第1話(前編・ねこねる)
「ううッ……頼む、目を開けてくれ……ッ!!」
ごうごうと燃え盛る炎に包まれた景色の中で、俺はぐったりと倒れた赤毛の少年の肩を必死に揺さぶっている。
「超能力者と言っても所詮は子どもね」
ふん、と黒猫を模したマスクをつけた女が鼻で笑う。黒のエナメルの全身タイツと両耳の十字架のピアスが、炎の光を反射してギラギラと煌めいた。
コツンとヒールの音を鳴らしながら一歩、また一歩と俺に近づいてくる。
「く、そ……ッ」
俺はギュッと目を瞑り、右手で少年をしっかり抱きとめると、左手を胸に当てて力を込めた。今日はもう4回目だ。うまくいくはずがない。それでも、俺にはもう、念じる以外に選択肢はない。
「終わりよ、探偵さん」
「頼むッ……!!」
瞬間、俺の視界は白に包まれた。
「はぁ……なんだ夢か……」
ゆるい動作で髪をかき上げると、一瞬見開いていた目もすぐに「3」の形になってしまう。
「ねむ……夢中で読んでしまったな……」
枕元には1冊の小説が無造作に開いたまま横たわっていた。タイトルは『ルパン対ホームズ』。表紙にはシルクハットで片眼鏡の紳士風の男がデカデカと、そして背景に紛れるようにインバネスコートに鹿撃ち帽を被った男が小さく描かれていた。
「……このおっさんを、あのエロい女に変換したのか。なかなかだな、俺の脳みそ」
夢に出てきたぴっちり全身タイツの女怪盗を思い浮かべながら頭をかく。時計を見ると、起きる時間はとっくにすぎていた。
「準備するか……トイレ、は学校着いてから……」
白馬は気だるげにあくびをひとつすると、のろのろとベッドから降りて支度を始めた。
白馬は東京文芸大学の2年生だ。文芸学部文芸学科の所属で専攻は宇宙語。ニッチで使い所もよく分からない科目、というのが学内のほとんどの人間の認識である。宇宙語を専攻している人の大半はどこか世間からズレていると思われており、いわゆる陽キャからは敬遠され、時には馬鹿にする対象にすらなってしまう。
しかし白馬は違った。
「白馬様ぁ……! 今日もお美しいです……」
「白馬様、カバンお持ちしましょうか」
「ああ……白馬様……」
校門から教室まで、きゃいきゃいと女子が白馬を取り囲んで歩く、それが東京文芸大学の毎日の光景だった。
「カバンは大丈夫だ。君の美しい手にマメができてしまうからな……」
「「キャ〜! 白馬様のマメ、ほしい〜!」」
こいつら何言ってんだ、と白馬は思った。
この通り、白馬は学内でも随一のモテ男なのだ。類を見ないその甘いマスクが主な理由である。フラットにかき上げた綺麗な白髪が、白馬の醸し出す王子様感に拍車をかけていた。
ほかの宇宙語専攻の生徒からは羨望と嫉妬の眼差しで見られることが多いが、白馬にとっては毎朝騒々しくされるのは煩わしいことこの上ない。しかし臆病者な性格のせいで追い払うこともできず、キザに振る舞い、周りが求める『白馬』を演じる日々なのだ。正直、顔で得することも多かったのでラッキーとも思っていた。
「俺はちょっとお花を摘みに行ってくるよ」
「「キャ〜! 摘まれた〜い!」」
心の中でやれやれと呟くと、白馬は校舎内1階のトイレに向かった。当然のように女子たちはぞろぞろと着いてきた。「じゃあね」と声をかけてから個室に入っても、トイレの外からきゃいきゃいと声が聞こえる。どうやら白馬を待っているらしい。
「これじゃあ落ち着いてうんこもできん……。仕方ないな」
そう言うと、白馬は個室の鍵を開けて左手を胸に当てた。フッと一瞬光ったと思うと、瞬きほどの時間で1階トイレの個室はもぬけの殻になっていた。
「ふう」
白馬は2階トイレの個室に腰をおろしていた。それは距離やら回数やらかなりの制限付きではあるが、紛れもない
これでやっと落ち着ける、と白馬がおしりに力を込めた瞬間。白馬の目の前、狭い個室の中にしゅんっと微かに空気の擦れる音とともに子どもが突然現れた。
「は!? えっ? うわ!!」
何が起こったか、どうしてそうなったのか、色々と頭を駆け巡ったが、白馬の頭に残ったのはひとつの結論だけ。
「個室に入ってくるのは反則だろう!?」
「ひっ」
ビクッと震える子どもの肩をむんずと掴んで半回転させると、そのまま鍵を開け外に押しやった。しばらくして急いで用を足した白馬もそろりと個室の外に出る。
さっきの少年はキョロキョロとトイレ内を物色している。冷静になってよくよく見てみると赤毛に真っ白の肌は日本人のそれとは違うようだった。そしてそんなことはどうでもいいくらいに気になることがひとつ。少年は白馬の個室の中にテレポートしてきたのだ。普通の人間ではないと誰でも分かる。
ぼさっと立っていても仕方がないので、目を輝かせながら蛇口から流れる水を見ている少年に声をかけた。
「は、はろー?」
「ん?」
少年は今白馬に気づきましたというような顔で振り向くと、途端にぱあっと笑顔になった。
「こんにちは!」
「おお、日本語わかるのか」
「日本語? ここは日本なの? すごいすごい! ぼく日本だいすきだよ!」
日本語で話しているのに日本語を分かっていないかのような口ぶりだった。そして、自分が今いる場所、いや国すら把握していなさそうだ。白馬は混乱していた。
「えっと……君は日本に住んでるんじゃないのか?」
「違うよ。ぼくはイギリスに住んでるんだ! ぼくは英語しか話せないけど、同じ言語のかんじでお話できる能力があるんだ。それでね、それでね、暇だったから、場所を思い浮かべないでテレポートしたらどうなるか試そうと思ってあちこち……」
「まてまてまて! 情報量が多すぎるわ!」
右手は頭を抱え、左手はビシッと揃えた状態で少年の顔へ向ける。白馬も超能力を持っているが、少年の語るソレは受け入れ難いことだった。
「イギリスから日本までテレポートしたのか?」
「うん」
白馬の力で移動できるのは半径10km。桁違いだった。
「知らない場所に行こうとしたって? それに、あちこちって言ったか? 何度も移動してるのか?」
「うん」
白馬の力の発動は1日に3回が限度だった。最後に使ってから24時間の間隔を空けることでリセットできるが、間隔を空けずに3回目を使うときっかり一時間昏倒してしまう。しかも、移動できるのは自分の知っている場所だけだ。
「それになんだって? 同じ言語の感覚で意思疎通できる能力だって?」
「うん? うん」
難しい言葉で一瞬キョトンとしたが、すぐに意味を理解したのか少年は笑顔で頷いた。そんなわけがない。そもそも能力を持つことすらかなりのレアケースなのだ。白馬は”そういう世界”をよく知っていた。だからこそ、わかる。複数の能力を持てる人なんて歴史的に見てもそうそういない。そんなことができたのは――
「……あのシャーロック・ホームズくらいだぞ」
「シャーロック……? ぼくの名前はシャーロットだよ! でもみんなはロッティって呼ぶんだ。だからお兄さんもロッティって呼んで!」
「ああ、分かったよ、ロッティ。それより……」
白馬はにやりと笑った。見つけた、と思った。
「裏世界って知ってるか?」
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