第5話 端から狂ったこんな世界など


 ほうほうの体で町へと転がり込んだバレステッドは、まだ人の行き交う往来に前のめりになって倒れ込みながら、遠慮もなく叫んで懇願した。


「お願いします!! 大変なことが起こっているんです! 異端審問官がうちに来て、僕の家族を傷付けています!!」

「おい、アイツはクモリス家のバレステッドじゃないか?」

「非人道的な行いを受けています!! お母さんも殺されました!!」

「まぁ殺されたですって、物騒ね、本当なのかしら」

「ああ、でもクモリス家のロチアートはサンダーロッドの御子息に傷を付けたって話しだよ。危険な奴等だ、悪魔の疑いをかけられても不思議じゃあないよ」

「助けてください、どうか助けてください!! このままでは僕の大切なきょうだい達が殺されてしまいます!」

「泣いているのか? いや笑ってる……不気味な奴だ。家族を殺されているというのに」

「彼の事は可哀想に思うが、それでも悪魔の因子というのはねぇ……放っておいたら、我々人間の方が殺されてしまうから異端審問は仕方のない事だよ」

「今も家で幼いきょうだいたちが異端審問官に拷問されているです!! だからどうか、どうか……たすけてっ!!」

 

 バレステッドの声に答える者は一人としてそこに居なかった。


「お願いです…………おねがい、します……」


 誰も彼に手を差し伸べず、地に頭をひれ伏しても誰も見向きもしない。


「なんで……なんで……? 僕達も、同じ人間なのに、へへ、えへ、僕達にも……人権が……」


 頭を踏まれて額を硬い地面に押し付けられた。額が割れて血が噴き出して視界が真っ赤になった。


「こんなに酷い目に合わされているのに……えへへ……エレとルフロがまだ、まだそこで生きているのに」


 昼に彼らをイジメた子供達が、ゲラゲラ笑っていい気味だと言った。そこにはエルキヤに火傷を負わされた少年も居て、頬に少しの包帯を巻いた姿で被害者面をしていた。

 赤目の同胞達が見て見ぬふりをして通り過ぎていく。

 悪魔……悪魔と人間達がバレステッドを指差して言った。


「人を……恨んでは……いけませ…………魔王の赦した……ニンゲン……を……っ」


 涙を流し、赤面した顔に口元だけを微笑ませたバレステッドは、自らを取り巻いた人間達を見回していく。


「ああ…………アァ……アアッ……アア゛ッッ!!」


 毛が抜け落ちる位に頭を掻きむしり、血の涙を流してバレステッドは発狂した。


「見つけましたよ……」


 ……狂乱するバレステッドの背中に、何か生暖かい物が投げ付けられていた。そうして聞きたくもなかったドロマリウスの声に振り返ると、少年は目にする……





「あ……………………………………!!!!!」





「お土産です。アナタ達きょうだいは、いつでも一緒に居るべきだと、そう思って」



 そこにあったのは、長細く繊細そうな十本の指を紐で束ねた物と、黒い石の髪飾りを付けたままの、血の滴る頭頂部だった。


 悲鳴を上げた町人達は蜘蛛の子を散らす様に消えていった。


「お二人の夢……叶いませんでしたねえ」


 その場に一人残されながら、バレステッドは胸に抱いたきょうだい達をまじまじと見下ろして、正気を疑う様な目付きで唖然と語る。


「いいじゃ……ないか、夢を見る、くらい……」

「……」

「本当はわかって、いるんだ……それが叶わない夢だって……事、くらい……」

「……」

「僕達には夢を見ることさえ許されないの?」


 白目を剥いたバレステッドは、あんぐりと驚愕の口を開けていった。


「ああ壊れてしまった。ここまでしても目覚めなかった……」

「ぁ…………あ、ぁ……」

「ならばアナタ達は悪魔では無かったのですねえ、それは悪い事をしました。どうかご冥福を」

「か…………ぅ……ぁ…………」


「それでは、さようなら」


 ドロマリウスが横一閃した刃の鞭が、天上を見上げて脱力したままのバレステッドの長く伸ばされた首へ――












「ん…………」


 自らの振り放った刃が止められた事に、ドロマリウスは驚きの声を上げていた。バレステッドの両の手は未だ地に垂れている事に間違いは無い。視線の先にそれが見えている。なのに彼の斬撃は止められていた。

 ドロマリウスはそのユッタリとした視線を少年へと上げていく。


「これは……っ!」


 その時、ずっと平坦でつまらなそうにしていたドロマリウスの瞳がカッと見開いていくのが見えた。


「………………」

「フ……フフフフ! きょうだい達の残骸は? 取り込んだのか? ……げげ、ぃげげげ、なんと禍々しい……こんなに惨たらしい姿が、こんなに残酷な姿が他にあろうか……っ!」


 放たれて来た刃の鞭をギリギリで止めていたのは、

 いや……背を折り曲げ、半身を突き出し、肋骨を外へと飛び出したその正体は。バレステッドの中で覚醒を果たした、72柱が悪魔が為の。そうして右翼からは、形も長さも違う生白い腕が肩先から天空に向かって伸ばされている。

 形容するならばそれは、半身を残された人の残骸がバレステッドの両肩より飛び出して、天より垂れる救済に向かって必死に手を伸ばしているかの様でもあった。

 突き出した肋骨は外向きに六本、計十二の翼が――いや違う、上空へと歪に伸ばされたその腕を翼と捉えるならばそれは、かつて天界最上位とされた魔王の――神をも凌駕したとされる十二の翼を超えている!


……!! 当たりだ、遂に見つけた!!」


 無様に尻餅をついたドロマリウスは、目前の禍々しきの放つ邪気に狂いそうになりながら笑ってみせた。

 ……彼が言い放った様に耳を澄ませば聞こえて来る――


「……………………ぃ…………ち……」

「……に……………………さ…………」


 バレステッドの両肩に突き出す様に現れた長い人毛……そこにうずもれたの声が――

 正気も定かではない様子で、バレステッドは血の涙を流したままヨレヨレと立ち上がり始めた。

 そうして焦点の定まらぬ目で、少年は取り憑かれた様に喋り続ける。


「魔王が人間を赦したのは間違っていた勇者の叶えた共生などというのは上辺だけのものでしかなかった彼は目指すべきだった人を殺し尽くした僕たちだけの楽園をそうすればこんなに悲しい思いをする必要は無かった」


 不気味そうにしたドロマリウスは肌に鳥肌を立てながら、目前に覚醒した顕現けんげんに嬉しそうに肩を上げる。


「この震え……これはまるで魔王を目前にしたあの時と……いいやまさか、それよりっ!」


 変異したその骨格をギギギと鳴らしながら、ぎこちない動作でバレステッドはドロマリウスと相対して

 そうして少年が語った内容は、もうまるでドロマリウスの言葉など聞こえていないかの様な有様で、その言葉を言い終える頃には、刻み込んだかの様なその笑みを消し去って、恐ろしい位の真顔になっていた。




「ごめんみんな……おかしくもないのに、ずっと笑っていて、ごめん」




 ――未だかつて見せた事の無い……彼ですらが忘れ果てていた、無表情に……。


「ああだめだ壊れちまってる。もう会話が成り立たない」


 歩み出してきた異形蠢く十四の翼……闇に灯った六つの赤目がドロマリウスを見ていた。本能的に何歩か後退していたドロマリウスは、何が面白かったのか、自嘲する様に笑っていた。


「ぃげげげげ……そいつは?」

「ねぇお母サん、ボールを買ってよ。エレとルフロと遊びタいんだ」


 左翼より突き出したその岩肌の様な片腕を変異させて、バレステッドが手に握り締めたのは、自らの等身を越えるサイズのおぞましい銀のハサミであった。


「まさかアナタァ……」

「公園でみんなで玉蹴りをして遊ぶンだ。町のみんなが入れてって言っても、入れてやらナい。ボク達だけで遊ぶんだ。ねぇいいでしょう? ずっと我慢してきたんだ、今度はボク達が遊ぶ番でしょウ?」


 まるで喉の奥にタンが絡まっているかの様なゴボゴボとした声をして、バレステッドは訳の分からない言語をドロマリウスへと返していた。

 しかし苛烈な目は彼を、ドロマリウスを確かに見ている――

 そうして今度は右翼の白く脱力された少女の細腕より、同じくして等身程の回転する円盤状のノコギリを引き出された時、ドロマリウスは確信する……


「『心の傷トラウマを具現化する力』ぃげげ、げげげげげ……そうですか、ソウデス、カ……なんとそれは難儀な……壮絶な!!」


 愉悦に顔を歪ませたドロマリウスは、身を竦まされるだけの殺気に押し潰れそうになりながら、何がそんなに可笑しいのか腹を抱えて笑い転げた。


「ひゲゲゲゲ、ぁぎゃぎゃぎゃぎゃッ!! ツラく凄絶な経験を繰り返す程に、それがアナタの力になる……年端の行かぬ少年に背負わせるには余りに酷なごう……ぃぃや“呪い”ぃ……のろいノロイ呪イッ!! あぁ不憫だ、あぁまりに可哀想だッ! ぃぎゃぎゃ、アナタはまるで神に、世界に呪われているかの様だッ――ッ!!」


 回転を始めたおぞましい金属音にまみれながら、ドロマリウスは全開で魔力を練り上げ、最後の抵抗を試みる。


「ボクらが幸せに生きていられる世界を創ろウ、ダレも、一人もユルサナイ――」

「ァァァ悔やまれるのは、アナタがこれからどうセカイを蹂躙じゅうりんし、歪ませて行くのか、それが俺には見られない事だあ」



 ……端から狂ったこんな世界など、思うがままに壊してしまうがいい。

 ソロモン王に付き従えし魔の者――

 序列一位にして哀しみの権化


 ……“バエル”よ。



   *


「可愛い子猫があくびして

 カエルがピョコンと跳ねました♪」


 翌朝の朝日を迎えるその頃、一人呑気に歌う少年の声が、静まり返った町の中に響き続けていた。


「蜘蛛の王様やって来て、二匹を肩に乗せました……♪」


 少年が嬉しそうに蹴り回しているのは、ドロマリウスの首だった。無邪気に公園を駆けながらボールを蹴り、赤い道筋を残して走っていくと、最後には固い壁にボールをブツケて破裂させた。


「みんな一緒で……いつも一緒に……♪」


 楽しそうに歌いながら、バレステッドは血に濡れた石畳を歩き続けた。人の腸を引っ張り出して縄跳びをしたり、目玉をお手玉にしたり、臓物を人の家の壁に投げ付けてみたりして、ケタケタと笑った。特に棒に串刺しにした子供達に向かって千切った首をブツケて形を無くしていく遊びは最高だった。


 ――その町に残された全ての生命は、バレステッドの手によって惨殺されていた。


「ララ……ララ、ラ…………♪」


 少年は一人も残さなかった。少年は一人も赦さなかった。町から逃げ出そうとする全ての者を包囲し、いたぶって殺した。

 人間も……ロチアートも……。


 バケツに詰めた人肉の中に腕を突っ込み、まだ汚れていない床に血で絵を描き始める。


「うんうん、上手に書けてるねぇ……やっぱりスゴいや……」


 まるで他人事の様にそう言いながら、バレステッドは途中、糸が切れた様にゴチンと床に額を打ち付けた。四つん這いの姿勢で絵を書いたまま、そこに出来た血溜まりを見下ろして唐突に……


「う……っ……うっ、ぅぅうう……」


 泣き始めたバレステッドは、今度は勢い良く上体を起こして両の肩から突き出した翼を鷲掴んだ。その表情にはもう、激怒の色しかない。


「こんなに醜い翼がキミたちの訳がない……こんなに、こんなに惨めな姿がキミたちの……っ」


 落涙したバレステッドは、側に落ちていた銀の長剣を手に取って、その勢いのまま自らの首へと刺し込もうとした。


 思えばそれは、僅かな一瞬だけ正気を取り戻したバレステッドにとっての救済だったのかもしれない。

 正気でいられる刹那の内に、全ての物語に結末をつけてしまおうとした、そんな……


 しかし――――


「なんで……」


 熱き涙を頬に伝わせるバレステッドの意志を越えて、両翼のが、その手で刃を止めていた。


「死なせてよ……ボクも一緒に、みんなと一緒にっ!」


 両翼の手は決して刃を離そうとはしなかった。その手に刃が食い込んで血が滲んでも、自死しようとするバレステッドの手を止め続けた。


「……にぃ……ちゃ…………ん」

「にぃ…………さ」


 両脇に縋り付く様に囁いて来るその声はまるで、この最悪な世界に生きる意味を見い出せと、そう言っているかの様に思えた。


「ボクにこの世界を生きろって……そう言うのか……」


 刃を手放し、快晴の空を見上げたバレステッドは、血にベッタリと濡れた顔で……少しだけ笑う。


「ヒドいなぁ……みんな、えへへ」


 その一瞬、かつての様に泣きながら微笑んでいたバレステッドだが、彼はすぐに狂気に呑まれてその笑みを消していった。

 しかし三人分の精神強度を持ち合わせてしまった彼には、狂い切る事もまた出来なかった。


 そうしてすぐに彼は、自分がどうして泣いていたのかさえ忘れてしまった。

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【被虐の翼】~「僕達は夢を見ることさえ許されないの?」日陰で暮らし続けて来たクモリス家は“悪魔”の容疑で異端審問にかけられる~ 渦目のらりく @riku0924

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