芋こ汁食だい
不思議なことに、僕のペットボトルからはいくらでも水が出てきた。
「
ユドノさんは日本酒片手に笑み崩すだけで、決してカラクリを教えてくれなかった。さすがのプロ意識。これも最新の技術を使っているのだろう。
アコヤさんは天女装束をたすき掛けし、某料理漫画のような華麗な包丁さばきを見せた。すごい、と感心すると「
あぁそんなことよりも僕は今、焚き火の煙を全身にまといつつ大汗をかいている。湯の沸きかけた鍋を前にして、二人は常に一触即発状態なのだ。
どうやら山形の『芋煮』は、地域で味付けも中の具も違うらしい。そして、それぞれの地元の味付けに強い誇りを持っているのだ。それは火力の強い火種でもある――。
ユドノさんが作るのは庄内地方の芋煮で、豚肉で味噌味だ。
「
ぐび、と一升瓶を呷りながらユドノさんがのどかに語尾を伸ばした。でも言外の圧がすごい。僕が「美味しそう!」と言えば、アコヤさんが怒る。
「……
「村山地方は醤油なんですね!? 牛肉の炒めた匂いがもう美味しい!」
「
「なるほど、先に肉を炒めて旨味を! なんか、ご飯が食べたくなっちゃうナー」
アコヤさんがサッと手を振ると炒めた牛肉が皿へと着地、瞬く間に鍋が水で満たされた。炎がひとりでに勢いを増す。技術がすごい。
「
「へぇ!」
そんな素敵な〆方が! と、色めき立てば今度はユドノさんがひがみっぽくなる始末。
「
「……
熱ッ! マジの火花が散ってるこれが最新のVR。
もう何度目だろう。「どっちも食べてみたいです!」と、僕は叫ぶ。そうでないと怒りの波動で辺りが強風に見舞われるのだ。鍋がひっくり返ったら困る。
それにしてもカメラはいつ来るんだ。もう撮り高はすごいはずなのに。
「
罵り合うのもきっと壮大な前フリなんだろうと自分に言い聞かせ、僕はへらへらとコウモリ役に徹し続けた。
「
アコヤさんが嬉しそうに木の蓋を持ち上げると、目に鮮やかなネギの緑と強い醤油の匂いが僕の顔中に立ち昇った。
ユドノさんも真っ赤な顔で、自分の鍋をかき混ぜている。こちらは具だくさんの鍋という感じの、いかにも温まりそうな味噌の豊かな匂いをくゆらす。
二人は喜色満面で、プラスチックのどんぶりにそれぞれの芋煮を盛りつけ始めた。「美味しそうです」僕の腹がぐぅとなった。
するとアコヤさんが「
「
「アヅマ……さん? あれ?」
何か大切なことを思い出しかけた。でも腹が減って、芋煮がすごく美味しそうで思考がまとまらない。
「
「神さま?」
なるほど神さまキャラの友だちはやはり神さまキャラ、と理解した瞬間。隣に真っ赤な天狗が立っていた。二メートル近いデカさの。
僕がわっと声を上げると、相手が「ダハハハ!!」と豪快に笑った。
「
バンバンと大きな手で叩かれた背中が痛くて、ひえっと肩を竦めた。アヅマさんはまるで本物の天狗の装束で、顔まで赤い顔料を塗りたくっている。この人もきっとプロだ。
「
「
アコヤさんがそう言えば、ユドノさんもぺこっと頭を下げた。正直、照れくさい。だって僕が持ってきたのはペットボトル一本だけだ。
「僕も……ありがとうございます。みなさんと会えて良かったです。芋煮も美味しそうですし」
ダハハハ!! 再び僕の背中を叩いたアヅマさんが、アコヤさんからどんぶりを受け取った。明るい仲介人が来てくれてよかった、と思った。いつの間にか険悪な雰囲気が消えている。
アヅマさんは醤油からか、なら僕は味噌から食べようかな。
「
なんだって?
「
「
「
「
「ちょ、アヅマさん」
まさか、置賜も味付けが違うのか!
「「
「
ピッシャアァァァン――! 天狗神社に雷が落ちた。僕は怒髪天を衝く三人の間、ごく近くで遅れてきた雷鳴を聞いた。暗雲が立ち込め始める。山の天気は変わりやすいって聞くけど、こんないきなり変わるのか。
でも天候の急変などお構いなし、アヅマさんは厳めしい眼をさらに見開いて「
カッ――! 僕の横面を虹色の光が灼いた。天女が発光していた。てか、こっちも浮いてる!?
「
瞬く間に空へと舞い上がった。まさに光速。虹色の天女が体当たりをかまし、天狗はいとも簡単に吹っ飛ばされた。
「あぁぁアヅマさん!」「
「
「
アコヤさんが胸の前で素早く両手を擦り合わせた。すると掌の中から青い光の弾が出現。まるでカメ〇メ波の如き気を放った光弾がアヅマさんへ放たれた。速い! 虹色の軌道が彼を追う。「危ない!」間一髪で避けたようだ。でもその間に生みだされた弾が次々に彼を襲う。
ドォン、と外れた弾が地面を抉る轟音が響いた。当たったら大怪我だ。震える僕を余所に天女の追撃は止まない。
すると古風な沓が忙しく宙を蹴り、アヅマさんが上空で体勢を整えた。「
すごい。光弾は打ち返されて黒雲を突き抜け、消えた。
その時、僕は閃いた。料理番組じゃない、映画の撮影だったんだ。ちょっとB級の小さい映画館とかで上映するやつ。
そう手を打った刹那、背後の天狗神社の側で爆発が起きた。「わああぁぁ!」僕は恐慌して頭を抱え、恐る恐る振り向いた。穴が空いてる! かまどの大鍋もぐらぐらと揺れていた。
僕は頭を低くして叫んだ。もう頼めるのは彼しかいない。
「ゆ、ユドノさん! 二人を止めてください!」
「
「いくら撮影だからってこれじゃ……酒飲んでんの!?」
見ればユドノさんは、一升瓶をぐびっとやっていた。ゴザに胡座で寛いで。僕が唖然とすると、彼は真っ赤な目尻を下げて「
「止めてくれるんですか」
「
「あ、ありがとうございます!」
ちょっと千鳥足だけど、そこはご愛嬌。またしても響いた轟音にも動じない姿が頼もしい。これでみんな仲良く芋煮を……。
「
「え?」
ずももももももも――――!
ユドノさんの背が、いや体全体が巨大化し始めた。二メートル、三メートル……そして雲を突く程に。頭を掠める稲光がそのシルエットをさらに巨大にする。
ズシン! 地面が激しく揺れた、ユドノさんが歩いたのだ。僕はへたり込んだ。
な ん だ こ れ。
ぶおん、と古代巨人ユドノさんの張り手が繰り出された。天狗のアヅマさんは予期せぬ突風に羽を持って行かれたか、カ〇ハメ波百本ノックを離脱。あっけなく宙吊り状態で飛ばされた。
「終わった……?」まだだった。天女のアコヤさんも同じく突風に体勢を崩し、その瞬間に彼女が放った光弾の軌道が逸れた。ドォン!! 古代巨人の鼻先に見事なクリーンヒット。顔はますます真っ赤、千鳥足の地団駄は山を破壊した。
雷鳴が止まない。
「でってまぐまぐでゅうの!」
古代巨人が何か詠唱した。すると彼の胸の前に朱塗りの大鳥居が現われた。鳥居の真ん中――神道から眩い聖なる光が生じ、まるで竜のように空へ飛翔した。
「ごしゃげだぜんぶぶずぐす!」
天女の怒号と共には、緑豊かな大木が枝葉を伸ばし、その一枚一枚が虹色を迸らせた。同時、彼女が上に掲げた小さな掌には元〇玉、いや大きな光弾が出現。さらに膨らんでいく。
「てしょずらすい!!」迎え撃つ天狗は、どこからか大きな羽団扇を出現させ、構えた。ひどい強風が渦巻き始める。
ぽつ、と鼻の頭を雨が打った。
あぁ雨だ、もうダメだ。なんでこんなことに、みんなで芋煮会をしてたんじゃなかったのか。
僕は力が抜けて、その場に倒れた。
耳が変だった、周囲の音が遠い。いやアプリのおかげか三人の声だけは聞こえた。でも何を言ってるかは分からなかった。
二つの芋煮の鍋がゆっくり傾いていく。僕も砕けた地面と共に落ちていく。全部、崩れていく。
力を振り絞って空を仰いだ。稲光に天狗神社のシルエット――。
「神さま……」
僕は心から願った。
芋煮が食べたい。
もう醤油だって味噌だって牛肉だって豚だって、どっちだっていい。僕に、芋煮を食べるチャンスをください!
霞む空で、アヅマさんが羽団扇を大きく振りかぶった。
「あがめぇしょっぱいぴぃ――!」
◇
「まぁったく! 朝飯ろくに食わなかったって?」
「すみません」
僕は湧水を汲んだ場所で気を失っていたらしい。目を覚ました時には病室だった。
付き添ってくれたサークルの先輩から「ちゃんと管理しろよ」と、こっぴどく叱られた。
夢、だったのか。
すぐ黙り込んだ僕がしょげたように見えたのか、先輩がため息を吐いた。
「まぁ、『吾妻山、吾妻山』ってうなされるくらいだからな。いい薬になっただろ」
「アヅマ、山?」
僕は「あ!」と叫んだ。
そうか、山の名前だったんだ。
吾妻山に湯殿山、アコヤ婆は千歳山から来たって言っていた。
「ほら、医師がもうホテルに帰っていいってよ。おれも腹減ったわ。ホテルの夕食で米沢牛だっけ? 食いてぇなぁ」
「……はい」と答えながら、アコヤさんの使った肉は米沢牛だったのかな、と思った。
外はひと雨降ったような気配で、薄い雲が淡い夕暮れの空を漂っていた。
タクシーに揺られながら、アコヤさんの笑顔や、ユドノさんのダミ声を思い出した。もちろんアヅマさんの笑い声、いぶした薪の匂いと食べられなかった芋煮の匂いも。芋煮が食べたいと願った記憶はまだ鮮明で、今、目の前に高級すき焼きを出されたって惹かれない気がした。
ぐぅと腹が鳴って、先輩が苦笑した。
「その調子なら、明日は遊歩道くらいなら歩けるか。山自体もそんなに険しくないらしいし」
「明日……どこでしたっけ」
確か北の地方だった気が。
「
村山、庄内、置賜そして最上。そうだ山形は四つの地方に分かれていて、そして……。
そこまで考えて、ドキリとした。僕はどの山がどこの地方にあるかなんて知らない。ましてや芋煮の味の違いなんて知るわけがない。それなのに、あんな夢に見るだろうか。いや、むしろあの夢の内容は本当なのか……?
僕はスマホをタップした。すぐに検索結果が出る。
千歳山には阿古耶姫の伝説が、湯殿山を含む出羽三山は飛鳥時代まで遡る山岳信仰があった。それに吾妻山は福島県に跨がる連峰で、天狗出現の言い伝えがあったらしい。
「夢、だったのか?」
いや落ち着け、僕。
今度は『山形 芋煮 地方』を検索。一番上のサイトをタップしてカラフルな地図を目にした途端――不意に夕陽が強く照った。
『
どこからかダミ声が響いた。ハッとして窓の外を見た。すがめた先、吾妻山の山並みが夕空に黒く迫る。
『
間違いない、この声は。僕は窓に手をついてユドノさんの姿を探すと、今度はアコヤさんの声がした。
『
「明日はオキナさん!?」思わず叫んだ僕に、先輩が「え、お前登ったことあるの?」と呑気に言った。返事をする間もなく、
『
知らないお年寄りの声まで聞こえる! それにアヅマさんの笑い声も!
『
「ちょ、待」
『
「アコヤ姫の一途伝説どこいったの?」
『
「あんたまだ酒飲んでんの!」
「……おい、大丈夫か太郎。やっぱり具合が悪いのか?」
「まぐまぐでゅぅ」「は?」「さすけねぇ」「……マジで大丈夫か?」
ガラス越しの赤く染まった空を、やけに大きなカラスが飛んでいくのが見えた。恐ろしい程きれいな夕焼けだ、明日はきっと快晴だろう。
僕はごくりと唾を飲みこんだ。
『
(了)
大乱闘 ~芋煮戦線、本日快晴~ micco @micco-s
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます