ビクトリア・マッチポンプ

旅籠談

ビクトリア・マッチポンプ

 同じホテルの新館と旧館とのあいだで戦争が勃発していた。

 数量限定で販売される正月のおせち。その食材をめぐる激しい攻防が、従業員同士で繰り広げられている。


「黒糖海老はウチがもらう!」

 旧館のお局が拳を上げて叫んだのに対し、

「旧館の客なんてジジイとババアしかいねえんだ。いつもの栗きんとん出しとけば、それで満足だろ」

 と、新館のヤンキー崩れが応戦する。


「なんだって? 常連もいない新参のくせに生意気な!」

「ああん? やんのか、ババア!」

「ちょっと待ってください」


 二人のあいだに割って入ったのは、オーセンティックホテルズ本部から派遣された坂木道夫だった。

「穏やかにやりましょうよ」

「誰だよ、あんた」

「オーセン本部の坂木です」


 年末にヘルプに入る予定があり、今日はその打ち合わせに来たのだと伝えると、二人は坂木の説明にとりあえず納得した様子だった。

 本当の目的は別のところにあるのだが、それを一般社員に明かすつもりはない。


「ほらぁ、本部の人に迷惑かけちゃだめでしょ」

 口論する二人のもとへ、スーツ姿のショートカットの女性が歩み寄る。

 企画部マネージャーの劉だ。

 坂木は、今日、彼女に会うためにホテルへとやってきた。


 このホテルが配信するメールマガジンは、本部が指定した最低購読者数を大幅に下回っている。本部の人間としてノルマ未達を批難し、テコ入れを要求することが今回の訪問の目的だった。


「坂木さんのいうとおり。穏やかに解決しないと、ね?」

「穏やか、ってよぉ。食材の取り合いは、そもそも、おたくら企画部の発案じゃねえか」

 新館のヤンキー崩れが吐き捨てるようにいう。

「そういうのは、これ」

 妙になまめかしい仕草で、劉が唇の前に人差し指を立てる。

「外の人にはいっちゃダメだよ」

 それを見たヤンキー崩れは、赤面したまま横を向くと、急に押し黙ってしまった。

 旧館のお局は、劉と反りが合わないのか、顔を伏せたままで視線を合わせようとしない。


「そうだ! 黒糖海老を賭けて、人間の代わりにアバター同士を戦わせるってのはどう?」

 このときの劉の提案により、食材を賭けた両館の争いは、仮想空間における従業員アバターの戦いへと移行することになった。



「そういえば、けっきょくどちらが黒糖海老をゲットしたんですか」

 大晦日のヘルプ当日。久しぶりにホテルを訪れた坂木は、食材を巡る攻防について劉に尋ねてみた。


 すると、劉からは、「まだわかりません」という、信じがたい返事が返ってくる。

 おせち料理の提供までは、残り数時間の猶予しか残されていない。

「え、さすがに冗談ですよね?」

 真顔のまま、ゆっくりとかぶりを振る劉。坂木は驚きを隠すことができなかった。


「もうすぐ決着がつきます」

 新年を迎えた時点で、アバター生存者数の多いほうが黒糖海老を手に入れるのだという。

「そんな、無茶苦茶な……」

 客に喜んでもらうためのおせち料理だというのに、直前まで争っているせいで準備が進んでいないというのは本末転倒だ。


「本部の方にはわからないでしょうけど、ホテルの現場には、一年のあいだに溜まった不満やストレスが大量にあるんです。こうやってガス抜きをしないと、フレッシュな気持ちで新しい年を迎えることができないんですよ」

 それが彼女の本心であるのかどうかなど、部外者でしかない坂木には知る由もない。

 単純に、本部の方、という、棘のある突き放した表現が気になった。


「それで、いまはどちらが優勢なのでしょうか」

 詳しく話を聞いてみると、新館と旧館の争いは凄まじいことになっていた。


「――といった具合です」

 劉の話では、状況は五分五分なのだというが、問題はそこではない。

 仮想空間上に従業員アカウントを作成する。参戦に必要なその手続きには、致命的な欠陥が存在していた。


 アカウントの認証には本人確認が必要となっており、同じ従業員が重複して登録するのを弾く仕様となっているのだが、その仕組みに重大な欠陥があり、未登録のメールアドレスさえ所持していれば、同一の従業員番号でいくらでも新規アカウントを作成することが可能になっていた。


 システムを構築したのは情報システム部の若手男性社員だったが、年末の激務のなかにあって、急ごしらえで環境を整えたのだから、誰も彼を責めることはできない。

 責めるとすれば、この代理戦争を発案した劉のほうだろう。

 ともかく、このことが原因で、主戦場は現実世界へと回帰することになる。


 システムの抜け穴、クローン複製の裏技が何者かによってリークされると、従業員たちは、捨てアカウントを作って自軍の手駒を増やすことに心血を注いだ。

 作戦は一つ、物量で敵を圧倒する。新館と旧館の双方が、同じ考えのもとに次々とクローンを投入していき、新規に登録されたアカウント数は、最終的には従業員総数の200倍にまで膨らんでいた。


「この戦いの発案者として、私には決着を見届ける義務があります」

 そういうと劉は、坂木の前に白い手を差しだす。

「よかったら、坂木さんもご一緒にどうですか」



 誘いに乗って仮想空間にアクセスすると、双方の最後の一人となった生き残りアバター、旧館の田中十四世と新館のミチコ186号が、まさにいま、最終決戦を始めようとしているところだった。

 新年を迎えるまで残り一分。勝利の女神は、いまだどちらに微笑むべきか決めかねている様子だ。


 泡立て器を持った田中十四世が勢いよく打ちかかり、その攻撃をまな板で防いだミチコ186号が熱湯のカウンターを浴びせる。

 二者の頭上では、最終決戦を盛り上げるかのように、カウントダウンのド派手な演出が展開されていた。

【十、九、八、七……】

 カウントダウンが残り三秒を刻んだ、そのとき。


【ビクトリアが参戦しました】

 通知と同時にフィールドに出現したのは、深紅のドレスを身にまとった、所属表示のない女性アバターだった。

 ビクトリアという名のそのアバターは、手にした中華包丁で一帯をなぎ払い、田中十四世とミチコ186号を一瞬で殲滅してしまった。


【ハッピーニューイヤー!】

 仮想空間の勝利の女神は、新館にも旧館にも微笑まなかった。上空に花火が上がったそのとき、舞台のうえに立っていたのは無所属のビクトリアだけだった。

 勝者をたたえる花火を背に、ビクトリアが口を開く。


『勝負は引き分け』

 ビクトリアが発した言葉は、成り行きを見守る従業員たちを大いに動揺させた。

『ですが、安心してください。食材の不足は解消されました。黒糖海老は両館に提供されます』

 黒糖海老の卸売業者が、値を吊り上げるために在庫を隠していたのだという。


 争う理由がなくなったことで、従業員たちのあいだには、互いを労い、新年を祝う空気が漂いはじめていた。

 ――部外者の自分がこの輪に加わるわけにはいかない。

 仮想空間を離脱した坂木は、ホテルを退館するために薄暗いバックヤードを歩く。


 仕事帰りに初詣という選択肢もありだな、などと考えながら歩いていると、ふと聞き覚えのある単語が耳に入った。

 すぐ先の部屋で、ビクトリアという名が呼ばれた気がしたのだ。

 気づかれないよう、扉の隙間からそっとなかの様子をうかがうと、劉と情報システム部の男性が向かい合って話をしていた。


「メルマガの登録者数、ノルマ達成ですね。おめでとうございます」

 頬を上気させた男性が、劉に向かって紙コップを掲げる。


「アカウントを作成すると、強制的にメルマガ購読者になりますからね。システムに欠陥を残すことで捨てアカでの参戦を可能にし、従業員同士の対立を煽ってアカウントを水増しする。こんな方法で本部の追求を逃れるなんて、僕なんかには考えつかない悪魔的な発想ですよ」

 男性はうっとりとした表情で劉を見つめている。


「自分で火を着けて自分で消火する。自作自演のマッチポンプが私のスタイル。これ、どういう意味かわかる?」

 男性の熱い視線を浴びて、劉は口元に笑みを浮かべていた。


 恋情に火をつけられ、都合よく利用されただけの男性が、どのように消火され、そして捨てられるのか。その結末は、わざわざ見届けるまでもない。

 扉から身を引いた坂木は、足早にホテルをあとにした。


 近くの神社に参拝をし、新年の誓いを立ててから、晴れやかな気持ちで帰途につく。

 白い息を吐きながら参道を歩いていると、人混みのなかで坂木の肩を叩く者が現れた。


「坂木さん」

 振り返ると、そこには劉が立っていた。坂木に向かって微笑みかける彼女は、人目を引く深紅のコートを身にまとっている。ビクトリアのドレスと同じ色だ。


「劉さん……」

「あけましておめでとうございます」

「えっ? あ、どうも、おめでとうございます」

 坂木の視線のなかに疑問の色を感じ取ったのか、劉は、自分がなぜこの場にいるのか、その理由を説明しはじめた。


「じつは私、新しい名刺をお渡しするのを忘れていて、それで追いかけてきたんですよ」

「追いかけてきた? ここまで?」

 参拝客で溢れ返るこの場所では、特定の人物を見つけることなど容易ではないはずだ。彼女はどうやって、後ろ姿だけで自分を見分けることができたのだろうか。

 ――いや。

 それ以前に、初詣のことを劉に話した記憶などない。


 劉は、脇に抱えた古文書のようなクラッチバッグから、一枚の名刺をずるりと引き抜く。

「年明けから、本部に出向することになりました」

 よろしくお願いします、といって、はにかむように劉は笑う。

 新館のヤンキー崩れや情報システム部の若手に見せていた、男を黙らせる悪魔の笑みだ。


 ――次のターゲットは本部ということか。

 さしずめ、こちらのことなど、手ごろな着火剤としか見ていないに違いない。

 向かい合う二人のあいだを、夜風とともに、得体の知れない黒い影が横切っていく。

 カラスだ。


 神域に入り込んだ邪悪な存在、というイメージが劉と重なった。

 魔除けの破魔矢か、それとも火難除けの御札か、いずれにせよ、身を守るためのなにかが必要なのは間違いない。

 神域を飛び立ったカラスが、擬態するように漆黒の夜陰に溶けていく。

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ビクトリア・マッチポンプ 旅籠談 @hatagodan

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