100年の孤独にあなたを想う


 無数の煌めきが落ちてくるかと錯覚するほどの満天の星。

 あの一つ一つが恒星やその光を受けて輝く惑星なのだとしたら、宇宙にはどれほどの星が存在しているのだろうか。


 そのひとつひとつを飛び越えて、間もなくあなたが帰ってくる。

 100年の孤独を越えて、100年の宇宙そらの航海を経て。

 けれども僕は、あなたに届ける大切な言葉を預かっていても……その気持ちを理解するには未だ至っていない。


「博士。この空の上には、本当にこのような美しい光景が広がっているのでしょうか」

 大型のプラネタリウムの装置が沈黙し、瞬く星々の空が灰色の天井に変わったとき、僕は思わず隣で装置を動かしていた博士に尋ねてしまった。

「わたしも小さな頃に一度見ただけだが……あるよ。ある。見えないけれど、そこには確かに空はあるんだ」

 博士が小さな頃。僕が作られるずっと前の話。一度だけ、博士は奇跡のような星空を見たことがあるのだと言う。ホログラムや映像ではない肉眼で見たその光景は、今でも忘れる事はないと陶酔した瞳で語ってくれた。

「見えないのに……どうしてその存在の確実性を信じることができるのでしょうか」

 僕は創造主である昴博士の言葉に素直に頷けない。博士がプログラミングした人工的な感情によるものだろうか。このノイズのような思考は、稀にバグに感染したかのように電気信号を遮断して、動作や思考回路を鈍くする。

 博士が見た美しい空は、今もそこにあるとは……僕は信じることができないのだ。


 その昔、この星の空は重く立ち込める曇天ではなく、晴れ渡る美しい雲間が見えたと記録には残されている。

 今はスモッグの中にある電磁波の波が邪魔をして、その先にある宇宙を観測することができないけれど。

 大きな戦争が表層を焼き、厚い雲が世界を覆った。それ以前には宇宙へ旅立つ事が出来た人類でも、何十年経っても空を取り戻すことが出来ないでいる。

 ……その前に地球から100年の旅に出たあなたはそれを知らないだろうな……。


 僕は昴博士に作られたアンドロイドだ。

 100年前に地球を旅立ち、宇宙を観測して戻ってくる星間飛行士アストロノートを迎える為に産み出された。

 あなたに“おかえり”と言うために。

 僕は昴博士の親類の言葉を沢山メモリーに積んでいる。

 優しい声で記録された物語は、どれもあなたへの想いが込められていて、彼の若い頃の顔を模しているインターフェイスの僕には、その言葉通りの表情を作れるか心配だ。

 彼が死ぬ間際まで残された沢山の音声アーカイブ。初恋の気持ちまで中には含まれている。

 僕はそんな彼の言葉をあなたに届ける為に産み出されたのに……この地球にあなたが戻ってきても、この光景にがっかりするんじゃないかって、そればかり気にしてしまうんだ。

 ──記憶の中にある地球の方が美しかった。戻らなければその記憶のままだったのに。

 ……なんて、雲に覆われた世界しか知らない産まれて数年の僕には郷愁の気持ちなんてわからないけれど。


「あることを証明するのは難しいことだけど、ないことを証明する方がもっと難しいと思うけどね。まぁ、君に良いものを見せよう。帰ってくるあの人を迎えるための準備の一つ。空に晴れ間を取り戻す希望に繋がる実験だ」

 僕に言葉を残した人に似ているという昴博士は、にこりと笑う。

 施設の外に出た僕たちは、空を見上げる。昴博士が作った装置が空に打ち上げられる為だ。

「さっきプラネタリウムで見ただろう? 今日は七夕。天の川がこの厚い雲の向こうに広がっているはずなんだ。打ち上げた装置が空を撹拌し、スモッグを晴らして電磁波を無効化する。それが上手くいけば一瞬でも星空が見えるよ」

 あの日見た空のように。なんて昴博士の瞳が輝く。

 僕は空を見上げて見守った。

 大きな地響きで装置が地上から発射される。

 それは遠い空の彼方で一瞬爆発的に光り、空を撹拌した。

 雲がぐるぐると渦を巻いたかと思ったら、空に虚空がぽっかりと開き、それが徐々に大きくなって空が開いていく。

 

 光が見えた。

 雲一つない空には、無数の光が満ちていた。

 ミルクを溢したようなと言われた光が。

 天の川と呼ばれた星屑の輝きが。

 地上からその様子を見ていたのだろう。

 沢山の囁きが聞こえるような気がした。


 僕は、空に広がるその輝きから目が離せないでいた。

 僕に組み込まれたプログラムでは表しきれない美しさに言葉がでなかった。

 “君と見上げた星空をいつまでも覚えていた”

 “あの涙が溢れるような尊さを、僕は生涯忘れられないだろう”


 ふと、託された言葉が溢れだす。

 今までは音声の再生は出来ても、表情を取り繕うことが出来なかった。

 今ならその言葉に込められた切なさも含めて、ほんの少しならわかるような気がしていた。


「良かった……これは始まりだ。この実験で取り戻せた空は一瞬かもしれない。けれども、この厚い雲に穴を開けることは出来たんだ。本当の空を取り戻すことができるかもしれない」

 昴博士の瞳がうっすらと潤んでいる。

 空を取り戻す。それが出来たなら……。


 あなたに会えたら、一緒にこの星空を見上げる事が出来るだろうか。


 その時、遠い彼方に不規則な瞬きを見た。

 カチカチカチ……カチカチ。

 カチカチカチ……カチカチ。

 あの、合図は……。

「もしかして、星間飛行士からの合図かい!?」


 愛を意味する“果てしない虚無に君を想う”ではなく……。


 “道標を辿って君の元へ帰る”という合図で──


「あなたが帰ってきてくれる。この星に……」

 幾つもの残された言葉達が騒ぎだす。伝えたい想いが溢れそうになる。電気信号では表しきれない、この揺れをどう表現したらよいのだろうか。

 今なら、僕には作れるだろうか。

 残された言葉に沿った表情を。

 あなたを迎える為の“おかえり”を。


「博士……博士……この地球に帰る事が、あの人にとって良いことなのかは、僕にはわかりません。ですが……この地表から見上げる星空の美しさを、僕はあの人と一緒にみたい……そう、思ってしまいました。これはなんて感覚なのでしょう。僕にはわかりません」

「奇跡というのは、そう言うものだよ。言葉では説明しきれないさ」

 

 もうすぐあなたに出会う事ができる。

 星空を見上げて、いつまでもいつまでも眺めていた。

 

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100年の孤独に君を想う 弥生 @chikira

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