第49話 白ブリーフの夜明け

「これだ…、この感覚だ」


 堤防、土手からの滑降は今朝から何度も見続けている白昼夢、頭の中に何度も湧いてくるイメージに似ていた。

 しかしまだだ。まだ何かが足りない。


「風間、大丈夫か⁉︎」


 二号と西松、パリスが俺の元へ駆け寄ってきた。


「まだだ。まだ足りない」


「何が足りないんだよ?」


 西松だ。


「もっと、もっと、だ!」


「何が言いたいんだよ?」


 西松は険しい表情を浮かべる。


「速度、スピードだ!」


 そうだ、もっとスピードがあれば、向かい風を切る感覚が似てくるはずだ。

 それならば、


「パリス、土手の上の道で台車を全速力で押して助走を付けてくれ。

 そして俺は土手の上から滑り降りる!」


「風間、何がやりたいんだよ」


 と言いながら、西松は吹き出すような笑いを漏らす。

 しかしだな、


「西松よ。笑いたければ笑うがいいさ。しかし俺は真剣だ。

 パリス、頼むぞ」


「わかったよ、シロタン」


 パリスはどんな状況でも薄笑いだ。


「お前らは河原から見ててくれ」


 と俺は言うと、二号と西松を河原に残し、俺とパリスは土手の上へと向かう。



 俺が手押し台車に座ると、パリスは俺の背後へ周り、持ち手を掴む。


「いいか、パリス。この一本道を全速力で走れ。そして俺が合図したら、この台車を少しずつ斜面へ近づけて、斜面に差し掛かったらお前は手を離す。いいな?」


「わかったよ。シロタン」


 背後にいるパリスの表情は見えないが、いつも通り薄笑いをしていることだろう。


「よし、パリス!行くぞ!」


 俺の号令の直後、パリスは走り出した。


 数秒と経たぬうちに徐々に加速していく。

 パリスは尻だけデカい。それは奴に脚力があるからかもしれない。

 だからこそ、この加速力だろう。


 そして俺は今、かつて何かに乗り、後から押されていた経験があることを思い出した。


「パリス、今だ!」


「わかった!」


 パリスの返事と共に俺が乗る手押し台車が下り斜面へと近づいていき、下り斜面へ差し掛かったと同時に強烈に加速する。


「あぁっ!」


 斜面を滑り降りるとほぼ同時に台車は横転、俺は台車からその身を投げ出された。



「おい、風間ーっ!」


 二号の声か、西松の声か?

 俺は台車から投げ出され、斜面を転がり落ちたのであった。

 全身のあちこちに痛みが走る。

 もしかしたら肋骨が折れているかもしれない。

 しかし身体の痛みなどどうでもいい。

 俺の勘は間違っていなかった。

 俺は前にもこれと似た経験をしている。


「風間、大丈夫か⁉︎」


 西松だ。二号と西松が俺の元へ駆けつけた。


「大丈夫だ」


 俺は二号と西松の手を借り、立ち上がる。

 俺は二人から怪我は無いか等、聞かれたりしながら、服に着いた汚れをはたき落とされる。

 やがてパリスも駆けつけた。


「パリス、また頼むぞ」


「お前、何考えてるんだよ!こんな遊びに真剣になるなよ!」


 西松だ。


「西松、これは遊びじゃないんだ。俺は真剣だ」


「風間、下手したら死ぬよ!」


「だとしても、俺はやる。今の俺にはこれが必要なんだ」


 西松の真剣な眼差しが俺を見据える。

 西松が本気で俺を止めようとしているのがわかる。

 この西松というクセの強い男にもこんな面があるのか…

 しかし、それでも俺はやる。


「西松、風間は本気だ。やらせてやろう」


 二号だ。


「でも」


 西松は食い下がるが、


「風間の目を見ろ。こうなったら誰も止められない」


 二号の言葉に西松は俺の目を見る。


「わかったよ…」



「さっき失敗したのは助走をつけて斜めから斜面に入ったせいで、バランスを崩して横転したのだ。

 ならば、斜面に真っ直ぐ入って直滑降出来る場が必要だ」


 俺はスマートフォンを取り出し、地図アプリを起動する。

 そして現在地周辺を見る。


「ここはどうだろう?」


 西松が自分のスマートフォンの画面を見せてくる。


「この川沿いの道を川の上流に向かって行った先に、丁字路になってる所があるでしょ?

 その丁字路で繋がっている道は山か丘からの下り坂みたいなんだよ。

 この坂から助走をつけたらいいんじゃないかな」


「ありがとう、西松。この地点へ早速向かうぞ」



 川沿いの道を上流へ向かって約10分進んだ先に、西松の探した丁字路があった。

 丁字路の合流地点にたどり着くと、俺はその場を見回し、思わず息を呑む。

 土手から河原への斜面はさっき滑った森本の家の近くのそれよりも距離は長く、傾斜もきつい。

 そして助走をつける坂も充分と思われる長さと傾斜がある。

 こいつならいける。下手したらあの世へもいけるんじゃないかと思うのだが、それでも俺はやる。


 何故か?


 そうさ…、


 俺はギリギリな状況にいないと生きている実感が湧かない。


 損な性分…………、だからだ。


 このギリギリ感を味わうのはかなり久しぶりな気がする。

 かつて俺はいつもギリギリな場にこの身を賭していたのか?

 わからない…


 しかし、その答えはこの直滑降が教えてくれるはず。

 そうさ、それは白ブリーフだけが知っている!


「パリス、行くぞ」


 と呟く。


「うん シロタン」


「ちょっと待てよ」


 パリスの返事に西松が重ねてきた。


「風間、いくらなんでもこれはやりす」


 と西松が言い掛けた。

 振り返ると二号が西松の肩を掴み、その先を言わせぬよう制止していた。


「お前らは下の河原で見ててくれ」


 と言い残すと、俺は踵を返し、助走に使う坂を登り始める。


 坂を30メートルぐらい上ったところで立ち止まる。ここから先は道がカープしているのだ。

 振り返るとその光景に思わず武者震いした。

 助走には充分な距離だろう。


「ここからやるぞ」


 と言うと、パリスは畳んで持ってきた手押し台車を地面へ置いてセッティングし、台車の取手を持ち、いつでも発進出来る態勢になった。

 俺は台車の上に座る。

 一気に鼓動が高鳴り始めた。


「そうだ、大事なことを忘れていた」


 俺は眼鏡を外すと、それを背後にいるパリスへ差し出す。


「預かっててくれ」


 パリスは俺の眼鏡を受け取る。

 そして俺は着用していた黒のTシャツを脱ぎ、それを頭から被り、鼻と口が露出するようにして、Tシャツの余った部分を後頭部できつく結ぶ。

 目隠しだ。

 あの白昼夢のようなものは闇の中だったからな、目隠しをして闇を演出する。


「準備は完了だ。

 充分に加速したところでお前は手を離せ」


「わかったよ、シロタン」


「よし……、やってくれ」


 俺の一言と共にパリスは後から手押し台車を押し始めると、一気に台車は加速を始める。

 さっきの森本の家近くの土手と比べものにならない加速だ。

 加速により向かい風も上半身裸のせいか、白昼夢以上に感じている。

 不意に軽くなった感覚がする。


「シロタンっ!」


 思わずその声に振り返ると、パリスが台車から手を離した光景が脳裏に浮かぶ。

 その脳裏に浮かぶパリスはいつもの薄笑いを浮かべている。

 これだ、これだ、俺はこの光景を前にも見ていたっ!


 全身に風を感じる。


「あっ


 あっ


 あーーーーっ」




 闇の中、俺の身体は縦か横かわからないほど高速回転し、全身に凄まじい衝撃を受ける。



 つっ、冷てえっ!

 俺は薄暗く、凍えるほど冷たい世界に沈んでいる。


 俺は川の中に落ちたのだろう。

 手足をばたつかせ、なんとか浮上し水面から顔を出す。


 あっ、足が川底に付いた。

 立ち上がると、川の深さは膝の上ぐらいだった。

 川の流れは緩やかではあるが、足を取られないよう、慎重に川岸へと歩いていく。

 目隠しにしていたTシャツは衝撃でどこかへ行ったようだ。


「おーい」


 誰かの呼ぶ声が聞こえる。

 二号、西松、パリスの三人が駆け足で川岸に向かってくる姿が見える。


「ちっ!ちっ!」


 西松が俺を見て何やら叫ぶ。

 何を言っているのか。


「頭だよ、頭!」


 西松が頭と言うから額を触ると、生暖かくてヌルっとした感触がする。

 手を見ると真っ赤に染まっていた。

 血か。俺は頭から血を噴いている。


「一号、大丈夫か?」


 二号だ。心配そうな表情をしている。


「風間、なんでここまでするんだよ⁉︎」


 西松だ。


「何故か…、取り戻す為といったところか…」


「何を、だ?」


 そんな西松をスルーし、


「パリス、眼鏡を返してくれ」


 パリスは俺の眼鏡を差し出し、俺はそれを受け取り装着する。


「まぁ…、その話は後にしてくれ」


 話は後か。

 思わず出た自分の一言に何か違和感を感じる。


「いや、違う…」


 そうだ…


「話か…」


 話、


 話、


 話…


 話と言えば…、


「話は…」


 そうだった。

 俺は三人から視線を逸らし、眼鏡を外す。

 そして流し目加減の視線を送り、


「話はそれからだ…」



「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン2 わらの豚 完



 風間詩郎は帰って来る。



「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン3 へ続く。

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わらの豚 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン2 飯野っち @enone

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