終章(Expressionless smile)
第51話
内閣総理大臣官邸。
国政中枢機関の一室にあるだだっ広い会議室に、紘は被告人のように立たされていた。居並ぶは情報機関の高級官僚たち。席の中央を陣取るのは、
「失楽園計画。エンテレケイア計画。そして、秋津洲プロトコルの実現に、どれだけの労力を掛けたか。いや、金と時間の問題ではない。今回の計画は、衰退する我が国を救う、最後の命綱だった。№4の亡霊というインシデントを取り除いた今、再度の儀式遂行を、君は拒むのかね?」
そう。本物の〝志乃〟や茉莉という脅威が排除された今も、UNITIの基幹AIを破壊する失楽園計画のユニットは、未だ残ったままだった。
紘、志乃、そして〈プロヴィデンス・システム〉。
まだ、失楽園計画実行の余地は、残されている。
「……お断りします。当職はあくまで規格外技術犯罪の鎮圧が主任務であり、当該技術を用いた国家的犯罪に与することは、職務の本分ではございません」
きっぱりと紘が拒絶すると、冴島は手元のリモコンを操作する。果たして、会議場に設置された液晶に現れたのは、芹那だった。
そこには、息も絶え絶えに苦しむ妹がベッドに横たわり、無数の点滴に繋がれている姿が映っていた。
「芹那ッ!」紘が取り乱す一方で、冴島は冷静だ。
「彼女の治療に間に合って良かった。これからも、我が国最高の医療で君の妹を支えよう。だが、もし命令に従わないのであれば、残念だが彼女の命は保障できない」
UNITIの基幹AIを破壊すれば、無節操な規格外技術の濫用が始まる。
その過程で、この国ではテクノロジーによる統治が始まり、いつしか世界中でSFファンタジーじみた戦争が引き起こされるのだろう。
衛星が落ちていた未来と、行きつく先はなんら変わりはない。
「沈黙は了承という意味かね? ――そうだ。君には辞令が出ている。№4、代読してもらえないか?」
液晶が切り替わる。そこには、虚ろな表情をした天祐志乃が椅子に座らされていた。
彼女の周辺には多くの特殊部隊員が配置され、彼女をいかようにも出来ると言う暗黙のメッセージを発している。
志乃の方にもこちらの映像が届いているのか、画面越しに彼女と視線が交錯したように、紘には思えた。だが、その距離はかつてないほど、隔たれている。
志乃は内閣特殊事態対策センターに戻された。
あろうことか彼女はいま、冴島直属の部下だ。
志乃は少しだけ逡巡するが、すぐに首を横に振り、震える手で手元の紙を読み上げる。
『こ、国家公安委員会了承人事異動通知書を代行して内示します。〝高宮紘 警察庁警備局特務情報部特務第二課 特務官 内閣官房内閣情報調査室 内閣特殊事態対策センターに出向させる 任命権者 警察庁長官〟……以上です』
だが、そこまで言い切って、志乃は声を上げた。
『こ、こんなの認められません! コウ! わたしは――――!』
「志乃っ⁉」
画面の向こう側で志乃が取り押さえられ、映像が乱れる。画面が暗転すると、再び映像が切り替わり、チューブに繋がれた芹那の姿が映し出された。
自分が情けなくて、芹那の顔すら直視できない。紘と志乃には能力があっても、権力はなかった。戦争さえ引き起こせる能力を持っていても、大人が持つ本物の、根源的な力には、絶対に勝てない。
人間を統治し、使役し、生殺与奪の権利を握るのは、兵器ではなく人間そのものだ。
「君の妹も№4も、未だ我が国の管理下にある。君には選択権があるが、それを使うかどうかは、君次第ということだ……」
淡々と冴島は現在の状況を告げた。
「こ、この……‼」
結局のところ、紘には国家に従属するしか道はない。芹那を守るためには、生きていくためには、この国家権力と呼ばれる主権実体に付き従うしか、ないのだ。
「高宮紘。君の気持ちは理解できる。だが、我が国に有能な人材を遊ばせておく余裕は、もうないのだよ。我々は今日明日の権益を求めているわけではない。君と君の子どもが生きる五十年後、百年後の未来を考えなくてはならないのだ」
居並ぶ官僚たちがこちらを見つめる。全て、この計画の賛同者たちだった。
「貴方達の言い分は俺だって分かる! でも…………」
それを否定するには、紘には経験も説得力も、無かった。まだ子
どもだった。悔しかった。大切な相棒も妹も守れない自分が情けな
くて。
でも自分には、力が足りなすぎる……。
ポン、と肩に手が置かれた。紘が振り向くと、そこには神経質そうな男が佇んでいる。
「……子供に未来を託すと言えば聞こえはいいですが……。その未来づくりを子供に投げ渡すような国ならいっそ、本当に一度滅亡した方がいいのではないでしょうか?」
「か、課長ッ⁉」
巨永幸彦特務情報第二課長が、そこに立っていた。
「動くな! この場に居る全員に、裁判所から令状が出ている! 特に首席護国官。
――貴方には内乱罪の嫌疑が掛けられています。ご同道いただきたい」
冴島首席が幽霊でも見たように驚愕の面持ちを浮かべて叫ぶ。
「ば、バカな……。警察には既に手を回していはずだっ!」
「そのバカげた人事異動の命令権者は、先ほど警察の正常化を私に命じました。そして、今ほど総理からは、新たな内示を預かっております。〝高宮紘 内閣特殊事態対策センター 失楽園計画専任執行官 警察庁警備局特務情報部特務第二課に出向させる〟――以上。お連れしろ!」
巨永に命じられた捜査員が、一斉に官僚たちを拘束し、連れ出していく。よく見れば見慣れた面子。お隣の特務第一課に所属する超能力警察官ばかりだ。
みんな、無事だったのか……。
官僚達が物憂げな表情を浮かべる傍ら、冴島があろうことか哀れみの視線を向けてきた。
「十年後に後悔しても遅いぞ……。その時、お前達は気付くのだ。この国を滅ぼしたのが、一体、誰だったのかをな……」
「一官吏として、親として、その誹りを甘んじて受けましょう。この国を滅ぼしたのは〝何もしてこなかった我々大人たちであった〟とね……」
それを聞いた冴島は、項垂れた様子で会議室を後にする。そして、巨永は大画面に映し出された芹那を眺めながら
「もう、大丈夫だからな……」と優しく声を掛け、部屋を後にする。
「あ、ちょっと課長……!」
「――高宮紘!」
慌てて呼びつける紘に対し、巨永は振り向く。
「……任務ご苦労。引き続き、次の任務に当たって貰いたい。……今回は、よくやった」
そう言って、去っていった。ポツンと取り残された紘の背中を誰かが叩く。
「キミが巨永の秘蔵っ子か」
白髪の多い壮年の男性が背後に立っていた。
「貴方は……課長室の前ですれ違った……」
どこか人を食ったような男が、邪気の無い笑顔を振りまく。
「巨永は私の後輩でね。〈ベトレイア〉を調べるうちに、エムザラ遺伝子非活性化のプロセスに気付き、あの日君達兄妹を呼びつけたんだ。しかしすぐ、あの薬物に絡む南スーダンの真相に気付き、ヘグリグは、口止めの意味も込めてミサイルをあのビルに撃ち込んだのだよ」
突然現れてはペラペラ喋り出す男に紘が警戒心を向けるが、男の話は止まらない。
「彼は事件以来地下に潜り、首席護国官による謀議の証拠を追っていたんだ。あの権力の回廊に執着していた男がこうまで変わるとは、人間は何歳になっても成長するということか。警察OBとしては感慨深いものだ」
「あ、あのー……貴方は……?」
紘の問いかけに、男は勿体ぶったように答える。
「私は瀧上功。内閣特殊事態対策センターの次席を預かる者だ。……そして、かつては君の父上の上司でもあった。――君の名前も、彼が私から取ったものだ」
親父を知っている?
それに、内証第一の次席護国官ということは、この男が……。
「さてさて。まんまと戦闘機と量子コンピュータを取り寄せるダシにされた馬鹿者として、まずは娘を救出しなければな。……もちろん、君も手伝ってくれるだろう?」
そう、有無を言わせない様子の瀧上に伴われながら、紘は薄暗い議場を後にした。
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