クリスマス・ラプソディ

大隅 スミヲ

クリスマス・ラプソディ

 雪が舞いはじめたのは、午後になってからだった。

 朝の天気予報ではイケメン気象予報士が夜まで天気は持つだろうと言っていたはずだったが、午後一時の時点で雪はちらつきはじめている。


「頼むから積もらないでよ」

 コーヒーカップを片手にコンビニエンスストアから出てきた高橋佐智子は、空を睨みつけるような目で見上げながらつぶやいた。


 駐車場に停めてある車は、まだノーマルタイヤだった。

 もし、今夜にでも雪が積もるようであればスタッドレスタイヤに履き替える必要がある。

 運転席に乗り込んだ佐智子は、エンジンを掛けると同時にエアコンのスイッチも入れた。車内の温度を示す数字は2℃となっている。これは寒いわけだ。


「クリスマスケーキ、いかがですか」

「チキンもありますよ」

 駐車場の端に設置された長机の特設販売会場では、サンタクロース風の赤い衣装を身に着けた売り子の若い女性たちがケーキとチキンの販売にいそしんでいる。

 この寒い中、ミニスカートという肌の露出が多い格好をして、ご苦労なことだ。

 佐智子はそんなことを思いながら、売り子の女性たちを見ていた。


 特設会場には、そこそこ人が集まっており、チキンやケーキの売り上げは良いようだった。

 その中にひと際目立つ男の姿があった。長身であるため、周りの人間よりも頭ひとつ飛びぬけているスーツ姿の男。その男はチキンの入ったバケツ型の入れ物を受け取ると、嬉しそうな顔をしてこちらへと向かってきた。


「悪い、お待たせ」

 助手席に乗り込んできたひとつ年上の先輩である富永は、手に持った袋をこれ見よがしに自分の膝の上に置いてアピールしてきた。


「なにそれ?」

 全部見ていたのでわかっていたが、佐智子は富永に問いかけた。


「ああ、これ?」

 気がついちゃった? そう言いたげな顔をしながら、富永は袋を開けようとする。


「ちょ、ちょっと待って。ここで開けないでくださいよ」

「え、ダメ?」

「車の中にチキンの匂いが充満しちゃいます」

 佐智子の言葉に、富永は残念そうな顔をして袋の口を閉じる。


「とりあえずは、一度戻りますよ」

「え、なんで?」

「このまま雪が降るようなら、タイヤを替えなきゃならないんで」

「ああ、そうだな」

 そんな会話をしながら佐智子たちは、新宿中央署へと戻った。


 警視庁新宿中央署刑事課。それが佐智子たちの職場だった。佐智子と富永は、強行犯捜査係に所属する巡査部長なのだ。


「ただいま戻りました」

 富永がチキンのバケツの入った袋を掲げながら刑事課の部屋に入っていく。

 その姿は、まるで敵将の首を討ち取った武将のようだった。


「お、今夜はパーティーでもするのか」

 チキンを持って歩く富永に同僚たちが笑いながら声を掛ける。

 普段はおっかない顔をして仕事している刑事たちも、事件を担当していない時は穏やかであり、冗談を言い合ったりしているのだ。


 富永はチキンのバケツを自分の机の上に置くと、マジックペンを使って袋に大きく『富永』と自分の名前を書いた。


「ちょっとスタンドいってタイヤ替えてきます」

「ああ、よろしく」

 佐智子は捜査車両のタイヤをスタッドレスタイヤに替えるために、刑事課の部屋を出て行った。



※ ※ ※ ※



 緊急通報が入ったのは、深夜1時のことだった。


 夜勤担当だった佐智子と富永は捜査車両に乗り込むと、新宿の街へと急行した。


 連絡をしてきたのは2機捜にきそう峰山みねやま隊長であり、歌舞伎町で男性1名が刃物で刺されたとのことだった。

 2機捜とは、第二機動捜査隊の通称であり新宿を含む東京の西側を管轄とする機動捜査隊であり、機動捜査隊は事件の初動捜査のスペシャリスト集団である。


 すでに終電の時間は過ぎているというのに、歌舞伎町は大勢の若者でにぎわっていた。


 昼過ぎから降りはじめた雪は未だ降り続いており、人の通らない道などでは少しずつ積もってきている。


 佐智子と富永は歌舞伎町一番街の現場に向かって歩いていたが、すれ違う人のほとんどが酔っぱらっていた。


 少し先に人だかりがあるのが見えた。

 そこには赤色回転灯をつけたパトカーが一台停まっており、制服姿の警察官が野次馬に対して交通整理をしている。


「ご苦労様です」

 佐智子たちは顔見知りの地域課の制服警官に声を掛けて、規制線の中へと入っていく。

 規制線の中には3人の私服警察官と鑑識の人間がいた。3人の私服警官は2機捜の刑事たちである。


「お疲れ様です。新宿中央署です」

「おお、お疲れ様。今日の当番は高橋さんか」

 顔見知りの2機捜の刑事である本田警部補だった。いかにも柔道をやっていましたという体型の本田は佐智子たちに近づいてくると、事件の詳細を説明しはじめた。


 逃げているのは二人組の男だった。

 ひとりはサンタクロースのコスプレをしており、もうひとりはトナカイのコスプレだったという。何ともふざけた犯人たちだ。

 さらにいえば、刺された被害者の格好は雪だるまだったという。


「雪だるまは血だるまになっちまったけどな」

 本田警部補は自分で言った不謹慎なギャグで大笑いしていたが、佐智子と富永は顔を見合わせていた。


「逃げた二人組の特徴は他にはありませんか」

「トナカイの方は長身だったそうだ。175センチの被害者から見ても大きいと感じたらしいから、180センチ以上はあるだろうな」

「長身のトナカイですね。わかりました」

「目撃者の情報だと二人組は二丁目方面へ逃げたそうだ」

「わかりました。それでは我々は二人組を捜すことにします」

 富永は本田に言うと、佐智子と一緒に二丁目方面へと足を向けた。


 新宿二丁目も歌舞伎町同様に多くの人でにぎわっていた。

 雪が降っているのもお構いなしに、多くの人が騒ぎながら歩いている。


「見つけるのは、サンタとトナカイだ」

 富永がそういったものの、サンタやトナカイのコスプレをしながら歩いている人は大勢いて、この中から犯人を見つけるというのは至難の技であった。


 悲鳴が聞こえた。

 それは酔っ払いたちの嬌声ではなく、野太い男声の悲鳴だった。


 佐智子と富永は顔を見合わせて頷くと、その悲鳴の聞こえた店に踏み込む。

 店内にはふたりの客とふたりの従業員がいた。


 なぜ店内にいたふたりが客でふたりが従業員であるのかわかったかといえば、佐智子はこの店に何度か来たことがあったからだった。


 ふたりの客はサンタとトナカイのコスプレをしており、サンタの手には刃渡りの大きなナイフが握られていた。


「騒ぐんじゃねえ」

 さきほど悲鳴をあげたと思われる店員は尻もちをついて逃げようとしているが、腰が抜けてしまっているのか動けずにいる。


「てめえ、なにやってんだ、ゴラァ!」

 それはまるで、アクション俳優がやるような綺麗な廻し蹴りだった。

 履いていたミニスカートのスリットの部分が音を立てて切れてしまうのも気にせずに繰り出されたその蹴りは、綺麗にサンタの顎をとらえていた。


 蹴りをまともに喰らったサンタは目が反転して白目となると、糸の切れたマリオネットのようにその場に崩れ落ちた。


 その様子を見たトナカイは慌てて殴りかかろうとする。

 しかし、その手を咄嗟に掴んだ佐智子がトナカイの殴ろうとした勢いを使って、背負い投げで綺麗に投げ飛ばした。


「新宿中央署だ」

 投げられたあと佐智子に寝技で抑え込まれたトナカイと気を失っているサンタに対して、富永が声をあげる。


「傷害の現行犯で逮捕する」

 佐智子が腰につけていた手錠をトナカイの手にはめる。


 サンタの方は気絶していたため、富永が頬を叩いて気を取り戻させる処置をしていた。


「さっちー、来てくれたのね。ありがとー」

 サンタに対して綺麗なハイキックを決めたレイちゃんが、いまさらながら怖かったという口調で佐智子にいう。


 この店はレイちゃんが店長を務める『夜明けのマーメイド』というゲイバーだった。

 ショートカットでどこか宝塚の男役を思わせるような美貌を持ったレイちゃんだが、元は男であり、男だった頃はキックボクシングジムに通っていたこともある肉体派だったそうだ。



※ ※ ※ ※



 二丁目で大捕物を演じた佐智子と富永は新宿中央署に戻ると、刑事課の部屋で出動記録という報告書を書きはじめた。肉体労働の後は事務仕事が待っているのだ。


「チキン、レンジで温めてくる」

 先に自分の出動報告書を書き終えた富永は、そういうと休憩室にコンビニで買ったチキンのバケツを持っていった。


 佐智子が報告書を書き終わって、休憩室へ顔を出すと、紙皿の上に乗せられたチキンと小さなショートケーキが用意されていた。


「え、ケーキ! これ、どうしたんですか」

「ああ、織田係長からの差し入れだってさ」


 普段であれば、午後10時以降の食事はとらないことにしている佐智子もこの日ばかりは、そのルールを無効とした。


 きょうは、一年に一度のクリスマスなのだ。

 一日ぐらいルールを無効としても、許されるだろう。


 佐智子は心の中でそう呟きながら、チキンへと手を伸ばした。

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