アウンティカー国王夫妻の愛のない政略結婚

向野こはる

アウンティカー国王夫妻の愛のない政略結婚







 むかしむかし、けして平和ではなかった時代。

 強敵である太陽の国に立ち向かう力をつけるべく、月の国と星の国は、同盟による和平を結びました。

 月の国からは、強力な武器を。星の国からは、豊かな資源を。

 それぞれ足りない部分を補うことで、支えあって立ち向かう術を得ようと、一致団結したのでした。


 さて、その同盟。分かりやすくいいますと、王族の結婚でありました。

 星の国の第一王女、ハンナ・バレンバイラは、月の国の第一王子、ゲルージ・アウンティカーへ、和平の証として嫁いだのです。


 しかしながら、和平を結んだとはいえ、元は敵国同士。表面上は上手くいっていますが、王族も貴族も国民同士も、打倒太陽の国で一つになっているだけで、仲の悪さが改善したわけではありません。

 月の国では嫁いできたハンナを、存在感の薄く見目もよくない田舎娘だと陰で罵りましたし、星の国では嫁ぎ先のゲルージを、脳筋でイカつい見た目通りの蛮族だと罵りました。


 事実、ハンナの容姿は可愛らしいですが、確かに麗しいとは少し違います。

 実際、ゲルージは短絡的で脳筋ですし、怒るとすぐに手が出ます。


 それでも一応、表面上は仲の良さを取り持っていました。


 しかしそんな周囲の努力も虚しきかな。

 冷凍施設より寒々しい結婚式で、牧師が震えながら伝えた誓いの言葉の最中、仏頂面をさらに極めた強面のゲルージが、つい口を滑らせたのです。


「今さら誓う愛などない」


 これに周囲の険悪さは、更にヒートアップ致しました。

 ハンナはあらあらと笑うだけでしたが、参列した星の国の王族貴族、使用人たちは大激怒。元敵国に大事な第一王女を嫁がせるのです。少しでも幸せになってほしい親心が、粉砕されるような衝撃だった事でしょう。

 同盟決裂まで行きかけましたが、おっとりしていても冷静なハンナが、両親含め皆を説き伏せたのです。


「これしきで怒ってはいけないわ。我々は太陽の国に屈するわけにはいかないのよ」


 気高き王女の一声に、皆、冷静になりました。

 しかし代わりに、ハンナを慕う使用人たちが大勢、月の国の城に常駐することになりました。

 大事な姫様を、野蛮族に汚されるわけにはいかない。世継ぎの問題以外は、皆で姫様をお守りすると、固く団結したのでした。


 これに月の国では大憤慨。ゲルージは強き王子です。加えて筋骨隆々ですが、お顔はハンサムでした。見目も良くない小国の田舎姫など、そもそも歯牙にかける理由がありません。徒党のように星の国勢がやってきても、正直に言って迷惑なだけでした。

 星の国では、ハンナが虐めを受けるのではないかと心配がありました。しかし月の国からしてみれば、主君であるゲルージから、星の国に構うな、とお言葉を賜っています。虐めなどと言う低俗な蛮行を行う人種だと、そう思われている方が心外でした。


 城内は二国家の縮図です。水面下でいがみ合い、夫婦の生活は初日からすっかり冷え切っておりました。


 朝の挨拶から始まりますが、互いに「おはよう」のみ。食事中の会話はありません。

 ゲルージが出かける際も、ゲルージが「行ってきます」、ハンナが「いってらっしゃいませ」と声をかける以外、会話はなし。外套を手渡してそれでおしまいです。

 帰宅時は、ゲルージが「ただいま」と伝え、「おかえりなさい」とハンナが答えて、外套を受け取ってそれだけです。

 夕食時ももちろん会話はありません。


 そして就寝時。

 夫婦の寝室は一応、同室でした。

 これには双方の使用人たちは反対でしたが、和平の為である以上、避けては通れないのが世継ぎの問題です。それに、今更だとお笑いになってはいけませんが、あまりに不仲が露呈すると、太陽の国につけいられる隙ができてしまいます。

 なので双方の使用人たちは仕方なく、夜は寝室に近づかないよう、暗黙の了解があったのでした。



 ハンナは湯浴みを終えて、寝室に向かいます。扉を数回ノックしてから、返事を待たずに開けました。夫から返答があるなど、少しも思っていません。

 寝室ではゲルージが、ベッドのヘッドボードに背中を預けて、本を読んでおりました。

 ハンナは朗らかに笑って、彼に近寄り、ベッドに乗り上げました。


元治げんじさん、何を読んでいるの?」

「城下で流行っている推理小説だそうだ。……はなさん、体が冷えているじゃないか。さぁ、こっちへお入り」


 おやおや、これにはびっくり仰天です。

 二人は愛の女神も赤面するほど仲睦まじく、隙間もないほど寄り添って、一つの本を読み始めたではありませんか。

 ゲルージはハンナの小さな体を片腕に収め、ハンナも愛おしげにゲルージに頬を寄せます。


 それもそのはず。彼らの前世の名前は、小林花と小林元治と申します。

 多くの子息女、孫に恵まれ、プラチナ婚式まで行い、百歳近くまで元気に長生きし、最期は病室で二人、互いの手を取り合いながら老衰で亡くなった、ラブラブ夫婦なのでした。

 どんな因果かは分かりませんが、きっと前世での熱愛具合が身を結んだのでしょう。転生した異世界で、運命的な出会いを果たした二人は、こうして再び夫婦として互いの居場所に戻ってきたのです。


「今日のスープどうだった? 台所を借りて作ったの」

「ああ、やっぱりか。カボチャと栗のスープだろう。君の味だと思ったんだ」

「ふふ、元治さんってば、ずーっと顔が緩んでましたものね」

「それが分かるのは、花さんだけさ」


 推理小説をサイドテーブルに置いて、二人で抱き合って掛布を被ります。

 使用人たちがお互いに険悪すぎて、認識できていないだけで、夫妻は意外と普通に会話をしています。

 ですがお互いにだけ聴こえればいいので、非常に小声です。その代わり、よく見つめ合います。

 何せ70年以上連れ添った仲ですから、会話などいらないほどなのです。


 ハンナもゲルージも、そもそも前世からお喋りではありません。

 お喋りなのは二人きりの時だけで、物静かな王女と無口な王子である周囲の評価は、間違いではございません。

 

 ただ、お互いが好きで好きでしょうがないのは事実です。異世界転生して造形が変わったって、魂の根幹が同じであれば、なんの変わりもありません。

 支え合い、尊重しあって前世を生き抜いた二人にとって、顔さえ見えれば、お互いの感情など丸わかりなのでした。


 ゲルージの暖かな抱擁に身を任せながら、ハンナは眉尻を下げて見上げます。


「……ねぇ元治さん、その、ただ眠るだけでいいのかしら」

「ん? ……いいだろう。君に負担をかける気はない」


 前世と違い今のハンナは、あまり体が強くありません。なので妊娠出産に少々心配ごとがありました。

 初夜の時、正直にゲルージへ話してから、彼は心得たと言わんばかりに、けして手を出してきません。それが安心なような、ちょっと残念なような、ハンナは少しだけ恥ずかしく思いながら、夫の頬を片手で撫でました。


「あのね……、ええと、先っちょだけなら、いいと思わない?」

「っ、っ、っどこでそんな破廉恥な物言いを覚えてくるんだ、君は!?」


 おりゃーっとくすぐるゲルージに、ハンナは可愛らしく笑います。今度はハンナがくすぐり返すと、ゲルージが喉の奥で笑って、愛おしい妻を体の上に抱き上げました。

 二人とも本当に若かりし頃に戻れて、嬉しくて仕方がないのです。

 

 目を閉じると、いつも皺くちゃになったお互いの顔を思い出します。

 眠るように目を閉じていくお互いの顔を、いつも鮮明に思い出すのです。

 山あり谷あり幸せな70年でしたが、離れ離れになってしまった最期、やっぱり寂しかったのは嘘にできません。

 なので二人はまた出逢えた喜びを、しっかりと噛み締めているのでした。


 少しだけ神妙な顔で見つめあった夫婦の影は、徐々に一つに重なります。

 

「……また、ずーっと一緒にいましょうね、元治さん」

「もちろんだとも、花さん。……一緒に長生きしておくれ」


 仲睦まじい熱烈夫婦の寝室は、使用人たちの知らない愛を、育んでいくのです。




 下々の者だけ水面下で争いあってはいたものの、月の国と星の国は、無事に太陽の国の侵略を退け、ゆっくりと平和な時代を築いていきました。


 その喜ばしい中でも、アウンティカー国王夫妻は、相変わらず最低限の会話しかございません。

 しかしながら臣下たちは、少しずつ、夫妻がとても息のあった二人であることに、気づき始めておりました。

 お互い1を知れば10を解く。阿吽の呼吸、ツーカーの仲。

 時折、誰も居ないような時間帯、秘密の場所でデートもしています。

 溶けるように熱々の笑みを、互いに向け合う二人を目撃した使用人などは、皆が皆、あまりのロマンティックさにうっとりです。


 ある年の寒い日。ゲルージが戦いで怪我をして帰ってきた時。ハンナは酷く取り乱し、化膿する傷によって高熱にうなされる夫を、夜通し看病しました。使用人たちが傷口に動揺する中、的確な指示を出して医者を呼び、包帯を何度も取り替え、体を拭いたのはハンナです。

 月の国の使用人たちでさえ、血と膿の匂いに吐き気を抱えて対応する中、彼女は泣きながらゲルージの無事を祈りました。

 その真剣な眼差しの、なんと美しいこと。月の国の使用人や王族はすっかり感銘を受け、王妃としての彼女に敬意を示し、受け入れました。


 それから数年後、ハンナは一人の赤ん坊を授かりました。

 その時のゲルージと言えば、普段の厳しい面構えなど総崩れ。嬉しい男泣きで、愛する妻の無事と、生まれてくる赤ん坊を祝福したのです。

 ゲルージは感情を押し殺すことに定評があったのですが、毎日公務から帰ってきては、ハンナに頬擦りして体調を労わります。デレデレと骨抜きな様子に、一同仰天です。

 毎日がお祭り騒ぎと言っても、過言ではないほどの喜びよう。星の国の使用人や王族たちは、大切な王女が嫁ぎ先で、本当に本当に大切に愛されていることを知り、考えを改めたのでした。


 それぞれを通じて、双方の国民たちへも、二人の仲睦まじさは噂になって広まっていきます。

 本当の意味での和平は、すぐそこなのかも知れません。



 ゲルージは結婚式の時に言いました。


「今さら誓う愛などない」


 言葉足らずだったのは否めませんが、彼はきっと本心だったのでしょう。

 ゲルージにとってハンナに誓う愛は、前世の時からずっと変わらず、二人の間にあるものなのですから。今さら誓う軽々しい愛など、彼の心にはどこにもなかったのです。


 いつしか月の国と星の国は、手を取り合って一つの国になっていきます。

 新たに生まれ変わった国の初代国王夫妻を、人々はこう称しました。


 アウンティカー国王夫妻の愛のない政略結婚は、始まりからずっと、上辺だけ。

 


 今日も今日とて、可愛らしい赤ん坊を抱いた夫妻は、お互い見つめあって愛おしげに微笑みます。

 言葉に出来ない幸福が、ここには確かにあるのです。


 めでたし、めでたし。


 

 

 

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