きょむ・ざ・ぶんげい

春葉節

きょむちゃん現る

 朝10時20分のアラームが「芦屋虚無ちゃん」の部屋に響いた。

 躁鬱の安定剤とベンゾジアゼピン系睡眠導入剤だけだと眠れなくなって久しい。

 最近はストロング系酎ハイでブーストして酩酊するのが、ルーティンになってしまった。

 公募に落ちる度、心の傷は増え、そこに塗りたくる心療内科の薬と酒だけが心のわずかな救いだ。

 公募に応募する原稿を書き続ける度に、心のリストカットを深めている気さえしている。

 年の瀬の朝は随分と冷え込んでいて、部屋の温度計はマイナスを示している。

 昨日の飲みかけのまま置いていたゼロコーラは冷えたままだ。

 今年は年明けの公募に落ちて以来、一年間、執筆から逃げるような日々を過ごしていた。

 ツイッターのフォロワーさんたちは年間スケジュールを出して、計画的に短編賞と長編賞の原稿を進めている。

 筆が遅い自分も学生時代は年間創作計画を立てて、一年で何度も公募に作品を送っていた。

 あのフレッシュで自分を信じられていた頃には戻れないと、きょむちゃんは十分に理解している。

 朝から自己嫌悪に呑まれそうなのでエチゾラムを一錠コーラで流し込む。炭酸と薬のあわせは最悪だ。咳き込みながらベッド脇の煙草を手に取った。

 ベランダに出てアメリカンスピリットの箱を叩いて1本くわえた。

 ターボライターの火は12月の北風に揺らぐこともなく、淡い煙草の味が渇いた口内に広がる。鼻先を抜ける香りでようやく朝の動悸が治まった気がする。

 スマホのメッセージにはお母さんから「朝ご飯、トーストと昨日のおかず残ってるよ、温めて食べてね!」と書かれていた。

 どうにもヤニで空腹を満たしがちだ。残り物の朝食なら罪悪感もないし、あまり気が進まない。

 もうすぐ一年が終わる。今年は体調を崩して以来、引きこもりがちな生活を送った。ハローワークの登録を再申請しないと期限も切れてしまっている。心臓のエコー検査で足も痛めた。駅まで20分歩くだけなのに立ち上がれなくなる。

 そんなことを鬱々と考え込めば胃酸が逆流して猛烈な吐き気が襲ってきた。胃酸、煙草、コーラの連続コンボで食道が悲鳴を上げている。

 急いでジプレキサ舌下錠を口に含み、コーラで流し込む。二、三分 もすれば副作用の嘔吐抑制が効いてくる。

 吐き気をニコチンとコーラが誘い、服薬量をオーバーした薬でごまかす。手術した食道の締め付けは完全に壊れているのに「薬で抑え込めているなら、まだだから。いずれは」と医者には再手術を渋られている。

 心臓の医師からも「直ぐには命に関わらないけど、いずれは」と。

 きょむちゃんは「いずれは」と宙ぶらりんな人生を延長している。

 作品を見せた友人や先輩たちからも「大丈夫。いずれは、デビューできるよ」と保証のないアドバイスを何年も受けている。

 チェーンスモークしているうち、気がつくと頬を一筋、温い雫が流れた。

 せき止めていたダムが決壊したように涙が止まらなくなってしまう。

 ゲホゲホと煙草も咳き込みジプレキサでも抑えられない嗚咽が、ベランダから通りに投げかけられる。

 布団を干しに出たお隣さんがぎょっとして部屋に引っ込でいった。朝から最悪だ。

 今日も明日も最悪だし、きっと来年もそう思っている。

 スマホのメッセージがピコンと鳴った。

「朝のミーティングが始まります。虚無さんルームに入室してください」

 10時55分、申し訳程度の報酬で受けた、公募の下読みバイトが今日も始まる。




 午後の3時を過ぎた頃、一通のメールが届いた。

 今日の下読みは短編の本数が多く、既に10万字を超えている。PCデスクには灰皿からこぼれ落ちそうな量の吸い殻が積み上がっている。

 メールの内容は「お世話になっております。芦屋虚無さま。賞の規定で弾いた作品5本の再審査お願いいたします」だった。

 事前の説明で応募規定違反は厳しく弾け、と書類に指示があったのに選考作業で言っていることが変わっていた。

 今日の弾いた分を含めるとあと5万字弱は追加で読む計算、か。

 集中力はとっくに切れかけている状態なのに……「出来ません」とは言えないお堅い文面だった。

 読んだ作品には必ず審査理由のコメント付けまで行っている。一日に10万字も読めば脳は疲弊して首元まで痺れているのが、ありありと分かる。

「お疲れ様です。重要なご連絡ありがとうございます。早急に対応させて頂きます(あぁー、やり甲斐搾取だぁ!)」

 きょむちゃんが仕事を受けた理由も原稿に手がつかない現状に危機感を覚え、他人の本気の原稿を読めば前進できる気がしたから。

 でも、実際やり始めたら終わりの見えない読書とコメント付けの地獄。審査員の登録者の割に、実働で毎日審査をやり続けているのは4人もいない。

 1本あたり幾らかのお金にはなるが最低賃金には遠く及ばないうえ、メンタルも作品もエタっている人間には、キラキラに輝いた原稿と向き合うだけでダメージが大きい。

 きょむちゃんには一生かけても書けない、とてつもなく面白い作品に出会っては興奮し舞い上がり直後にメンタルを破壊される。

 自分も公募の下読みをさせて貰えるなんて、と喜んでいた頃の輝きはどこにも残っていないのである。

「煙草吸お」ときょむちゃんからヤニちゃんモードにミラクル逃避。

 ベランダに出るとお隣さんと朝ぶりに目が合った。気まずく会釈をして、年の瀬とは言え平日の昼間に在宅してる不審さに自己嫌悪する。

 今年インターンで渋谷に行ってたときも同じ事があったな…… 担当者が説明していた内容と仕事の手順が違ううえに指摘を喰らい、三者面談で人材派遣の担当者にまで嫌味を伝えられる。

「もう少し人の目を見て話せると良いですね」「電話対応頑張ってるのはわかるんですけどねー」「もっと体力があれば良いんですけどねー」

 きょむちゃんのメンタルはボロボロになって、それをきっかけに就活を一ヶ月も頓挫させてしまった。

 きょむちゃんは国家認定メンヘラ術師でもある。

 励まされながら就職活動に復帰した矢先、あまりの激しい動悸に苦しみ病院を受診。

「きょむさん、腕と指の長さがちょっと気になるね」「心臓から雑音するなー」「肺気胸やってるの⁉」と循環器の主治医が慌てだしたと思えば、気がつくと専門クリニックの診察台で横になっていた。

「芦屋虚無さん、指定難病の疑いと弁膜症があるので検査通院絶対ね(この先ずっと)。危なくなる前に調べとかないと」

 就活や創作どころではない告知に唖然としながら放心状態になったのが夏のことだった。それを機に自分は病弱ヒロイン体質で創作に打ち込む儚げな女の子、となれないのが現実。ロシアのフィギュアスケート選手がドーピングで指摘されたのと同じ薬を、一生涯飲み続ける運命になっただけのことだ。

 お薬手帳に記入される薬の量が年齢不相応に増え、お薬手帳の更新が捗って仕方がない。

 肉体とメンタルのタイムリミットがいつ訪れるか戦々恐々としながら創作をしろと言われたぐらい、と思わなければやっていけない。

 とりあえず割り切って生きよう。そう思い人材派遣会社に断りを入れた頃、下読みの誘いが転がり込んできた。その話を聞いたときはキラキラしていてポジティブな体験がたくさん待っている、と思った。

 夏から寝かせているネタ帳の原稿たちごめんよをした。

 今はこの仕事を受けることで、きょむちゃんはネクストステージに前進できる――と良かったのだ。

 現実は創作のエンジンを吹かす筈だったのに逆に苦しみが多く、それらに取りかかれる雰囲気はまるでない。

 逃げ込み先の煙草も酒もやめられないし、いつか来る終わりが早まっていくとしても向き合い創作して足掻くしかないのだ。

「うぉ、さび」

 夕陽は傾き北風は肌を切りつけるように吹きすさぶ。紫煙がゆらゆらと住宅街の夕闇に同化し消えて行く。

 煙草のヤニが染みついたモニターにその日は夜まで囓りついていた。




 きょむちゃんが所属するマルチクリエイター集団のサークル活動、ボイスドラマ収録が年末最後のビッグイベントだった。

 中目黒のスタジオを貸し切って音響監督、座長を含めた声優5名、演出家の声優1名、脚本家、制作進行、漫画家、動画編集と大規模な収録となった。

 きょむちゃんは1作目の脚本家だったため、今回は見学要員であまり来る立場はない。

 コミュ障というかメンヘラの面倒なところは、集まりに顔を出さないと自分は忘れられてしまうという、ありもしない思考を走らせてしまうこと。

 なんとか脚本作家グループのリーダーという役割に縋ろうと参戦したが、見事にやる事はなく、キャラクターデザインの漫画家がスケッチを走らせる横で、きょむもーどで虚ろなニコニコを讃えているだけだった。

 5時間に及ぶ長丁場の収録で、創作に目の前で立ち向かっている参加者が眩しく座ってもいられず喫煙所の賑やかしになるだけだった。

 ヴェイプ、アメリカンスピリット、CBNのトリプルスモーク。煙の魔術師状態で非喫煙者がドン引きなヤニカスムーブで時間を潰す。

 合間にもタブレットで下読みの仕事をこなしつつ、収録ブースから漏れ聞こえる和気藹々とした収録の声にポジティブ火傷を負わないように距離をとっていた。

 でも、中目黒のビル4階から目黒川を見下ろして吸う煙草は美味しい。不思議と下読みの仕事も、自分の部屋で鬱々と打ち込むときの何倍も楽しい。

 病院と裁判所を田楽橋のバックに望みながら、早い夕陽が地平線の向こうに消え、しっとりと夕闇が周囲をつつんでゆく。

 体温を奪って良い気分のしない冬のビル風に身を浸して、気づいたらコンビニで手にしていたストロング缶を煽る。

 冬の中目黒、アルコール、煙草なんだか良い感じ――はっとこの状態で下読みは不味い、と気がつき危うい手つきでタブレットをしまった。

 キラキラの投稿作を酔ったきょむ脳みそで解読できるはずがないと、酒を飲んでいるのに思考は素面に戻った。

 東京でも冬の空になれば星はちらほらと輝く。

 いいこともアンラッキーなことも多かった。きょむちゃんに残された時間は他の人より少ないのかも知れない。

 それでもネットの海だけじゃない、この世界に生きた爪痕を残すため、創作を続ける。

 孤独でエタってすぐきょむる、メンヘラモンスターは今日も文芸に身を捧げる。

 

「きょむ・ざ・ぶんげい」


 打ち上げの飲み会では酒で薬を流し込んだ結果、悪酔いし記憶を飛ばした。

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