第2話(前編・ねこねる)

「よし、今日もなかなか大漁ね」


 大御崎おおみさき 叶絵かなえは、助手席の黒いバッグをちらりと横目に見ながら車を走らせていた。バッグの中には様々なアクセサリーや骨董品などが入っている。


 そう、叶絵は泥棒である。とはいえお金のためではない。盗んだものは全て売らずに自宅にコレクションとして飾ってある。子どもの頃に見た怪盗もののアニメに憧れて、ただただ『盗み』がしたいだけなのだ。


 盗みの技術を得るために独学でピッキングを覚え、大手企業のサイバーセキュリティ課に所属してハッキングの腕を磨き、今や個人宅のみならず高級店からもそれなりに盗めるようになっていた。


 そんな叶絵の夢は、おしゃれな予告状を出し、美術館や博物館から華麗に展示品を盗みだすことだ。探偵や刑事に追われるシチュエーションにも憧れる。いつかくるその時のために怪盗衣装まで自作して用意した。あとはもっともっと盗みの腕を磨くだけ。


「その辺の家庭や店なら、もう眠っていても盗めそうだわ。もっと難易度が高くて、それでいてもし万が一失敗しても捕まらないような場所があれば練習できるのに……」


 そんな場所あるわけない。叶絵は自重気味にふふっと笑った。セキュリティ難易度が高い場所に関してはいくらでもあるだろうが、失敗しても捕まらないなんてありえないからだ。


「ふう……ちょっと休憩」


 叶絵は車を止めて、喫茶『アルセーヌ』に入った。通りすがりに見つけて、名前が気に入ったのだ。




 裏世界とは。


 ざっくりと言えば、今人間が暮らしている現実世界(便宜上、以降は『表世界』とする)とは鏡合わせに反転している世界のことだ。


 そこに人間は住んでいない。表世界でいわゆる〈架空の生物〉や〈伝説の存在〉と言われている、悪魔やら妖怪やら、やばい奴で言えば神までもが暮らしている世界だ。想像できる架空の生物はたいてい裏世界に実在するだろう。まあ、人間に伝わっている一般的な情報では、厳密には習性や容姿が異なる場合も多いのだが。それは一旦おいておく。


 表世界と裏世界は、本来交わらないはずの二つの世界なのだが、時折その境界が曖昧になる時がある。太古の昔にはひとつだった世界が、何らかの理由で分離してしまったから歪みが所々にあるのだ、という説が有力だが、誰も根拠を出せていない。


 なぜなら、現代の人間が妖怪や悪魔を信じないように、実際にあの世界に触れたものにしか裏世界を認識できないからだ。昔の人から現代人になるにつれ、信じる者はどんどん少なくなってきている。だから研究は一向に進んでいない。


「ここまでで質問はあるか?」


 白馬は散々語った喉をメロンソーダで潤わせながら、相手が7歳の少年であることを思い出した。言い終わってからロッティの返事がくる少しの間に、どう言えば伝わるか、どの単語をどう易しく伝えよう、などと思考を巡らせたが、全くの徒労であった。


「質問! 白馬が裏世界を認識してるってことは、白馬も『触れた』ってこと?」


 ロッティはしっかり理解していた。地で頭がいいのか、これも超能力なのか、白馬には判断できなかったが、とりあえず楽で助かると思った。


「そうだな……。俺も小さい頃に『歪み』に飲まれて裏世界に足を踏み入れてしまったんだ。その時、助けてくれた男がいた」

「へえ、すごい! かっこいいね! どんな人なの?」

「お前と同じ、いろんな超能力が使えるすげぇ奴だよ」


 ふうん?、と紅茶を啜りながらロッティは相槌を打った。求めていた答えではなかった、と言わんばかりに興味が逸れたのが白馬にも分かった。


(あの人も同じだったな。なんでもないみたいな顔をして)


 生まれつきそういう力を持っていると、当たり前に感じるものなんだろうか、と白馬は思った。


「で、ここからが本題だ」


 白馬は思わせぶりに机に両肘を置き、組んだ指に顎を乗せた。おお、と目を輝かせてロッティも姿勢を正す。


「あの人みたいになりたい、と思った俺は『裏世界探偵』となったのだ」

「裏世界探偵?」

「そうだ。俺のように、ひょんなことから裏世界に触れてしまう人が時々いるんだ。そんな人たちを助けるために、相談を受けて悩みや事件を解決するってわけだ」


 裏世界には法律はない。なんなら時間の概念すらもない。表世界で当たり前に思っていることが、裏世界では通用しないのだ。だから、関わりを持つのはとても危険なことだった。


「でも、お前のスーパーパワーがあれば! 俺の仕事もかーなーり、やりやすくなる! だから協力してほしい。子どもにこんなこと頼むのはどうかと思うし、かなり危ないことではあるからもちろんすぐに返事をしろとは言わな――」

「いいよ!」

「え?」

「いいよ! ぼく、白馬を手伝う! 人助けする!」


 ロッティはぱあっと笑顔を向けた。その顔の周りにいくつもの花が咲いたように白馬には見えた。




(裏世界? そんなもの本当にあるの?)


 叶絵は横目で大学生くらいの男と少年のほうを見た。『アルセーヌ』に入ると、ふたりの席から通路を挟んだ向かいの席に通されたのだ。ぼーっとコーヒーを飲んでいたら、たまたま会話を全て聞いてしまった。


 普通ならゲームや漫画の話だと思うだろう。叶絵もそう思っている。だが、


(もし、本当にそんな世界があるのなら……)


 求めていた場所なのではないか。そこで思う存分練習できれば、ついに夢が叶うのではないか。歴史に名を残すような怪盗になれるのではないか。自分も、なれるのではないか。


 子どもの頃からずっと憧れた、『怪盗ルパン』のような怪盗に――

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