11
住宅地を横切る道には、コンビニはおろか自動販売機すらもなく、街灯だけが私を照らし出して長い影を作っている。
「こんばんは」
「おや、君は」
智美のパパが――テレビで時々見掛ける明空トータが、私に向かって話しかけた。
「こんな遅い時間にどうしたんだい?」
時刻は午後11時。わりと自由な校風の藍天学園の学生といえども、普通だったら女子高生がうろついているような時間ではない。
「智美に何か用事かな?」
「いえ、今日はお父さんに」
そう言ってから、私は彼の顔を見た。
「トータさん」
じっと睨みつけて。
「……明空桃太」
呼び捨てる。
一瞬驚いたような顔をした智美の父親は、だけどすぐに平静な顔を取り戻した。
更に私は呼び直した。
「……桃太郎さん」
「そう呼ばれていたこともあったね」
明空トータが、にこっと笑う。
みんなのヒーロー、桃太郎。
桃から生まれて、悪い鬼を退治した、日本一のももたろう。
私はその笑顔から目を逸らして、言った。
「自分が倒した鬼がどんな鬼だったか、貴方は覚えていますか」
桃太郎は怪訝な顔をした。
私は言葉にならない声を絶叫しそうになって、一度俯いて、息を吸い込んで、それから吐き出した。
そして、絞り出すように……私は叫んだ。
「父の……父のかたき!」
右手をポケットから取り出す。
ポケットの中に鞘は残したまま。銀色の鋭い輝きがきらりと光る。
「君は……」
言いかけた桃太郎に向かって、その光が弧を描いた。
桃太郎は悪い鬼を倒した正義の味方だと、みんなが知っている。
だけど、悪い鬼がどんな悪いことをしたのか、それを説明できる人は誰もいない。せいぜい宝物を貯めていたぐらいだろうが、たとえ盗品だとしてもそれを強引に奪っていいわけなどない。そもそも桃太郎が持って帰った宝をちゃんと配り直したなどという話は聞かない。
つまり全ては偽善なんだ。
そしてその偽善に付き合わされて、私の父は――1枚だけ残っていた写真は、赤黒い顔をして、髪の毛の奥から小さく角が1本生えた、たくましくもどこか気弱そうな顔だった――その生涯を終えることになった。
そんなことは許されるわけがない。
他に誰が許しても、私は絶対に許さない。
「父……そういうことか」
桃太郎の呟きが聞こえる。
奇襲にも関わらず身を躱した桃太郎は、数歩後ろに飛び退いて、私の顔をじっと見た。
「面影でもありますか」
「……分からないな。鬼の一人一人の顔まで覚えていないし、そもそも君は普通の人間に見える」
「その他大勢ですもんね」
「母親似なんだろう」
桃太郎は動かない。
分かっている。不意打ちに失敗した今、押されているのは私の方だ。
「……仇を取って何をしたい」
「何を、というのは?」
「君の宿願が晴れたとして、その後はどうするんだ」
「何も考えてないですよ。殺人犯です」
「だけど出て来てもまだ人生は長い。少年院だったら数年で出てこれるかもしれない」
「……それはその時考えますよ、生きていれば」
「例えば悪い鬼を退治したとして」
思わずナイフを握る手に力が入った。
「退治したらその後、何をする?」
「……詭弁を弄しないでください。貴方の正義なんて知りません。……私は私の正義がある!」
強い口調に桃太郎が息を呑んだのが分かった。……その瞬間、私はナイフをまっすぐ突き出した。
トータが後ろに飛び退く。
胸に刺さるはずのナイフは、あっさりと奪われて跳ね上げられた。
私は一言も発せず、視界の外へとナイフが消えていくのを目で追うことすらできず、ただ呆然と自分の手元を見ていた。
――ああ、全くお話にならない。
勝てないとか万が一にとかそういったレベルの話ではない。最初から勝負にすらなっていない、圧倒的な差。
全くとんだ甘ちゃんだ。
自分の背後で、ナイフが落ちてアスファルトに当たる音がした。
そして次の瞬間には、目の前に迫っていた桃太郎の掌から、私に重く激しい衝撃が走った。
宙を舞ったとか、そういう感覚は無かった。
背中から叩き付けられる衝撃を感じて、それから自分が地面に横たわっていることに気付く。
「う……」
呻き声を上げて、だけど意識は徐々に遠ざかっていくのを感じる。
「1つだけ言わせてくれ」
桃太郎の声がする。
私に話しかけているのか、それとも一人呟いているのか。
「正しいことをしていると信じて、生きてきた。そのことに後悔はない」
幸いにして頭はそれほど強く打ってないようだった。だけど背中は痛みというよりしびれたような感覚になってて、身動きもできない。
「信じた道に後悔はないが、他の道はどうだったんだろう、とはずっと思っている」
アスファルトのでこぼこが押しつけられて痛い。
「……もっと地味で、平凡な生き方も多分あったんだろうと。目の前の畑を耕して、山に柴刈りに行って、川に洗濯に行って、それで日々が終わっていく、そんな生活もあったんだろうかと」
既に視界は昏くなり、トータの表情は分からない。
だけど、涙声でもないのに、何故かその時、この人は少し泣いているような気がした。
「君の目は、昔の私ととてもよく似ている」
最後に聞こえたのはそんな言葉で。
私の意識は闇に落ちた。
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