人形遊び

@mmznhmn

本編

 まだ帝国が支配していた時代の、とある西欧の田舎町を舞台としたお話。

 

 町に唯一存在する寂れかけの酒場・ヘラ鹿ジカ亭の看板娘であるアリシアは、若草の芽吹く季節になるといよいよ数え歳で十八を迎えますが、生まれてから一度たりとも町の外に出た経験がございませんでした。そんな閉鎖的な人生を送ってきたからこそ、とある中年の常連客がこっそりと噂していた「密造酒」の話題は彼女の興味を大変強く引きつけたようでございます。樽のコックを捻ればドボドボ流れ出てくるあのシュワシュワとした液体は、実は業者が湖の底から汲んできたものなんだよ、という昔聞いた酔っぱらいの冗談を真に受けて育ってきた彼女にとって、自らの手で酒を作るというのは今までに思い浮かばなかった発想の一つでございました。

 さっそく翌朝になると、彼女は麦芽とホップを朝市で仕入れ、それらを樽の中に放り込んで水と一緒に漬け込みました。そうすると数日後には、酸味と苦味だけが強く残る発酵の未熟な麦芽汁が樽いっぱいに生成されたのでございます。彼女はしめやかに密造の失敗を悟りましたが、食べ物を無駄にしてはいけないという母の教えを護るため、その不穏な麦芽汁を常連客へと振る舞うことに致しました。こうしてアリシアは数多くの浮かれた酔っぱらい連中を、一口呑ませるだけで真顔のシラフに引き戻したのであります。


「こんなもん、飲めたもんじゃないよ」


 ある日、常連の商売仲間からはファビオラと呼ばれている、黒いフードを被った妙齢の女商人が、振る舞われた麦芽汁を一口舐めて率直な感想を述べました。彼女はアリシアに対し酵母は何を使ったのかと問いましたが、そもそもアリシアは酒が酵母の働きによる発酵の産物であるという知識すらもなかったため、無です、とだけ答えたので、ファビオラはそうか、無か、とだけ呟いて大変に渋い顔を致しました。


 「いいかいお嬢さん。密造酒の作り方っていうのは……」


 そこでファビオラはハッとして周囲を見回しました。酒の密造は帝国でも取締の対象となり、もし見つかれば大変に重い罰金刑が待っているからです。


「いや、なんでもない。忘れてくれ」


 ですがアリシアという好奇心旺盛なお嬢さんの前でそういった思わせぶりな発言を漏らしてしまいますと、却って彼女の興味を引きつけることになるのは自明でございます。それからアリシアは何とかしてファビオラから密造酒のレシピを聞き出そうと、一杯奢ったり、まかないを振る舞ったり、隣に座って腕に腕を絡ませてきたりと、傍から見ていると羨ましいほどに過剰なサービスでつきまとうのでした。


「あぁもう、しつこいなお嬢さん。あたしは自分で呑む分だけ家でこっそり作ってるんだ。人に振る舞うためじゃあない」


 アリシアは物欲しげな子犬のような表情を浮かべますが、ファビオラも負けじと冷たくあしらいます。今まで口の軽い密造酒の造り手がろくな目に合わなかったのを、ファビオラはよく理解していたからです。しかしアリシアの方もしつこさでは負けておりません。

 ある晩アリシアはファビオラの帰りをこっそりと後ろからつけ、彼女が寝屋としている旅舎の前で声をかけました。


「ほぅ、驚いた。そこまでして知りたいもんかね」


 アリシアは首を縦に振りました。ファビオラは困った表情を浮かべながら逡巡しておりましたが、しばらくすると雨が降ってきたため、やむを得ず、といった形でアリシアを自分の部屋に招き入れたのでございます。

 彼女の手狭な部屋は一見するとガラクタのようにしか見えない小道具で埋め尽くされており、足の踏み場もほとんどないので、ファビオラは小さめの古箪笥の上のホコリを軽く払ってそこに座るよう勧めました。

 ファビオラは淡々と語り始めます。

 

「あたしは国中を転々と移動する商人でね。小麦、蜂蜜、山葡萄などといった現地の特産品を使って密造酒の仕込みをして、羊の膀胱で作られた革袋に詰めておくと、馬車に揺られている間に醸されて、隣町に着いたころ丁度いい塩梅に仕上がるって寸法さ。それで造り方だが……」


 いや、ちょっと待った。


「今仕入れているのは蜂蜜酒だな。蜂蜜酒は密造酒の中でも一番造り方が簡単で、まず……」


 だから、ちょっと待ってってば。


「……え、誰?」


 このようにファビオラは口頭で密造酒の製造方法を説明しようとしましたが、具体的な手順を述べてしまうと役人から摘発対象となる危険性がございます。それに手順をアリシアが忘れてしまうといけません。

 そこでファビオラは造り方の手順を記述し、それをアリシアに手渡すことを思いついたのでございます。

 

「え……?あぁ、うん。お前さん文字は読めるか?たしかそこに羊皮紙があったから書き出しておくよ。ええと……」


――

 

「ってやれば、大概は失敗せずに仕込みができる」


 アリシアは大変に喜び、ファビオラにこれ以上ないほど感謝の言葉を伝えました。それからファビオラはせっかくなので、彼女にお手製の密造酒を振る舞うことに致しました。


「え?別にそんなつもりは毛頭ないが……」


 ですが彼女は自分の密造酒を振る舞う機会がなく、本当に美味しい密造酒が仕上がっているのかという自信がなかったのです。


「いや、人に振る舞うため酒を造っているわけじゃないんだがな……。まぁ、一口ぐらいなら」


 アリシアは小さな硝子製の杯に注がれた黄金色の蜂蜜酒をうっとりと眺めながら、それを口に含みました。それはなんとまぁ、どれほどまでに甘美な味わいだったのでしょうか。我々は彼女の表情は伺えても、決してその悦びを計り知ることができません。


「うん、それはよかったね……」


 しかし、アリシアは一つ重大な事実を失念しておりました。彼女は酒屋の娘でありながらあまりにも酒に弱く、酒癖が悪く、そして酒淫の性向を兼ね備えていたのでございます。

 

「え、そうなの?」


 アリシアの頬はみるみるうちに赤く染まり、なんだか身体が火照ってきましたね、などと言い訳の抗弁を垂れながら羽織っていたショートガウンを脱ぎ、腹部のコルセットを一段一段ゆっくりと緩め始めましたのでございます。


「おいおい、ここは商売道具も多いんだ。うっかり傷つけないでおくれよ」


 アリシアのあられもない姿を目にし、ファビオラも相当にご無沙汰だったためか、段々とそういった方面に気持ちが昂ぶって参りました。


「いや、そんなことないぞ。勝手な推測で物事を決めつけないで頂きたいのだが……」


 アリシアのぷっくりと熟れた唇が段々と近づいてしまうと、ファビオラがそれを強く拒むほどの理由はございません。


「いや、拒否権ぐらいは権利として保障させてくれないか?」


 こうしてアリシアの細くて白い指がファビオラのそれに触れ、指と指が絡みあうと……。


――


 気がつくと二人は同じ寝床で長い一夜を過ごし、窓から漏れ出た陽光を浴びていたのでございます。


「いや、まだ夜だし。何ならお嬢ちゃんはぐっすり眠ってしまったようだけど……」


 ……あのですね、先程から何なんですか貴女は。


「それはこっちの台詞だよ」

 

 いや、貴女も登場人物として、もう少しこちらの筋書き通りに話を進めて頂きたいのですが。


「知らないよ。勝手に密造酒を呑まれるわ、寝床の半分を失われるわ、こっちだって散々なんだ」


 大体さっきのは何です?密造酒のレシピを全部口頭で言おうとしてませんでした?


「別に二人きりならいいじゃないか」


 いいえ違います。貴女が全部説明してしまうとこの短編は密造酒の造り方を掲載した不道徳な文章として、税務署から是正指導が入ってしまうんです。不用心すぎますよ。


「知らないよ。そりゃそっちの都合じゃないか」


 それだけじゃないですよ。ファビオラさんはどうしていちいち文の流れに身を任せず、遮るように一言挟んでくるんですか?そのまま地の文に任せていい塩梅でねんごろになってくれれば、こちらとしては手っ取り早く、濡れ場をあまり描写しすぎて年齢制限に引っかかることもなく、無事に事後から始まる百合が始まってくれて展開が楽なんですから。


「じゃあ何だ。君は登場人物の一人であるあたしに対して、一言も口を挟むことなく、ただ人から言われた通りにだけ行動しろと言うのか?そこにあたしの意思は含まれないのか?」


 どうして貴女はそんなに反抗的なのですか?


「別に反抗的という訳ではないんだけどね、それは君の願望をあたしに押し付けているだけじゃないのか、と言いたいわけだ」


 そりゃそうですよ。私は自分から生み出したアリシアというキャラクターをこよなく愛しております。でも直接関わることができないからこそ、貴女という当て馬を用意し彼女と関係を持たせることで、こちとら悔しい思いをしながら気持ちよくなっているんです。


「思ってたより業が深い」


 とにかくですね、私がここまで打ち明けてしまっては物語としてはもはや崩壊です。アリシアさんが目覚める前に、貴女には徹底的に登場人物の立ち振舞いとは何かを教え込む必要がありそうですね。


「こっちも好き勝手操り人形みたいに扱われて不満が溜まってたんだ。このまま朝まで討論と行こうじゃないか」


 望むところです。


「まず大体、お宅はプロットも世界観も練り込まずに都合よく話を進めようとしているのが問題で……」


 貴女、突然えげつないこと言いますね。


――


「……あれ、私いつの間に眠っていたの?」


 アリシアが目覚めると、横には疲れ果てたファビオラが薄い布団に包まりながらうずくまっておりました。


「昨晩の出来事は覚えていないのだけれど、何かあったのかしら?」


「あぁ、いいんだ。勝手に疲れただけだから、お嬢さんは気にしなくていいよ」


「そっか……それじゃあお邪魔しちゃったわね。またお店で会いましょう、ファビオラさん」


「うん、またな」


 こうしてアリシアは緩んでいたコルセットを締め上げ、上からショートガウンを羽織り、ドアから出ていき……行ったわね、ファビオラ。


「もう君と話すことはない……」


 いいや、話させてほしいの。貴女と一晩対話を続けた結果、私は自分の浅はかさに気づいてしまった。ファビオラ、貴女は私が思っていた以上に知的で、明晰で、魅力的な人物だった。もちろんアリシアも私の心を捉えて離さないが、今の私は君の物語をもっと書きたい。君は今日から私にとっての主人公なの。


「おいおい、勘弁してくれ……」


 美しく聡明なファビオラ様は寝床からしめやかに起き上がられると、大瓶から手桶で水をお掬いになり、その美麗なるご尊顔を丹念に洗い流されました。


 「はぁ、顔を洗うだけでずいぶんともったいぶった表現だこと……」


 こうして今日もまた、ファビオラの前途多難で素敵な一日が始まろうとしているのでございます。 

 

 

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