第55話
「驚くべきことに皇族の遠戚のお一人という事らしいよ」 とDは言った。
「―――へぇ」
「戸籍にあるマリー・べゼリアも偽名だね。黙秘を続けているので定かではないが書類に改竄の跡を見つけた。本名はマリー・ド・ル・パストニエラ。この間の例のヒデガル男爵に近い一族の出身で数年前にご実家から姿を消している。近隣の国を含めて内々に捜索されていたって話だけど。まさかパストン首都マルメの官公庁街で勤めていたとは誰も思わなかったんだろうね」
スパイ行為で自称マリー・べゼリアが捉えられてから三日ほど経ったある日、ティム・ライムはDとアニー・コルトに連れられて再び郊外に向かった。
目的地は聞いていない。
黒塗りの馬車に乗り込み街路を走っているうちに、ティム・ライムはこの道は戦火の中にあるテムゼンに向かう道だと気が付いた。
「どのあたりで、アンタ。自分の大好きな先輩が犯人じゃないかと気が付いたのさ」
ボックス席の向かいに座るアニー・コルトが車窓を流れる景色から目を離さずに、ティムに言った。ゆったりとした大振りの外套の襟もとには毛皮のファーが付いていて薄着の彼女も暖かそうにしている。
―――そうだね、と応えようとしてティム・ライムは、アニーの視線を追うようにして窓の外を見た。街道は岩が所々雪に覆われた荒涼とした郊外に差し掛かっていた。
さて果たして自分は、いつマリー先輩がおそらくはスパイなのだろうと思い至ったのか思い出そうとしたが、驚くべきことにそれは判然としなかった。意外と白竜の巣に向かう道すがらかもしれない。
都市に向かう行商をみて、社会には様々な人が様々な役目をして携わっているとは思った。一通の手紙を届けるにしても、発信者の手を離れた後で実に多様な人が支えているシステムに支えられて手紙は宛先に届く。
「まぁ結局スパイがいるのだったら郵政省が最も効率的だとは思っていました。Dもそう思ったからまず俺を確保したのだと思いますし」
Dはそう言われて軽く頷いた。
「あるとすれば、君、あるいはダンジー氏だと思ったね」
「兵器省は可能性が薄いというのは分かっていたんです。彼らの本質は工廠なので実際はこう言った行為に興味を持つ人は少ないんだろうなと思っていました。あとは《塔》という組織体の事をあまりに知らなかったので、そっちの方が遥かに自信がありませんでした。《塔》が率先してパストンを裏切っているのだとしたら、これはもうそもそも論ですよね。防ぎようがない。ただ、今回の塔の主への面談を通して、それはないとはっきりしました、Dは概要しか聞いていないと思いますけど、《塔》が裏切っているのだったらそもそもこんな規模感で済むわけがない」
「兵器省でもなければ、《塔》でもない。ならば中間業者の郵政省が怪しいと」
「エリスの《檻》の中に居るゴブリンから聴取した結果、パストンの中には3カ所定期的に情報を得ることのできる場所が設定されていたことを聞き取りました」
Dが頷いて「君の能力とエリス君の力のおかげだね。しかし、どのような言葉でも聞き取れるというのはどういう気持ちなのかね」と言った。
「実のところ僕はコントロールしていないですよ。自然に喋っているだけです。今まで僕はパストンのマルメから出たことが無かったから意識したことなかったですけどね」
ティムは少し過去を振り返りながら答えた。
「―――それで?」とアニーが話を戻した。
「いや、あとは特別な兵器だという偽手紙を乱発してその場所を張り込んだだけ。車椅子の受け渡し人はどう見ても怪しかったので、事前に拘束して試しにすり替わってみたっていう事だね」
「いや、そうじゃないんだよ。アンタ、あの先輩の生活圏にある受け渡しのポイント、つまりは『車椅子の浮浪者』役を自分で担当するって言ったじゃないか。という事はアンタは最初から怪しんでいたんじゃないのかい」
「いやどうかな偶然だよ。偶然」
鋭いなぁ。
ティムはぼんやりと窓の外を眺める赤毛の女を見た。
実際は最初から確信していなかっただろうか。あの日あの手紙を渡してくれたのはアニー先輩だったのだ。彼女ならばあの手紙を読むことが出来たはずで、更には彼女はダンジー・ポロックの結び目の癖などには興味を持てなかっただろう。
「―――さて、着いたようだ」
Dが言って停まった馬車から降りた。アニーがそれに続く。
ティムが降りて見回したところは、岩だらけの荒涼とした街路だった。左側が切れ落ちていて崖になっている。Dが御者に何かを言うと、御者は車を引き返して言った。
晴れてはいるが、青い空からは冷たい風が吹き降ろして来ていた。
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