最終話 陽炎の果てに

 僕が姫奈を求めなかったのは僕のフェチズムと一致しなかったからではないだろうか。


 美しいものに必ず性欲を催すものではないだろう。芸術家の描いた女の裸体で興奮するものはいない。姫奈は僕の目には芸術品に映ったのだろう。そんなこと姫奈は嫌がるだろうけど。


 人間が生殖本能だけを満たす為だけに性交をするのなら、避妊というのは矛盾したことだろう。若過ぎる恋人同士も避妊をするけれど、熟した夫婦も避妊をして交わることもある。


 そして、生殖だけが目的ならば同性愛というものも否定されてしまう。つまりは性交とは生殖の為だけの行為ではないのだ。

 

 それでは、愛と性交のかかわりとはなんだろう。姫奈は性欲のない愛など存在し得ないと言い切った。それを聴いたとき、僕は否定したけれどどうやら受け容れることが正しい判断であったようだ。


 僕は一度だけ旅行先で姫奈と目合った。女と目合うのは初めてだったけど、あんなに感じたのは相手が姫奈だったからであろう。他の女相手ではせいぜい興奮くらいしか得られなかっただろう。おそらく、自慰と大差なかったろう。


 はきはきと伝えることはしなかったけど、姫奈との目合いで興奮も快楽も快感も心地好いものはすべて頂いた。やはり、姫奈の言う通り愛し合う者同士は目合うべきなのだろう。

 

 ただ、そのことを差し置いても姫奈との愛を別の形で育みたいと願っていたのだ。実は姫奈もそうだったのではないかな。目合う以外の方法でも愛を深めていけると思っていたのではないかな。だからこそ僕を誘惑しなかったのではないかな。

 

 正直を言うと、僕は姫奈に誘われればいつでも抱き締めただろう。頑なに否定していたのは僕のなによりも性欲が勝ることであって、その存在自体ではなかったのだろう。


 きっと根性なしだと思われていたのではないか。それを持っているくせに下手くそに隠そうとする僕を子供だと見ていたのではないのか。

 

 今であれば大きな声で言いきれる。男と女が愛し合うには性欲も性交も不可欠である。


 ただし、性にばかり目を奪われては愛を見失う。愛という口上だけに心奪われては愛すべき者から遠ざかる。


 どうだろう。情けない僕にしては随分強気なものだろう。


 そう言い放てるのは、僕自身が姫奈にそう憶えているからなのだ。


 ただし、この真理は誰にでも通じるものでもない。多くの男と女はすぐに身体を求め合う。自分達の愛に不安や不満を感じるからそうするのだ。もしくは相手を求めないことが不義理だと催すからなのだ。恋人を愛しているのならば求めなくてはならないという強迫に押し潰されそうになるのだ。


 男は常に睾丸で精子を作っているから性欲のピークの周期が短い。それを自慰によって処理しようとすることに不誠実さを感じるのだ。愛すべき女がいるのであれば欲求はすべてその女にぶつけなくてはならないと錯覚するし、女もそうであるべきだと思い違いをするのだ。だから愛すべきタイミングではないときに無駄に抱き合うのだ。

 

 そんな交わりは純潔なものとは思わない。性欲は大切だけれど、幸せな性交をする為には相応しい機会というものがあるのだ。ホルモンの分泌に影響されるだけの性欲ではなく成熟した精神からうまれてくる性欲を認めよう。

 

 それはすなわち愛と言い換えられるのではないだろうか。実は正しい性欲と愛とは同一のものであるのではないだろうか。それならばすべての疑いに合点がいく。僕の主張と姫奈の主張は実は同じことだったのだ。

 

 僕が創った男と女から交わりを奪ったが、慈しみは残った。だからふたりはなにも不自由はしないのだ。愛で満たされていれば性欲を満たすことだけを渇望することもないのだ。


 小説の中のふたりの愛は少しだけ僕の持つそれに近付いた。それで僕は満足だ。清く正しい愛と性を語ることが出来たのだ。

 

 物語の結論をくどくどと解説してしまったけど、物語をいちから読んで欲しい。物語というものは結末だけが肝要なものではないのだから。結末に至る経過こそが一等楽しいものだ。経過を知るときに気分を高揚させて、結末を読んで、ううんと唸ることが出来るのが僕の好きな文章だ。

 

 またすぐに会いに来る。そのときは感想を聴かせて欲しい。間違いがあれば厳しく指摘しておくれ。姫奈に読ませる為に僕は僅かな能力のすべてを費やしたのだから。」

 

 龍平は合わせていた手を解き立ち上がって、今度は心で唱えるのではなく声に出して言った。


「僕はもちろん煩悩を具足する悪人だ。そして大きな悪行も為した。


 姫奈を殺したのだから。善人になるということは愚かなことだ。


 今後は善を積み重ねていかなければならない。善とは姫奈を愛し、想い続けることである。そして僕は同時にエゴイストでもある。求めるのは、やはり姫奈を愛することの先にある快楽だ。あの頃から僕らは同じ答えを違う道筋で探していたのかもしれない。」


「相変わらず餓鬼ね。そして馬鹿な男。」

 

 龍平が墓石に背を向けたとき、そんな声が聴こえたような気がした。誰もいないはずの墓地に気配を感じた。決して気味の悪いものではなかったが、人のものとは思えない気配だった。


 これがあまりにも若いふたりの恋の物語である。しかし、物語はまだ永く続くのだ。男が生きている限りは女も死に絶えることはないのだし。男は女を愛し続けて愛され続けるのだろう。しかし、ふたりの愛は色褪せないが、ふたりが十分に幸せであると言って良いのかは分からない。

 

 男はまた歩み出した。

 

 男と女の行方は誰も知らない。 終

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恋愛小説無題  三鷹たつあき @leciel2112

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