第56話

 ―――却説さて


 そうDは言った。

「始末をつけようと思う。まずはお礼を言わなければならないね。情報の受け渡し場所で起きた事件をベゼリング帝国側は敏感に受け止めた様だよ。テムゼンの反乱組織である《結束の斧》をサポートしていた組織があったんだが、パストン側の軍事的な動きが不明瞭になったことを受けて自国に撤退していったそうだ。それと前後してテムゼン側の自衛組織が反撃をして、《結束の斧》のリーダーを捕捉したという連絡があった」



「随分素早いですね」

「あぁ、結局あの組織を支援していたベゼリング側の組織もパストンが本腰を入れたら引こうと思っていたんじゃないのかな。その引き際のサインはパストンから出ているマリー嬢の情報網が頼りだったのではないかと思う。その情報が取れなくなったため、安全が確保できなくなったことを受けて、テムゼン侵攻自体も手控えになったという構図だ」



「砲撃自体はまだ続いているんでしょうか」

「そうだね。それはさすがに。ただし射程距離も分かって来たので、いったん射程外で建て直せば反撃自体は難しい事じゃないさ。ただ、その動き自体が相手に漏れているんじゃ、そもそも勝負にもならない。だから今回の事は、みんなが思うよりはるかに大きな成果だったのさ。君の貢献だったと言っても良い。―――あぁ君ね。もうちょっとそこの大岩の脇辺りに寄ってくれる?」



 Dはそう言いながら崖の脇の大岩にティムを招いた。転んでよろめいたら崖から落ちそうだった。

「じゃあ、俺も名誉回復という事で良いですかね」

 ティム・ライムは青い空に眼を見やりながら言った。

 しかし、Dは悲しそうに首を振って「いや、君は結局売国奴のままなのさ」と言った。




 空がどこまでも高いなぁとティム・ライムは思った。パストンでは珍しい青空で蒼穹という言葉にふさわしい。


「皇族と言っただろう。そんなお方が売国の徒であってはいけないのさ。だからティム・ライムはベゼリングへの逃亡を図り、マルメ市外を遠く離れたところで準軍事組織長に逮捕されそうになる。そして君は抵抗をした結果反撃を受けて、ここで死ぬことになる」



 振り返るとアニー・コルトが右拳に《鎚》と呼びならわし始めたブラス・ナックルを嵌めて、少しだけ申し訳なさそうにティム・ライムを見ていた。

「……アニー」

「悪いね。―――これも仕事さ」



 ブラス・ナックルがゆっくりと輝き始めると同時に、アニー・コルトの美しい翡翠の瞳にも光が宿るのが分かった。

 仕事。そうか仕事か。

 ティム・ライムは少し微笑みながら無理やりアニーから目を離した。優美な力の塊はとても美しく見えて目線を外すのが難しかった。



 自分は世界を救ったのだろうか。正直そんなことは欠片もなかった。しかし、個人に救える世界なんてあり得るのだろうか。そもそも世界とはなんだ。



 面倒になったティムはそのまま目を閉じた。見詰められたままではやり難いだろうと思ったからだ。瞼の裏には青い空と美しい女の翡翠の瞳が焼き付いている。


 そこにはもう黒い穴の陰はなく、ティム・ライムは漸くすこし安心することが出来た。

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