年の瀬に響いた不和の便り。

 相互理解──他人同士でお互いの立場や考え方、気持ちを理解しあうことです。 組織における相互理解とは、異なる部署や背景、考え方や価値観を持つメンバー同士が、上司部下、同僚同士など、どのような関係性であってもお互いのことをより深く理解し合うことを指します。


 ベッドに横たわり、スマホをポチポチしながら検索した言葉がそれだった。

 人間はお互いに理解し合って、和解や、合理の調和のもとに生きていけるのか、そんな疑問が頭の中でぐるぐるする。

 何でそんなことを思ったのか?


 父の再従兄弟が亡くなった。言葉の通り死んだのだ。

 父から見て再従兄弟なのだから、きょむちゃんから数えると何親等離れているのかパッと出てこないが、適度に付き合いがあり、法事をはじめとした冠婚葬祭には必ず来てくれる親戚。

 その跡取りが死んだのだ。

 連絡があったのは12月の頭。何となくボケッと就職活動したら一発の一発で就職してしまったきょむちゃん(これはまた別の時に記そう)が迎える初めての年末が迫った頃だ。

 夜の七時頃、家の電話機が鳴った。まだ祖母が生きていた頃に設定した、詐欺電話抑止の警告が口上を述べる。

「この通話は録音され不審な場合は管轄──」

 まだ設定切ってなかったのか。と思いながらきょむちゃんは電話を取った。聞き覚えのある声の主は親戚のおじさん。父の再従兄弟の父親が明るい声で電話をかけてきた。

「おぉ、きょむちゃんかい。お父さんかお母さんはいるかい? そういえば就職したんだってなおじさん驚いたけど嬉しくてなぁ」

 ハハ、と乾いた笑いが漏れる。この一年の間、同じ文句を無数に聞いてきて、またそれかいとなってばかりだ。「いやぁどうもどうも」と気恥ずかしさを覚えながら父を呼び受話器を渡して「年末の挨拶、お歳暮のお礼か」と自室に戻ろうとしたときだ。

「えぇ⁉」と背後で父が叫び声のような大声を上げた。

 顔つきが険しくなった父の姿に異変を感じたが、電話をひったくる訳にもいかず、事の子細が打ち明けられるのをリビングで待った。

 ニュース番組をボーッと眺めていても、テレビでは相変わらず大谷翔平がメジャーリーグMVPを獲るかどうかばかりが流れている。

 ツイッターも、テレビも、新聞のスポーツ欄も、この話題で持ちきり。つまらないとは言わないが、蓋を開け十中八九決まり切った中身が発表されるその瞬間を、みんな味わいたいのだ。号外だって出るだろうし、ニュース速報も流れるだろう。

 背後で受話器を耳にあて言葉を交わす父の声音は、どうにも緊張と切迫の色が濃い。目を背けたい事実が、明らかになろうとしている。ライターから煙草に火を移し、ガラスを引っ掻くような父の声が止むのを待った。

 丁度、煙草1本分を灰皿に押しやった頃、別れの挨拶とともに父が電話を切った。

「息子のさとる(仮)君が亡くなったって」

 父の顔色は生気が抜け青ざめて悪かった。


 さとる君の人生はどんなだっただろう。思い返してみてもあまりイメージが湧かない。 きょむちゃんより二回りほど、上の子だったというのもあるだろう。

 おじさんの話はよく聞いた。祖父母も可愛がっていたし冠婚葬祭は欠かさない人物だ。

 その昔、おじさんは百貨店のスーツ売り場で紳士服を売っていたそうだ。戦中末期に生まれ昭和の高度経済成長期に育ったにしては、上背はある人できょむちゃんとそう変わらない。

 そんなおじさんは、いまでいうところの脱サラをして八百屋を立ち上げ経営していた。高度経済成長期と言えど、事業を立ち上げるのは簡単じゃない。構える店と仕入れの構築、銀行から借り入れるお金も随分とかかったそうだ。

 その保証人になったのがきょむちゃんの祖父だ。

 親族一同の保証人にサインをしていたのは全部、祖父だった。

 幸いなことに借金を被ったことはなかったが、それなりに覚悟のいることだし、おじさんは人生の恩人だと祖父母に感謝していた。

 その祖父の可愛い孫がきょむちゃんであり、跡取りだと周囲の親戚から向けられる目線があった。そういう意味では期待されていたのだ。

 いまとなっては裏切った物も大きいので、あまり思い起こしたくはない。

 冬風が体温を奪う庭先で、煙草を延々、チェーンしながらきょむちゃんは思考を走らせる。

 さとる君の存在は知っているのに、会ったのは二度ほどだけ。おじさん夫婦は法事の度、必ず千葉の船橋から車を走らせて来るのに彼を目にしたのは二度。不自然だし随分変な話だ。

 冠婚葬祭にさとる君は顔を出さない。忙しいというのが弁だったが、彼の父の恩人である祖父母の葬式にも彼は現れなかった。

 実家暮らしだし、同じ車に乗ってくるだけのことなのに、やって来ない。

 おじさんが息子の話を自慢気にしたことは一度もなく、その内心が穏やかじゃなかったことも何となく知っている。

 元を辿れば、曾祖母が姉妹であり、夫を戦争に奪われ帰って来ず、女主人で戦後の混乱期を乗り越えた我が家とおじさんの家は、祖父母とおじさん夫婦が自立するまで運命共同体だった。

 東京大空襲で焼け出された一族は、戦後すぐに東京の下町で借家暮らしを始め、同じ屋根の下で育ったそうだ。

 ただの親戚づきあいではなく、生きるか死ぬか、何としてでも生き抜く。そういう世界観を共有して、身を助け合いながら生きてきた相手の葬儀に出席しない。

 不義理と後ろ指を指されても可笑しくない。

 別にそんな感情的に相手を咎めない、サバサバした我が家の人間関係でさとる君を悪く言う風潮などなかったけれど、おじさんの心中に察するものはある。

 でも、お互いに「可愛い孫という呪い」を背負った者同士、無条件の期待を抱かれた彼に同情したくはなる。


 安全な明日など望めない時代を生き抜き、やっと手に入れた平穏と家庭、子に愛情を振りまき無限の期待を抱いて育てる。

 その末の子が死んだのだ。


 高校を卒業して、実家の跡を継ぐ前に社会勉強をする。そんな条件で調理師を目指したさとる君はドロップアウトしたらしい。別にきょむちゃんと違い、すぐにサラリーマンとして働いたそうなのだから、十分に立派だと言える。

 でも、仕事の跡を継ぐことも止め、親戚の集まりにも顔を出さない彼は、やはりおじさんの期待を裏切り続けたのかも知れない。

 結婚の話も聞かず、とうとう不景気の煽りを受けて仕事先も倒れた。

 ここ数年は家でボーッとして時ばかりが過ぎて行く生活だったと聞いた。

 事の起きたのは何でもない冬に差し掛かった日の朝だ。

 朝食の時間になっても起きてこないさとる君に、おじさんたちは少し変な感覚を覚えたらしい。たまたま今日は寝ているのだろう、と隠居生活のおじさん夫婦は畑仕事に行った。

 昼過ぎに畑から戻り、様子を探ってもまだ起きてきた気配がない。

 流石に怪しんだおじさんが部屋に行くと、布団の中で冷たくなっていた。

 救急車に警察までやってくる騒ぎになり、司法解剖の結果としては、朝の頃には心臓は止まっていたとのこと。

 世の中、どこにでもある、突然死。

 別に珍しくもなく、仕事先を失う前から、健康診断など受けた試しがなかった。

 

 おじさんが電話をかけてきたのも、火葬が済んでからで、葬式らしい葬式もしなかった。

「これで家は絶えるから」

 そう、おじさんは電話越しで寂しげに言った。


 夕陽の差し込む庭先で延々とチェーンスモークを続け、珈琲で脳味噌をたたき起こして続けるきょむちゃんは考える。

 期待は呪い以外の何かだと言えるのか? 根拠のない一方的な感情なんて邪魔でしかないように思える。でも、親というのは子供を不完全な出来損ないなんて考えることはできないように感じる。

 どこかで可愛い我が子が周りを驚かせ、不遇な人生を送っていても、見返すカウンターの一撃を放つ。そう思ってしまうのではないか。

 ならば、おじさんの中にあったのは諦観だけではない、何かがあったのかも知れない。

 その感情が現実の折衷点を見定める、相互理解を阻んでいたのではないか。

 カウンターを打つ気などない子供に、冷たく同時に熱い厳しさで接して良いことなど何もないのに。


 きょむちゃんが覚えているさとる君の姿は少ない。

 10代の頃に体調を崩して、船橋の病院へ行くとき、おじさんの家に一晩泊めて貰ったことがあった。

 二階の広い客間に通されたきょむちゃんは、布団の中で眠れない夜を過ごしていた。

 毎日が眠くて、メンタルはボロボロで、血圧は低く吐き気は止まらない。

 煙草が吸えず落ち着かない、眠れない、そんな時間を過ごしていたら、隣の部屋に気配を感じた。

 仕事から帰ってきたさとる君の部屋だった。

 彼の部屋を昼間に覗いた時、うずたかく積まれていたのは、無数の漫画とアニメーションビデオだった。

 眠れない布団を深く被って、息を殺して気にしないようにしていると、隣の部屋から聞こえて来たのは、誰もが知ってる日朝のアニメ主題歌だった。

 平凡だけど純真な少女二人が日常を守る力を手に入れ非日常に呑み込まれて行く。やがて世界の命運は彼女たち二人の手に。いまだにシリーズが続く長寿番組のフォーマットだ。

 子供向けに描かれた、その物語の中に、さとる君は何を見出していたのだろうか。

 子供を信じる親の目線、親や友達、果ては世界の期待にまで応える彼女たちは、さとる君にとってどう映っていたのか、今ではわからない。


 仕事に追われ、あっと言う間に終わろうとしている一年の最後に寂しい何かが、心の中に影を落としていた。

 煙草の後の珈琲でもそれを癒やすことはできない。

 

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きょむ・ざ・ぶんげい 春葉節 @HALdesu

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