第6話(後編・上坂涼)
弾が発射される寸前を見定め、飛び退く。後は他6人の追従をかわしながら逃げる。銃撃を食らわないためにも、竹林へ全力で向かうんだ。
永遠とも思える刹那。神経が究極まで研ぎ澄まされ、無音の境地に叶絵が達した瞬間。
「えっ!?」
目の前に白馬が現れた。両目を閉じた状態で、そのまま叶絵に覆い被さってくる。
「ちょ!」
白馬は完全に脱力しているようで、モロに叶絵へのしかかる。何が起きているのか分からないが、死に直面していることは変わらない。なんとか身をよじって白馬の身体から逃れようとした瞬間。
「うぐぅ!?」
白馬が
「す、すごーい!」
ロッティと同じく白馬の背中にしがみついていたタダン族の少年が、キラキラとした目をロッティに向ける。
「えっと! 次は!」
一方のロッティは息を荒くして激しく興奮していた。それもそのはず。彼は7歳の子どもだ。判断力と胆力は当然未熟で、どのように行動すれば良いのか微塵も分からない。
だから予め、白馬から
ロッティではなく白馬の
天才といえど、鍛えていない筋肉はただの肉の塊だ。身の回りのものも正確に
マグカップであれば取っ手の部分だけ。人間であれば右半身だけ。という具合である。
「あ、あ、そうだ! 記憶!」
「え?」
ロッティは慌てた様子で叶絵の額に人差し指をつけ、すっと両目を閉じる。一方の叶絵は困惑したままロッティの顔を見つめるしかない。
「
その間、コンマ5秒。すっと両目を開けたロッティは何が起こったのか把握したかのように、若干の冷静さを取り戻していた。
ロッティは片手を持ち上げる。
「逃げよう叶絵!」
なぜ私の名前を……と聞くのは野暮だった。叶絵は弾かれたように立ち上がり、禁足地の外へと駆け出す。
ロッティの超能力で吹き飛ばされ、体勢を整えている最中の七星剣であれば、竹林に逃げ込むより正規の道へ飛び出すべきだ。
未熟な少年と昏睡した大学生に足場の悪い道は厳しい。それよりは1秒でも早く人目に触れられる場所に逃げ出す方が生存率は上がるはずだ。
「こっち!」
叶絵はロッティに振り返り、退路を示す。
駆け出そうとするロッティの西方から、拳銃を構える音。
叶絵は拳銃の音がした方向へ、瞬時に踵を返して駆ける。盗人は目ではなく耳で判断する。故に常人より一手先を征く。
「おらぁ!」
叶絵の見ている世界にはノロマしかいない。だから。
最短で、最速で、そこに――手が届く。
「ぐぁあああああ!?」
響き渡るメッサンガワの絶叫。叫ばない者などいるのだろうか。両目を指で貫かれて。
指に付着した血液を振り抜くように払い、叶絵はロッティを見る。
「逃げるよ」
ロッティは叶絵に駆け寄り、憧れの視線を注いだ。
ロッティには今の一瞬で何が起きたのか分からなかったが、メッサンガワが地面に膝をつく姿を見て、叶絵があのトカゲ男を倒したことだけは分かった。
ゆえにキラキラした目で大きく頷き、元気な返事をした。
「うん!」
――その瞬間。
「あはははは!!」
異様なまでの無邪気な声が後方からやってくる。
いつから”そこ”にいたのか。いつから”それ”を手にしていたのか。
タダン族の少年がトナティウの円盤を両手で持って立っている。円盤は地面スレスレのところでブラブラと揺れていた。
「え、どういうこと!?」
ロッティが心底驚いた顔でタダン族の少年を見やる。叶絵はどうしたものかと歯噛みした。
タダン族の少年がニヤリと笑ってふたりに語りかける。
「余計なことはしないでね。逃げてもすぐに追いついちゃうんだから。おとなしくそこで世界が浄化されるところを見物していきなよ」
「くっ……くくく……ぎゃはははは!」
両目を貫かれ、悶え苦しんでいたメッサンガワが狂ったように笑い始める。
タダン族の少年はゆっくりと俯き、手元にあるトナティウの円盤を眺めた。
「僕はね、大老の息子なんだ」
「ど、どういうこと!? それじゃあなんでテクートリの穂を盗んだりなんかしたの!?」
テクートリの穂とは、タダン族の少年が持っていた銀色の鉱石のことである。
テクートリの穂をトナティウの円盤のくぼみにはめることで、大厄災を引き起こすことが出来るのだと、だから自分はそれを阻止するために盗んできたのだと、ロッティと白馬は少年から聞かされていた。
「ロッティ。君は勘違いしてるよ。タダン族はひとつじゃない。ふたつの派閥があるんだ。この腐りきった世界を再生していこうとしている哀れな再生派と、神の息吹で穢れを一切合切消し飛ばし、新たな世界を生み出そうとしている浄化派。君たちは本当に良いタイミングで現れてくれた」
「何を言ってるの!? 全然分からないよ!」
ロッティは顔を真っ赤にして悲しそうに叫んだ。かたやタダン族の少年は苛立たしげに地面を軽く蹴る。
「はあ。人間のおつむはなんでこんなに成長が遅いの? ……だからさ、再生派のところから浄化派の僕がテクートリの穂を盗み出したのさ」
それを聞いてもなお、ロッティは納得がいかないように頭をぶんぶんと振る。
「で、でも君は僕たちに助けてって言ったよ!? 確かに本気で言ってたもん!」
「あれ、言ってなかったかな。タダン族はね”生命体の正体や何を考えているのかが分かる”んだよ」
ロッティの脳裏に叶絵の記憶が駆け巡る。メッサンガワが叶絵に話していたことと同じだ。
「そ、そんな……」
タダン族の少年の意図を察し、ロッティは思わず後ずさりする。
叶絵はここらが潮時だと思った。どうせここで一網打尽にされるよりは、逃げてみることに賭けた方が良い。メッサンガワを除く、七星剣たちもいつの間にか立ち上がり、タダン族の少年の周りに集まっていた。
彼らが立っているのは裏世界の入口前だ。つまり自分たちの逃走経路を阻むものは何もない。後方の出口への道へ駆け出すだけで良い。
「ロッティ! とにかく逃げるわよ!」
「う、うん!」
叶絵の声を皮切りに、出口へ走り出すふたり。
――しかし。
「無駄だと言ったよね?」
突如現れた真っ赤な壁に、ふたりは行く手を塞がれてしまった。
「な、なによこれ!?」
「この! この!」
ロッティが全力の
「ロッティ。僕はね、そこにいる間抜けとは違うんだ」
タダン族の少年はそう言いながら、メッサンガワに視線を投げた。
「真の革命者は敵に猶予など与えない」
さらにそう言い放ち、トナティウの円盤をひっくり返しながら、頭上に掲げる。
表面が露わになったトナティウの円盤には、既にテクートリの穂がはめ込まれていた。
トナティウの円盤から目が焼けるような赤い光が放たれる。
瞬く間に頭上の空が真っ赤に染まり、ごうごうと燃えさかる無数の火球が禁足地へと降り注いだ。
「ロッティ! 危ない!」
叶絵はロッティを抱いて、地面に飛び込んだ。
それとほぼ同時に、激しい破砕音がふたりの背後から響く。
ロッティの頭上目掛けて落ちてきた火球を、間一髪のところでかわしたのだ。
しかしロッティの集中が途切れ、白馬にかけていた
「太陽神トナティウ。破壊神テクートリよ。我こそは汝らが闘争を見届けんとする者なり。この地に芽吹く者ども全て、汝らの糧とならん。汝らが怒りを以てして、あらゆる芽を浄化し給え」
タダン族の少年が呪文めいたことを呟くと、円盤が赤黒いオーラで満ちていく。
一層まばゆい光を放ち、その強大な力を放出しようとした瞬間。
「
一筋の光とも呼ぶべき凜とした声が、トナティウの円盤に突き刺さる。
「!?」
タダン族の少年が目を丸くする。だが、もう遅い。
トナティウの円盤にはめ込まれていた鉱石は、既にテクートリの穂と瓜二つの鉱石とすり替わっていた。
「たまには探偵らしい仕事をしたいもんだねえ」
その声はロッティと叶絵の後方から聞こえてきた。
その人物はカツカツと小気味よく革靴の音を鳴らしながら階段を登ってくる。
ふいにタダン族の少年が目を見開いた。
「お、お前は……!」
やがて階段から姿を現した男の姿はまさにイギリス紳士。頭に耳当て付き旅行帽を被り、背にはフロックコート。ビリヤードパイプを咥え、片手でステッキを振り回す男の名は――
「運命は君に味方しないようだな、少年」
シャーロック・ホームズ。世界を代表する大探偵。その人であった。
「ふ、ふざけるなぁあああ!」
激昂したタダン族の少年が、トナティウの円盤から力を吸収し始める。
叶絵とロッティの隣に並んだ後、顎に手を置いて思案するホームズ。
「なるほど。一度発現した力は失われないというわけか。まあ、増幅を止められただけでも良しとしよう」
赤黒いオーラは消えたが、依然として発光したままのトナティウの円盤を冷静に観察するホームズ。
「穂を返せえええ!」
トナティウの円盤から力を吸い取り、凶暴化したタダン族の少年がホームズに襲いかかる。
尋常ではない速度でホームズに接近。下からのアッパーでホームズの顎を打ち抜こうとする拳を、ホームズはステッキで悠々と受けきってみせる。
拳とステッキの接点を中心に旋風が巻き起こり、火球によってごうごうと燃えさかる竹林を揺らした。
ホームズが肩越しにロッティを見た。
「見ての通り、僕はこの少年とのダンスに忙しい。……ロッティ」
「させるかぁああ!!」
ホームズの話を遮り、肌の色が真っ赤になったタダン族の少年が、牙を向き出しにしてロッティを見た。今すぐにでも飛びかかって命を奪おうとしている。
「マナーがなっていないな」
「!?」
ホームズがステッキを振り抜くと、目に見えない衝撃波がタダン族の少年を襲った。吹き飛び、若干の距離がふたりに生まれる。
「少年。どうやら君の力で僕の超能力を阻害しているみたいだけど、それは表に出てしまう能力限定みたいだね」
そう言いつつ、ホームズがステッキに念を込めると、ステッキが青白く光り輝き始めた。
「超能力にはこういう使い方もあるのさ。……行くぞ少年!」
「うわああああぁ!」
青と赤の衝突。旋風が発生し、炎を大きく揺らす。
再びホームズがロッティを肩越しに見た。
「ロッティ。君ならどうすれば良いか分かっているはず。そいつを信じろ。可愛い寝顔してるが、僕の一番弟子なんだ」
ロッティは意を決し、大きく頷いた。
白馬に駆け寄り、重ねた両手の平を白馬の胸元に向ける。
「
一瞬、昼になったかと錯覚するほどの白い光がロッティの手のひらから放たれる。
白い光は粘着性のスライムのようにウネウネと白馬の身体にまとわりつき、水が浸透していくかのようにすーっと 白馬の全身に染みこんでいった。
「白馬……お願い」
ロッティはふっと両まぶたを閉じて、地面に倒れてしまう。
「こ、ここは……?」
ロッティの超能力により、身体の時間を早められた白馬が目を覚ます。
焦げ臭さが鼻にまとわりつき、白馬は何事かと周囲を見渡した。
炎に包まれた禁足地。赤い光に満たされた空間の中で戦いを繰り広げるタタン族の子どもとホームズ。
状況を把握できずに困惑する白馬だったが、傍らで倒れたまま動かないロッティに気が付いた。
「……ロッティ!!」
倒れているロッティの肩を揺らす白馬。
「ううッ……頼む、目を開けてくれ……ッ!!」
「余計なマネはさせませんよ」
メッサンガワだった。潰れた両目から血を垂れ流すトカゲは、白馬を見下ろし、懐に手を入れた。
「……なに?」
しかし懐に入れた手は一向に出てこない。困惑した様子でゴソゴソとまさぐり続けている。
その瞬間、破裂音とともにメッサンガワの肩から血が吹き出した。風穴を手で押さえ、地面に膝をつくメッサンガワ。
反対を見ると、銃を構える叶絵が立っていた。銃口から白い煙がくゆり、空へと上っていく。
「超能力者と言っても所詮は子どもね」
ロッティを見下ろし、ふん、と黒猫を模したマスクをつけた女が鼻で笑う。黒のエナメルの全身タイツと両耳の十字架のピアスが、炎の光を反射してギラギラと煌めいた。
コツンとヒールの音を鳴らしながら一歩、また一歩と白馬に近づく。
しゃがみこみ、たぐり寄せたロッティの手と自身の手を白馬の手に重ねる。
「今この瞬間は、あなたの師匠とその子の信頼が無ければ成し得なかった。さあ、ちゃんと応えてみせて」
「く、そ……ッ」
白馬はギュッと目を瞑り、右手で叶絵とロッティをしっかり抱き留めると、左手を胸に当てて力を込めた。今日はもう四回目だ。
うまくいくかどうかではない。ただ成し遂げるっ……! それだけだ!!
「……くそっ! くそおおお!」
メッサンガワが呻きつつ、怒鳴り声をあげる。が、間髪入れずに叶絵がメッサンガワの膝へ発砲。
こちらへ向かってくる素振りさえさせない、電光石火の早撃ちを決めた。
叶絵はメッサンガワに対し、目を眇めてこう言った。
「終わりよ、探偵さん」
「頼むッ……!!」
白馬による決死の
瞬間、白馬の視界は白に包まれた。
穏やかな波音が叶絵の鼓膜を叩く。
叶絵は東京湾の堤防に腰を降ろして夜景を眺めていた。
おもむろに視線を斜め下へ向けると、小さな寝息を立てて昏睡しているロッティと白馬が視界に入った。
「超能力はしばらくお腹いっぱいね」
と言いつつ叶絵は笑い、予め胸ポケットから拝借しておいた白馬の携帯を手に取りいじり始める。
叶絵の携帯に入る着信。それを叶絵はすぐに切り、白馬の携帯を彼の胸ポケットへと戻す。
叶絵は小さく笑って立ち上がり、遠方の空を眺めた。
真っ赤に光っていた雲が、次第に薄墨色に変わっていく。空が完全に正常な色に戻ったのを見届けてから、叶絵は再び白馬とロッティを見た。
「またお腹が減ったら会いましょ。次は私が奢るわ」
盗人らしからぬ、ゆったりとした足取りで堤防から立ち去っていく叶絵。
相も変わらず、すやすやと寝息を立てる白馬とロッティ。
今は安らかに眠れ。と、海の波が優しい歌を奏で続けていた。
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