、芽が生えて、実がなるまでは三年かかります。生えている位置以外にも、ザラメの加工品であるわたあめよりも高いのはそういう理由がありますね」

「加工品のわたあめは、夏に食べるイメージがありますが、天然物のわたあめが冬に実る理由はありますか?」

「このあたりの風と関係しています。冬に吹き上げてくる風に乗って、わたあめの実は生息域を広げていくのです」


 さすがわたあめ収穫のプロとあって、畠さんは私のどんな質問にも答えてくれる。私も、馴染みのないわたあめの生態について詳しくなれた。

 その時、三角岳の下から強い風が吹いてきて、わたあめの実を揺らした。その中から、親指と人差し指でつまめそうなくらい小さなわたが、ふわふわと宙に舞い上がった。


 冬の水色の空に、わたあめたちが吸い込まれていくような光景は、非常に幻想的だけど、このままだと私が試食する分のわたあめが無くなってしまう。

 素敵な画も十分とれたタイミングで、私はドローンのカメラに向き合い、きりっとした顔を作って言った。


「では、そろそろ実食に参ります」


 私は笑顔でそう言ったが、言い回しがいつもよりも堅くなってしまった気がする。

 もちろん、そのことを指摘する人はこの場にいないので、このまま強行するしかない。


 しゃがんで、さっきまで示していたわたあめに手を伸ばす。登る時とは異なる緊張感を、私だけが感じていて、掌が汗を掻いている。

 もしもこれがドローンのカメラではなかったら、一度撮影を止めてもらい、休憩したいくらいだった。


 私は、加工品のわたあめが苦手だった。

 小さい頃のお祭りの夜、食べ過ぎているのにわがままを言ってわたあめを胃に押し込めたから、気持ち悪くなって吐いてしまったことがあった。それ以来、わたあめの匂いを嗅いだだけでそれを思い出してしまう。


 だけど、こうして仕事を受けたのだから、その責任は果たさないといけない。

 それに、加工品と天然物のわたあめは全然違うから、きっと大丈夫だ。自分にそう言い聞かせながら、わたあめの細い枝をぽきりと折った。


 立ち上がり、口元までわたあめを持っていく。

 カメラを目の前にしているから笑顔は崩さないけれど、一瞬だけでも息を止めてしまいそうになった。


「見てください! 美しい白色で、本当においしそうですねー!」


 カメラがゆっくりわたあめのアップを取れるように、まだ口にはしない。心とは正反対のことを言っているからか、リアクションがいつもよりオーバー気味だ。

 ただ、カメラの視線よりも、後ろに立つ畠さんからの眼差しが怖い。何も言ってこないけれど、自慢のわたあめが何と言われるのかを、非常に気にしているのが背中からでも伝わってくる。


「……では、いただきまーす!」


 覚悟を決めて、大きく口を開けた。

 まず入ってきたのは、加工品とは全然違うハッカに近い爽やかな香り。それを脳で処理する前に、一口目を私は噛み切った。


 唇で感じた、雲のような柔らかさ、その次にざりっとした舌触りがする。きっと、綿毛に包まれた種だろう。

 口の中で、あっという間に溶けていったすっきりとした甘さ。加工品のようなねっばこさが一切なくて、種の食感もすぐに消えてしまう。


「……おいしいです」


 私は、やっと一言だけそう言いうことができた。

 その後ろで、畠さんがほっと息をついたことが聞こえた。


 食レポすることも忘れて、もう一口齧っていた。夢を食べているかのように、わたあめは味わう暇も無くとろけていく。


「こういう見た目ですが、やっぱり植物なんですね。甘さはしっかりあるのに、後に引きませんし、爽やかです。ざらざらした種も甘くて、でもすぐに無くなってしまいます」

「ええ。ですから、手が止まらないと、よく言われています」


 カメラに味の説明をした私の後ろで、畠さんはそう付け加えてくれた。

 私は後ろを向いて、「確かに三口目が欲しいです」とにこやかに答える。これはお世辞ではなく、勝手にわたあめを口に運ぼうとする右手を制しながらの発言だった。


「オッケーでーす! エンディングを撮りますので、降りてきてくださーい!」


 三角岳の下から、ディレクターさんが声を張り上げてそう言った。

 私は、目が眩むような高さから下を見て、それでもこれだけを断っておきたくて、スタッフに向かって口を開いた。


「すみませーん。これを食べ終わってからでもいいですかー?」

「しょうがないですねー。ドローンは戻しておきますよー」


 ディレクターさんは呆れ顔ながらも、承諾してくれた。後ろの方で控えているマネージャーは、私の手の平返しを知っているので苦笑している。

 でも、やっぱりこんなにおいしいなんて思ってもいなかったから、どうしてもこの一本だけでも食べ切りたかった。


「私、天然物のわたあめは初めてだったんですよ。毎日食べたいくらいにおいしいですね」

「ありがとうございます。育てているわけではないのですが、褒められると嬉しいですね」


 ドローンが下がっていった後、わたあめを食べる合間に私はそう畠さんに話しかけた。

 畠さんは後頭部を掻きながら照れ笑いを浮かべて、ぺこぺこ頭を下げている。


「ちなみにこれ、いくらくらいするんですか?」

「そうですね。出来合いで結構変動しますが、マスクメロンよりも高いのは確かですね」

「えっ!」


 むしゃむしゃと食べていたわたあめが、こんなに高いものだとは思っていなくて、もったいないことに吹き出しそうになってしまった。

 思わず、半分以上食べて、生えていた枝のてっぺんも見えているわたあめを凝視する。マスクメロンよりも高価という文字が、その上に浮かび上がってくるようだった。


 毎日食べるなんて、私のお給料では絶対に無理だ。それどころか、今度口に出来るのはいつになるのかも分からない。

 私は、下でスタッフを待たせていることも分かっているのに、恐る恐るもう一口食べてみた。その甘さに目を細めながら、出来るだけゆっくり噛んでいった。


























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