三
――半年後。
雪に混じって梅の花弁が舞っている。手を伸ばして触れようとしたが、指の間をすり抜けて消えた。
「
声を掛けられて振り返る。
「ありがとう――熱っ」
彼は屋台で
二人は
「護符売れた?」
洛風の言葉に肩をすくめた。
「大道芸でもやった方が儲かりそうです」
「雪玉観の道士だって言えば?」
「
違いないと、洛風は声高く笑う。
「で、どこ行くんだっけ? この向こう?」
「ええ。久しぶりに墓に行こうと思って」
「墓?」
夜静は頷いた。杖を突きながら歩く夜静の横で、洛風は疑り深く言う。
「また妙な噂のある祠とかじゃないよな。前にそれで祟られかけて大変だっただろ」
「あんな失敗もうしません」
「どうだかな。気になったらなんでもかんでも首突っ込むくせに」
「いいじゃないですか。どうせ君が大体片付けてくれる」
呆れ果てた顔に笑い、夜静は首を振った。
「でも今回は本当に違いますよ。私の友人の墓ですから」
梅園が途切れた先、街道に沿ってぽつぽつと建物が見える。寂れた風景の中、夜静は迷わずに進んだ。ついて行く洛風は徐々に奇妙な表情を浮かべる。
「なあ、この先って……」
整備されていない道から土埃が舞う。目指す先、崩れかけた小さな堂宇が見えた。
寺のようだった。打ち捨てられて柱は傾き、雪の重みに耐えかねて屋根は歪んでいる。
夜静は正面からは入らず裏手に回った。まばらに生えた木々は枯れ、屋根から落ちた瓦の破片が散っている。記憶の中よりずっと荒んでいて、もう十年近く経っているのだと改めて理解した。
洛風は落ち着かないように視線を揺らしていたが、不意に口を開いた。
「あれが墓?」
薄く雪の積もった地の隅、塚が三つ並んでいた。夜静は頷いてそれに近づく。盛土の上から石を積んでいたからか、まだ形は保たれていた。
洛風は夜静の肩越しにそれを覗き込み、問う。
「これが友達なのか?」
「ええ。――私が殺してしまった人たちです」
碧華洞にいて何より後悔しているのは、文清のこと、それにこの人たちを殺してしまったことだった。
「本当はもっときちんと墓を作るつもりだったんです。でも機会を見つけられないうちに外に出られなくなってしまって」
でも、と呟く。
「この人たちはちゃんと安らかに眠れているようなので、安心しました」
祟りを起こしてもおかしくないと思っていたのだが、そんな気配は微塵も無かった。
それが良いことなのかは分からないが、いつまでもこの世に縛られて苦しむよりもましなはずだ。
簡単に供養をして線香を上げる。当時を思い返すうちに、ふと些細なことを思い出した。
「そういえば昔ここで、粥を作ったことがあるんです。厨はまだありますかね」
洛風は途端に噎せた。大丈夫か問うと、洛風は少し青ざめた顔で手を振る。
「気にするな。――なんで、そんなこと」
問い返されて目を瞬く。確かになぜだっただろうと考え、そして思い出した。
「子どもがいたんです、寺に。置き去りにされたみたいで」
その子が、自分の殺した子どもと重なったのだ。
馬鹿みたいだ。違う子どもを助けたところで蘇りはしないし、償いにもならないのに。
「本当に余計なことをしました……」
十年前もそう思って、だから強いて忘れようとしたのだ。幸い――というべきか、次々死んでいく者たちの記憶にすぐに埋もれていった。
洛風は表情を隠すように顔を背け、困ったような声音で言った。
「まあ……いいだろ。どっちにしろ人助けだ」
「助けるというのなら、ちゃんと生きていける道まで用意するべきでしょう」
「――誰にも助けられなかったらそこで死んでたはずなんだから、助けたことに変わりはない」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
なぜか自信ありげに言われ、夜静は苦笑して頷いた。
「君が言うならそうかもしれませんね」
「で、これからどこに行く? 深州も飽きただろ」
少し躊躇い、夜静は言った。
「南慶に行ってみたいなと」
「南慶?」
洛風は一瞬真顔になる。
「私は……景羽のことは理解できないし、したいとも思いませんが、このまま忘れられないのも嫌だから」
半年考えた。ならそろそろ決着をつけてもいいだろうと、そう思う。
洛風はゆっくりと頷いた。
「でも気をつけろよ。やっと少しましになってきたんだろ」
「そう、ですね」
斑に染まった指先を見る。壊疽の広がる速度は徐々に緩やかになり、右半身まではまだ侵されていない。
玉燕の呪符のおかげかもしれないし、洛風が手あたり次第に試す民間療法の中に効いたものがあったのかもしれない。
理由は分からないが、確実に蝕まれている中でも僅かな希望が見えるのは良いことだ。
「とりあえず死ぬ前に一度行ってみたいので」
それ以上洛風は文句を言わず、ただこう言った。
「じゃあ、金稼がないとな。実は路銀がだいぶ無い」
「私の護符はなぜ売れないんでしょうね。効果はちゃんとあるのに……」
「商売は大体誇張して売り込まないと。あと、馬鹿正直にお前は祟られてるから買った方がいいとか言っても喧嘩になるだけだぞ」
「そうだ、南慶に景羽の墓があるはずだから、どう売ればいいのか訊いてみましょうか」
「嫌な予感がするからやめてくれ……」
情けない顔でそう言った洛風を散々笑い、冷えるからと廃寺を後にした。
雪片とも花弁ともつかない白がひらひらと視界を過ぎる。街道には時折同じような旅人や商隊が通って、城壁のそばには張りつくようにたくさんの屋台や店が並んでいた。壁の内側には酒楼や寺観、それに家々が隙間なく立ち並んでいることを知っている。
外に出てずいぶん経ったが、あの賑わいを見るといつも僅かな疎外感と憧れを覚えた。
足を止めた夜静を、洛風は怪訝に振り返る。
「どうした?」
何度か、心の中で繰り返した問いだった。
「君は――どこかに帰る場所が欲しいとは思わないのですか」
旅は楽しい。でもどこにも帰れないことは辛いだろう。洛風はただ巻き込まれただけだ。
洛風は目を見開き、そして微かに笑った。
「ひょっとして申し訳なくなってるのか」
「ええ……まあ」
「どうせなら無茶ばっかりするのを反省して欲しいけどな」
悠々と言って、彼はかぶりを振る。
「それに帰るところが無くても、居場所ならあるだろ」
形は無いけど、と洛風はそう言った。
夜静は驚きで目を見張る。
そしてすとんと、その言葉が胸の奥に落ちた。
「……そうですね」
その声は小さくて、風に紛れて洛風には聞こえなかったようだった。彼は風に攫われて飛んできた梅の花弁を器用に捕まえ、自慢げに笑って夜静を見る。
それにつられて笑みを浮かべ、夜静はもう一度足を踏み出した。
――帰る場所が無くても、もう大丈夫だ。
誰かの隣を並んで歩けるのなら、それで十分だという気がした。
赤釵伝 陽子 @1110
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