フィクサー

美澄 そら

 

 随分と廃墟らしい廃墟だった。

 一部天井が崩れてコンクリートがあちらこちらに転がり、部屋の中央に吊るされた貧相な傘付きの電灯を隙間風が揺らしている。

 明かりはそれしかない。その電灯の下、二人の男が事務机を挟んで睨み合っていた。

 片や、オイルで撫で付けられた髪と、グレーのスリーピースのスーツを着こなしていて、片や、無精髭を生やし、ワイシャツの左腕を上腕までたくし上げている。左腕からはチューブが伸びていて、その先でぽたりぽたりと水音がしていた。

 彼らの間には山積みの原稿用紙。一番上は何も書かれていない。無精髭の男はその山を虚ろな目で見下ろしながら、くつくつと笑った。


「なにがおかしい」

「決まらないんだよ、犯人が」


 無精髭の男が首を揺らしながら、ぼそぼそと「犯人が決まらない」という文言を繰り返す。

 隙間風に攫われて、そのまま首がごろりと落ちてしまいそうだ。

 量を調整しているとはいえ、かれこれ一時間彼の血液は落ち続けている。

 カビとホコリの臭いに、鉄の臭いが混ざる異様な空間で、男達は対峙していた。


「最初の被害者は娼婦。ベッドの上で首を締め付けられて死んだ。上裸だった女の胸の間には深いバツ印が刻まれ、死体は死後指を組まされて祈るような形になっていた。シーツに乱れはなく、部屋にも争った形跡もない。まるで死んでいる娼婦のほうが面妖にも思わせられるような現場だった」

「次の被害者は飲み屋の女将。今度は胸を一突き。最初の女と同じように祈るようなポーズをさせられていたが、目玉を繰り抜かれていた。血の涙が流れているかのようだった」

「三人目はボクサー上がり。地元の大会を優勝したあと怪我で突如引退し、マフィアの下っ端として働かされていた。胸にバツ印があったので、同様の事件として扱われているが、死に方が異様で、まるで巨人にやられた、かのように、顔面が壁にめり込んでいた」


 青褪めていく男の顔と反対に、眼だけが光を浴びて生き生きと輝く。

 ただ、最初は噺家のように早口だった男の舌はもう回らないのか、発音すら曖昧になっている。

 まるで入れ歯を失った老人のようだ。


「次は……そう、次は男女の双子だった。死後半分に切断されて、それぞれと合体させられて縫合までされていた。胸と額にバツ印があった」

「それから?」

「それ、から……ああ、靴職人の親子だった。足を一本ずつ切断して、ケーキのろうそくのように立てて、ディスプレイされていた。二人とも額にバツがついてた」

「ふむ。それで?」


 スーツの男が促す。無精髭の男はがくんと頭を落とすと、勢いよく顔を上げた。

 まるで授業中に眠りこける生徒のようだ。

 スーツの男は足を組み、薄く嗤った。


「それ、で……?」

「ああ。覚えていないのか」

「おぼえて……」

「次は二人目に殺した女将と三人目に殺したボクサー上がりの子供さ。君は犯人と疑われて、彼にしつこく付き纏われるようになった。目障りになった君は彼をうっかり階段から突き落とした。本当は殺すつもりじゃなかった君は、一連の事件と関連付けるために慌てて服の上から胸元にバツ印をつけた。

 だがそのせいで、今までと違い遺体への執着が薄いと判断されて、無能な警察は模倣犯だとして君の事件だと認めてくれなかったんだね」

「ああ、ああ……」

「そして君は新聞屋に乗り込んだ。けれどそこでも取り合ってもらえなかった。君は窓口だった編集者の男を捕まえて、口いっぱいに原稿用紙を詰め込んだあとに胸を切り刻んで殺した。いたぶり過ぎたせいで胸には傷を残せなかったけれど、今度は冷静に額にバツを残してきた」


 スーツの男が優雅な仕種で立ち上がる。粗末なパイプ椅子が悲鳴のような音を上げたあと、その向こうに警官の死体が転がっていた。


「最後がそれ。新聞屋を殺した後、君はその警官と鉢合わせてしまい、この廃ビルに逃げ込んだ。そして、警官の警棒を奪い殴打すると、胸にバツの傷を付けてから僕を呼び出した」


 もう、無精髭の男は応える気力もないのか項垂れている。

 スーツの男は彼の背に回ると、耳元に口を近付けた。この場所に不釣合いな、さわやかな香水の匂いがする。


「さて、君の話だけど……どこまでが本当でどこからが虚構なんだろうね」


 その一言を聞いた途端、無精髭の男が顔を上げた。

 決して顔色がよくなった訳ではない。

 彼の中にあるプライドが、今にも燃え尽きそうな命を焚き付けているのだろう。


「虚構? すべて実話だ。真実だ。見たまま、聞いたまま書き上げたのさ」

「では、犯人はわかったかい?」

「犯人、犯人は――」

 ほんとうに、私は犯人だったか?

「犯人、は」


 無精髭の男が左腕に繋がれたチューブを引き抜くと、血が勢いよく溢れ出た。もう恐れなどなさそうだった。その血を指につけて、一番上の原稿に“You”書いて――彼は原稿の上で力尽きた。

 その様子を見て、スーツの男が喜劇でも見たかのように大きな口を開けて笑う。

 彼が手を叩く度、革の手袋が乾いた音を立てた。


「まったく、なにが“You”だよ。手を煩わせてくれる」


 スーツの男は無精髭の男の後ろ襟を掴むと無理矢理頭を上げさせ、一番上の原稿用紙を抜き取った。

 そして、真新しい原稿用紙に、今だ血が滴る指先で“Me”と書き直した。

 隙間風で電灯が揺れる。

 もうここに用は無い。スーツの襟を正すと、男は恭しく挨拶をした。


「さようなら、面白かったよ。小説家ノベリストくん」


 君は人殺しなんてしていないさ。僕の話を聞きながら、楽しげにそれを文章に書き起こした。

 小説家になりたかった君は何度も新聞社に赴き、この話を掲載してくれと懇願したけれど、最初は受け入れてもらえなかった。

 実際に起こった事件のことだからね。これは小説じゃなくてドキュメンタリーだ。

 ところがある日、君が書いた小説を僕がなぞることで、注目を浴びることになった。


 それが、君の望んだ結末エンディングかはわからないけれどもね。







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フィクサー 美澄 そら @sora_msm

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