場外(若干くだらなめの番外編)
同部屋
「ねえ、カラノさん。今日の宿も、窮屈で気詰まりな相部屋か、私とカラノさんの気楽で甘々な同部屋か、の二択になりそうなのですが」
「相部屋がいい」
「私、同部屋がいい」
「……相部屋」
「何で? 盗みの手伝いは渋々でもするくせに、どうしてそこはそんなに頑ななの? 逆なら今までにもいたけど」
「……実は」
「実は?」
「……肌を、見られたくなく、て。いわゆる……傷跡、みたいなものがあるから」
「私が気にしなくても?」
「恥は恥だ。見られると、嫌なことを、思い出す。アンタには特に見られたくない」
「じゃあ、分かった。言われた時はきちんと目をそらす。事故を装って見たりもしない。どう? 私、もう相部屋はうんざりだから、きちんと守る。この声を賭けてもいい」
「軽率に賭けるな。まあ、そこまで言うなら……」
リアとの旅が始まってからすぐ、大体、そんな感じのやり取りがあった。
そして現在。
扉の開く音で、カラノは目を覚ました。
天井の木目が新鮮に目にうつる。
良い目覚めだ。昨日感じていた頭痛も熱も、嘘だったかのようになくなっている。
「治った……」
起き上がると、額から湿った手拭いが落ちた。見ていると、記憶がおぼろげによみがえる。
そもそもの原因は一昨日、雨に降られたことだろう。リアを宿屋に置いて、一人で買い物に出ている途中だった。リアと一緒であったら迷わず雨宿りをしただろうが、自分自身のために、わざわざ雨宿りの場所を探すのは億劫だ。雨の勢いがそれ程強くなかったこともあり、早く宿屋に戻る方がいいだろうと、荷物を庇いつつしばし濡れながら歩いた。それが間違いだった。その日の夜には軽い頭痛があっただけだったが、次の朝にはどうにも体が起き上がらなくなっていた。
昨日は頭痛から逃れるように、ほとんどずっと眠っていた。
リアが連れて来た医者か薬師に、薬を飲まされたことは覚えている。
軽い食事や水分を取るため、何度か起こされたような覚えがある。
話しかけられたり、詩を聞かされたような気がする。
額に手拭いを置かれて、もう一つの手拭いで首元を冷やされて。
そして、悩ましげなため息を聞いた。
思わず胸元に手を当てて、記憶の中でリアがいた、寝台の右側を見る。
寝台の右側には、丸椅子と、水の入ったたらいが置かれている。たらいの淵には、手拭いがもう一枚かかっている。額から落ちた手拭いを隣にかけて、改めて部屋を見回した。
「リアは、どこに……」
部屋にはいない。
夢うつつに聞いた音を思い出して、部屋の扉を見た。
寝巻きに外套だけ羽織って、カラノは部屋を出る。客室は二部屋しかない、家族経営の小さな宿屋である。二階にリアがいないことはすぐに分かった。狭い階段を下りていくと、長卓の中に店の主人の姿が見えた。入り口付近では主人の家族が掃除をしている。リアの姿はやはりない。
主人がカラノに気がついた。
「あら、おはようございます。顔色は良いようだけれど、お加減はいかがですか」
「お陰様で、回復したようです。ご心配をおかけしました。それでその……俺の連れ合いは」
「お買い物ですって。先程出て行ったばかりですから、しばらく戻らないと思います」
するとあの音は、やはりリアが出て行く音だったのだろうか。考えていると主人が言った。
「お待ちの間、ご飯はいかがですか。卵酒の方が良いかしら」
階段を下りて、ありがたく朝食をいただいた。風邪を引いたこと自体は不幸だったが、その時に泊まっていたのがこの宿屋であったことは、不幸中の幸いだった。
食事を取っている間にも、主人は下ごしらえをしながら、何くれとなく話しかけてくれた。その会話の流れで、カラノは問いかけた。
「つかぬことを聞くんですが、今朝の連れ合いの様子って、普段通り……と言うか。何か変わったところがありませんでしたか」
「ううん? ずっと、心配そうにはしてらっしゃったけれど。変わったところと言うと……例えばどんな?」
「何だろうな。後ろめたそう、とか。挙動不審とか」
「そうは見えませんでしたねえ。むしろ、落ち着いていましたよ。騒がしくしてしまったので、なんて言いながら菓子折り渡してくださって。そこまでしてくださらなくても良かったのに」
それならば、先程思い出した記憶は、ただの夢であったのかも知れない。
悩ましげなため息の後。首元に当てられた手拭いは、襟ぐりから寝巻きの中に入って来た。冷やすついでに、脇の下や胸元を拭こうとしていることが分かった。身支度は出来ず、汗もかいていたから、臭ったのだろう。だが、襟ぐりからは手が入れ辛かったようで、少しして手は離れた。
――カラノさん、服をめくっていもいい? 見ないようにするから。
答えを聞きたいのか、起こしたくないのか、どちらなのかよく分からない、囁き声だった。一応カラノの耳には届いていたが、意識が朦朧としていて、返事をすることに思い至らなかった。
布団の中に微かに風が吹き込んだ。カラノの体に触れると、そっと裾をたくし上げ。寝巻きの中に、手が入って来た。
濡れた手拭いが汗を拭いていった。時々、手が直接肌に触れた。
呪いによって魚の鱗に変じた肌にも、指が触れた。
だが、全て、夢だったのかも知れない。
「あ、お連れさん、お帰りみたいですよ。おかえりなさい」
しばらくしてリアが戻って来た。カラノを見ると、表情が柔らかくほどけた。
「おかえり、リア。回復した」
「そのようで。……良いもの買って来たから、食べましょう」
リアが持っていた袋の中には、紙の器に入った寒天があった。
主人に礼を言って、一旦部屋に戻る。
「ガフミからしばらく忙しかったことも、風邪が悪化した要因だろうから、私にも反省すべき点はある。け、れ、ど。どう考えても、間違いなく直接的な原因は、一昨日のあれだから。雨が降ったら、濡れないようにしましょう。……今更こんなこと言わせないでほしい。カラノさん、自分を蔑ろにしがちだから。私と同じくらい自分を大切にしなさい」
小言を聞きながら、手拭いで体を拭く。
リアは、隣り合って並ぶ寝台の足側に腰かけて、いつも通りカラノからは目を背けていた。主人の言っていた通り、変わった様子は何もない。
「リア」
「先に寒天食べていい?」
「それは好きにすればいいが。それより……」
視線を落とせば、足の付根や右胸の下の方で、鱗が銀色に光っている。
幼い頃には剥がしてしまいたくて、生えて来る度に、周囲の皮膚から血が出るまで引っ掻いた。
鱗を見ていると、堪らない気持ちになる。
涙を流すことで「何か」を呼び寄せる災いの代償として、カラノに与えられた呪い。涙を流す程に、体は魚に変じていく。
サラサによれば、体の機構的に涙を流せなくなった段階で、災いも呪いも、実質的に効力を失うだろうということだった。つまり、涙を流す機構が失われたり、人間的な思考が失われれば、それ以上魚に変じることはなくなる。恐らくは、魚人のようになったところで、カラノの災いと呪いは終わるのだろう。
サクラにはそれを話した。偶然に見られてしまったことが主な理由ではあったが、知られたいという気持ちもあった。自分という存在について明かすことで、サクラとの距離が薄くなるような感覚があった。
リアにはまだ、話していない。
「何?」
「……看病してくれて、ありがとう」
「いえいえ。元気になって、良かった。弱っているカラノさんも中々悪くなかったけど、落ち着かないから」
看病の話を振っても動揺は見られない。本当に夢であったのかも知れない。
だが、夢であったとしても、微妙な迷いは消えなかった。
あれが夢であったかそうでなかったかなど、本当はどうでもいい。とっくに気がついていた。リアに秘すことに、現実的にも気持ちの上でも、限界を感じていることが、真の問題だった。
「ところで、話は変わるんだが。俺の呪いについて、知りたいと思うか」
食べかけていた寒天が、匙から器に滑り落ちていくのが見えた。
「んー……ん?」
カラノの方を向きかけた顔が、不自然に止まって、元の位置に戻される。力がこめられたのか、リアの手の中にある寒天の器が微妙に歪んだ。
「ところで、が過ぎない? 何、急に」
「……寝ている間に変な夢を見た、とでも思ってくれ」
鱗に指を触れる。仮に夢でなかったとしても、リアは布団をめくらずに拭いていたから、自分の目で見てはいないだろう。所々、他と肌の感触が違うことには気がついたはずだ。
「俺の呪いは、一緒にいる相手に秘密にするには、難しい性質のものだ。……もう、アンタも大体、分かっていると思うが」
リアは寒天をすくい直して、唇に匙を挟んだ。
「知られているのなら、秘密にすることに、意味はない。無意味なのにアンタに気遣いをさせてしまうのは心苦しい。であれば明かした方がいい」
「論理的ぃ。でも。恥は恥。誰にも気にされていなくても、知られると、理屈抜きに「嫌」をかき立てられる。カラノさんにとってのそれは、そういうものではなかったの」
「そう、だが……」
「あと、単純に、私の答えを言うのであれば。知りたくはない」
リアの声は軽やかに響いた。
「呪いに限らず、カラノさんの個人的な話は、何についても聞きたくない。知れば知るだけ重くなる。気遣いをする必要はなくなっても、気疲れは増える。知らなかった、で済ませられることが、済ませられなくなる」
ガフミに着く前、逆の立場で、同じことを話した。納得せざるを得ない。
話す前から、リアならそんな風に言う気もしていた。同じ時リアは、他人について知ろうとすることが、自分から枷をつけたがっているように思えるとも言っていた。その重みの心地良さも分からない訳ではないと続けてはいたが、自分自身が枷をつけることとは、やはり別だろう。
安堵と、落胆が少し。
おいそれと人に知られたくはないが、自分自身の根幹でもある。
それ以上に、秘密にする体を保とうとすると、実生活において不都合が多々ある。具合の悪い時や怪我をした時、そして口づけよりも先に進みたい時に。
だからと言って、強要もされていなければ求められてもいないのに、進んで明かすような勇気も持てない。
「ですが」
逆接に、思わず期待を持って目を向けてしまった。
その声は苦笑まじりだった。
「確かに、呪いについては、何となく察してはいる。サクラさんとの話を少し聞いてしまったし、うっかり視界に入ることもあったし。秘密にしても無意味、という点には同意」
「……そうか」
「だから、私が知りたいか知りたくないかも、基準にする意味がない。……カラノさんの好きにしたら」
まだ知られていないことを明かしてしまうかも知れないという危惧は、ほぼなくなった。
あとは、それをカラノ自身の口から言うかどうか、それだけになった。
リアがそうしてくれた。
「アンタ――優しいな」
「私のこと優しいとか言うの、カラノさんくらい。まだ熱がある……それか優しくされる機会が少なかったせいで、判定が甘くなっているんじゃないかしら。一度どこかのお店でお大臣になってみたら。私の比じゃないくらいに皆優しくしてくれると思う」
「あと顔が良いし、声も良いし、たまにかわいい」
「それは……そう。語彙のなさは気になるけれど、熱はないようで」
すぐに告白することは出来なかった。恥だからと言い続けては来たが、恥だけではない。ただ思うだけで、未来への不安に苛まれる。自分でなくなる前に、自分のままで死んだ方が良いのかも知れないと、懊悩してしまう。
だが今は、その恐れを踏み潰してでも、リアに触れたかった。
「リア。俺の方を向いてくれ」
そうしてカラノは呪いについて明かした。
ちなみに、改めて呪いについて知ったリアの反応は、爆笑だった。
「呪いによって体が別の生き物になるなんて、物語の王子様さながらで素敵! 真の愛のこもった口づけをされれば、元に戻れるんじゃない?」
「ばーか」
「あ、珍しい拗ね方。寒天あげるから拗ねないで。元々カラノさんの分だけど。あと上の服着て。風邪ぶり返すから」
言われた通り服を着て、寒天を受け取る。いわゆる「あーん」をして来ようとしたが、それは断った。
リアはカラノの横に腰かけて、まだくすくすと笑いながら、カラノを見て来る。
「そうか。カラノさん、いつか魚になるのか」
「ならねえ」
「そんなに嫌?」
「体が変化するのも嫌だが、それよりも、自分が消えるのが嫌だ。この嫌だって気持ちまで消えるかも知れない」
「あぁ……そうか。自己同一性は保証されていないのか。それは、嫌かもねえ」
急に殊勝な態度を取り始めたので、訝しく思いリアを見る。目が合うとリアは、てらいのない笑みを浮かべた。
「面白かっただけではなくて、私、カラノさんと一緒に海で暮らせるのなら、悪くないような気がして。……けれど、そういうことならやっぱり、泣かさないでおいてあげる」
言いながら膝の上に小さな頭が載った。膝枕くらいは許すかと思っていたら、服の裾をめくり、胸の下にある鱗に無遠慮に触れて来た。
「触っていいとは言っていないし、あまり見るな。平気になった訳ではないから」
「どうしても恥ずかしく思うのであれば、もっと恥ずかしいことで上書きしてしまうのはどうかしら」
「どうかしらも何も。……それと、病み上がりに、止めなさい」
「病み上がりでなくなったらいいの?」
「それはいい。そのために話したんだから」
鱗に触れていた指がぴたりと止まり、体が起こされた。
「……ふふふ」
手のひらに覆われくぐもった、品のない笑い方を聞きながら、寒天の最後の欠片を口に放り込む。
物語のお姫様には向かない奴だと、こっそり思った。
リアの詩 早瀬史田 @gya_suke
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