100年の孤独に君を想う
弥生
100年の孤独に君を想う
「
「…………そうか、おめでとう」
君が囁いた言葉に、僕はうまく笑えただろうか。
僕たちは小さな頃から星空に夢中だった。
君は宇宙へ羽ばたくことを。
僕は宇宙へ羽ばたかせること。
遥か遠い彼方を夢見て、公園の隅に作った秘密基地の中で何度も何度も話をしたね。
距離と時空と光の計算が得意な君は、ノートにびっしりと計算式を書いて、夜空に輝く光の粒子がいつ生まれたのか教えてくれていたね。
僕は負けじとモールス信号の改良版だと、光の点滅で合図を作っていた気がするよ。
あの星の光は10億光年前の光。
この信号は宇宙旅行は順調だって合図。
星の光に、夜の空に、喧嘩の合図に、仲直りの合図に。
短い信号に、長文の気持ちを載せて。
こんな合図はどこで使うんだって合図も作って、二人でけらけら笑っていたっけ。
僕らが十代の半ばに発表された、この星の時間で往復100年の長期星間飛行テストに君が応募していたことは知っていた。
10年20年じゃなく、片道50年の長い長い星間飛行。
宇宙とこの星の時間の感覚では刻む時間が違いすぎて、星間飛行が成功しても見送る人たちとはもう会えない。
君の感じる1年が僕たちの5年や10年になり、僕たちだけが地球に取り残されていく。
君が星間飛行テストに応募していたことが家族にバレて大喧嘩になったことや、先生や友達から思い直せと言われていたことも、僕はずっと知っていたんだ。
黙っていたんだけど、君の両親からも止めてほしいと懇願されたよ。幼馴染みの僕の言うことなら少しは聞くだろうって。
はは、君が知っての通りに、僕は止めなかったよ。
……そう、止めなかったんだ。
階段を1段飛ばして駆け上がるように、君は僕たちの時間を一足飛びで越えていく。
そんな君を止められる人がいるだろうか。
僕は君が選ばれてほしいと願いながら、外れて欲しいと祈っていた。
君の願いと相反する想いには目をつむってほしい。応援していない訳ではないんだ。
まだあの頃は、君が僕の隣にいてくれる未来をほんの少しだけ夢見ていたんだ。
君と同じ刻を過ごす、そんな夢をさ。
選ばれたと君が小さく囁いたあの日、僕は生まれていた気持ちをそっと殺したんだ。
宇宙に持っていってもらうには、少し重すぎる気持ちだったからさ。
君に伝えずここに置いていったんだ。
「誕生日には期待していて。天の川に隔てられた二人が会う日くらいは、空の瞬きが一つぐらい増えていても誰も気にしないよ」
なんて最後に君は笑って言ったっけ。
飛行場まで君の両親が連れていってくれると言ってくれたけど、僕はそれを断って、教室の映像で他の皆と君を見送った。
映し出された君の凛とした姿を見たらそれが正解だと思ったよ。
思わず引き留めたくなるくらいに泣いちゃったからさ。
君にそんな姿を見せなくて良かった。
ちっぽけだけど、僕の小さな意地だったよ。
あの日言っていた七夕の話。
君の冗談だと思っていたら、僕の誕生日にカチ…カチカチ……青い光が瞬いて、「宇宙旅行は順調だ」なんて僕らにしかわからない合図でサインを送るなんて。
思わず……思わず目を擦ってしまったよ。
ちゃんと日本時間の夜に合わせてだなんて、君の計算は本当に正確だったね。
でも君も予想しなかっただろうね。
この日は雨が想像以上に多かったんだよ。
毎年、曇天に傘をさして夜空を見上げても、星の瞬き以前に月すら見えない。
去年は微かに晴れ間が見えた。
宇宙食には飽きました。なんてメッセージにくすりと笑ったっけ。
来年は晴れると良いなと願いながら、暗い雲に覆われた空を見上げた。
でもさ、それでもたまに見えたからまだ良かったんだ。
……それよりもっと君が予想していなかっただろう事は。
世界がとても残酷だったこと。
世界の関心は遠い宇宙以前にこの星の内部の事に移ってしまった。
君が10年20年とこの星から離れていくうちに、この星は10年20年と食料危機に紛争に様々な問題に巻き込まれていった。
君が教科書の隅に落書きしていた「愚か者の所業」って書いた事はね。とても恐ろしいことに次が起きてしまったんだ。
僕らはいつしか空を見上げることすら忘れ、地面ばかりを見る日々が続いた。
日々に、悲劇に、犠牲に。
世界の悲劇はどんどんと加速していった。
空に希望を夢見ることは許されなくなり、地表でただ生き残ることが目的となっていった。
僕の宇宙に羽ばたく翼をつくる夢は、人を殺す道具をつくる現実に打ち砕かれていったよ。
眠れなくなり発狂しそうになり、あの日夢見た未来が崩れ落ちていくのを、自分の手が、人を殺せる道具を産み出していくのを、苦しみながらも止めることが出来なかった。
世界から争いが消えたのは、和平によるものでもなんでもない。
争うことができないほどまで人々が疲弊したからだ。
君が綺麗だと言っていたこの星は、最後の「愚か者の所業」によって灰が降り厚い雲が立ち込める死の星となっていった。
いつしか、星空は見えなくなっていた。
「なぁ、じいちゃん。風、やまないね」
「そうだねぇ」
兄のひ孫の
君がこの星から旅立って80年が経った。
もう僕も大往生と言っても良いくらいの年齢だ。
あと20年。
君に再び会うのは無理らしい。
その役目はこの子に託そうと、昔の僕そっくりなひ孫の頭を撫でる。
この子の両親は災害時の避難誘導の仕事が忙しく、記録的な暴風となったこの夏の嵐には、頑丈な病室で寝たきりになっている僕のところに預けられた。
「なぁじいちゃん、この空の上に光がいっぱいあるって本当?」
「本当だとも」
「昼間は空が青いっても本当?」
「本当だとも」
本物の空と言うのを、昔の写真やアーカイブでしか見たことがないこの子は半ば信じていないようだ。
厚い厚い雲の外、満天に輝く星空をこの時代の子どもたちは見たことがない。
20年後に帰還する君は、この星の有り様に落胆するだろうか。
「あっ!!!!」
窓に張り付いていた昴が興奮したように騒ぎ出す。
「嵐が止んだ。空が空が……!!」
それは一瞬の奇跡だろうか。
台風の目と呼ばれる無風の地帯は、覆い被さる厚い雲を晴らして遠い夜空を浮かび上がらせていた。
満天の天の川。
壮絶なほどに美しい夜空がぽっかりと浮かび上がっていた。
「綺麗だ……」
昴の瞳が昔の僕らの瞳に重なる。
カチカチ……カチカチ……カチ。
カチカチ……カチカチ……カチ。
規則的な瞬きが、満天の星空に光る。
「すげえ、じいちゃん! じいちゃんの誕生日、嵐で可哀想かなって思ってたら、最高のプレゼントが来た!!」
規則的な、光の瞬き。
この瞬きは、何年前に送られた合図だろうか。
君は、とても計算が正確で……。
この日に届くように計算された、その信号は……。
「果てしない虚無に君を想う」
愛しているを別の言葉で言い換えたら、僕たちならどう表現するだろう。
なんて二人でけらけら笑って作っていた、どこで使うんだって合図。
君は、君は……この音すら響かない宇宙で。
この七夕の日に、僕の誕生日に。
見えない時も、ずっと合図を送ってくれていたのか。
僕が世界の未来に絶望していたときも。
世界が未来を諦めてしまっていたときも。
君の合図は変わらずに、宇宙を越えて送られていた。
今僕が見ている光は、何年前の光だろう。
移動する宇宙船の速度に合わせて、君はこの日に届く光を送り続けてくれた。
「……昴、あの瞬く光を見てごらん。あの光の先に、僕の大切な人がいるよ」
「……じいちゃんがいつも宇宙に行きたがってた理由?」
「あぁ、そうだ。昴、すまないね。君に夢を託そうとしてしまって」
「え? なんで。俺、じいちゃんの夢を叶えたいよ」
「もう、いいんだ」
「じいちゃん……?」
昴は不安そうに覗き込むけれど、僕は微笑んで、カチカチと光る青い希望を見つめる。
「代わりに声を、20年後に残す音声を録る手伝いをしてくれないか? 人に託すのは僕たちらしくないからね」
昴は最初にきょとりとして、それから喜んで大きく頷いた。
僕の命が尽きるまで、たくさんの言葉を記録しよう。
君が長い長い間、
今度は僕の声を残そう。
世界の事、僕の事、兄のひ孫の昴のこと。
そしてこの青臭い、初恋の事。
100年の孤独を癒す言葉を、20年後の君に。
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