最高品質の冷やし中華、爆誕

「お昼は冷やし中華食べたいなぁ」


 あるじはそんな事を譫言うわごとのようにつぶやいている。時刻は午前中、お昼までまだ大分だいぶん時間がある。あるじは熱中症の様な症状が出て、多少の計略はあったものの、今は有給休暇というものを取り、エアコンの効いた家でごろごろしているのである。

 まあこれだけ暑いと冷やし中華を食べたいと考えるのも無理はない。さっき冷蔵庫を開けた時に冷やし中華がちらと見えたし、作ろうと思って買ってきたのであろう。


「体の中から冷やしたほうがいいと思うんだよね」


 誰に言っているのだ。しかも体の中から冷やすというのはあまり健康に良くなさそうに見える。これは冷たいものが食べたいという欲求に、建前をくっつけたような、人間独特の言動のように思える。


「でも野菜切ったりして大変だなぁ」


 冷やし中華は具材えものが多いのでいろどりは良いが、どうしても作る前に面倒だと感じてしまうのは理解出来る。だが逆に考えると、冷やし中華を作るには麺を茹でて冷やすという一番の大仕事以外は、大方おおかたは具材を切っておくだけと考えることも出来る。


 ここで冷やし中華の全貌ぜんぼうについて整理しておこう。

 まず冷やし中華の歴史について軽く触れておく。冷やし中華というのは中国由来の料理のようにも見えるが、実は日本独自のものである。此れには根拠がある。詰まり、中国料理の調理法には『麺を水で洗う』という遣り方が存在しない。麺を茹でてから水で洗い冷やすというのは日本のものなのだ。また冷やし中華のたれとして醤油だれがあるが、此れにはお酢が入っている。此れについても、たれにお酢を使うということがそもそも中国料理ではあり得ないのだ。冷やし中華の発祥は1940年代、戦後の食料不足が解消され始めた時に新しい料理として提案されたものである。発祥の地は諸説あるが、東京もしくは仙台である。

 かく、冷やし中華は和製中華であるから、日本人はそれを暑い夏に思い切り楽しめば良いのだ。

 さて、冷やし中華の具材えものとして定番のものは、玉子たまご、ハム、胡瓜きゅうり、トマトである。あとは紅生姜べにしょうががあればなお良いが、四天王とも言うべき具材はこの四つである。

 玉子たまご錦糸卵きんしたまごにして細切りにする。ハムと胡瓜きゅうりも同様に細切り、トマトはうすりにして茹でた麺の中心から放射状に盛り付ける。


「でも私病人だからなぁ。めんどくさいんだよなぁ」


 あるじは具合が悪いことにかこつけて何とか横着おうちゃくしようとしているようである。寝床で寝転がりながらスマホを取り出し、指で画面をさわり始めた。


「冷やし中華。レシピ。簡単」


 何やらぶつぶつとつぶやきながらスマホの光る画面で指を動かしている。画面が遷移せんいして冷やし中華のうまそうな写真と小さな文字が画面に表示されている。それを見ながらぶつぶつとつぶやき続けるあるじ。「きゅうりはスライスでいいや」「玉子はゆで卵でいいや」などと言っている。

 だが玉子はぜひ錦糸卵きんしたまごにして欲しいと願うばかりだ。錦糸卵きんしたまごを上手く作るには小難しい技術が必要だと感じているのかも知れないが、実は特に難しいことはない。卵焼き器で作る必要もないし、卵液らんえきを混ぜてフライパンに流し入れ、簡単な裏技を使って放置するだけである。

 卵液は卵一個ならば砂糖小さじ1、酒は多めの小さじ2/3、塩は下味程度に少々を入れる。油を引いて良く熱した揚焼鍋フライパンに卵液をすべて――卵を二個以上使うなら薄焼き玉子ができる程度を――流し込み、揚焼鍋フライパンかたむけて回しながら全体が均一になるように卵液を流し広げる。ぐるぐると揚焼鍋フライパンを回し続けると、広がった卵液はすぐに底の部分が固まり揚焼鍋フライパンに張り付く。

 さて、此処ここからが裏技である。このあとぐに濡れた布巾の上に揚焼鍋フライパンを置いて、さらにふたをするのだ。これは濡れた布巾の上に置くことによって薄焼き玉子の底の部分を焦がさないようにしつつ、蓋をして熱を逃さず、上の表面の部分に熱を通すという技法である(濡らして絞った布巾ではなく、濡らしたままの布巾であることが重要である)。

 そして一分から二分ほど待つのだ。実に簡単である。待った後であれば薄焼き玉子もそんなに熱くない。手を添えて切れる程にはなっているのだ。あとは細く切るだけである。

 そして折角せっかくならばきゅうりも細切りにすると良い。あるじ薄切りスライスでいいやと言っていたが、薄切りスライスにするのなら、実は胡瓜の場合に限っては千切りまであと一歩なのだ。薄切りにスライスした胡瓜を少しずつずらして並べ、細く切っていくだけだ。これだけで見事に胡瓜の千切りが出来――


「そうか!!!!」


 びくっ!


 としてしまった。

 ではないか。まったく。

 急に大きな声を出さないでもらいたい。一体何なのだ。


「今のうちに切っちゃえばいいんだ」


 主はそう言うとがばっと起き出し、台所に行って鍋にお湯を張り、ゆで卵を作りながら胡瓜やらハムやらを冷蔵庫から取り出した。そして胡瓜を薄切り器スライサーで切り出した。


「冷やし中華!はじめました♡」


 どうやら昼飯のために今から冷やし中華の準備をしておくようである。あるじが上機嫌で言っているこの一文いちぶんは、昔ながらの町中華料理店まちちゅうかりょうりてんが、夏季に出したお知らせにちなんでいる。


「作り始めました♡」


 誰に説明しているのかわからないが、あるじ台詞セリフを説明している吾輩のほうが恥ずかしくなってくるのでやめてもらいたい。


 しかし、この遣り方自体は感心と言わざるを得まい。料理店などでもお客に料理を手早く出すために仕込みというのをやるが、こうしておけばあとは茹でるだけ、焼くだけという事になる。家庭でも同じように仕込んでおけば、後から食べたい時に驚くほど簡単に食べられる。特に暑い時にこつこつと料理するのが億劫おっくうな場合もあるだろう。野菜などを切っておくだけでも気が楽になる。つまり食べたい時に――


 ぽりぽり♡


 主は薄切りにスライスしている胡瓜をつまみ喰いしているようだが。


 えへん。つまり食べたい時に麺さえ茹でれば食べられる状態にしておきやすいというのが冷やし中華である。


 あるじは胡瓜の薄切りスライスを終え、ハムを千切って、トマトも切り終え、ゆで卵を作り終えたら、それらをすべて冷蔵庫に入れてそそくさと寝床に戻ってきた。このかん約十分程である。今日の仕事を全てやり遂げたようなにんまりとした笑顔を浮かべながらごろごろとしていたが、いつの間にか腕をだらんと垂らし、やがてすうすうと寝息を立てて寝てしまった。


 あるじの寝ているに少し語るとしよう。

 あるじり方は、『冷やし中華は具材を千切りにして、綺麗に放射状に盛り付けるもの』という常識を無視した下拵ごしらえであったが、容易たやすく冷やし中華を食べられるという意味ではの様な作り方も有りである。

 後は麺を茹でるだけという形にっているのも気楽で良いだろう。麺を茹でて具材を盛り付ければ食べられるのだ。

 だが冷やし中華における麺というのは、一つ重要な点がある。此れだけ語っておき、終わることにしよう。

 冷やし中華を旨いと感じる重要な点の一つが、麺の冷え具合である。冷やしたスープがなみなみとあるわけではないので、麺はそれ以上冷えない。如何いかに麺が冷えている状態で完成させるかというのがきもである。具材えものは元々が熱した具材えものを使うわけではない。ハムも胡瓜もトマトも玉子も、直前に茹でたゆで卵は別としても、冷蔵庫で保管してあるゆで卵や錦糸卵であればそこまで気にする必要はない。


 しかし麺だけは別である。食べる直前に熱湯で茹でているのだ。その熱々の麺を如何に「冷やし中華足るべき冷えた麺」として完成させらるるかが冷やし中華の質を高める最大の障壁となる。ここを間違えるとぬるい麺になってしまい清涼感がなくなってしまうが、逆にこれが達成されれば、冷え冷えの麺に冷え冷えの具材が乗った、最高品質の冷やし中華の爆誕ばくたんなのである(爆誕ばくたんは最近覚えて気に入っている語句である)。

 それではこの最高品質の冷やし中華を作るための裏技を、此処でも其れを駆使していくことにする。

 用意するものはもちろん冷えた水である。これは水に氷を入れた氷水こおりみずか、もしくは冷蔵庫で冷やしておいた冷水が望ましい。水道水ではなく、きちんと冷蔵庫や冷凍庫を活用したものであるべきだ。ちなみに氷水を使う場合は、ボウルに張った水に氷を入れた後に軽くかき回しておくと、水が全体的に冷えるので此れは欠かさずやっておいた方が良い。

 そして肝心の冷やし方だが、茹で上がった熱々の麺をそのまま氷水や冷水に入れるのは感心しない。まずは麺をざるに開け、水道水で流しながら冷やし、粗熱あらねつを取るのだ。此の時笊の下にボウルがあると効率が良い。ざるだけだと水道水が麺に触れた後にすぐ素通りしてしまうが、ボウルがあれば水道水が何度も麺に触れることになるので同じ分量で粗熱を取れる。吾輩はれを「粗熱あらねつり」と呼んでいる。

 そして手で軽くもみながら粗熱を取り、良い頃合いになったと思ったら、此処ここで用意しておいた冷水にて本格的に麺を冷やす。麺をざるから開け、冷水に浸けながら軽く揉む。この二段階の冷やしを行なうことにより、麺の芯までしっかりと冷やすことができる。吾輩はこれを「ほんやし」と呼んでいる。


「そうか!!」


 うおっ。

 なんだ。寝言か。

 まったく、寝てても油断のならないあるじである。

 では最後に、他の具材えものについても語っておく。他の具材えものとして、焼豚チャーシュー、鶏ささみ、蟹蒲カニカマ、ツナ、茹で海老、豚しゃぶなども良い。ツナ、茹で海老、豚しゃぶなどは冷やしておくとより旨い。野菜系で言うとかいわれ大根、豆苗、オクラ、レタス、もやし――茹でて冷やしておく――、きくらげも良い。また豆腐に合うような茗荷みょうが紫蘇しそも香りが効いて清涼感が増す。この辺りも冷蔵庫にある物で何とかしてみても全く問題はない。

 さあ、そろそろ吾輩も一眠りすることにする。まあ大体言いたいことは言い切った。あとは吾輩にも旨い冷やし中華を御馳様ごちさましてくれれば申し分ないのである。それがかなわないのであれば、盛り付けの瞬間辺りで狙うことができるかも知れない。



 獲物ぐざいは選り取りみどりである。

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吾輩はグルメである 遥風はじめ @hajimeck

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