第4話
御前崎には陸希と真希の人格がある。だとすれば俺たちに近づいた目的は何だ? 二重人格でシンパシーを感じたからなのか。何にせよ確かめる必要がある。
それを確かめるために俺たちはいつもの公園に彼女を呼び出した。
就業時刻をすぎて夜の闇に包まれた頃、彼女は現れる。以前と違い、照明が修理されて明るくなった公園に訪れた彼女は静かに言った。
「名前で呼ぶのは二人の時だけって陸希に言われたはずよ」
「松坂と話していたのは一宮だけどな。代わりに謝るよ。悪かったな」
「いいわ。済んだ事だし、もうその名前で呼ばれる理由もないから」
この冷たい感じは陸希ではない。だとすれば真希の方か。
「陸希と呼ばれる理由がない、とはどういう事だ?」
「彼女はもういないわ。消したから」
「消しただと」
「一宮のせいよ。円滑な人間関係を築くためだけの人格に自分らしく生きていいって言うから。自由になりたいなんて言う人格なんて必要ないと思わない?」
俺たちのような存在にとって消去というのは殺人と同義だ。それをさらりと口にする真希が恐ろしく思える。
「お前も二重人格のくせによくそんな事ができるな」
「そんなに
「次だと?」
「
ああ、わかった。真希が近づいてきた目的が。自分以外の人格も、一宮の事も、駒としか見ていない。こいつにとっては使える道具なんだ。
怒りが爆発する寸前、主導権を奪われる。
「陸希さん! そこにいますよね! なりたい自分があるならそんなやつに負けちゃだめだ!」
一宮は俺以上の怒りをぶつけた。それでも真希は揺るがない。
「陸希は消したと言ったはずだけど。仮に逃れていたとしても、私に打ち勝つなんてありえないわ。主人格が弱い一宮なら簡単でしょうけど」
「君が強い? だったらいくつも人格を抱えているはずがない! その数だけ弱さもあるんだ!」
一宮の言葉は真希に向けられたものだが俺にも強く響いた。あとから生まれた人格という不確かな存在のために本気で怒り悲しんでくれる。それがうれしかった。
しかし真希には笑いとばされる。
「二宮を逃げ道にしているあなたらしい考え方ね。でも私には当てはまらな――」
真希は言葉の途中で頭を抱えた。うめき声をもらしながら身をよじらせる。頭上にある複数の照明が真希の影をいくつも作り、本体に合わせて影たちも揺れた。
彼女たちは主導権をめぐって争っている。陸希が勝てるはずがない戦いなのに、一宮が踏み込んだ事によって形勢が変わろうとしていた。
「陸希さん! 頑張れ!」
『一宮、それ以上は駄目だ。お前は首を突っ込みすぎている』
「二宮は陸希さんが消されてもいいのか? 良くないだろ!」
『そうじゃない。主人格を否定するという事はお前自身を否定しているのと同じなんだぞ!』
ただでさえ不安定な俺たちは小さな綻びで関係が崩れかねない。自らを否定すれば人格が消えかねない。それがわかっていないのか?
「わかってるよ、二宮。僕が主人格で君は僕の弱さが生んだ人格だ。それはエゴだし、陸希さんに消えてほしくないと思っているのもエゴだとわかっている」
一宮は全て理解したうえで自嘲気味に笑う。
「二宮、僕は君の言う通りエゴイストになれたよ」
「俺はそんな意味で言ったんじゃないぞ!」
「いいんだ。そのエゴが僕を消すなら受け入れる。それでも! 陸希さんは生きていてほしいんだ! 彼女が僕に光をくれたから!」
御前崎はさらに苦しみだし、そして動きを止めた。ゆっくりと顔を上げる。表情からは真希か陸希かわからない。もしかすると別の人格である可能性もあった。
「一宮君。ただいま」
「陸希さん?」
彼女はうなずく。
「もう消えてしまうんだって諦めた時に聞こえたんだ。頑張れって。戻ってこれたのは一宮君のおかげ。真っすぐな心が伝わってきたから参希や五希たち、みんなが力を貸してくれた。私たちを救ってくれて、本当にうれしい」
「僕の方こそ陸希さんと出会わなかったら変われなかった」
一宮は陸希の手を取り、陸希は一宮の手を握り返す。障害を乗り越えてつないだ絆の姿がここにあった。
そんな二人に水を差すのは心苦しいが確認しなければならない。真希がどうなったかだ。それを一宮経由で伝えた。
「今は大人しくしてくれているけど、とっても怒ってる。でも話合うしかないよね。どんなに時間がかかっても。彼女も私たちのひとりだもの」
「そうだね。僕も手伝うと言いたいところだけど……」
一宮は目を閉じて力なく倒れた。当然、視界を共通している俺も闇に包まれた。
『二宮、あとはよろしく』
それは声に出された言葉ではなかったが俺に届いた。
同時に視界が開ける。そこは陸希と行った水族館だった。あの時とは違い、客は誰もおらず、水槽を背にする一宮と俺がいるだけ。それは初めての対面だった。
『何が起きてる?』
『たぶん心の中だと思う。最後にちゃんと向き合って話したかったからじゃないかな』
そう言って頬を緩める一宮の姿は揺らいでいる。水槽で屈折した光に照らされているせいではなく、輪郭が定まっていないように見えた。
『もう一度言うけど、僕がいなくなったあとをよろしく』
意図は聞くまでもない。今回の件で俺たちのバランスは大きく崩れた。そもそもひとつの体に人格が二つという不安定な状態で、俺に体を渡す決意をしてしまえば存在理由も消えうる。それが主人格でも例外にならない。
『一宮はそれでいいのか?』
『二宮は僕の理想像なんだ。だから君が残るのは当然だろ』
弱々しく肩をすくめる主人格の背後を魚群が通る。色鮮やかな魚たちが作った影が一宮をいっそう暗くした。
俺は大股で近づき、一宮の胸ぐらをつかんで水槽に押し付ける。
『お前こそ理想を俺に押し付けるな! 自分でやれ!』
俺は怒鳴り、魚群はぱっと散った。再び一宮に光が差したが、姿が薄れゆくのは止まらない。
しかし、まだ手はある。真希は陸希を消したと言っていた。真希にできるなら俺にだってできるはず。
どうしたらいいのかはわからなかったが、強く念じるだけで手応えを感じた。
『一宮、お前に任せるのは心配だけどな。陸希と助け合えば大丈夫だろう』
『二宮? 何を?』
『一宮の変わりに俺が消える。そうすれば安定するだろうよ』
それで一宮を救える。確証はないが確信はあった。俺の意図がわかったのか、一宮は声を荒げる。
『駄目だ! 消えるのは僕でいい!』
『黙れ。もともとはお前の弱さが原因だろ。責任持って克服しろ。それがエゴを貫き通すって事だ』
『二宮!』
一宮は泣いていた。それを見て俺は笑う。水族館のスピーカーが外の音を伝えてくれていた。一宮を心配する陸希の声を。涙声で必死に呼びかけているのは俺の名前じゃない。
それが答えだろ。なあ、相棒。
消去を加速させ、消えてしまう間際に一言だけ付け加えた。
『胸を張れ。お前ならうまくやれるさ』
支えあえる人ができた一宮は大丈夫だ。それを嬉しく思い、俺は消えた。
終
【短編】表のお前を支えるのは裏の俺 Edy @wizmina
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