最終話「みをつくし」

「今日で何度目だっけ」


 彼が旅立って以来、この潮海灯台の展望台から海を眺める回数は異常なほどに増していた。


 でもここは、私と彼の思い出の場所だから。

 ここに来れば、きっと会えるはずだと信じているから。

 眼下に広がる海の彼方から、彼を乗せた船がやってくるはずだから。


 だからこうして、休まずに足を運んでいるのだ。だからこうして、四百にも及ぶに目を背けているのだ。


 それなのに、今日の海の景色も相変わらずだった。いつもの潮風、いつもの潮騒、いつもの夕焼け。

 代り映えのない景色は私の希望をことごとく絶ち、あの日の約束も虚しいものになりつつあった。


「やっぱり止めるべきだったのかな」


 確かにあの当時は天候も悪く、船を出すのに良くない兆候がでていた。

 それでも町の復興に向けた準備がただの損失へと成り下がるのを認める訳にも行かなくて。そのために彼らは海に旅立っていったし、そのために私たちは見送った。


 その選択に後悔はないはずだったが、今日はなんだか様子が変だ。私は感傷的な気分を抑えられくなっていた。


 やはり海は私から大切なものを奪うもので、時間は感情を風化させてしまうのものだろうか。


 変えられないことなのだろうか。


「航平君、私はどうするべきだったのかな」


 自嘲交じりに零れたその言葉は、このまま行き場のないまま潮風に攫われ、誰にも届くことはないとそう思っていたのだが。


「どうすりゃよかったんだろうな? 全く」


「え――」


 弾かれたように顔を向けると、そこには信じられないことに見知った男性の姿が。焦がれるほどに思いを馳せ、そして私が現在悩んでいる元凶ともいえる人物だった。

 あの日と同じ作業服に、無造作に伸びた髪の毛と、手入れが行き届いていない髭。

 見てくれは大きく違うが、確かに男は私が知る人物であった。


「航平、くん?」


「……ああ」


 確かめるように、もしくは願うような呼びかけに、彼は力強く答える。その声は酷く掠れてしまってはいるが、彼は正しく、私の求めた天海航平その人であった。


「おっと、ははは」


 勢いよく抱きつく私を、航平君は少し呆れたような笑みを浮かべながら抱きとめてくれた。


 急な再会に何を言えばいいのか、どんな顔をしたらいいのか。何一つ分からないままで、私はただ航平君の胸に顔を押し付けて泣きじゃくることしかできなかった。



 何十分、いやもしかしたら何時間か。すっかり夜の帳に包まれた潮海の街を、私と航平君は並んで見下ろしていた。

 成人したにもかかわらず、まるで赤子のように泣きじゃくってしまったのが、泣いた分だけ感情は幾分か落ち着いていた。


「ごめんな。ずっと帰れなくて」


 私の精神状態が落ち着いたのを確認して、隣の航平君が口を開いた。それから私の気が済むまで質問に答えてくれた。


 どうして帰ってこなかったのか。無事ならどうして連絡してくれなかったのか。とにかくたくさん聞いた。


 曰く、漁自体はうまくいっていたこと。しかし途中で船に支障が生じ、近くの無人島に漂流したこと。そこでしばらく滞在を余儀なくされたが、最後には外国の船によって助けられたこと。一つ一つ、私を安心させるような口調で答えてくれた。


「それにな。俺たちが助かったのは、澪のおかげなんだ」


「私の?」


 疑問を浮かべる私に、航平君は懐から何かを取り出し私の前に広げて見せる。


「スカーフ? だけど、なんか文字が書いてあるような」


「いろんな国の言葉で助けてくださいって旨が書かれてる。ダメになった紙の代わりにこれを瓶に詰めて海に流したんだ」


 それをたまたま拾って駆けつけてくれたおかげで、航平君たちは生き延びることができたという。あまりの偶然に私は言葉を失う。


「お前のおかげで、俺は助かった。お前が待っててくれてると思ってたから辛い時間にも耐えられた。大口叩いたわりには不甲斐ないけどな」


「……そんなことない。あなたの支えになったのなら嬉しいよ」


 穏やかに笑い合って、私は視線を海の方へと移す。

 私から全てを奪っていったかつての影は、もうそこにはなかった。


 隣に寄り添う彼の心地よい息遣いと、遠くで押し寄せる潮騒が、まるで重なっているようだったのだ。

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Love conquers all. ~海の奇跡~ 鈴谷凌 @RyoSuzutani2

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