あなたが明日出会うその人も「正しい服」の裏で泣いているかもしれない

タカハシマコ先生の描く『サンダル』に、絹絵ちゃんという女の子が登場する。リップをつけて、まつげを上げて、レースの下着をつけて──。一連の女子力高める装いを彼女は「武装」と称する一方で、それら鎧の重さに不自由さも感じており、内心ではうっかり父親のサンダルを履いて登校しちゃう小枝ちゃんの抜け感に憧れていたりもする。そんな「服装=武装」という感性に覚えがある人はままいるとして、本作で扱われる「服」は鎧と云うよりもはや呪いに近い。

主人公の麻衣は「正しい服」狂いである。服狂いではなく「正しい服」狂いなので服そのものに敬意はない(もっともこの「正しさ」も高い客観力に基づくそれではなく、彼女のバイアスを多分に孕んだ想像上の他者から見る「正しさ」である)。この通り人はさして好きではないものに囚われてしまうケースが往々にしてあり、術中にハマっているうちは不幸でないが、ふと我に返った拍子振り返ると、概して結構な苦痛を覚えがちである。

十年の引きこもり期間によって醸成された麻衣の言動は、「お、おう」とつい逃げ腰になってしまうような所謂「イタい人」のそれが数あれど、作中登場する"正しい服を着ていない"のに何だかんだ立ち回れてしまっている、「心を開いている」人たちのそれよりか、幾分息づいたとしてものとして映る。麻衣は誰かを傷つけてやろうとか、マウントとってやろうとか、そういう悪しき魂胆からイタい人に成り下がっているわけではない。彼女なりの想像上の周囲に違和なく適応しようとあがいているだけなのだ。イタい人とは、良くも悪くも一生懸命なのである。

結局、物語は「他人はあなたが思っているほどあなたを見ていない」というこの世の真理を暗に突きつける形で終わるのだけれど、この気づきが麻衣の救いとなるかどうかは甚だ微妙なところ。さておき、件の作品を読み終えたとき「明日行き交う人にちょっとやさしくなれそうだな」と思った。あなたが明日出会うその人も「正しい服」の裏で泣いているかもしれない。これがシン・仮面ライダーですか。ンなこたぁないか。瞬瞬必生。今を一生懸命に生きている人の姿には、目を惹きつけて止まない引力がある。

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