芋こ汁食だい

 不思議なことに、僕のペットボトルからはいくらでも水が出てきた。


ンだべそうだおいの神通力だのぉ俺の神通力だ


 ユドノさんは日本酒片手に笑み崩すだけで、決してカラクリを教えてくれなかった。さすがのプロ意識。これも最新の技術を使っているのだろう。


 アコヤさんは天女装束をたすき掛けし、某料理漫画のような華麗な包丁さばきを見せた。すごい、と感心すると「じょさねよ簡単よ」とウインク。かわいい。しかも切った側から食材がボウルへとダイブしていく。もしかして装着機器なしのVR技術か。でも周囲にそれらしい機械はない、どうなってるんだ。


 あぁそんなことよりも僕は今、焚き火の煙を全身にまといつつ大汗をかいている。湯の沸きかけた鍋を前にして、二人は常に一触即発状態なのだ。

 どうやら山形の『芋煮』は、地域で味付けも中の具も違うらしい。そして、それぞれの地元の味付けに強い誇りを持っているのだ。それは火力の強い火種でもある――。


 ユドノさんが作るのは庄内地方の芋煮で、豚肉で味噌味だ。


白菜どネギどこんにゃぐ白菜とネギとこんにゃくしめじど厚揚げばも入れんのよしめじと厚揚げも入れるんだ~」


 ぐび、と一升瓶を呷りながらユドノさんがのどかに語尾を伸ばした。でも言外の圧がすごい。僕が「美味しそう!」と言えば、アコヤさんが怒る。


「……太郎おメ太郎あんたあがすけだがりすんなヨ調子に乗んなよ?」ドスが効いてるぜ。「や、やだなぁ!」僕は振り返る。


「村山地方は醤油なんですね!? 牛肉の炒めた匂いがもう美味しい!」

ンだべぇそうでしょ? まんず醤油でべご肉ば炒めでがらすっどまず醤油で牛肉を炒めてからするとんまみがでんだ旨味がでるのよ芋どこんにゃくどネギ芋とこんにゃくとネギほしてきのこそれにきのこ醤油ど酒ど砂糖で味ばつけっからナ醤油と酒と砂糖で味をつけるのよ

「なるほど、先に肉を炒めて旨味を! なんか、ご飯が食べたくなっちゃうナー」


 アコヤさんがサッと手を振ると炒めた牛肉が皿へと着地、瞬く間に鍋が水で満たされた。炎がひとりでに勢いを増す。技術がすごい。


芋ばすこだまくたら芋をたくさん食べたらカレーうどんさすっからナカレーうどんにするからね

「へぇ!」


 そんな素敵な〆方が! と、色めき立てば今度はユドノさんがひがみっぽくなる始末。


さまじの考えられないんだなやだぁことそんなのは認めん

「……太郎がどっつも食だいっていわねば太郎がどっちも食べたいって言わなかったらおれだって味噌なやんだんだず私だって味噌味なんてイヤよ


 熱ッ! マジの火花が散ってるこれが最新のVR。


 もう何度目だろう。「どっちも食べてみたいです!」と、僕は叫ぶ。そうでないと怒りの波動で辺りが強風に見舞われるのだ。鍋がひっくり返ったら困る。

 それにしてもカメラはいつ来るんだ。もう撮り高はすごいはずなのに。


ちけだな豚汁だべそんなの豚汁よ」「そだなあんめぇな煮物だろそんなの甘い煮物だ

 罵り合うのもきっと壮大な前フリなんだろうと自分に言い聞かせ、僕はへらへらとコウモリ役に徹し続けた。





いがんべいいみたい


 アコヤさんが嬉しそうに木の蓋を持ち上げると、目に鮮やかなネギの緑と強い醤油の匂いが僕の顔中に立ち昇った。

 ユドノさんも真っ赤な顔で、自分の鍋をかき混ぜている。こちらは具だくさんの鍋という感じの、いかにも温まりそうな味噌の豊かな匂いをくゆらす。

 二人は喜色満面で、プラスチックのどんぶりにそれぞれの芋煮を盛りつけ始めた。「美味しそうです」僕の腹がぐぅとなった。

 するとアコヤさんが「ちぇっと待てろナちょっと待っててね」と笑った。


吾妻さんさもアヅマさんにもけらんなねがらナあげないとね

「アヅマ……さん? あれ?」


 何か大切なことを思い出しかけた。でも腹が減って、芋煮がすごく美味しそうで思考がまとまらない。


ンだそうだこごの神さんだがらのここの神さまだからなおぉ~いおぉーいアヅマさんや~アヅマさん!」

「神さま?」


 なるほど神さまキャラの友だちはやはり神さまキャラ、と理解した瞬間。隣に真っ赤な天狗が立っていた。二メートル近いデカさの。

 僕がわっと声を上げると、相手が「ダハハハ!!」と豪快に笑った。


おめが水ば汲んでけだんだナ君が水を汲んでくれたんだなおしょうしなありがとう!」


 バンバンと大きな手で叩かれた背中が痛くて、ひえっと肩を竦めた。アヅマさんはまるで本物の天狗の装束で、顔まで赤い顔料を塗りたくっている。この人もきっとプロだ。


ンだっけナれそうだった太郎はめごこだっけナァ太郎はおりこうだったねぇありがどさまナェありがとうね

おいが呼ばったのさおれが呼んだのにぶじょほだっけの失礼なことしたなほんといもっけだのぉ~本当にありがとな


 アコヤさんがそう言えば、ユドノさんもぺこっと頭を下げた。正直、照れくさい。だって僕が持ってきたのはペットボトル一本だけだ。


「僕も……ありがとうございます。みなさんと会えて良かったです。芋煮も美味しそうですし」


 ダハハハ!! 再び僕の背中を叩いたアヅマさんが、アコヤさんからどんぶりを受け取った。明るい仲介人が来てくれてよかった、と思った。いつの間にか険悪な雰囲気が消えている。

 アヅマさんは醤油からか、なら僕は味噌から食べようかな。


どれさてわは醤油味ンねどナわしは醤油味でないと……? アコヤ婆よぉアコヤ婆なしてこんにゃくが糸こんでねぇナやどうしてこんにゃくが糸こんじゃないんだ?」


 なんだって?


あ゛あ゛?…………こんにゃくはこんにゃくはちぎるに決まってべナちぎるに決まってるでしょ

それに大根もねぇべしそれに大根も入ってないしこだな具少なくて芋こ汁なンねなぁこんなに具が少ないのは芋煮じゃない!!」

アヅマさんアヅマさんおいの芋こ汁ばをけ~俺の芋煮を食えよ

味噌だべ味噌味だな? おらやんだわしイヤだ

「ちょ、アヅマさん」


 まさか、置賜も味付けが違うのか!


「「け!食え」」

かね!!食わない


 ピッシャアァァァン――! 天狗神社に雷が落ちた。僕は怒髪天を衝く三人の間、ごく近くで遅れてきた雷鳴を聞いた。暗雲が立ち込め始める。山の天気は変わりやすいって聞くけど、こんないきなり変わるのか。

 でも天候の急変などお構いなし、アヅマさんは厳めしい眼をさらに見開いて「糸こんだべ糸こんだろ!!」と尚ものたまった。「わはかねわしは食わん!」同時に背中の羽を激しく羽ばたかせ、飛んだ。飛んだ!? 僕が自分の目を疑い、あんぐりと口を開けた時。

 カッ――! 僕の横面を虹色の光が灼いた。天女が発光していた。てか、こっちも浮いてる!?


こんにゃくはこんにゃくはちぎったやづだずぁちぎったやつだってば……やじゃがねしゃではくらつけねどナアァァ言うことを聞かない年下は懲らしめないとねえぇぇ!」


 瞬く間に空へと舞い上がった。まさに光速。虹色の天女が体当たりをかまし、天狗はいとも簡単に吹っ飛ばされた。

「あぁぁアヅマさん!」「かまわね大丈夫だ」ユドノさんの言葉通り、アヅマさんは回転しながらスピードを緩め、遠くアコヤさんに向き直った。


こンのアコヤばんつぁがこのアコヤ婆が! 明日こわくて寝でらんなねたて明日疲れて寝てなきゃならなくたってしゃねぞ知らねぇぞ!!」

やがましぇうるさい!」


 アコヤさんが胸の前で素早く両手を擦り合わせた。すると掌の中から青い光の弾が出現。まるでカメ〇メ波の如き気を放った光弾がアヅマさんへ放たれた。速い! 虹色の軌道が彼を追う。「危ない!」間一髪で避けたようだ。でもその間に生みだされた弾が次々に彼を襲う。

 ドォン、と外れた弾が地面を抉る轟音が響いた。当たったら大怪我だ。震える僕を余所に天女の追撃は止まない。


 すると古風な沓が忙しく宙を蹴り、アヅマさんが上空で体勢を整えた。「こつげなぁこんなもん!!」苛立ったように、懐から何か取り出す。扇だ。その間にも迫るカ〇ハメ波。アヅマさんは扇を構え――はじき返した!

 すごい。光弾は打ち返されて黒雲を突き抜け、消えた。


 その時、僕は閃いた。料理番組じゃない、映画の撮影だったんだ。ちょっとB級の小さい映画館とかで上映するやつ。

 そう手を打った刹那、背後の天狗神社の側で爆発が起きた。「わああぁぁ!」僕は恐慌して頭を抱え、恐る恐る振り向いた。穴が空いてる! かまどの大鍋もぐらぐらと揺れていた。

 僕は頭を低くして叫んだ。もう頼めるのは彼しかいない。


「ゆ、ユドノさん! 二人を止めてください!」

ンだのぅ~そうだな

「いくら撮影だからってこれじゃ……酒飲んでんの!?」


 見ればユドノさんは、一升瓶をぐびっとやっていた。ゴザに胡座で寛いで。僕が唖然とすると、彼は真っ赤な目尻を下げて「せばそれじゃ」と、立ち上がった。


「止めてくれるんですか」

アコヤばんつぁはしんけたがりアコヤ婆は癇癪持ちアヅマさんはきかねさげのアヅマさんは気が強いからな仕方ねの仕方ないなつっこし待でのぅ~少し待ってろよ

「あ、ありがとうございます!」


 ちょっと千鳥足だけど、そこはご愛嬌。またしても響いた轟音にも動じない姿が頼もしい。これでみんな仲良く芋煮を……。


アヅマさんかもんなさアヅマさん相手ではばんつぁだげでは足りねもな婆では足りないからな

「え?」


 ずももももももも――――! 

 ユドノさんの背が、いや体全体が巨大化し始めた。二メートル、三メートル……そして雲を突く程に。頭を掠める稲光がそのシルエットをさらに巨大にする。

 ズシン! 地面が激しく揺れた、ユドノさんが歩いたのだ。僕はへたり込んだ。


 な ん だ こ れ。


 ぶおん、と古代巨人ユドノさんの張り手が繰り出された。天狗のアヅマさんは予期せぬ突風に羽を持って行かれたか、カ〇ハメ波百本ノックを離脱。あっけなく宙吊り状態で飛ばされた。

「終わった……?」まだだった。天女のアコヤさんも同じく突風に体勢を崩し、その瞬間に彼女が放った光弾の軌道が逸れた。ドォン!! 古代巨人の鼻先に見事なクリーンヒット。顔はますます真っ赤、千鳥足の地団駄は山を破壊した。


 雷鳴が止まない。


「でってまぐまぐでゅうの!」


 古代巨人が何か詠唱した。すると彼の胸の前に朱塗りの大鳥居が現われた。鳥居の真ん中――神道から眩い聖なる光が生じ、まるで竜のように空へ飛翔した。


「ごしゃげだぜんぶぶずぐす!」


 天女の怒号と共には、緑豊かな大木が枝葉を伸ばし、その一枚一枚が虹色を迸らせた。同時、彼女が上に掲げた小さな掌には元〇玉、いや大きな光弾が出現。さらに膨らんでいく。


「てしょずらすい!!」迎え撃つ天狗は、どこからか大きな羽団扇を出現させ、構えた。ひどい強風が渦巻き始める。


 ぽつ、と鼻の頭を雨が打った。

 あぁ雨だ、もうダメだ。なんでこんなことに、みんなで芋煮会をしてたんじゃなかったのか。

 僕は力が抜けて、その場に倒れた。

 耳が変だった、周囲の音が遠い。いやアプリのおかげか三人の声だけは聞こえた。でも何を言ってるかは分からなかった。

 二つの芋煮の鍋がゆっくり傾いていく。僕も砕けた地面と共に落ちていく。全部、崩れていく。


 力を振り絞って空を仰いだ。稲光に天狗神社のシルエット――。

「神さま……」

 僕は心から願った。


 芋煮が食べたい。

 もう醤油だって味噌だって牛肉だって豚だって、どっちだっていい。僕に、芋煮を食べるチャンスをください!


 霞む空で、アヅマさんが羽団扇を大きく振りかぶった。


「あがめぇしょっぱいぴぃ――!」



 ◇



「まぁったく! 朝飯ろくに食わなかったって?」

「すみません」


 僕は湧水を汲んだ場所で気を失っていたらしい。目を覚ました時には病室だった。

 付き添ってくれたサークルの先輩から「ちゃんと管理しろよ」と、こっぴどく叱られた。


 夢、だったのか。


 すぐ黙り込んだ僕がしょげたように見えたのか、先輩がため息を吐いた。


「まぁ、『吾妻山、吾妻山』ってうなされるくらいだからな。いい薬になっただろ」

「アヅマ、山?」


 僕は「あ!」と叫んだ。

 そうか、山の名前だったんだ。

 吾妻山に湯殿山、アコヤ婆は千歳山から来たって言っていた。


「ほら、医師がもうホテルに帰っていいってよ。おれも腹減ったわ。ホテルの夕食で米沢牛だっけ? 食いてぇなぁ」

「……はい」と答えながら、アコヤさんの使った肉は米沢牛だったのかな、と思った。


 外はひと雨降ったような気配で、薄い雲が淡い夕暮れの空を漂っていた。

 タクシーに揺られながら、アコヤさんの笑顔や、ユドノさんのダミ声を思い出した。もちろんアヅマさんの笑い声、いぶした薪の匂いと食べられなかった芋煮の匂いも。芋煮が食べたいと願った記憶はまだ鮮明で、今、目の前に高級すき焼きを出されたって惹かれない気がした。

 ぐぅと腹が鳴って、先輩が苦笑した。


「その調子なら、明日は遊歩道くらいなら歩けるか。山自体もそんなに険しくないらしいし」

「明日……どこでしたっけ」


 確か北の地方だった気が。


翁山おきなさんだってよ。えぇと、最上もがみ地方? だっけか」


 村山、庄内、置賜そして最上。そうだ山形は四つの地方に分かれていて、そして……。

 そこまで考えて、ドキリとした。僕はどの山がどこの地方にあるかなんて知らない。ましてや芋煮の味の違いなんて知るわけがない。それなのに、あんな夢に見るだろうか。いや、むしろあの夢の内容は本当なのか……?


 僕はスマホをタップした。すぐに検索結果が出る。

 千歳山には阿古耶姫の伝説が、湯殿山を含む出羽三山は飛鳥時代まで遡る山岳信仰があった。それに吾妻山は福島県に跨がる連峰で、天狗出現の言い伝えがあったらしい。


「夢、だったのか?」


 いや落ち着け、僕。

 今度は『山形 芋煮 地方』を検索。一番上のサイトをタップしてカラフルな地図を目にした途端――不意に夕陽が強く照った。


太郎さ太郎にかせでっけの~食べさせたかったなぁ


 どこからかダミ声が響いた。ハッとして窓の外を見た。すがめた先、吾妻山の山並みが夕空に黒く迫る。


めじょげねがったのぅかわいそうだったなぁ


 間違いない、この声は。僕は窓に手をついてユドノさんの姿を探すと、今度はアコヤさんの声がした。


さすけねぇ問題ないわよ明日は翁さんの所ですればいいべヨ明日はオキナさんの所ですればいいじゃない


「明日はオキナさん!?」思わず叫んだ僕に、先輩が「え、お前登ったことあるの?」と呑気に言った。返事をする間もなく、


づんつぁの特製爺の特製豚肉ときのこすこだまえっだ醤油味ば豚肉ときのこをたくさん入れた醤油味を食だいべ食べたいじゃろ? ンめぇじゅ美味いぞよ


 知らないお年寄りの声まで聞こえる! それにアヅマさんの笑い声も!


ンんだらそれならひと飛びしていまと人ば呼ばってくっかひとっ飛びしてもっと皆を呼んでくるぞー!!』

「ちょ、待」

いがんべぇいいわねぇ! 若いやろば頼む若い男をお願いねぇ

「アコヤ姫の一途伝説どこいったの?」

まぐまぐでゅうおえっ……』

「あんたまだ酒飲んでんの!」

「……おい、大丈夫か太郎。やっぱり具合が悪いのか?」


 

 「まぐまぐでゅぅ」「は?」「さすけねぇ」「……マジで大丈夫か?」

 ガラス越しの赤く染まった空を、やけに大きなカラスが飛んでいくのが見えた。恐ろしい程きれいな夕焼けだ、明日はきっと快晴だろう。

 僕はごくりと唾を飲みこんだ。


ヤレ明日も芋こ汁日和だべナァあぁ明日も芋煮会日和になるぞ! ダハハハハダハハハハ!!』




(了)

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大乱闘 ~芋煮戦線、本日快晴~ micco @micco-s

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