秋の魔女

豆腐数

第1話

 魔女といえば青い海ではなく、深い緑の森の奥に潜むものと決まっています。これからお話する秋の魔女も例外ではありません。


 木々が紅葉と甘い果実をつける秋の事です。一人の少女が森の奥を歩いていました。村での普段着らしい長袖紺のワンピース、丈夫そうですがごく普通の靴。入口付近の人に切り開かれた土地ならともかく、手入れの少ない、奥の森歩きに相応しい格好とは言えないでしょう。しかし少女は気にした様子もなく辺りを見渡しては、落葉敷かれた地面を探って、ため息をつくのでした。


 森の地面を何度も探って泥んこになっていれば、綺麗な落ち葉のじゅうたんにもウンザリしてくるものです。だからこそ、わずかな変化が目に付きました。


 人の手入れがなく、伸び伸び育った木々の中。一つだけ木こりが働いたように切り株になっていました。その上に葉っぱがいくつも、敷き詰められるように落ちています。それだけだったら周囲の木々が落としただけでしょうが、この切り株の台ときたら、実にたくさんの形と色の葉っぱが集まっていて、まるで誰かのコレクションのようなのです。


「何かしら」


 不思議な集まりの葉っぱを、少女がちょんと人差し指でつっつくと、突如切り株の上から吹き上げるように風が起こり、ピュウピュウと葉々が飛び回り、宙の一か所に集まりました。最初トゥルソーマネキンのように胸元だけだった人型に、色彩豊かな葉っぱ達が寄り集まって、足元まで長い裾を作りあげます。髪はススキの穂のようにふんわりとして、目は白樺の黄葉のごとく金色に浮かび上がりました。寂しい季節に相応しい儚げな微笑をもって、自然素材の彫刻作りは完成しました。村の細工師のおじいさんが、こんな風に鮮やかな手つきで美しい木彫りの女性を作っていたのを、少女は思い出しました。


「あなたは誰?」

「アタシは、秋の魔女。それ以外の名も意味もないわ」


魔女、と聞いて少女は身構えました。少女の読むお話の中の魔女は大体悪い人が多かったからです。しかし秋の魔女は人を騙す不気味な笑顔とも、意地悪そうな目とも無縁なのでした。黄葉の瞳が、凪いだ湖面のように静かにあるだけです。


「こんな森の奥に、小さな人間の子どもが何のようで来たのかしら?」

「お母さんが病気なの。普通のお薬では直せなくて、この森の奥にだけ生える薬草が必要なの。心の形の葉っぱが細い茎にいくつもついてて、背丈は秋の魔女さんの白い手のひらくらい。先端に白く小さな花が咲くの」


 秋の魔女は、切り株に腰かけた自分を縋るように見上げる少女の澄んだ瞳を覗き込みます。何事か試案するように秋の空を見て、思いついたようにドレス裾の葉っぱの一つを千切りました。それはちょうど、真っ赤なカエデの形をしています。


「その植物なら良く知っているわ。森の熊達も調子が悪い時よく食べているもの。本能的にコレが身体の調子を整えるって知っているのかしらね。場所を教えてあげてもいいけれど、あの子達と人間が鉢合わせると良くないだろうから、取り寄せたげる」


 魔女が葉っぱを落とすと、それはヒラヒラ飛びつつもまっすぐ少女の手のひらに収まり──太陽にきらめいて、目的の薬草の形になっていました。


「ありがとう、秋の魔女さん!」


 心の形の薬草をそっと両手で包む少女に、魔女はまた何事か考える仕草をして、


「さんはいらないわ。帰り道は、人間が切り開いた道を通るようにして。近道だからって獣道なんか通っちゃだめよ」


 〇


「秋の魔女の薬草のおかげで、お母さんあっという間に元気になったわ! ありがとう」


 数日後、美味しそうな匂いのする包みを持って、少女は例の切り株のところへやってきました。初めて来た時のように、切り株には美しい葉っぱが散らばっているだけでしたが、もう一度少女がつっつくとまた魔女の形になるのでした。


「そう、良かった。その包みは?」

「木の実で作ったクッキーよ。お母さんに親切な人に薬草の場所を教えてもらったって言ったら、じゃあお礼をしてこないとダメよって言うから、一緒に作ったの。信じてもらえないだろうから、魔女とは言わなかったけれど。私も秋の魔女にお礼がしたかったし」


 少女がしきりに勧めるので、秋の魔女はその白く長い指先で、一枚クッキーを口に運びました。相変わらずあまり表情は変わりませんが、飲み込んで少し間の空いた後、一言おいしい。と言いました。


「この森の木の実で作ったの。村の近くでも実ってる、小さくて茶色い、いっぱい実をつける……」

「その木の実なら知ってるわ。アレがこんなにおいしいものになるとはね。知識としてはぼんやり知っているけれど、食べる体験は初めてだわ」

「秋の魔女ってなんでも知ってるのね?」

「秋と、この森に関する事なら」

「どうしてあなたはいつも切り株の上で平べったくなっているの? せっかく綺麗な人なのに」


 秋の魔女は、枝から枝へと飛び移る樹上のリスの恋人達を眺めて、言いました。


「人間風に言ったら、寝てるのよ。眠って秋の夢を見るの」


 〇


 本人の言う通り、秋の魔女は秋とこの森に関する事なら何でも知っていました。少女の知らない遠くの国でも秋の収穫祭のような祭りがあって、そこで振舞われる食べ物も違うのだとか。秋に実る植物の名前、特徴、花々の花弁の形、色合い、習性。どんな景色が広がっているのか。その場所の植物の葉脈の模様さえ、地面に枝で絵を描いて再現してみせました。


「秋風と、秋の木々のざわめき、飛び回る鳥達がアタシに知らせるのよ。眠っている時も、起きている時も」


 反対に、秋以外の事となると、何も知らないのです。少女でも話くらいには聞いた事のある常夏の国や年中雪に包まれている国は存在すらも知りませんでした。若芽が顔を出し、花が一番美しく咲く穏やかな春も、足をつけた川の水が気持ちの良い夏も、全てを白く覆い、人々を家に閉じ込めてしまう冬も、何もわからないのでした。


「どうして?」

「人間だって専門分野以外は大してわからないものでしょう。アタシはそれが極端なのね。何故って秋の魔女だから。不思議は理不尽なものよ。そうだからそう、としか言えないの」


 冬眠に備えて脂肪を蓄えた大きな熊が、魔女に顎を撫でさせています。魔女の指先の前では、獰猛な熊も大人しいウサギのようでした。大熊の足元では、子熊が二匹、ころころとじゃれ合っています。


「知れないものがある、行けない場所があるって、寂しくはないの?」

「寂しいというのは人間や、自然の摂理の中にある生き物たちの感情よ。アタシは法則から外れたものだから」


 なんて事ないように言う魔女の口ぶりを聴きながら、少女は切り株に腰かけてブラブラさせた足先がやけに冷えるのを感じていました。秋の魔女と過ごしている間に、森の木の実も葉っぱも枯れ落ち始めていました。秋の魔女のドレスの葉っぱも、鮮やかな赤や黄だったのが、くすんだ茶色が目立っています。


 やがてその日はやって来ました。今朝は大変寒く、雲が空を覆っていました。普段少女はおうちのお手伝いが済んでから魔女の元にやってくるのですが、昨日はなんとなく魔女の元気がないように見えたのです。元々自分のペースで生きているような女性ですが、またねと手を振る動作がそっけないような気がしたのです。


 今日の魔女は、最初から人の形を取って切り株に腰かけていました。ドアベルを鳴らすように、切り株の上の葉っぱを突っついて魔女を起こすのがいつの間にか習慣になっていたので、少女はなんとなく落ち着かない気持ちでした。すっかり茶色くなった葉っぱのドレスの葉っぱの一つを指先でつっついてみましたが、火でよく燃え上がりそうなほどにカサカサです。お友達の服を壊してしまうのではないかと思って、少女は指先を引っ込めました。秋の魔女はいつもの凪いだ瞳で、しかしどこか慈しみを帯びたように少女の一連の動作を眺めます。


「もうすぐアタシはアタシの形を保てなくなるわ」


 かさついた葉っぱの感触を思い出して、人指し指を握りしめながら、少女は問いました。


「どうして?」

「秋が終わるから。熊もネズミもリスもみんな眠ってしまったでしょう。アタシも次の秋まで眠るの」

「寂しいわ。秋の魔女が森の紅葉が一番綺麗に染まる場所を教えてくれたみたいに、私も雪の冷たさや、春のクローバー畑の白と緑の可愛さを見せてあげたい」


 しょんぼりとうつむく少女の頬を、秋の魔女の両手が覆いました。ヒュウヒュウ風が吹きつける中で、一番温かいのは魔女の指先。


「寂しいというのは人間や、自然の摂理の中にある生き物たちの感情よ。アタシは法則から外れたものだから」


 いつか聞いた言葉を、秋の魔女は繰り返しました。ずうっと昔から決まりきっているように。


「でも……そうね。あんたがアタシに教えたいっていうなら、次の秋までに、この黒く澄んだ瞳へ他の季節の事を映して眠らせておけばいいわ。アタシはあんたといた秋の日の中で眠るから。今年の冬と、来年の春と、夏と。あんたが人間の仲間と過ごした秋の季節の事、一つ残らずしまっておいて。秋が来たら、取り出して、アタシに語って聴かせるの。約束よ」


 枯れ葉のドレスも、白い素肌も、冷たい次の季節の風にひとかけら、ふたかけらと飛ばされていきます。黄葉色の瞳から、ほろりと何かがこぼれ落ちたのを少女は見逃さず、手を伸ばします。


 それは、美しい金色に染まった、ひとひらの木の葉。

 風が止んだ時、切り株の上には何一つ残ってはいませんでした。


 〇


 あくる朝、少女が部屋の窓を開くと、一面白で覆われていました。昨日のうちに雪が降って、秋のにぎやかな色彩を隠してしまったかのようです。冷たい鼻をさすり、口から零れる白い息が外にとけるのを見届けて、少女は窓を閉めました。それから、机の上に置いておいた、金色の葉っぱを手に取ります。


 冬の朝の光を受けて輝く葉を、少女は日記帳の中に挟みました。彼女が褒めてくれた瞳に映した秋の外の思い出を一つ残らず伝えるため、今日から日記をつける事にしたのです。 

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秋の魔女 豆腐数 @karaagetori

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