12

「先輩! 先輩!」


 誰かの呼ぶ声が遠くから聞こえて、私の意識が少しずつ暗闇の向こうから帰ってくる。


 自分の視界の中に徐々に光が入ってきて、ピントの合わないぼんやりとした景色が少しずつ像を結び始める。


 どこかの部屋の天井。背中に感じるのは冷たく固い地面の感触ではなく、やわらかい感触。


「大丈夫ですか!」


 その声の主が誰なのかは、わざわざ見なくても分かった。こんな甘ちゃんで世間知らずで生意気な声の持ち主なんて、私は他に知るものか。


 首を少し横に向けると、髪を2つにくくった子供っぽい顔が見えた。


「気が付きましたか?」

 狼狽した表情。


「先輩が倒れていたって言って、パパが先輩を背負ってここまで連れてきてくれたんですよ」


 まだ意識がはっきりせず、言葉が出ない。


「……ああ、すいません、ここはママの寝室です。ママはずっと海外にいるから、気にしなくて大丈夫です」


 そういうことを聞いているんじゃない。


「……桃太郎は私のことを何か言ってたか?」

「パパがですか? いや、別に何も特別なことは言ってなかったですけど」


 どういうことだ。


「ああ、よく分からないことを言っていました」

 そう言って少し首を傾げる。


「いつも一人でいるのは良くない。同年代の友達を作りなさい。自分の生きてみた道に後悔はないけど、智美は自分みたいに一人で道を切り開く必要は無い。……智美のことを色々気に掛けてくれているこの先輩とか、悪くないんじゃないか、と」


 私は息を呑んだ。


「……パパ、突然何を言ってるんでしょうね。先輩はどう思います?」


 ぶ。

 思わず噴き出した。


「あははははははははははは」

 そして思いっきり大声で笑う。


「せ、先輩、急にどうしたんですか? 本当に大丈夫ですか? あ、紅茶とか飲みますか?」


 それでも私は笑い続けて。

 腹筋が少し痛くなるくらいまで笑ってから、私は智美に言った。


「なんでもない」


 私の母親の顔を思い出して。


 まいったな、と枕に向かって小さく呟いた。

 これでは敵討ちが出来そうにない。


「パパも、先輩も、訳が分かりません……」


 一人困ったように呟く智美に、黙って枕を投げつけた。高級な枕なんだろう、予想より軽くふわっと飛んで、智美の頭にほぼ無音で当たってから、地面に落ちてぱふっと間抜けな音を立てた。


「おいそこのお嬢様、今日だけは勘弁してやる。明日からはがんがん鍛えるぞ、覚悟しろ」


「……先輩のオニ」

 不満そうに智美が呟いた。

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Funiculì funiculà 雪村悠佳 @yukimura_haruka

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