本当になかった怖い話

λμ

指輪の話

 結菜ゆなは暗い部屋で瞼を持ち上げ、枕元をまさぐり、スマホを手にした。午後六時を回っていた。徹夜で過ごしたサークルのクリスマスパーティ帰りだったからか、最初に目覚めたのは十二時すぎだった。外に出る気力はなく、カップ麺を食べてまた眠った。そして六時だ。一日が吹き飛んでしまった。

 まだ気だるさが残る躰に水をいれようと、結菜がベッドから降りた。

 インターフォンが鳴った。

 誰だろうかと画面を見ると、同じサークルの陽斗はるとが顔を固くしていた。先日のクリスマスパーティにも参加していた、線の細い優男である。


「……えーっと? どしたん?」


 インターフォン越しに聞くと、陽斗はパッと顔を明るくした。


「あ、結菜さん? ですか?」

「いや、そりゃそうでしょ」

 

 結菜は思わず笑った。画面の向こうの陽斗はほっと息をついた。


「よかったー。いてくれなかったらどうしようかと思ったー」

「待ってね。すぐ行く――」


 と、インターフォンを切り、結菜は我に返った。部屋だ。自宅だ。汚い。結菜は目線を下に落とした。だらしがない。首を巡らせグレイのパーカーを頭から被った。

 ドアを薄く開くと、陽斗は両高を撫で擦るようにして躰を上下に揺すぶっていた。


「遅いし、寒い!」

「ごめんごめん。で、なに?」

「とりあえず、入れてもらえる? ここすごい寒い」

「いや部屋汚くて」

「知ってる。大丈夫、玄関から上は入らないから」

「えー……」


 知ってるってなんだよ。と思いつつ、結菜は扉を開いた。同じサークルの、クリスマスパーティ参加組だ。とくになにもなかったメンツで集まりとくになにもおこらなかった集まりといいかえてもいい。安心感だけはばつぐんである。

 陽斗は三和土にあがるとふぃーと息を吐いた。


「んで、どうしたの?」

「あ、うん。その……言いにくいんだけどさ」


 陽斗は結菜を拝み上げるかのように両手を合わせた」


「ごめん! 昨日のプレゼント交換の、あの指輪! 返して!」

「――えー……?」


 二度寝に由来する頭痛が深みを増した。みんなで思い思いのプレゼントを持ち寄りくじで決める。恨みっこなし。交換も禁止。それが条件だったはず。結菜は陽斗が出したシルバーリングを引き当て、陽斗はたしか――。


「焼き鳥焼き器」


 結菜が指差すと、陽斗は大げさに肩を落とした。僕まったく使わないのにと困ったように笑った。いや私も使わないしと結菜は笑い返す。でもあの指輪はさ、


「私あたり引いたと思った鬼なー」

「うん。そう思われてるかなーって思って、僕も持ってきた」

「いや焼き鳥器はいらないって」


 言いつつ指輪を取りに戻ろうとする結菜の手を、陽斗が掴んだ。びっくりした。そういうことをするタイプだったのかと。

 思わず喉を鳴らすと、陽斗も驚いたように手を話した。


「や。ごめん。そうじゃなくて」

「……えっと?」

「持ってきたのは、怖い話」

「……はいぃ?」


 驚いた気恥ずかしさを隠そうと、結菜はノリで顎をしゃくらせた。

 陽斗はきゅっと下唇を巻き込むようにして間をつくり、言った。


「本当になかった怖い話」

「いやだから怖い話ってなにさ」

「指輪は外れだったんだーって思ってもらおうと」


 結菜はふきだした。

 かまわず陽斗はつづける。


「まず。あの指輪ほんとうはもらいもので」

「ふむ?」

「それも……そうだな……えーと、お姫様のもちもので」

「お姫様ぁ?」


 安くも高くもなさそうなシルバーリングに思えたが。

 陽斗はつづける。


「えーと、お姫様はバイト先――じゃなくて、なんだ、お忍びで街に出たんだ」

「いまバイト先って言った?」

「いや、そういう話なのよ」

「お姫様がお忍びでバイトする?」

「じゃなくて、ともかく、竜に拐われちゃうわけね?」


 竜はまえからお姫様に目をつけていた。帰り道でひとりになるタイミングをみはからい、偶然をよそおって近づいた。


「竜が?」

「あ、うん。竜がふらふら飛んでる世界観?」


 ともかく、竜はお姫様を隠れ家に戻った。巣といったほうがいいかもしれない。興奮しきりの竜はともだちを呼んだ。ただ、国のお姫様に手を出したのだから普通に読んでも来てはくれない。だから竜はいうことを聞く人間――ともだちだけに声をかけた。


「――で、まぁ竜って怖いからさ。断ったらなにされるかわかんないし、僕もいったわけ」

「は?」

「いや、そういう話なの。僕っていうのは、なんだろ、僕じゃなくて、キャラの僕」

「……ああ、うん……」


 で、行ったら、竜と――三人、匹、いるわけ。

 竜が言うの。

 みんなで食べようって。


「僕は嫌だって――えと、いうわけね」


 ごくり、と結菜の喉が鳴った。

 陽斗は水で掻くように手をくるくるまわしながら言った。


「でも竜は言うんだ。ダメだって。お前らも食べないと――って」

「も、もういい。もういいから。指輪とってくる」


 結菜は早く終わらせようと後ずさった。陽斗が顔を上げ手を伸ばした。


「待って。勘違いしてる。本当になかった怖い話だから。そういう話だから」

「いいって。怖いのわかった。いま探してくるから」

「待って。ちゃんと聞いて。違うんだって」

「聞かない。待ってて。いま探すから。そこ動かないで」

「待ってって」


 言って、陽斗が前に出た。結菜は即座に言った。


「上がったら警察呼ぶから!」

「ちが――そうじゃないんだって。そういう話のだけだって」

「分かったから、黙って、そこで待ってて」

 

 結菜は顔を陽斗に向けたまま後ずさる。たしか指輪はローテーブルに置いたはず。

 そうじゃないんだって。

 声がする。

 しかたなくみんなで食べて。


「黙ってろって!」

 

 ほとんど怒鳴るように結菜は言った。


「陽斗。ちょっと出てて。怖い。マジで」


 陽斗は顔を強張らせ、背を向けた。

 カキン、と鍵のかかる音がした。


「――ヒッ!」


 結菜は息を飲んだ。思い切って部屋に駆け込み武器になりそうなものを探した。捨て忘れの空き缶。スマートホン。本。スプレーの缶。ティッシュの箱。服。ヘアアイロン。バッグ。キーホルダー。ペーパーカッター。ペーパーカッター! 

 結菜はハンドルを逆手に握り胸に抱くようにして振り向いた。

 陽斗は玄関で両手を広げていた。


「違うんだって。本当になかったんだって」

「黙れ。黙れよ! 怖いって!」

「そうじゃなくて、女の子――お姫様は、死んじゃって。みんなで食べたから」

「もうやめろ!」


 結菜の声は壁を打った。そう厚くない壁だ。騒いでいれば隣人が気づいてくれるかもしれなかった。

 陽斗は怒鳴るように言った。


「そうじゃないんだって! そうじゃなくて! 指輪!」

「だからいま探すっていってるじゃん!」

「違くて! ……違くて、指輪は、なんだろ、そう……勇者様? とかが、プレゼントしたものなの」

「……は?」

「だからその、お姫様を守るために、送って。居場所がわかる的な」


 いって陽斗は、へへ、と固い愛想笑いを浮かべた。


「だから、回収しないと、結菜さんが危ないかもっていう」

「……お前、おま……こっちきたら刺すから!」


 結菜はスマホをとった。

 陽斗があわてていう。


「違うって! 本当になかった怖い話だっていったじゃん! ほらあれ! 指輪! もう手放してもいいって気になったでしょ?」

「信じられるわけないじゃん……」

「いやほんと、作り話だから。嘘だから。だから指輪をさ」

「な、なんで? 理由をいえよ」

「理由って……だからそれは、さっきいったじゃん」

「本当になかった怖い話だろ!? 本当になかったんだろ!? 本当の理由をいえって!」

「あの! 本当に!」


 陽斗は両手をあげた。


「僕は本当に、なにもしないから。お願い。指輪だけ。結菜さんのためだから」

「私のためってなに……?」


 結菜は泣きそうになりながらいった。


「そこ、そこうごくな。探すから。いま、探すから」


 手にペーパーカッターを握りしめたまま探した。ローテーブルの上にはないらしかった。ちらちらと玄関をふりむきながら探した。ベッドの中にもないらしかった。陽斗は手をあげたままでいた。服のポケットにもはいってないらしかった。

 結菜は泣きそうになりながらいった。


「ごめん、ない」

「え?」

 

 陽斗の顔が歪んだ。

 結菜は言った。


「ごめん。ごめんて。落としたのかもだから。とりあえず今日は帰って。探すから」

「そんなはずないって。よく探して」

「いやだって本当にないんだって」

「絶対あるって! もっとちゃんと探してって!」

「だってないものはないんだって!」

「あるよ!」


 陽斗が土足のまま上がり込んできて結菜は叫んだ。


「上がるな! 上がるなって!」


 慌てていたのかスマホが手から滑り落ち床を打った。

 陽斗はポケットに手をつっこみ勢いよくなにかを抜いた。

 結菜は両腕で顔をかばった。


「やめて!」

「違うって! 見てって!」

「やめてやめてやめて!」

「違う! これ! 見てって!」


 言われ、結菜は震える手の隙間から、陽斗がつきだすスマホを見た。

 地図の中央にピンが立っていた。

 でも。

 

 本当になかった、怖い話。

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