最終話
「……なんの用ですかしら?」
落ち窪んだ眼でこちらを睨むのは、Utopia Tentative-model No.3。自分にとっては娘?
いや、双子の妹といったところか。そんな彼女は強化ガラスの向こう側で、露骨に投げ遣りな態度を示しながらパイプ椅子に座っている。
東京拘置所地下特別留置場。超国家規模の規格外犯罪者を収監するための施設は久方ぶりの稼働だからか、大分かび臭い。蘭子は自分と同じ顔のテロリストと面会しに来たのだ。
「別に。潰れていないかどうか、確認しに来ただけ」
「私の仕様を知っているようですが、通常の人間如きに心配される精神構造ではありませんわ」
「ふーん」
あの時は泣いてたくせに。№3こと茉莉の物言いに、蘭子は気のない返事をする。
まあ、あまり同じ顔は見たくないだろう。あの埠頭で紘と志乃の戦力を見分にしに来た際も、自分を遠ざけるために虚偽の通報をするぐらいだ。
巨永課長による逮捕劇から二週間が経った。
国家を揺るがす一大事変は、「俺には出来ることがまだある筈なんだ!」と官邸幹部に叫んだらしい総理による直々の陣頭指揮、UNITIの介入、警察、検察の強制捜査を受け、特務情報部だろうがヘグリグだろうが、一斉に身柄を拘束。
そして、何度行ったかも分からない聴取と調書作成をもって、蘭子は開放。一方、水無瀬顕長は、拘束こそ免れたものの、監視付きのホテルに幽閉されてしまった。
「…………」
目の前には、恨みがましげな視線を向ける〝自分〟が居た。
「……もう〝志乃ちゃん〟のこと、諦めはついた?」
蘭子から口火を切る。
「――――ッ!」
両手足を拘束されている茉莉が無理やり立ち上がって、こちらを殴りつけようとしてきた。だが、強化ガラスに阻まれた茉莉は、哀れにも床へと転がりながら、
「綾崎……蘭子っ‼」と嚙みつかんばかりに吠えている。
「……へえ。まだ〝志乃〟ちゃんへの想いがあったんだ。もう、忘れたのかと思ってた」
蘭子がガラス越しに茉莉を見下ろすと、茉莉は「どうして……」と驚愕の面持ちだ。
「アンタがその便利な能力を重要局面でしか使わなかった理由……私の発展機だもんね。対象の薄暗い望みをみんな受信しちゃうんでしょ? 他人の悪意を飲み込みすぎた貴方は……」
茉莉は呆気に取られた顔をする。
そこに、高飛車なテロリストの代行指揮官は、もう居なかった。
「……そう、ですわね……もう、〝志乃〟のために抱いていた怒りも悲しみも、薄れつつあります。私にはもう、〝志乃〟への思いが、残っていないのです……」
テロリストの正体は、妹の死を受け入れられない普通の女の子。
そんな少女は、他人が晒されたくない思いを弄び過ぎて、自分の大切な本当の想いを、失ってしまったのだ。
「〝……志乃……戻ってきて、くれませんか……?〟」
茉莉が天井を見上げて、自分とそっくりの――喉元に組み込まれた変声機を用いない本当の――声で、ぼんやりと言霊を発する。
でも、その内なる望みを叶えられる人間は、もう地球上の何処にも居ない。妹のために涙すら流せなくなってしまった茉莉は、まるで乾いた抜け殻のようだった。
扉が開き、新たな面会者が現れる。
そこには、気まずそうな顔をしたいずみが立っていた。
「……げ、元気そうで良かったです、先輩……。それに、姉さんも……」
「いずみ……」
こちらも気まずい。なにせ、期せずして三姉妹が揃ってしまったのだから。
いずみは、全てを知らされていた。父親の陰謀も、姉の正体も、自分との関係性も。
蘭子が戸惑っていると、茉莉がつっけんどんに言い放つ。
「……犯罪者の姉なんか忘れなさい、いずみ。生き別れた、本当の姉さんが居るんだから」
「ちょっと、そんな言い方……!」
蘭子が窘めようとすると、いずみがバン、と強化ガラスを震わせるような大きな音を立てながら、手前の台を叩いた。
「違うもん! ……姉さんだって……お姉ちゃんだもん……。お父さんを殺そうとしても……私に本当の家族を与えようとしてくれた……お姉ちゃんだもん……!」
「いずみ……」
血を分けた妹は、ポロポロと涙を零し始める。呆気に取られている茉莉を尻目に、蘭子はふう、と息をついて面会室の扉を開ける。
「いずみ。もう寂しくなんてないよ。貴方にはお姉ちゃんが二人も居るんだから」
そんな妹は、肩を震わせながら、無理やり笑顔を作った。
「――――また学校で会いましょうね、蘭子お姉ちゃん……」
いずみの泣き笑いの挨拶に対し、蘭子はにこやかに手を振る。
すっと、強化ガラスの向こうから声がした。
「――また来なさい。今度は……志乃も連れて……。その時はまた、姉妹喧嘩してあげますわ。いずみと志乃の姉の座は、渡しませんから……」
蘭子は背中で茉莉の負け惜しみを聞き届けた後、次面会に来るときに持参するお菓子のことを考えながら、拘置所の出口を目指した。
「妹がいっぱい増えて、お菓子の出費が重なっちゃうなあー」
*
「本事案の顛末を聞き及びました。話を聞く限り、今回の件は世界大戦寸前の大事件であったと、整理するほかありません。貴方はどう考えていますか、高宮紘特務官?」
潮風の吹く国際埠頭で、紘は一人の女性と並んで立っていた。
たなびく銀髪に颯爽とした出で立ちのパンツスーツに身を包んだ女性の姿は、二十代の白人系女性にしか見えない。
「俺は……分かりません。ただ、エンテレケイア達に……極刑が下されないことを祈るばかりです」
「それは、この国の政府が決めることですから。ただ、職業軍人とはいえ、幼少より軍務に服するしかなかった以上、それ相応の情状酌量はされると思いますけどね」
そう言って、彼女は優しく微笑む。まるで、本物の人間であるかのように。
そう。彼女は人間ではない。目の前に居る女性は、冴島首席護国官がその破壊を企てた、国際連合規格外技術機関の基幹AI〈メガセリオン・システム〉のヒト型端末である。
あの逮捕劇以降、様々な機関からの聴取に追われた紘にあてがわれた最後の尋問官が、この規格外技術の粋を集めて造られた機械仕掛けの事務局長補佐官だった。
二足歩行ロボットの知識がASIMOで止まっている紘にとって、UNITIの管理する科学技術は想像の数百歩先を行く。
彼女は「どうぞ、リオンとお呼び下さい」と親しげに話しかけ、自分をこの埠頭に連れてきたのだ。
「リオン補佐官は……いえ、UNITIは、この国をこれからどうするんですか?」
「調査次第ですね。ただ、多くの国との利害関係が絡む以上、必要以上の制裁は出来ないでしょう。ことは米中の安全保障問題にも関わりますし、日本の一軍閥が企てた陰謀劇、それで幕引きを図るのが、水面下で動く我々のシナリオです。米中ともに今回の事件が表出するのを極度に恐れていますからね。我が機関への圧力も相当なものです」
つまり、今までと殆ど変わらないということだ。
世界がカオス化する中、状況を取りまとめる指導者はもう居ない。無秩序が跋扈し、それを裁けない世界が、近づきつつあるのだ。
「要するに、自分で考えて選んでいくしかないってことですね」
「貴方なら出来ますよ、特務官。それは、本事案における行動で示されています」
どうだろう。自分は用意された状況に、最後まで翻弄されていた。冴島や革命組織ヘグリグの謀略に、最後まで振り回されていただ
けではなかったか。
「貴方は混沌の世界で生きることを自ら選んだ。一九八九年の自律稼働以来、ここまで明確な意思の強さを示した人間を、少なくとも私は知りません」
そして、リオンは紘の肩に手を載せる。機械とは思えないほどの体温を感じた。彼女は遠くの海岸線を眺めながら、感慨深そうに言う。
「世界が多極化、細分化していく一方、個々人の意識は先細りを見せ始めています。この業界で貴方のような人材が活躍することを、我々は期待しているのです。――〈ARスクエア〉」
「…………それは、スカウトということですか?」
なんとなく、そんな気がしていた。あの人知を超えたレーザー砲のような兵器の表出はもうできない。戦闘機がUNITIに接収されてしまったからだ。
建造元の米国は、知らぬ存ぜぬを突き通しているらしいが、事件の顛末を知ったUNITIの関心は、既に紘へと移っていた。
本部は「Xレイ級の出現ではないか」などと大騒ぎだったらしい。
そんな自分に、基幹AIの人型端末が会いに来るなんて、理由は一つしかない。
「貴方の妹のこともお任せください。我々が最高の医療技術でお迎えします。貴方は身一つでくればいい。危険な任務に従事する必要もありません。……まあ、モルモットとして幾ばくかの研究には付き合って貰うでしょうが……いかがですか?」
規格外技術の最高峰とされる機関からのスカウト。これは、またとない機会だ。芹那のこともあるし、危険な任務はもうこりごりだ。ここは受けるのが正しいのだろう。
だが――――。
「お気持ちは嬉しいですが、辞退させていただきます。俺はまだ、この国でやるべきことが沢山ありますから」
率直に今の気持ちを述べる。すると、やはりリオンは険しい表情を見せた。
「…………はっきり言いましょう。この国の政府では、貴重な人材がすり潰されかねません。担当直入に言えば、我々は貴方を保護したいのです。俗な言い方ですが、貴方はこの極東の島国よりも、世界にとって必要な人材なのですよ。それが、私が事務局長に提言した結論です」
そんなに持ち上げられるとは思わなかった。
だが、それでも、自分はやるべきことがある。
「なら、尚更逃げるわけには行かないんです。俺は、まずこの国で、自分がやるべきことをしたい。UNITIなら、妹の治療も進むし、もっと大きな正義のために働くことも出来るかもしれない。でも、俺は、やりたいことより、自分にしか出来ないことをすべきだと、そう、思うんです」
貧乏くじを引いて母親役を芹那に譲った〝志乃〟のことを、紘は思い出していた。
が、言いながら後悔していく。こんな国で、これからも特務情報部で働きますなんて、どう考えても頭がおかしい。
でも、それが自分にしか出来ないことなら、逃げたくは無かった。
それが、あの時自分が助けられなかった〝彼女〟に対するせめてもの、贖罪だ。
「――私の顔は、地球人類が見てもっとも好感を抱く表情を演算し、対象の人間を誘導することが出来ます。でも、貴方にはそれが、効かないのですね……」
紘の肩からリオンの手が離れる。紘は素晴らしい未来を捨ててしまったのだろう。
「それでは、名残惜しいですが、そろそろ帰国の時間が近づいていますので。――今度は世界最高峰の笑顔を超える、無表情なエージェントに、是非とも会ってみたいものですね」
最後に、機械仕掛けの彼女はまた女神のような笑顔を紘に向けて、別れを告げた。
*
「芹那。そろそろ学校に行くぞ」
「あっ、ちょっと待ってお兄ちゃん!」
ドタドタと慌てて封筒を持った芹那がリビングから取り出す。宛先は「東京拘置所 セレナーデ・カナン様」。芹那とセレナーデは、最近ずっと文通をしている。
「セレナーデね。この間、いつか出所したら一緒に食事をしようって書いてきたんだよ!」
「へえ」
あの小生意気そうな小娘が、そんな殊勝な事を書くとは。
もしかしたら、表面上はピリピリしているだけで、内面は年ごろの少女と同じなのかもしれなかった。ちなみに、紘も手紙を出したことはあるが、返信はただ一言「伯
父さん、お小遣い頂戴。五百万円」だった。
彼女の製造目的も巨永から聞いた。でも、もう後悔はしなかった。だって、自分と芹那に家族が出来たのだから。そうやって新しい関係が築けるといい、と紘は思う。
あれから、紘は蘭子や巨永と共に、ヘグリグ達の身分が少しでも保証されるように走り回っていた。国内を混乱させたテロリストではあるが、抹殺されたら堪らない。
紘にはまだ、茉莉やセレナーデと話すことが、いっぱいあったからだ。
蘭子といずみは、あれから何度も茉莉と面会しているようだ。彼女も最近は気力を取り戻し、来週は紘と芹那も面会に行く予定だ。
茉莉は志乃――つまりは二番目の彼女にも、会いたいと言っているらしい。
だが――。
「……お兄ちゃん、今日も特務の任務だよね?」
「そうだな。課長はベトレイアの回収作戦で躍起になっているし、今日も志乃の穴埋めで駆り出されるんだぜ? 全く最悪の職場だ……」
それを聞いた芹那は、少しだけ迷った様子で、言い澱む。
「志乃ちゃん、何処へ行ったんだろうね……」
「……アイツが居なくても、やってみるさ」
曲がりなりにも核戦争寸前のシナリオを描いた№4と同一人格を持つ後継機。その扱いは政府でも注目を浴びた。彼女の身柄は特務どころか、瀧上次席すらあずかり知らぬこの国の暗部へと送られ、特別国有財産としての処遇が検討されるという。
マンションのエレベーターを降りて、横断歩道を目指す。あらゆる情報機関に監視されていたことが懐かしい。その状況を打開してくれた女の子との日々も。
――あ。
見慣れたふてぶてしい表情を携えて、信号待ちをしている学生服の少女が、横断歩道の手前に立っていた。
手元には、大きなブレードが収納されたと思しき、鞘が携えられている。
「――志乃ちゃん!」
「芹那!」
芹那が志乃に抱き着く。そんな妹を、志乃は優しく撫でながら紘の方を見上げ、
「……またも特務情報部への配置転換を命じられました。望外な超能力を持つ〈ARスクエア〉の監視と護衛。まったく、何処までわたしの時間を奪えば気が済むのですか、コウは?」
「……その割には何処か嬉しそうじゃないか?」
紘がからかうように訊くと、志乃は
「まさか。わたしの感情表現が豊かだったら、厄介事に苦しむ表情が浮かぶでしょう。――例えば、まさにわたしの心は、この絵と同じなのです」
「え?」
くしゃくしゃになった厚紙を押し付けられた瞬間、志乃は青信号になった横断歩道を振り向かずに駆け出していく。
「あっ、志乃ちゃん、待ってよー!」
紘がくしゃくしゃの紙を開くと、そこには満面の笑みを浮かべる少女の顔が描かれていた。
「……あいつ、ずっとこの絵を…………?」
*
――コウ。わたし、偽物でも笑うことが出来なくても、もうそんなこと気にしません。
――だって、貴方と一緒に居る限り、わたしはずっと、笑っていられますからね。
了
エンテレケイアのプロトコル 神山良輔 @sphere009
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