第8話 最後の晩餐と葬送
ムッシー……もとい本当はモモなのだが、彼女のかつての愛犬によく似た存在と出会ったことで少女は少し落ち着きを取り戻したようだった。
名を訊けば、恥ずかしそうに「レイチェル」と教えてくれた。
キヨは相変わらずのしかめ面ながらも、ボロ着を纏った少女を放っておけなかったようで、手を引いて自室の浴槽に連れていき、体を洗うのを手伝ったようだ。
(そう言えば、キヨの部屋……行ったことないな)なんてことを勇太は思った。
いや、キヨに限った話ではないのだが。
この不思議な空間でリネン室から支給される服は、ここに来たときの格好をベースにしているようだ。
だから勇太はデザインは多少異なるものの相変わらずのスーツだし、ちぃはパーカーにデニムの出で立ち、キヨはモガの衣装を隙なく着こなしている。
◆ ◆ ◆
「お待たせ」
ちぃとふたりで食堂車で時間を潰していれば、キヨとレイチェルがやってきた。
レイチェルに与えられた服は、彼女の時代相応の仕立てだったが、それでも清潔な服に身を通し、キヨが丁寧に髪をすけば頬には少し赤みが増して、血色を取り戻したようだ。
しかし、まだ落ち着かないのかうさぎのぬいぐるみを手放さない。
珍しく、駅長も食堂車におり、端の席でコーヒーカップを傾けていた。
勇太は努めて、彼女に不安を与えぬように穏やかな口調で話しかける。
「着替えたんだね、似合ってるよ」
そう言うと、レイチェルは恥ずかしそうに俯いた。
「こんなかわいいお洋服、いつぶりかわかんない。夢みたい……」
もじもじする少女に、ちぃが明るい声を掛ける。
「服だけじゃないよ! これから美味しいごはんが待ってるからね~」
レイチェルは不思議そうに目を瞬かせていたが、ワゴンの食事を見て目を輝かせる。
キヨは「これは貴女の分。好きなだけ食べなさい。慌てず、ゆっくりね」
ブイヨンにロールキャベツが入ったスープに、焼きたての柔らかなパン。温かな紅茶。
それらを前にしたレイチェルは何度も念を押すように「ほんとにほんとに食べていいの!?」と確認していた。
──それまで黙っていた駅長が口を開く。
「これが私の出来る精一杯のもてなしだ。遠慮するな」
最初は駅長に怯えていたレイチェルだったが、徐々に心を許し始めているようだった。
「駅長さん、ありがとう」
そう言って、少女は涙を溢しながら少しずつ食事に手をつけ始めた。
──それからしばらくして、思い出したかのように「お父さんとお母さんもごはん食べられてるかなぁ」と呟いた。
勇太は、ぎくりとした。
だって、彼女の両親は、もう……。
気まずい沈黙を破ったのは駅長だった。
「心配することはない。明日、君の両親の元に連れていく」
その言葉にレイチェルの表情が、ぱぁっと晴れる。
「えへへ……早く会いたいなぁ」
無邪気に微笑む少女の横顔に勇太の胸はずきりと痛んだ。
その晩、レイチェルはキヨの部屋で眠った。
どうやらちぃもそちらに合流しているらしく、勇太の寝室は静寂に満ちている。
──今日は多くのことが有りすぎた。
ベッドに横たわり目を閉じる。
しかし、体は疲れているのに眠気は一向に来る気配がない。
レイチェルの恥ずかしそうに微笑む姿がリフレインする。
(何か……思い出せそうなんだ)
自分と元の世界を繋ぐ唯一の手がかりである社員証を握りしめる。
ぐるぐると考え事をしているうちに、気が付けば眠りに落ちていた。
──夢を、見た。
薄靄がかかったかのように、相手の顔は見えず声も聞こえない。
それでもその人は無邪気な声で勇太のことを呼んでいた。
勇太は夢の中で(これは夢だ)とわかった。
「君は僕のことを知ってるの?」
「××××××」
肝心の部分が聞こえない。
けれど、右手を握られる感触があった。
それはおそらく小さな子どもの手。
──パズルのピースがはまっていく感覚。
そう、あと少しで僕は大切なことを……。
起床を告げる鐘の音で目が覚めた。
直前までみていたはずの夢は、もう思いせなかった。
◆ ◆ ◆
身支度をして食堂車に向かうと既に一同は揃っており、豪勢な朝食に舌鼓を打っていた。
レイチェルの顔は昨晩より晴れやかである。
食後の果物を皆が食べ終わったタイミングで駅長が立ち上がり、全員に告げた。
「今日はこの子を両親の元に連れていくので夜まで留守にする」
キヨは目を伏せて、ちぃは事態がわかっていないのかきょとんとした表情を浮かべていた。
口元を緩ませてご機嫌な様子だったレイチェルは、何かに気がついたように顔を曇られた。
蚊の鳴くような声で「駅長さん」と口を開く。
「なんだ?」
「お父さんとお母さんのところに行ったら、ここのみんなとはもう会えないの?」
今にも泣き出しそうなレイチェルの小さな頭をキヨが撫でる。
「そう。でも本当はここに留まってるのは良くないことなの。だから、あたし達のことは忘れて……大切な家族のとこに行きなさい」
「……キヨは?」
「!」
レイチェルの言葉にキヨが息をのむ。
「キヨは、家族のところに行かないの? ちぃも、ユウタも」
泣き出しそうな少女に見上げられて、勇太は視線を外すことしか出来なかった。
「あたしたちは……いいの」
キヨはきっぱりした声で言う。それは強がりかもしれなかったが、レイチェルに弱さを見せまいという年長者の矜持だった。
「あたしたちも、いつか大事なことを思い出したら、追いかけるから。だから――」
勇太は言葉を繫ぐ。
「うん、だからレイチェルは先に行っていて」
精一杯の笑顔で見送る。
忘却の終着駅 @kamame893
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