第4話

 ここに来てから三日目、父の眠気がひどくなった。それを見てそろそろだ、と宏輝こうきは思った。

 大体両親の後に自分たちの眠さがやってくる。翌日には母も眠気を感じ始めていた。


 その日、宏輝たちは保田ほださんたちと雪かきをしたあと、学校の宿題をして、那由他なゆた君の遊び相手をしたり、食事の準備を手伝ったりしていた。

 

 父はすでに離れに向かっていた。母も行く支度を始めていた。


 昼過ぎ、父が眠りについたのを確認しようと思って、離れに行こうとしたときだった。


「君、このあたりの子かい?」

 厚い黒のジャンパーを羽織った中年の男に声をかけられた。その隣には同じく厚めのコートを来たメガネをかけた若い男もいた。


「いえ、違いますけど……」

「おじさん、民俗みんぞく学者なんだ。ここの場所に詳しい人知ってるかい?」

 男は宏輝に名刺を差し出して言った。名刺には「岸井田きしいだ研究所 街下まちした けん」と書かれていた。

 宏輝が首を横に振ると、ジャンパーを着た民俗学者は考えるように、うーんと、声を出しながら去って行った。


 宏輝は何となく胸騒ぎがした。


(おばあさんのときとは違う。はじめての人だけど、なんだか危険な感じ……)


 勘は当たった。


 その日の夕方、例の民俗学者は保田家の周辺を歩いていた。

 

「話によれば人里離れたところで数ヶ月過ごすらしい。この地も昔、その一族が関わって災いから逃れたそうだ」

「じゃあ今も彼らはこの地に?」

「もしかしたらいるかもしれないな……。お、そうだ、そこなんかはどうだ?明かりがついているし、人がいるかもしれない。聞いておこう」


 たまたま外に出ていた宏輝は、離れの方に向かっていく二人の後ろ姿を見かけて、思わず駆け寄った。

 母が今さっき眠りについたころだった。これから荷物を運ぶところで、鍵はかけていない。


「あっ!」

 急いで離れに向かうも、雪に足を取られて動けなくなってしまった。

「待って……!」

 声は届かない。二人は既にドアに手をかけていた。


(危ない……‼︎)

 そう思ったのと同時に気づいたら宏輝は声を上げていた。


 ウオオオオーン

 獣の声が辺りに響き渡る。


 それを聞いた民俗学者は反射的にドアから手を離した。


「おい、オオカミが近くにいるみたいだ」

「一旦ここは離れましょう」

「そうだな」


 そう言って彼らは離れから遠ざかっていった。


(今のは……?)

 宏輝は思わず自分の口に手を当てていた。その手がまだ震えている。

 実際に耳にしたことがない声が、自分の体から出てきたことに驚きを隠せないでいた。


 

 

 ふと気配を感じて後ろを振り返ると、少し離れたところで、一匹の狼が宏輝をじっと見つめていた。

 狼は宏輝に一礼すると、近くの森の中へ静かに消えて行った。


 二人の姿が完全に見えなくなったのを確認してから、離れの中に入る。

 部屋の中では父と、その横で母がぐっすり寝ていた。

 何事もなく寝ている両親の顔を見て宏輝はホッとした。


 持っていた鍵で離れのドアを閉める。急いで保田さんのところへ戻り、さっきの出来事を話した。民俗学者を名乗る人物がこの周囲にいること、自分達の存在を知っていること、離れに近づいていたこと。自分が獣の声を出したことについては言えなかったけれど。

 まだ二人組がこのあたりにいるかもしれないと知って、一輝いつきは顔が真っ青になった。


「今回はうちで眠ろうか」

 おばあさんはそう言うと、裕介ゆうすけさんたちに連絡して、夕飯前に両親をすぐに保田家に移動させた。

 そして宏輝たちもそのまま保田家で冬眠することになった。


 ❅

「もしかして、さっきの“鳴き声”はお前さんかい?」

 両親の荷物を再び保田家に運ぶ途中で、おばあさんはふいに宏輝に言った。


「あ……」

 宏輝が何も言えないでいると、

「いいんだよ。お前さんはきっと“彼ら”から『借りた』んだ」

 そう言うと、おばあさんは優しくほほ笑んで宏輝の頭をポンポンとなでた。


(なんでこの人は分かったんだろう……)


「……宏輝、ありがとな」

 部屋で眠る両親を見つめながら一輝が言った。

「え?」

「宏輝がいなかったら、父さんたち、きっと危ない目にあってた」

「……うん」

「“冬眠狩り”はどこにいるか分からない。狙うのは冬のはじめだけじゃないかもしれない」


 あの民俗学者は、調べているだけで、正直実際に“狩る”ような人たちには見えなかった。けれど、彼らたちのように自分たちの存在を知っている人物はいる。そして、きっと自分たちを脅かそうとする人も。


「これからも二人で父さんたちを守っていこう」

「うん……!」

 宏輝は力強く頷いた。


 守る——。そうだ、ずっと守られてばかりじゃいけない。

 大事な人を、大切な人たちを、今度は自分が守っていきたい。守らなければいけない。

 両親や保田さんたち、そしてあのとき自分の指を握った那由多君を思い浮かべる。


「ふぁああ〜」

 そうこうしていると大きなあくびが出た。

「おや、そろそろかな?」

 おばあさんが言った。

 隣の一輝も瞼が重そうだった。

「布団を用意しなくっちゃ」

 美桜みおさんがいそいそと押し入れへと向かった。


 眠る両親の隣で布団を被る。


「おやすみなさい」

 すっかり眠ってしまっている両親に、隣の部屋で見守ってくれている人たちに、宏輝はそう言って静かに目を閉じた。


 次に目を開けるときは、きっと春——。

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冬眠家族 篠崎 時博 @shinozaki21

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