第54話

 パストン公国内務省郵政局政務部第三課一級連絡官であるバール・ガルソンが、同僚であるマリー・べゼリア三級連絡官と連れ立って市街のホテルから街路に出たのは、まだ夜も明けきらぬ黎明だった。



 マリーが誰かに見られたら恥ずかしいというので、眠たい目を擦りながら暖かいベットを出て、早朝の繁華街の路上に出たという訳だった。

 雪はないが冷え込んだ朝だった。



 街路に人影は少ない。マリーが暖かさを求めるようにガルソンの右腕を抱え込んでその豊満な胸元に抱え込む。豪華な金髪がガルソンの肩の上に渦巻きを巻くようにうねって落ちてた。


 既にもう三日も妻の待つ家に帰っていなかった。まぁどうせまた間男の所なのだろうとガルソンは思った。

 妻の不貞に気が付いたのは一月も前の事だった。自分の知らない小さな小物や覚えのない肩の歯痕にキスマーク。不貞はとにかく、ガストンが一番許せないのはそれを隠そうという努力もしない事だった。



 ―――まぁその代わり良い事もある。

 ガストンは昨夜の事を思い出して脂下がる。処女なのかなと思っていたマリーの性技の巧みさには驚かされるばかりだった。

 きっかけはティム・ライムだった。奴が逮捕されて姿を消してからマリーとガストンの距離は知らずに近くなった。



 可愛がっていた後輩ティム・ライムが、実は薄汚い最も唾棄するべき売国の徒であったのがショックだったのだろう。連れ立って呑み屋に行きどちらともなく誘い合って躰の関係となった。



 ガストンはマリーの首筋に掛かっている金糸のような髪を退けて、昨晩自分が散々吸い立て赤い痕を確認する。マリーの抜けるように白い肌に淫猥に張り付いた痕が激しい交情の後を物語っていた。



 痛々しく赤黒い痕は首元だけではない、大振りの乳房のいたるところ。大きめのふっくらとした乳輪の脇に至るまで続いていることを思いだしてガルソンの股間は、昨晩あれだけ放出したにも関わらずまたふっくらと盛り上がって来た。

 朝日が差し込んできて、駅前の街路を照らし始めた。



「―――ちょっと寄り道いいでしょうか?」

「あぁ。何」

「ちょっと寄付をしたいなって」

 マリーが指さす方を見てみると車椅子に座った小柄な浮浪者の姿があった。

「あぁいいんじゃない」

 ガルソンは答えた。



 マリーの手がガルソンの手の甲をゆっくりと撫でるようにしながら誘うように引いた。黙って付いて行きながら、早く夜にならない物かと思う。今日もどこかのホテルに連れ込みたいと妄想を広げる。



 明るいところで見るマリーの形の良いふっくらとした唇が、昨晩は自らの張り詰めたモノに巻き付いていた姿を思い出す。唇がOの字になりみだらに巧みに動く様にガルソンは驚いたものだった。



 小柄な浮浪者は汚らしいボロ布を幾枚も体に巻き付けて、壊れそうな車椅子に黙って収まっている。頭には毛糸の帽子を被り襟元は厚手の黒い襟巻を撒いているので、容貌はおろか性別も定かではない。



 マリーは車椅子の浮浪者に近付き、上着から封書のようなものを取り出して浮浪者が差し出している銀色の間の中に突っ込んだ。


「―――見つけましたよ。やっぱりそうだったんですね」

 浮浪者が呟くように言って、手品のように素早くマリーの右手に手錠をかけた。

 マリーはそれを不思議なものを見るような目で眺めた。



 浮浪者は車椅子から立ち上がり被っていた帽子を取り、襟巻をずらして顔を露わにする。そこにいたのは、売国奴であるとされ収監中だとされている、ティム・ライムその人だった。



 ―――あら。驚きね。

 マリー・べゼリアは驚いたような顔をする事もなく、微かに首をひねって言った。駅舎からバラバラと警備の街灯を纏った男たちが、赤毛の女に先導されて姿を現したのが見えた。


 気配を感じて振り返ると青い外套を纏った魔術師の一団が、背後でワンドを構えているのが見えた。その脇にいる女がフードを取ると、長い黒髪の毛が宙に舞うように露わになった。


 しかし、ティム・ライムは周囲の動きには無頓着だった。それどころかどちらかと言ったら悲しそうにマリー・べゼリアを見詰めていた。

「―――いつ、分かったのかしら」

 マリーは右手首に掛かった銀色の手錠を左手で撫ぜて小さく言った。



「今、気にするところですか。それ。自分がどういう立場になったか。自分がしたことの結果何が起きたかくらいは理解しているんでしょう?」

「どうという事はないのよ。私。実は興味が無いのよ」



 そう言われたティムは眼光を鋭くして「テムゼンでは人が死んでいるんですよ。誰のせいでもない。あなたが売った魔術のせいで」と強く言い放った。

「ごめんなさいね。でもね。本当に興味が無いの」

 マリーは変わらぬ美しい顔で言い放った。

「ベゼリング帝国に亡命でもできると?」

「それもいいわね。ここよりは楽しみが多い国だものね」



 やって来た赤毛の女がマリーの手錠を掴んで背中に両手を回して拘束した。代わりに白髪のエルフがやって来てティムの背中に手を回して、労うように軽く数回叩いた。

 赤毛の女は一瞬だけティムの事を見て、そしてマリーを馬車に押し込んで去って行った。



 すべてが終わった後で、ガルソンは箝口令を敷かれて幾日も取り調べを受ける日々を送ることになった。その日々の中でガルソンは仕事を辞めることになり、妻とも別れる事となった。



 そんな苦痛に満ちた日々で思い出すのはティム・ライムでもマリーの事でもなかった。折に触れて思い出してガルソン自身が幾許かの慰めを見出したのは、あの一瞬ティム・ライムを見た赤毛の女の眼差しの中に溢れていた深い憐憫だった。

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