エピローグあるいはプロローグ

 どれだけの時が過ぎたのだろう。時間はあたしにとってなんの意味もなさなかった。暗闇の空間にはなんの変化もなくて、本当に時が停まってしまったかのようだった。

 由希と過ごした時間がぐちゃぐちゃに絡まりあって、洪水のように押し寄せてくる。もっとたくさんおしゃべりすればよかった。もっと一緒にいればよかった。放課後、用もなく学校に残って二人だけの教室にいた時間。そんなのじゃ全然足りない。

 二十四時間ずっと一緒にいるべきだった。まわりの視線なんて無視して、ずっと由希のことだけ見てればよかった。

 こんな―――、こんなわけの分からない形で、突然別れを告げられるなんて思いもしなかったから。

 由希は、本の向こう側に消えてしまった。

 これじゃ、死んでしまったのと同じだよ。


「……死んでしまったのと……おなじ?」


 口に出してつぶやく。自分の思考が、ひどく心に引っかかった。

 絶望の中に、かすかな波紋が起こる。胸がざわつく。

由希はもうこの世界にはいなくなってしまった。それは死んでしまったのと同じことなんだろうか。本当に?


「……違う」


 違う。全然違う。由希は生きている。

この世界を棄てて、どこか違う物語の中にいってしまった。


―――たった、それだけの、ことなんだ。


 少しずつ、だけどはっきりと、自分がなにを為すべきかが見えてきた。それは、ここにこうしてうずくまって、由希との思い出のなかに沈んでいることじゃない。

 肩を突かれてからずっとぬけでてしまっていた力が手足に戻ってくる。瞳に生気が宿るのが自分でも分かる。

あたしは立ちあがり、占い師の男をまっすぐ見た。


「お願いがあります。……あたしも、物語の世界へ連れていってください」

「それは無理だ」


 どこかあたしを試すような目をしながら、けれどきっぱりと男は言う。


「“扉”は選ばれた者のみを招き入れる。私はただ、その仲介をしているのに過ぎないのだから……」

「でも―――」


 男に喰ってかかろうとして、声を途切れさせた。

 気づいたのだ。

 依然、あたし達を取り囲み、立ちならぶ本たち。その一冊が光輝いてみえた。いや、本当に光っているんじゃないかもしれない。

ただ、他の本がすべて色あせて闇のむこうに消えて見えるほど、強烈な存在感を感じる。あたしを、呼んでいる。


「これは……」


 はじめて、男が驚きを顔に出した。


「なんと、なんと得がたき日だろう。“扉”が二人もの少女を選ぶ、その時に立ち会えるとは」


 驚愕はやがて狂喜へと変わっていく。

 けど、あたしの喜びはそれ以上だったと断言できる。


「じゃあ、由希に会えるんですね」

「いや」


 男は棒を真横に構え、首を振る。


「“扉”に選ばれし者にはそれぞれの物語がある。先ほどの少女と君の入口もまた別だ。幾千の物語を旅しても、君達二人が再び出会うことは奇跡にひとしい。いや、それ以前に―――」


 男の瞳に冷酷な光がちろりとのぞく。


「奇跡的に再会を果たしたとして、彼女は再び君を拒むかもしれないよ」


 それは絶対にない―――とは言えない。

 あたしは由希の想いに気づけずにいた。由希が何を思い、何に閉塞してこの世界から旅立ってしまったのか。いまもなお、由希が秘めていた気持ちは分からない。由希にとって、そんなあたしのことは必要ないのかもしれない。

 由希に肩を突かれた、あの時の喪失感を思い出す。できるなら、もうあんな傷つきかたはしなくない。

 でも、あたしのこたえは決まっていた。


「そんなこと関係ない。あたしが由希の傍にいたいの」


そう、関係ないんだ。

理不尽で暴力的な、相手のことすら考えないこの感情。


 ただ、傍にいたい。


 もう一度拒まれるとしても、嫌がられたとしても、今度は手をはなしたりしない。無理矢理にでもしがみつく。だって、あたしがそうしたいんだから。

 男がさも愉快そうに笑った。


「ふっ、ふはははは。面白い。私は、君をあの少女に依存するだけのかよわい子かと思っていたが、とんだ思い違いだったようだ。これほど強い意志の持ち主だったとは……。“扉”が招き入れるわけだ」


 当たり前だ。あの、どんな時でも我が道を行く女の子、由希にずっとくっついてきたのだ。 あたしだって、由希に負けないくらい頑固なんだ。


 笑いをおさめると、男は棒を振り、高らかに告げた。


「では、行くといい。願わくは、互い入口は異なろうとも、奇跡が二人の少女を引きあわせんことを」

「……ありがとうございます」


 あたしは男にちょこっと頭を下げ、本の元へと歩いていった。

 由希もこれと同じ感覚を味わっていたのか。まるで、生まれる前から知っていた声に呼ばれているみたいだった。この本の向こう側に行くのが生物として当然、みたいな感触。


 けど、あたしを呼んでいる物語がどんなものか、見当もつかない。

 もう家には帰れないのかもしれない。家族にも別れを言えてないけど、後悔はない。

 本がページを開く。まばゆい光に全身が包まれた。あたしの全神経が、闇の世界とは違うどこかへ運ばれていくのを感じる。


 由希にあったら何を話そう。

 できるなら、今度こそ由希の想いを包み隠さず聞かせてほしい。

 その上で、由希を説得して元の世界に戻ってくるのだろうか。それとも一緒にどこか別の世界で暮らすことになるのだろうか。

 あたし自身、由希に会ったその時に、なにを決めるのか分からない。


 けど、これだけは断言できる。

 たとえ、どれだけ長い旅路を経ることになったとしても。幾千の物語のかなたに行くことになるとしても。


 ―――あたし達は、もう一度出会う。

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ユキとヒカリ ~Ⅰ奇術師~ 倉名まさ @masa_kurana

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