ゆる縄の聖母

枕屋

ゆる縄の聖母

 豪奢な装飾が施された馬具が赤く染まる。白馬に乗っていたこの土地の領主が倒れた。

「ん〜?ヤケに煌びやかな逃亡兵だなとは思ってが、コイツぁ敵の領主様だ」

「さすがカリグラだ!」

「カシラはやっぱりツいてるや!」

 倒したのは、占領した町や村の略奪を許可されている傭兵団だ。別の領主に雇われ荒事を任されており、戦線から逃げ出す逃亡兵を狩っていた。

「どこぞのお貴族様だとは思ってたんだがなぁ。まさか敵の大将だとは…ついてるのやらついていないのやら」

「どうします?カシラ?戻って勝鬨上げてきますかい?」

「馬鹿言え!今戦が終わっちまったら、次の戦まで俺たちゃどこで飯を食うってんだ。もうしばらく前線の騎士様方には戦を続けてもらうさ。それよりもお前達!略奪の時間だ!さぁ、金目のものをかき集めてこい!」

 カリグラと呼ばれた男が他の男どもに命令を下した。男達は歓喜の声をあげて村落の家屋を漁り始める。しかし、その歓喜の声も次第に苛立ち混じりの愚痴に変わっていった。戦場から逃げ出したこの土地の領主を追撃し、籠っていた村を一つ占領したはいいが、村民は皆逃げ出した後で、村には多少の備蓄があるだけだった。金銭などは見る影もなく、家具や家畜に至るまで村には残っていなかったのだ。収穫の報告を聞きながら、とうとうカリグラは苛立ちで井戸桶を蹴り飛ばした。

 そんな中、ジャクヤンと呼ばれる若い傭兵が、納屋で一人の少女を見つけた。

 両足はあるが、形成不全で膝がない少女で、歩くこともままならず、手の皮膚は黒く硬く変質していた。不衛生な場所にずっといたのか、細菌感染で左瞼が垂れ下がり、髪はシラミが湧き所々が絡まっている。

 当初彼らはその年端もいかない少女を慰めものの玩具にし、用が終われば斬って捨てるつもりでいたが、カシラである傭兵十人長のカリグラが少女の姿を見て

「幼き醜女、お前は処女か?」

 と問うた。

 これには、傭兵一同が笑いを堪えた。無論、カリグラも笑いを取るための茶番でやったので、部下の反応に満足気である。

 この問いに少女は

「はい、私は処女です」

 と真面目に答えた。

 堪えきれず、腹を抱えて笑いだす一同。

「私は見ての通りの不具者でございます。まかり間違って子を成さないようにと五つの頃に子宮を焼かれました。私のような者に、近寄る者などおりません。だからこうして村に…いえ、親にも捨てられたのです」

 途端静まり返る一同。これは、決して少女に憐れみを感じたからではない。彼らは生まれてすぐに捨てられた子供達。それを奴隷商人が拾い、傭兵として売りさばいた。一人一人仔細は違えども、だいたいこのような経歴を持つ者達だ。親にも捨てられたという発言は、少女への憐れみではなく、行き場のない苛立ちをわかせたのだ。

 苛立ったのは若い傭兵だけでなく、年長のカリグラも同じであった。

 先程の領主から剥ぎ取った剣を抜き、少女の眼前に構える。剣は傭兵が持つには似つかわしくない洗練された美しい銀色で、少女の顔を写し出す。

「この剣で死ぬなら本望です。惜しむらくは私の醜い姿がうつし出されている…この剣に私はもったいないわ…」

 と少女は言った。

「なーに、この場では殺さん。それでは面白みがない。なぁお前達、俺たちゃいつも旅の空。家族と言えるのは、お前たち野郎どもだけだ。所帯を持とうと思っても家がなけりゃ土地もない!その日暮らしの傭兵家業。宿場に女はいても一夜限りの枕女だ!」

「カリグラ!俺はこの前の村に女房がいたぜ!」

「逃げ遅れた娘だろ?お前が勝手に犯しただけだ」

「そいつは違うぞジャクヤン。俺はあの時確かにあの娘と愛しー合ってーいたんだ〜♪」

「犯す前に殺しておいてよく言うぜシュミラーよ!ハッハハハ!」

 下世話な話で盛り上がる手下達だが、カリグラが黙って睨んできたので口をつぐんで笑うのをやめた。

「お前達は、そんなんだから親にも神にも見放されるんだ。なぁ、お前たち。母を覚えてるか?」


「母だぁ?そんなもん俺にはいねぇ。俺は木の股から産まれてきたんだ。葛で編んだ籠に入れられてな」

「お前はまだマシだ。俺はボロ切れだった」

「俺は教会横の便壺だ」

「そいつは初耳だ。便壺ジャクヤン」

「変な二つ名をつけんじゃねぇ!」


「おお、可哀想な同胞たちよ……そんなお前達に俺から贈り物がある。お前達に母を贈ろう。娘、お前の名は?」

「ミセアと言います」

「ミセア母さん!お前達、ミセア母さんだ!いいか、俺たちの母だぞ!決して犯すなよ?近親相姦を神は赦しはしないのだから!」

「私が母ですか?」

「ああ、そうだ。ミセア母さん。貴女が母である限り、私たちは息子でいよう。もし貴女が村娘に戻るようなことがあれば、望み通り剣を振り下ろそう。どうか母よ、そんなことはさせないでおくれぇ?」

 眉尻を下げ、下衆な笑みを浮べながら懇願してみせるカリグラに一同が笑った。

「ええ、わかりましたカリグラ。私があなた達の母となりましょう」

 傭兵達は真面目に答える新たな母を茶化すように歓喜の声を挙げた。


 それから傭兵達と少女のままごとが始まった。

 粗暴な男達は、いつ母が村娘に戻るか賭けをした。

「1日で首が飛ぶさ」

「七日は持つんじゃないか?」

「俺は次の季節まで持つと思うぜ」

「次の戦場までだ。夏までもたないさ」

 しかし母は、母のままだった。

 母を村娘に戻そうと、わざと目の前で花瓶を割って脅したり、小剣を突きつけ脅したものもいたが、皆うまくいかなかった。

母は、母であることを全うし、臆することなく傭兵達を叱ったのだ。

「そのような事をしてはいけません」

 時には頬に張り手をした事もあった。逆上した男が胸ぐらを掴み持ち上げても、母は息子達を叱ったのだ。

「母を掴み上げるとは何事ですか。早く降ろしなさい。さもなければ明日の食事は出しませんよ」

 男達にとって、ここまで心の強い女を見るのは初めてで、これが母なのかと困惑し始めた。

 それはカリグラも例外ではなかった。

 ある時カリグラは酒に酔って、母を犯そうとした。母はもちろんそれを拒み、カリグラは約束も忘れ、怒って母を殺そうとした。三度ほど殴りつけた時、仲間の何人かがカリグラを止めに入った。しかし母は、止める者をその場から下がらせカリグラを抱きしめた。

 殴りつけられ頬を腫らし、前歯を失っても母は息子を恐れず、母であろうとしたのだ。酒で紅潮した顔よりも母の胸は暖かく、さっきまでの怒りが蕩けて消えた。カリグラは初めて味わう包容感に戸惑いながらも安堵しそのまま眠りについた。

 翌朝、目が覚め酔いが醒めるとカリグラは自分を恥じた。そして母を改めて母と位置づけた。それは規律のように仲間に言い聞かせたが、誰もそれを笑うものはいなかった。



 カリグラ達は、それから幾つもの戦場を旅し、功績を上げ、仲間も増えていった。

 新しい仲間が増えるたび、母を巡っての紆余曲折があった。時には剣を抜いての命の取り合いにもなりかねたが、その都度母が息子達を叱っていった。時には慰め、励まし、一緒に笑い合った。

 そんな母の噂を聞きつけて、仲間になるものまで現れるほど母の存在は大きくなっていった。

 少女が母と呼ばれ、三度目の冬を迎える頃、傭兵団は大きくなり、百人ほどの規模へと変わっていた。

 母は、いつしかゆる縄の聖母とまつられるようになっていた。戦場に出る息子達にと彼女が結うお守りの縄が緩いことが、ゆる縄の聖母の謂れになっている。ゆる縄になる理由は、膝がなく(足はあるが膝皿がない)縄をしっかりと固定できない為だ。出来るだけ、固く結おうと口も使うが、前歯がないので上手くいかない。母が新しいお守りを作る度、カリグラは申し訳ない気持ちでソレを眺めた。


 カリグラを雇っていた領主は、傭兵団のその変わり様を快く思っていた。

 雇い初めは、飢えた獣の集団だった。ゆる縄の聖母が現れた事で、己を律する人間へと代わり、まるで教養のある騎士団の様相へ変わっていったのだ。それを囲い入れてる領主の評価も自然と上がっていった。

 しかし、それを快く受け入れないもの達が現れてしまった。


 とある会食の折、領主がゆる縄の聖母の話を教会の人間に話した。

 美談のつもりで領主は語ったのだが、相手方はそうは捉えなかった。

「百人もの荒くれを惑わす魔女だ。放っておけばさらに男を惑わして行く」

 教会側は、傭兵達を惑わすゆる縄の聖母は異端だと判断。聖母の首を引き渡すよう領主に要請した。できなければ、異端者の集団として聖騎士の一団で傭兵団を殲滅し、匿った領主も断罪すると脅してきたのだ。

 領主は、それは堪らんと要請を受け入れ、後日審問会に傭兵百人長のカリグラとゆる縄の聖母が召喚された。どれだけ弁明しても受け入れられる事はなく、ゆる縄の聖母の斬首が決定された。


「それが定めた法ならば、処刑される事を受け入れます。ただ、最後に私の願いを聞いてくれませんか?」

「娘、申してみよ」

「私の首は、そこにいるカリグラに刎ねて欲しいのです」

審問官達がざわついて、しばし協議された。

「よろしい。あなたの首を百人長カリグラが刎ねる事を許しましょう。それを成す事で傭兵団の罪の所在は不問としましょう。あなたの首が無罪の証となるのです」

 その決定にカリグラは酷く荒れた。ゆる縄の聖母不在の中、彼を止めれる人間は居らず、誰もがそれをしようとも思わなかった。

 処刑までの日は早く四日後の夕暮れに執り行われる事となった。この日取りには領主が関わっており、せめてゆる縄の聖母が拷問で苦しまない様にとの配慮があった。実際、審問会当日に判決が下ったのでゆる縄の聖母への拷問は行われなかった。その代わり教会前に処刑台が組まれ、処刑日までゆる縄の聖母はそこに磔にされることになった。

 傭兵団はその話に酷く悲しみ、ゆる縄の聖母と共に雪と風にさらされる事を望み、三日三晩処刑台の前で立ち尽くした。当初は教会側はゆる縄の聖母を奪いに来たものと思い聖騎士団に招集を掛けた。しかし、選抜隊の百人が早馬で着いた時には、まだゆる縄の聖母は処刑台で磔にあっていた。そればかりか、現場には百人近くの男達が不動で立ち尽くしており、異臭が立ち込めていた。聖騎士長が見張りに話を聞くと

「奴ら異常です。最初こそ我らを襲い女を助けようと迫ってきたのですが、女が男達を一喝すると皆一様に涙を流し、その場で立ち尽くしたのです。三日三晩その場から動かず糞尿も垂れ流しです。あの女が魔女である事は間違いありません」

と応えた。

 後続の九百人が到着し日が陰りを見せ始め、雲が茜色に輝き出した。

 時が来た。

 白布に身を包み、剣を携えたカリグラが教会から出てくる。処刑台に上がる前に聖水で身を清め、司教から剣に祈りが捧げられる。誰も彼もが無言でそれを見つめた。


 無言で階段を上り、ゆる縄の聖母を柱から下ろして、跪かせた。

「糞尿を垂れ流し、その溜まり場で跪く姿、ただでさえ醜い姿がさらに酷く見えるぞ醜女」

 カリグラはそう呟き鞘から剣を抜いた。力なく俯く醜女の顔を剣の腹で持ち上げる。

 その姿に審問官達は満足げだが、カリグラが期待したのはそんなものではなかった。

「あの時、あなたとの出会いの剣だ。やっぱり…私には勿体ないわ」

 違う、そんな言葉じゃない。

「おままごと、楽しかったわ。ありがとうカリグラ」

 言わないでくれそんな事。

「私は村娘に戻ります。あなたとの約束を違えました。さぁ、首を刎ねてください」


 カリグラは村娘の服を切り上げ、丸裸にする。村娘の乳房が露わになった。

 娘は怯えることなくゆっくりと目を瞑り最後の時を待つ。カリグラは剣を高く振り上げた。


 そして振り下ろし、剣を折り曲げ、膝で折った。折れた刀身を柱に突き刺し、残った柄は投げ捨て、村娘を抱き上げる。


「父はなし、母もなし。天涯孤独と生きてきた我ら肉壁。今ここに母を得たり!母の温もりを得たり!一人でも守る!俺は守るぞ!母を傷つける者は、我が一生の怨敵なり!」

 カリグラの声は広場に響き渡る。

「教会のいう神がいるのなら、我らから家族を奪い、人としての生き様を汚し、獣に貶めたのも神だ!しかし、今俺は獣ではない!人だ!獣になった我らを救ってくれたのは神だったか!?違う!ここにいる母だ!俺は、この母のおかげで人間に戻れたのだ!!」


 審問官は怒り狂い、手を挙げ号を発した。

 それを待っていたのは聖騎士ではない。傭兵団だった。

 止まっていた時が動き出す様に、傭兵団の男達は五人組を作り肉壁を作る。

 母を逃すための戦いが始まった。

 結果だけを述べるならば、百に満たない傭兵団が、千の騎士と渡り歩いた。

 騎士は、生きて帰るを目指した戦い。しかして彼等傭兵団は、この場を死地と腹に決め、四肢の欠損厭わぬ覚悟。

 手を貫かれながら相手の武器を奪い、我が物に変える。

 街の路地に逃げ込み数の有利を覆す。

 騒動が一応のおさまりを見せた後、遺体を集めてみたものの、十数名の男の死体だけだったという。そこにカリグラの死体もゆる縄の聖母の死体もありはしなかった。


 彼等を、人は異端と言う。

 彼女を、人は魔女だと言う。


 これはゆる縄の物語。

 歪で纏まりのない男たちが、一人の少女によって人に戻れた物語。


 かくして生き残った彼らがどうなったのか、誰ぞ知る者はない。

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ゆる縄の聖母 枕屋 @makuraya

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