大乱闘 ~芋煮戦線、本日快晴~
micco
芋こ汁はンめぇぞ
澄み渡る青空! 爽やかな風が燻した薪の匂いを払って、僕の額の汗を拭っていった。酒も美味いし、山は最高だなぁ。
「肉はべごに決まっでだべな!」
「べごなの、豚んねど芋こ汁なンねろ!」
まだやってる! 決して口に出せない台詞を日本酒で喉に押し込む。
下手なことを言えばまたケンカに巻き込まれる。手酌で次を注ぐ。
でも背を向けたのを気づかれたか、アコヤさんが「太郎!」と僕を睨んだ。彼女のまとう天女装束が、ぶわりと膨らむ。
「おメもべごの方ば食だいべ!?」
「えっ! いやぁまぁ牛肉は好」
咄嗟に口ごもった瞬間、ユドノさんが「ばんつぁは黙てろ!」と、僕に真っ赤な顔を近づけた。酒臭ッ! こっちは古代の豪族みたいな格好をした四十代くらいの男性だ。目が据わってる。
「太郎、おめさんは、豚がいよの?」
「そ、そうですね豚もはい」
「太郎こ、おメぇどっつば食だいナや!」
もうヤだよ、この展開!
せっかく乾いた額がまた汗まみれになる。でも追及は止まらない。分かるよ、このあと醤油か味噌かって言い争うんでしょ?
「醤油ンねど、ンまぐない」「味噌が、ンめの」
「ほらぁ! もう僕やだ」
「あ゛?」「何がやんだど?」
アコヤさんは青筋、ユドノさんは顔を茹だらせて「「どっつだ」」とハモった。
あぁどうして、こんなことになちゃったんだ。
「僕は、その……どっちも食べたいです――!!」
◇
山形県と福島県をまたぐ
「ここ、どこだ?」
コースの三分の一進んだだけでかなり消耗して、道端の湧水から空のペットボトルに水を詰めた。でも、蓋を閉めて視線を上げた瞬間、僕はここにいた。
「どうなってんの?」
明らかに山頂付近。昼食場にしようと話していた天狗神社らしきシルエットが青空に美しい。でも景色を味わうどころじゃない。どさっとザックを下ろし、周囲を見回した。誰もいない。
さっきまで――ほんの数秒前まで、数メートル先にはサークルの仲間がいた。藪が視界を塞ぐほど茂っていて、こんなに広く青空が見えるような場所じゃなかった。
でも手にはまだペットボトルを持っていて、中の水は冷たい。それが僕の記憶が正しいことを証明していて、ますます混乱する。
「そうだスマホで……あ、電波ない」
ヤバい、と呟いた時だった。
「おめさん、水持ったが?」
すぐ後ろから大きなダミ声がした。人だ! 僕はすぐさま振り返ろうと体を捻った。「へ?」でもその姿勢のまま、固まった。
古代人がいた。いや、金のお玉を手に持つ古代人のコスプレをした男性がいた。今にも「卑弥呼さま~!」と叫びだしそうな。
「芋こ汁食だいが?」
「えぇと」
僕は後退った。芋って言った? イマイチ意味が分からない。すると今度は「あややややぁ」と、高い声が響いた。びくりと体を揺らすと、古代人の後ろからひょっこりと小柄な女性が顔を出した。
「やンだ、おメめんこいやろだナ!」
やはり金のお玉を振り回しながら近づいてきたのは、まさに天女。光沢のある羽衣のような衣装で髪型は姫カット。すごい美人だったけど、僕はまたしても後退った。
怪しすぎる。二人とも明らかに標高二千メートルで活動する格好じゃない。
「おメ、芋こ汁食ってぐべ?」
「いや、あの……芋?」
なんで芋の話になるんだ。返事に困って周囲を見回してみる。やっぱり他には誰もいなかった。
早くみんなと合流しないと、と焦る。もう遭難扱いされてるかもしれない。そうだ、少し歩けば下山用のロープウェイがあるはずだ。それに乗ればきっとみんなと連絡を取れる。
僕は勇気を振り絞って、目の前の天女コスプレイヤーに話しかけた。
「あの、すみません。ロープウェイってどっちの方向ですか」
「おメづんつぁのわっがいどきさ似っだちゃぁ!」
「え?」
「
何を言ってるんだ。
「あの、ちょっと訛りで……ここは西吾妻山で、間違いないですよね?」
「ンだよ、アヅマさんどごだ」
ンだって『そうだ』だよな。あぁ良かった!
僕は今度こそ胸を撫で下ろして「そうですか」と肯いた。よし、もう一回。
「この辺を、僕みたいな若い人達が通りませんでしたか?」
「しゃねなぁ」
「しゃね?……えぇとここって山頂付近ですよね? どっちに行くと下りのロープウェイがありますか?」
天女ははっきりと答えず、「んー」と可愛らしく首を傾げた。そして「ちぇっと貸しぇちゃ」と、僕の手をぎゅうっと握った。
「な、なななにを!」
「
「村山……アコヤ、さん? え、今、言葉が」
まるでテレビの副音声みたいに聞こえた。
「
「そ、そうなんですか」
でもどうやってるんだろう。あっそうか、どこかにマイクをつけてアプリを通してるのかもしれない。方言の翻訳もできるアプリなんてあるんだな。
僕が一人で納得していると、
「
と、今度は古代人が僕に手招きした。アコヤさんが促したので素直に従う。言葉が分かればこっちのもの、すぐに道を教えてもらえると思ったのだ。
「
ダミ声のユドノさんは彫りが深くて濃ゆい顔だった。僕は「どうもこんにちは」と返した。
彼の側には二つのかまどがあって、勢いよく薪が燃えていた。小岩を組んで作ってあるかまどに、大きくて年季の入った銀色の鍋が乗っかっている。木でできた蓋がしてあって、隙間から白い湯気が勢いよく立ち昇っていた。
「
「芋煮って……なんですか?」
ぴくっとユドノさんの眉が上がったと同時、アコヤさんが僕の腕を掴んだ。
「
「あの、僕は登山中なので。てかみん」
「
ガッシィと今度はユドノさんから腕を掴まれた。
「
「…………はい」
◇
『芋煮』とは、山形の名物料理らしい。
聞けば、山形の人達は秋になると河原やそこかしこで『芋煮会』を開くそうだ。子ども会や町内会、職場や友達同士で。それはそれは賑わって楽しいのだと言う。
僕が「毎週!」と驚くと、アコヤさんは得意げな表情になり「
二人はその『芋煮』の芋を下茹で中だったそうだ。芋は絶対に里芋のことで、こんにゃくと一緒に茹でるのだそうだ。この下茹でに結構時間がかかるらしく――。
「
「
「えへへ、そうなんです。僕、大学二年なんですけど、登山サークルに入っててぇ。連休なんで三泊四日の登山旅行なんですー」
「
アコヤさんは豊かな髪をしゃらりと揺らして僕に笑いかけた。そして「
おしゃべり上手なアコヤさんのお陰で人見知りの僕も、すぐに打ち解けられた。かわいい。
「
「
出雲って島根県だっけ、と考えてすぐに合点がいった。
「さすがキャラ設定がブレないですねぇ。衣装も本物みたいだし、リアリティがすごいです」
そう二人はどうやら、神さまキャラのコスプレイヤーさんらしいのだ。アコヤさんの羽衣は風が吹くと虹色に光って今にも空に浮かび上がりそうだし、ユドノさんの服も荒い織りの布で首の勾玉も本物の翡翠に見える。
それにアコヤさんはどう見ても同世代なのに、ユドノさんは彼女を『婆』と呼ぶ。そういうキャラ設定なんだろう。
「そう言えば、今日は撮影会ですか?」
「
「
「またまたぁ。ストイックなんだからぁ。はー、お酒美味いですねぇ」
普段は全然飲まない日本酒がこんなに美味しいとは思わなかった。少しくらくらするけど、楽しい。
僕が良い気分でゴザの上に脚を伸ばした時だった。アコヤさんが立ち上がって鍋の中をのぞき込んだ。
「
振り向いた彼女は、何やら真剣な眼差し。
「
猪口を傾けていたユドノさんも、それを聞いて立ち上がった。腕まくりする。
何がどうしたんだ?
僕が目を見張っていると、なんとユドノさんがぐらぐらと煮え立つ鍋を素手で持ち上げた。
「えぇぇ! 熱くないんですか!?」
「
そして中の湯を勢いよく捨て始めた。すごすぎる。体を張る芸風なのかな!
湯の先にはよく見れば大きなザルが置いてあり、里芋とこんにゃくがその中へ次々に着地していく。ほかほかと湯気を上げて、陽の光に白く輝いていた。ユドノさんはすぐにもう一つの鍋の湯も捨てた。
「
「水?……えぇと、僕これしか」
そういえば、とずっと脇に置いていたペットボトルを持ち上げた。もう中は温くなってるだろうと思ったけど、不思議なことにまだ汲みたてのように冷たい。
ユドノさんは「
「
「えぇと、まだです。あとで……あれ?」
「
なにか大事なことを思い出しかけたけど、ユドノさんの笑顔ですぐに忘れてしまった。えぇと、そうユドノさんに火傷がなくて良かった。
それに彼から後光が差すように見えて、もしかしたら地元では有名なタレントさんなのかもしれないと思った。そうか、これは地域テレビ局のロケなんだ。それならコスプレの完成度も納得だ。
きっとカメラはこれから来るんだろう。料理番組なのかもしれない。
さぁっと涼しい風が吹いた。穏やかにさっきの冷や汗が引いていく。この場所で鍋は最高だと思った。なんだか腹も減っていた。
「
ユドノさんが機嫌よく僕に尋ねた。「好きですよ」と答える。そうか芋煮って豚汁に似てるのかな、と思った時だ。
アコヤさんが大声を上げた。
「
「えぇ?」
なんだ、なんで怒ってるんだ?
「……
ユドノさんが苦虫を噛み潰したような顔で応戦した。でもアコヤさんはその倍の音量と速度で言い返す。
「
「
「
牛肉か豚かで揉めてるのか? ってか、アコヤさん激しいぞ。あ、ギャップ? ギャップのあるキャラなのか。嫌いじゃないぞ。
それはともかく、アコヤさんは牛肉派で、ユドノさんは豚肉派らしい。睨み合う両者は一歩も引かない構えだ。
そして僕はまるで拮抗する綱引きの綱の気持ちだ。なぜって? 二人が恐い顔で僕に詰め寄った。二人分の影が僕を覆う。
「
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