All Along The Watch Tower
アニー・コルトが取調室から出るとDがアニーのファー付きの外套をもって暗い通路の立っているのが見えた。黙って差し出されたコートを受け取り肩に掛けた。
「―――心配せずとも嘘ばかりさ。打ち合わせ通りだよ」
「そんな心配なんてしないさ」
「じゃあお偉い方がなんであんなところで待機していたんだい。悪いけどあんたみたいに真っ白じゃ、幽霊みたいに見えて不気味ったらないよ」
アニーは毒づきながら通路を足早に歩く。足音でDが後に続くのが聞えた。
「『伝説のスパイマスター』に仕立て上げて過去の情報漏洩の罪も全てティム・ライムのせいにするとは、今度政界に進出するエルフ様は頭が回ることだね」
アニーはあからさまな軽蔑を込めて言ったが、Dは悪びれもせずに「伊達に君たちの何倍も長生きしていないのさ」と答えた。
「君だって準軍事組織は引退して正式に軍入りじゃないか。それも特別扱いで」
「いや予備役さ。というよりあんたがそう手を回したんじゃないか」
「君だって悪くないと思ったから応じたんだろ。君は新たな内務組織の正式な軍事組織の長になるのだから破格の昇格さ」
厭らしいエルフの白面を見ないように、アニーは顔を背けた。
どうもこのエルフの手の上で踊っているようで面白くなかった。
「新庁舎に行くのかい?」
「あぁそうだね。正体の知れない組織長が着任しているっていうし」
「宜しく伝えてくれよ。また挨拶に行く」
「嫌がると思うけどね。まぁ―――また」
振り返ると、小柄なエルフの背中が去って行くのが見えた
仕事はできるんだろうさ。ただ油断が出来ないとアニーは思った。Dに裏切られる日があるとすればそれに備えなくてはならない。私の分も。そして彼の分も。
馬で新しい赴任先にたどり着く。
塔が三つ束ねられたような奇妙な建物だった。聞くところによると《魔術師の塔》が特別な配慮で貸与したものらしい。魔術的な防諜の仕組みが張り巡らされているとか。
アニー・コルトはいまいち信頼のおけない仕組みだと思っていた。今度エリス・ヘイドンあたりに聞いてみるべきかもしれない。
エントランスをくぐると元々準軍事組織で働いていたメンバーの顔が散見した。双子の姉妹と顔が合うと目礼を送って来る。背中に馴染みの視線を感じたので、ダグが背後を付いてくるのが分かった。
塔を上がり切った一隅の部屋をノックする。
「―――どうぞ」という声が聞えた。
ノブを回して部屋に入る。
部屋の中は書類が散乱していた。そして引っ越してしばらくたつのに、まだ荷ほどきもできていない箱があちらこちらで積みあがっている。
「―――さて、どうアンタを呼ぶべきなのかね」
「どうとでも呼べばいいじゃないか」
書類の奥から、数週間前まではティム・ライムと呼ばれていた男の困り顔が見えた。書類を片手に眺めながら眉間に深い皺を寄せている。
「ティム・ライムは死んだからね。アンタはそうじゃない。偽名のジョージってのもいまいちだしね。DにならってLとでも呼ぶかね」
そう言いながらアニーは机の前のソファに腰を掛けて、目の前のユニークな男を見た。相当にひどい目に合っているのに、それをそう感じさせない。
Lと呼ばれた男は漸く書類を投げ出して、アニーの顔を見て「どうでもいいよ。もう戸籍も無いんだから。ひどいザマさ」と答えた。
「アタシが不思議なのは、何でアンタがここまで応じたのかってことださ。何故だい? 給料がいいって言ってもアンタはもう普通の生活なんてできやしないんだ。なんて言ったって死んだ人間なんだし、名前だってない」
アニーは目に憐れみが浮かぶのを何とか堪えようとした。無実の罪でとらえられた男はついには《名前のない男》に成り下がってしまった。
しかし、当の本人は気にもしないように答える。
「君と一緒だよ。結局我々のようなモノは必要だからさ。誰かの小さな生活だったり幸せを守るためにはさ。見張りの塔が必要で、誰かが何が起きているか見張らないといけないんだよ」
「じゃあアンタは塔の番人ってわけだ」
「―――名前もないけどね」
アニーは部屋の隅にある酒のボトルに手を伸ばして、二つのグラスに酒を注いで、片方を男に渡した。
「―――番人に乾杯だよ」
「やれやれだよ」
男は弱弱しく微笑みを浮かべて、それでも酒に口を付けた。
アニー・コルトはその微笑みがその男の心底から出たものだと気が付いて、漸く安心できたように思った。
酒を口に含む。
火のような酒の味が舌にゆっくりと広がって豊かな香りが立ち昇って行くのを感じて、あぁようやく一つ仕事が終わったようだと思う事が出来た。
窓の外に広がる曇天からちらほらと小さな雪が舞い始めた。
明日の朝のマルメも凍えるほどに冷え込むに違いない。
了
【異世界スパイ物語】外套と短剣と魔法使い 大塚 慶 @kei_ootsuka
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