夢の扉

@oronaminnc

第1話

「伊藤先輩。好きです。付き合ってください」

 「何回も言うけど無理。私付き合ってる人がいるから」

部活が始まるまでのこの時間は攻防戦だ。

 「福永先輩ですよね。めっちゃかっこいいですよね。俺もああゆうプレーが出来るようになりたいなあ」

 カチンと頭にくる。好きな人の恋人だよ?シンプルに褒めるやついる?

 「それじゃあ、その福永先輩に告白すれば?」

 「確かに憧れてはいますけど、好きと憧れは別物です。俺は伊藤先輩一筋ですから」

そう言って満点の笑みを向けてくる。子犬系男子の破壊力だろうか不覚にも可愛いと思ってしまった。

 「今、可愛いと思いました?」

ちょっとでもいいなと思ったら、すぐにくぎを刺してくる。

 「そんなわけないから。早く部活の準備して」

 「はーい」

少し生意気なくせに憎めない。私にとってこの男はいい意味でも悪い意味でも厄介だ。誰だって好きだと言われて悪い思いはしない。

私だって同じだ。嬉しかった。だったけど・・・


 「ごめんなさい。私付き合ってる人がいるので、気持ちにこたえられません」

 「そうですか。わかりました」

犬みたいに耳がしゅんと垂れてしまったような気がした。

 「気持ちはすごく嬉しかった。ありがとね」

そこからしばらくの間、沈黙が流れた。私の方が耐え切れなくなって。

 「それじゃあ、そろそろ行くね」

私は後ろを向いて、帰ろうとする。気まずくてこれ以上声をかけることが出来なかった。

 「先輩」

足を止める。止めなければいけない。私はゆっくりと振り返った。

 「俺やっぱり先輩のことが好きです。申し訳ないけど諦められません。だから・・また告白します」

 「はあっ」

突然の宣言に私は動揺して声がうわずった。

この日から私と日高千冬の攻防戦はスタートする。

昔よりも今のほうが懐に入ってきて、私の方が劣勢だった。


 「せんぱーい。部活が終わったので一緒に帰りましょう!」

 「今日は彼氏と帰るから無理」

 「そうですよね。彼氏との時間も大切ですよね。彼氏といる先輩ほんと楽しそうで可愛いなあっていつも思います。俺じゃあきっとできないなあ」

 「・・・・・・」

なんなんだろうこの感じ。ヘドロのようなものが張り付くみたいだ。なんで自分を無下するようなことばっか言うの?

 「先輩?・・・・」

 「・・・・・私のこと本当に好きなの?」

 「好きですよ。誰にも負けないくらい」

その瞳は真剣で嘘偽りがない。

 「普通さ、好きなら自分の良いところを話すんじゃないの?」

なのに、これじゃあまるで

 「今の彼氏と付き合っててほしいみたい」

 「・・・・・・」

 「能天気だからそういうこと言ってるのかもしれないけどね」

踵を返して歩き出す。重くならないように軽く言った。

 「分かってて言ってますよ」

 「えっ・・・・・」

次の瞬間激しい地震に襲われた。私はバランスを崩して、後ろに倒れそうになる。

 「先輩後ろ!」

あれ?

 「階段っ」

階段なんてあったっけ?

日高は階段に落ちる私をかばおうとして手を伸ばしたまま、私たち二人とも落ちていく。私はスローモーションのように見える世界をただ眺めることしかできなかった。



 「ん・・・」

頭が痛い。地震収まったのかな?

まるで体が鞭で打たれたようだ、動けない。

腕に力を込めて起き上がる。ふらふらしていて、視界がぼやける。だけど分かる。女の子が倒れている。女の子?日高は?

ひだ・・

声を出そうとして違和感に気づく。声が出しずらい。

 「日高」

声が低い。この場所だから?そんなわけない

 「せん・・・・ぱい」

女の子の声だ。嫌な予感が確信に変わっていく。

 「日高なの?」

 「はい俺で・・」

女の子はむくりと起き上がる。違和感に気づいたのか言葉が途中で止まった。髪型も身なりも馴染みがある。私が毎日鏡で見ているものだ。私は起き上がった女の子と目が合う。

 「おっおれ」

指をさしたまま固まってしまった。やっぱり日高だ。目の前にいるのは私と瓜二つの女の子、私だ。

 「入れ替わってる」

そう言って日高は私の体をじろじろと見る。なんか恥ずかしい。

 「えっやば、裸見れんじゃん・・」

 「ばかっ」

私はぽかっと頭を殴った。日高は「すみません」と笑った。さっきまで神妙な面持ちだったのに少しだけ和んだ。お礼を言っていいのやら悪いのやら、少しだけ笑ってしまった。

 「とりあえず今日は一緒に帰らなきゃいけませんね」

にやりと笑った顔が明らかに嬉しそうだった。



 「先輩どうぞ」

私は日高から半分に切ったパピコを受け取った。冷たくて苦すぎないパピコは至極の美味しさだった。

 「先輩、美味しそうに食べますね」

私はほころんだ顔を急いで戻す。少しだけ顔が赤くなったような感じがして、アイスを頬に当てた。うっ冷たい。

私たちは学校の近くのコンビニのベンチで作戦会議をした。夏の蒸し暑い熱気をアイスが緩和してくれる。

 「日高はなんだか余裕だね」

 「もちろん。好きな人の裸見れますし、触れるんでむしろ最高の気分です」

 「ふざんけんなっ」

私はまた頭をたたいた。冗談で言ってるのかと思ってたけど不安になって来る。見ないよね?触んないよね?

 「冗談はこの辺にしておいて、本題に入りましょうか」

 「本題って」

 「この後どうするかです」

 「この後って、何回か階段から落ちて、元に戻れるように頑張るとか」

 「何回もですか?俺いくつかあざ見つけたんですけど」

 「はあっ」

もう見たの?変態、最低

 「腕と足だけですって」

 「そっかあ」

 「怪我をするリスクが大きいので、すぐ戻ると思わない方がいいですよ」

 「じゃあ、誰にもばれないように生活するとか」

 「誰にもですか?」

日高は驚いて私の顔を覗き込む。

 「?・・・当然じゃん」

なんで?普通じゃない?

 「俺は親友とか家族には伝えた方がいいと思います」

 「え、やだ」

私は立ち上がって、空のパピコを落とした。

日高はそんな私をなだめるような優しい声でゆっくりと話す。

 「クラス全員に話せとかそういうこと言ってるわけじゃないです。ごく一部の人だけ。

家族と親友だけです」

 「迷惑になるよ。そんなの・・」

指先が冷たくなってくる。うまく言葉が出てこない。

 「かっ帰る」

私はカバンを持って逃げようとした。

 「どこ行くんですか?」

腕を掴まれる。振り払いたいのに、びくりとも動かない。日高は今女の子なのに。

 「日高ん家」

 「分かんないでしょう?」

 「わかんないけど」

日高は大きなため息をついて、

 「あーもうわかりましたよ。今日は言いませんから」

と折れてくれた。私は肩の力が抜ける。安心して泣きそうだ。

 「でも先輩、ここで帰るのはまずいです。

先輩がマネージャーだから俺はいいけど、先輩、バスケ出来るんですか?」

 「休めばいいじゃん」

 「いつまで?すぐには戻れないっていったでしょう?」

痛いことを言われて何も言えなくなる。その通りだ。

 「まあ先輩の実力がどのくらいか、お手並み拝見ですね」

日高はボールを指の先でくるくると回した。今は私が男の子だし、体力もあるはず。日高をわっと驚かせてやる。出来ないんですかなんて言わせない。



 「俺の誤算でした。っていうか想像以上でした・・・先輩」

 「・・・・・・・」

 「運動音痴なんですか?」

 「そこまで言わなくてもいいじゃん」

私はくたくたになって立つことすらできなくなっていた。日高は腹立たしいほど余裕だ。

悔しい。私たちは公園まで移動をしてから1on1をした。初めは私がオフェンスで日高がディフェンス、私の方が背も高いし有利なはずだった。始まるとすぐに日高の目が変わった。ぱっちりした可愛い目が鋭く言葉がなくても真剣だって伝わる。私は気合から負けてしまった。ドリブルをすると簡単に日高にとられてしまった。やっとシュートできると思ったら、カットされて歯が立たなかった。日高のジャンプが私の身長よりも高いのだ。私ですらできないことなのに日高は簡単に限界を超えてしまう。逆もやってみた。私がディフェンスで日高がオフェンス。私は日高と距離を離さないようにして、手を横に広げた。ずるいけど体格差を利用した。それでも翻弄されて惨敗。日高は息一つすら上げていない。すごいなあと思ったそれに・・ 

 「先輩、なんか嬉しそう」

 「えっ」

 「負けて火点きました?」

 「それもあるんだけど私ね、昔バスケやってて、才能ないと思ってたんだ。でもね」

今日の日高はすごく強かった。身体的な問題も関係ないほど。日高は私の限界を超えてくれた。見せてくれた。だから

 「私も練習したら日高みたいになれるんじゃないかと思ったの」

私が想像していたよりも理想がずっと大きくなった。それが現実を帯びて、希望になっていく。すごく難しいだろうけど不可能じゃないと思えたから

 「だから、ありがとう。日高」

日高の瞳は大きくなって手の甲をおでこに当てた。

今まで見たことがない顔で優しく笑って

 「俺、先輩の役に立てましたか?」

と言ってくれた。声が震えている。日高も嬉しいと感じてくれているんだ。

 「うん。十分すぎるくらい」

 「なら、良かった」

そう言って笑った日高が私の中にすごく残った感じがする。変なの。なんだかくすぐったいや。

 「先輩ならきっと出来るようになりますよ」

日高はいつだって私の欲しい言葉をくれる。未来が明るくなるような特別な言葉を。

 「ほんとかなあ」

照れ隠しに少し疑ってみる。平然を装っている私はどう映っているんだろう?

 「当然です。俺が好きになった人ですから」

急激に体温が上がっていく。よくこんな恥ずかしいこと言えるね。私が俯くと日高もすごく恥ずかしいことを言ったことに気づいて、手を口元に当てて上を向いた。

 「じゃあ、練習始めますか」

そう言って放ったシュートはぽすっと綺麗に入った。



 「日高あ、てめえなんだ今のプレーは。初心者でもあんなプレーしねえぞ。」

 「た、体調が悪くて・・」

 「はあ?あれはそんな言い訳じゃ通用しないからな」

私は今、顧問に怒られている。今日は土曜日だから学校はないけど大会が近くて、先生や先輩の雰囲気がピリピリしていた。先生が怒るなら分かるけど、先輩からも怒られた。後輩の中で日高は一番に名前が上がるほどうまかった。正直先輩よりも。期待しているから怒る。それも分かるけど、頼りすぎなのだ、みんな、私も。先生から帰れと言われて私はとぼとぼと帰った。覚悟はしてたけど気持ちが結構堪えた。怖かった。苦しかった。

 「先輩」

日高の声が聞こえた。私は振り返る。追いかけてくれたんだ。

 「なんで・・」

私は泣きそうだった涙を引っ込めた。ばれたくない。心配かけたくない。

 「先輩が忘れ物したからって抜けてきたんです」

 「怒られるでしょ」

声が震えてしまう。もう限界なのだ、私は。

 「怒られましたよ。でも先輩がどうしても心配で」

とっくに心配をかけてしまっていたんだと気づいて申し訳なくなる。

 「大丈夫か、聞かないの?」

 「もう分かったので大丈夫です」

 「大丈夫だよ」

投げやりに言ってしまった。私は取り繕うことさえできないのか。筋肉痛の腕が痛い。動けなくなりそう。このまま・・

 「先輩まだ始めたばっかりじゃないですか

そんな直ぐ成果なんで出ませんよ。」

日高は私の顔を両手でぐいっと近づけた。

 「出たら俺がめげます。俺はずっと努力を続けてきたので、そんな簡単に超えられても困ります」

 「日高・・努力してたの?」

私は驚いて、ぽかーんとしてしまう。

あの日高が?・・

 「俺を何だと思ってるんですか?」

 「なんでも簡単に出来る人だと思ってた。」

日高はむっとして私の頬を強く押した。

 「先輩それ失礼です」

 「あっ、ごめん」

 「なんでもできる人なんていません。不安なのも分かります。俺もそうでしたから」

私はぽろぽろと涙がこぼれてしまう。見られたくなくて、日高の手を振り払って、距離を置いた。こんな簡単にくじけてみっともない。

恥ずかしい。

 「今日先輩、一日中怒られてたじゃないですか。俺だったら部活やめようかなと思いますもん。先輩は頑張りましたよ」

日高の言葉が慈雨のように降り続いて私の中にしみ込んでいく。私の真っ暗な心を洗い流してくれたような気がした。

 「それに先輩昨日よりいい動きしていましたよ」

 「ほっ、ほんと?」

 「はい。一歩前進でしたね。俺がみっちり教えた甲斐ありました」

 「やったあ」

私は噛みしめるように喜んだ。

 「心配しなくても大丈夫ですよ。俺は先輩しか見てないんで」

ふとした瞬間にこういうことを言ってくる。日高は相変わらず日高だった。




 日高は部活に戻って、私は公園で自主練をしていた。最近は日高の優しいところばっかりが見えてきて、日高の存在が私の中で大きくなってきているのを感じていた。どうしよう。乱されてばっかりだ。ずるい。照れくさくて何だか・・

 「ピーポーピーポ」

遠くからの音で急に現実に引き戻されてる。

遠かった音が近づいてくる。突然の大きい音を聞いたせいか頭が痛い。頭がガンガンする痛いお願い止めて。脳裏に誰かのすすり泣くような声が聞こえる。痛みが更にヒートアップして、うずくまった。立てない痛い。

写真のように切り取られたたくさんの花がぱっと脳裏に現れた。綺麗なのにいい気分がしない。それどころが気持ち悪なってきた。体温がどんどん下がってきて、震えが伴ってきた。首が締まって視界がぼやける。なんで苦しい・・

助けて日高・・・

 「先輩!」

私は息を吹き返したように目覚めた。日高。日高だ。

 「日高」

私は日高にしがみつくように抱きしめた。私の異変を感じたのか、日高は私を抱きしめてあやすように頭を撫でてくれた。

 「日高、怖かったよお、怖かった」

 「先輩、俺がいます。俺がいますから」

私の体はまだ震えている。さっきまでの気持ち悪い感覚が抜けない。思い出したくもない

私はベンチで横たわっていた。

 「私どうして」

内心パニックになりかけていた。

 「倒れていたから、運んだんですよ。・・・目を覚ましてくれて本当に良かった。俺だって先輩に何かあったら怖いです。」

そう言って日高は私を強く抱きしめてくれた。

日高の声は泣きそうで、何回謝っても足りない気がした。

 「先輩、何があったんですか?」

 「・・・・・・」

言いたくなくて無言でいた。こんなことを言ったらもっと心配させてしまう。やだ。そんなの

 「言いたくないんだったら言わなくてもいいです。今日は家に帰りましょう」

 「やだ」

私は食いつくように即答した。

 「だめですよ。今日は安静にしましょう」

 「忘れたいの。お願い。少しでいいから」

私の無茶なお願いに渋々OKしてくれた。

いつもより時間は短くなるけど、私は嬉しかった。




 「一旦、休憩挟みましょうか」

そう言って日高は私にポカリスウェットを渡してくれた。

 「ありがとう」

日高は厳しいけど私を決して傷つける言葉を使わなかった。こんなに頑張れるのは明らかに日高のおかげだ。どこか行ってしまった日高を探した。やっと見つけたと思ったら誰かと電話をしていた。電話が終わって私は話しかけようとした。日高の言葉は突然だった。

 「今、家族や友人に入れ替わったことを説明しました」

私は上手く言葉の意味がかみ砕けなくなる。なんで・・日高

 「先輩もうやめましょう」 

 「何が」

 「逃げることからです」

日高の笑みが悲しく見える。私は後ずさりをするように日高との距離を置いた。怖かった。

 「そんなに家族や友人を信用できませんか?」

 「そんなんじゃない、私は」

 「入れ替わったと言ったら頭がおかしくなったというような人たちですか」

 「そんなんじゃない」

私は声を張り上げていた。勝手に涙があふれてきて息が吸いづらくなる。

 「迷惑をかけたくない。だけ」

だけど、本当は

 「失うのが怖い」

自分が何よりも大切に思っている人たちに拒絶されたら?そう考えたら怖くて。こんな非現実なこと信じてもらえるわけないって思ってるからこそ余計言えなくなって、

 「家族だって・・」

いきなり耳鳴りがして、頭が割れるように痛い。お経みたいな変な声が聞こえてくる。違う、これはお経だ。顔を上げると両親の遺影が飾られていた。私はゆっくりと自分がしてきたことを理解する。ああ私はずっと気づかないふりをしていたんだ。薄々気づいていたのに見て見ぬふりをしていたんだ。

だから私は失うのが怖いんだ。だってもし親友に、彼氏に言って拒絶されてしまったら私はひとりになってしまう。一人ぼっちになるなんてそんなの耐えられない。

 「日高・・お願い」 

 「先輩?」

 「私を一人にしないで」

怖いの・・助けて

 「俺がいます。俺は絶対先輩のこと拒絶しません」

日高は私の肩を強く掴んで、私を抱きしめた。

 「何よりもあなたが好きなおれがいます。

もし世界中が敵になっても俺が守ります。だから先輩は怖がらなくていいんです。信じたい人を信じて、裏切られたって俺は絶対にいなくなりません」

あふれた涙が止まらなくなって、私のため込んでいた痛みを消してくれた。波のような温かなものが私を包み込んでくれる。

 「ありがとう・・日高」

安心したのか意識が遠くなってきた。でも不思議と怖くはなかった。きっとそれは日高といたから。私は薄れていく意識にそのまま身を任せた。



 「先輩?寝ちゃったのか。」

俺は先輩を近くのベンチまで運んだ。髪の毛に優しく触れる。愛しさがこみあげてきて、

俺は泣いていた。先輩、怒っても泣いてもいいですから。こんな俺を軽蔑しないで。

 「好きです。先輩」

いつまでも泣き止むことが出来なかった。ずっとあなたが好きだった。今もずっと



 「あのさ、私、親友に言おうと思う。あと彼氏にも」

私は起きて、日高に宣言をした。じゃないとめげてしまうんじゃないかと不安になったからだ。日高はすごく喜んでくれた。私も前に進めた気がしてすごく嬉しかった。日高には言わないけど彼氏と別れようと決めた。全部終わったら日高にきちんと告白するんだ。

 「先輩、ちゃんと進めたんですね」

日高はどこか遠くを眺めていた。私が入っていないんじゃないかと思うほど遠くへ。 

 「日高」

私と日高の視線が合う。日高は泣きそうな顔で笑った。

 「ひだ・・・」

その瞬間、私は日高の方へ崩れ落ちた。意識がぼんやりとしてきた。

 「後は俺たちに任せてください」

抗いたいのに強制的に奪われていくような感じが絶望的に広がっていく。待って。嫌な予感がするの。日高

お願いこれだけは先に言わせて

 「さようなら。先輩」

日高のことが好きだって



重い瞼を上げて私はあの人の姿を探した。見慣れない天井もカーテンもどうでも良かった。

 「日高・・・」

あなたの姿さえ見つかればそれだけで




 「伊藤美澄さんですね」

 「はい」

体が重い。起き上がるのですら一苦労だった。

私がいた場所は病院だった。あれから私はどのくらい眠っていたんだろう?まあどうでもいいけど

 「日高に連絡してもらってもいいですか?」

私は看護師さんにそう聞くと、表情が何故か曇った。隣の看護師さんと顔を合わせて複雑そうな顔をして、私を見つめた。心が何だかそわそわする。日高のさようならが頭から離れない。

 「分からなくてもいいから聞いてくれる」

看護師さんは私に起きたことを話してくれた。

私は事故で両親を亡くしたこと、それから私はうつ病になって食事を摂取しなくなり倒れて精神病院で入院することになった。だけど薬では改善の余地は見られず、夢を操作して精神的治療を行った。そしてその治療が終わり私は二か月後に目覚めた。そしてその主治医が日高だということ。信じられなかった。すべて夢だったなんて信じられるはずもなかった。混乱はしていたけど、それでも日高が夢じゃなくて安心した。日高に告白することこれだけは絶対に言おうと決めていた。

それから私は大人しく生活していた。焦らなくてもすぐに日高に会えるだろうと思っていた。数日会えなくても不思議に思わなかった。

何週間か経って私はしびれを切らした。

 「日高に会いたいんですけど」

看護師さんは固まって、

 「主治医と患者さんは会えない決まりになっているんですよ」

と言った。

 「なんでですか?」

 「主治医の先生は夢の中で治療を行っていたため顔や年齢、もしくは性別なんかも違う可能性があるので」

 「どうでもいいです。会わせてください」

私はそう言ったんだけど「規則ですので」から前に進むことが出来なかった。私は退院してからも毎日通っている。


 「日高に会わせてください。お願いします」

 「あんた本当に懲りないねえ」

諦められる訳がない。全部夢でも全部嘘でも私は日高が好きなんだ。

 「あなたが日高先生のストーカー?」

ショートカットの美人な白衣を着た医者に声をかけられた。私は日高のストーカーって言われているんだ。

 「はい」

私は大きな声で返事をした。その先生は笑って、私に手招きをした。

案内されたのは病院のベンチで私たちは並んで座った。

 「いきなりだけど本題を話すね。あなたの治療するとき規則として主治医と患者が会うことは禁止されているの」

 「はい知ってます」

知ってる。だけども

 「医師免許を剥奪されるの。これも知ってる?」

私の体が一気に重くなったような気がした。

医師免許剥奪?それじゃあもう会えないの?私は小さな子供のようにスカートを握った。

 「そんなこと言っても意味無いわね。日高先生はあなたに会おうとしてたの」

えっ、日高が?でも医師免許剝奪って。私は顔を上げる

 「でもね、彼は一か月前に死んだわ」

体が固まって何を言われたか分かんなかった。

死んだ?誰が、日高が

息が荒くなっていく。今にもひびがはいって壊れてしまいそうになる。頭の中で何度も死んだという言葉が反芻される。

 「あなたが入院していた棟で殺人が起きたの。ある精神疾患の男性が刃物を振り回してたくさんの人を襲った。あなたはその現場にいたの。」

私は泣いていた。認め切れてないのに、証拠も何一つないのに

 「あなたを守ろうとしていたんだと思うの。実在の彼はあなたが思っている人とは大きく違う。医師として対応は間違っていた。だから軽蔑されてもおかしくない。だけどあなたへの思いは治療だけじゃなかったんだと思うのだから、」

 さようなら、先輩

「先生を許してあげて」

分かんないよ

どうやって軽蔑するのか分かんない。日高は私に人を信頼する勇気をくれた。背中を押してくれた。あなたにずっと支えられてきた。好きだと伝えたいのに、感謝したいのに一つも伝えられないの?

あなたは私を拒絶しないと言ってくれた。そんなあなたを私が拒絶するわけないじゃない。勘違いしたままもう伝えられない。届かないんだ。勘違いしたままずっと苦しんでいたんだ。崩れ落ちる私をずっとその先生は支えてくれていた。抑えることができなかった。目が痛くなっても、のどが枯れてぐしゃぐしゃになっても私は泣き続けていた。壊れそうなほど泣いて、何とか自分の形を守った。



病院から誰も居ない家に帰った。暗くなった部屋は泥棒が入ったんじゃないかって思うほど荒れていて、うつ病だった私はどれだけ悲惨だったのかを想像させた。家族と過ごした家だ。大切にしないと。私は物が散乱したベットに顔をうずめた。また泣きそうになって親友に電話をした。大切な人がなくなったこと。苦しかったこと。それから親友は家に来てくれて泣きじゃくる私のそばにいてくれた。

私はそのまま寝てしまい、そのまま朝を向かえた。涙は全然乾いていかなくて、またこみ上げる涙を拭った。私は部屋の隅に転がっているバスケットボールを拾う。傷がたくさんついていて、懐かしい気持ちになった。私は窓のカーテンを開けた。日差しが泣きつかれた私の目に刺さる。ボールを落として転がっていった。ボールを見ると言葉が書かれていて、それはずっと私の夢だった。

 バスケットボール選手になる

諦めたくて、でも忘れられなかった私の夢。泣きそうになる。私はもれそうになる嗚咽を抑えた。もう泣くのはやめる。あなたは私が前に進むことを望んでいたから。

一つでも叶えていきたいから。ちゃんと進む

にじむ窓の景色をしっかり目に焼き付けた。私は日高のいない世界で生きていく。私は震える足でしっかりと地面を踏みしめた。


 「美澄パス」

 「はい」

私は受け取ったボールをシュートした。ボールは籠にぶつかって入らなかった。

 「ドンマイ、ドンマイ」

私は仲間の声を聞いてまた走り出す。私は休んでいた高校に戻ってバスケットボール部に入った。今度はマネージャーではなく選手として。日高の言葉は折れそうなときいつも私を支えてくれる。どこまでも続く青い空を飛行機雲が真っすぐと伸びた。

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